なぜ、江の島ゆかりの「江島杉山神社」が東京の墨田区にあるの?

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うっすー!

日本中の知られざるスポットや街の歴史を発掘する知の冒険。今回は東京の墨田区にある「江島杉山神社」という神社に焦点を当てたいと思います!

今回は本当にマイナーな場所かもしれないですが、この神