CASIOの歴史は「樫尾俊雄発明記念館」で学べるぞ!

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こんちわっす!

今回は東京の高級住宅街に佇む博物館になります!!

その名は「樫尾俊雄発明記念館」。そう、樫尾(かしお)ということで、あの時計や電卓でおなじみの誰もが知るメーカー「CASIO」の発展に携わった方の博物館なんですね!

この博物館はコロナの影響で訪問時は平日しか開館していなかったり、事前予約制ということでなかなか難易度が高めだったわけですが、機会を見つけて訪問してきました。

CASIOというメーカーはどのような背景があって誕生したのか、発展にはどんな背景があったのか、スタッフの方に色々説明していただいたので以下にまとめていきたいと思います!

本記事のポイント

・樫尾俊雄会長が後世に残してほしいと遺言を残した博物館
・計算機や腕時計など様々なCASIOの製品が展示されている
・事前予約制で、スタッフさんが館内を解説してくれる

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高級住宅街に佇む博物館

今回の焦点となる博物館は、東京の成城学園という高級住宅街に位置しているというなかなか珍しいケースなんすな~!

もうね、博物館までの道を歩いていても周辺の建物は私レベルの人間には縁のないほどのデカさだったりしますし、車だってベンツだったり高級車だらけでしたよ。

ということで、住宅地を歩いているだけで既にテンション上がっている状態の私でしたが、今回のお目当ては「樫尾俊雄発明記念館」というCASIO発展の秘密が眠っている博物館。

こんな土地の値段がいくらするかもわからないような場所にあるということで、「とんでもない維持費がかかっているんじゃないか?」とか金に関することばかりが頭に巡る中、ようやく博物館到着となりました!

住宅街にひっそり佇む

お~ここか!

建物もさることながら庭も大きく相当な面積っすな。。ここ、土地売ったらどんだけの値段になるんだ、、とかやはりまだ金のことが頭にくらんでしまう(;・∀・)

ここが入り口

どうやらここが入り口のようです。私が予約したのは平日の14:00~16:00。少し早めの到着となってしまったため、ちょっと周囲をうろついて時間をつぶしての訪問。

呼び鈴を鳴らす方式

ここから館内に入るようです。

ほうほう、ピンポンを鳴らして入館する方式ですね。小さな博物館だと呼び鈴を鳴らすというちょっとした緊張感を味わうのも一つのアトラクションなわけですが、ここは予約しているということもあるしそこまで緊張する必要はないっすけどね(;・∀・)

ということで、呼び鈴を鳴らしていざ入館!!!!

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コンサートホールを意識した玄関

扉を開けるとこんな景色が目に飛び込んできました!

そしてスタッフさんが出てきてくれて、手洗いや検温などコロナ対策を済ませて早速館内を案内してくれることに。

まずこの部屋ですが、ここは樫尾俊雄会長(以下、会長)が暮らしていた当時はピアノが置かれてたそうです。会長の娘さんがピアノを弾くとのことで置かれていたそうですが、壁には音響効果を考えて大理石を使用している他、階段をコンサートホールのような形にするなど様々なこだわりをみせています!!

コンサートホールを意識した階段

おーーこれですか、よくこんな幅でこれだけの階段を作ったもんですな。これ、会長が「コンサートホールを意識した階段を作ってくれ、この小さな空間で難しいかもしれんが失敗してもいいから!!」と、超強く大工さんにお願いして作られたものらしいっす。

さらに、視線を真上にあげると、、、

豪華なシャンデリアとステンドグラス

素晴らしいシャンデリア、そしてさらに上にはステンドグラスも見えますね!

鳥をモチーフにしたステンドグラス

その他にも、この博物館には素晴らしいステンドグラスがいくつかありましてですね、上の写真の右下には「白頭鷲」、左は「極楽鳥」、右上は「白鷺?」をデザインしているそうです。会長は鳥が好きだったことから、この建物には鳥のデザインが所々に使われているんです。

そのため、この博物館にはステンドグラスなどの建物目当てで訪問する方もいるんですって!!

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樫尾俊雄会長とは何者なのか!?

ここで、誰もが知るメーカーのCASIOを広めた樫尾俊雄とは何者なのか?

ちなみに、CASIOの会社名は「カシオ計算機株式会社」(以下、CASIO)になります。社名に”計算機”って文字が入っているんですね。記事を書くにあたって初めて知りました(笑)

樫尾俊雄会長

樫尾俊雄(かしお・としお)会長は1925(大正14)年の東京生まれ。

そして彼を運命づける出来事は早々に訪れることになります。1935(昭和10)年に、発明の感動を与えてくれたエジソンと出会ったんですね。これにより、彼は発明家を目指すことになりました。

そして電卓など様々な商品を発明していくわけですね。会長の経歴については以下ですごく簡単にまとめました。

樫尾俊雄会長の経歴
1925年
東京生まれ
1935年
発明の感動を与えてくれたエジソンと出会う。
1940年
東京電機大学を卒業
1946年
兄が経営する樫尾製作所(後の、カシオ計算機株式会社)に入社。
1949年
第一回ビジネスシヨウの展示会にて計算機と出会う。
1957年
世界初の電気式計算機「14-A」を発売。
1965年
電気卓上計算機「001」を発売。
1972年
世界初の個人用電卓の「CASIOミニ」を発売。
2012年
87歳にて永眠。

以上のように、発明家を目指したことから彼が考え抜いたアイディアによって様々な電卓が誕生していくことになるんですね。

博物館の建物でくつろぐ樫尾会長

会長は晩年この博物館の建物に暮らしておりました。

発明の多くを考案した思い出深い成城の地にて、会長が生み出した電卓の歴史を後世に残してほしいという遺言があったことで2013(平成25)年5月15日に、この博物館は誕生しております。

会長の想いがあって誕生した博物館

この博物館、今はCASIOとは無関係の状態になっており、運営は「一般財団法人 樫尾俊雄記念財団」が担っているとのこと。高級住宅地の広大な土地にあるということもあるし、建物の維持管理もあることから運営にはかなりの額がかかっているようです。。

とはいえ、博物館の入館料は無料。現在は、会長が残してくれた株を運用することで賄えているんですって!

ですよね~~、金かかりますよね~(;・∀・)

本当、こんな場所を無料で公開してくれることに頭が下がりますわ(*´▽`*)

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世界に四台しかない電気式計算機

という感じで樫尾俊雄会長に関して簡単に説明したところで、ここからは会長が発明した商品などを紹介してCASIOがどのように発展していったかを追っていくことにしましょう!

まず案内していただいたのがこちらの部屋。

昔の計算機が展示されていますね。この部屋に展示されている計算機はテーブルくらいのサイズがありましてですね、いわゆる電卓レベルになるまえは計算機ってそれくらい大きなものだったわけですな。

そしてこれら計算機は樫尾製作所を代表する商品なわけですが、これを開発するにもお金がかかるわけです。

そのお金はいったいどのように工面したのか??

最初の発明品『指輪パイプ』

それはこちらの指輪パイプの売り上げがあったから!

昭和30年代の頃、たばこは大変貴重品だったわけですが、手で持ったり指で挟んで吸うと根元までは吸えないわけです。そこで、より根元まで吸えるたえにと開発されたのがこちらの指輪パイプでした。

樫尾製作所に会長が入社した時に作ったもので、兄の忠雄が旋盤とバーナーを使って手作業で一日200~300個を生産。これが当時の世相にマッチして飛ぶように売れたわけです。

そんなわけで、この商品の売り上げが、CASIOの土台を築いたってわけなんですね!

1957年発売の電気式計算機「14-A」

そのような土台が築かれ、計算機の開発が進んだことで1957(昭和32)年に「14-A」という世界初の電気式計算機が販売されることになりました。当時の値段で48万円ほどで、今で言えば車が一台買えるくらいの値段でした。

今となっては大変数は少なく、世界でもこれを含め四台しかないんですって。

ちなみにですが、「これ、どこまでが計算機でどこまでがテーブルっすか?」と最初思ったんですが、全部が計算機っす(笑)

そしてこの計算機、裏側の光景がなかなかインパクトがありましてですね、、

342個ものリレーが使われている

これっすよこれ!!

凄い数の何かが規則正しく並んでいますが、これは一つ一つが「リレー」と呼ばれるもののようです。リレーとは「継電器のことで、電磁石の動作によっていくつかのスイッチ接点を開閉させるもの」であり、このリレーと回線だけで計算する仕組みなのです。

これをどのように操作するかに関しては、YouTubeに動画が上がってますのでこちらをご覧になってみて下さいな!

こだわりのテンキー

この14-Aでは、ボタンの配列にもこだわりがあるんです。

それは「テンキー」っす。0~9のボタンが四角い形で並べられていますが、これはパソコンのキーボードでも見られる並べられ方ですよね。この並べ方、実は会長が考案したもので、この計算機に初めて導入されたんです!

さらに、ちょっと写真ではわかりずらいかもしれませんが5のボタンには少しへこみがあり、これは左手でブラインドで操作するときに「ここが真ん中だよ!」と分かるようにするため。これらのボタンが左側に位置しているのは、「左手でボタンを押しながら右手で文字が書けるように」という配慮から。

いろいろ考えられてるんすね~。

1962年に発売された「AL-1」

その次に案内していただいたのがこちら。1962(昭和37)年に発売されたもので、ルート(√)計算をも可能にした「AL-1」という計算機。

こちらは先ほどのリレーとは異なり、複雑な計算を歯車を使ってプログラムできる科学技術用計算機 なんですな。

計算機に関して説明したところで、一旦ページを区切りますかね!

次のぺーじあ、計算機は技術競争によってより小さく安くなっていく過程や、腕時計に関する話などをまとめておりますよ!

続きはこちら!シャープとの電卓戦争が勃発!
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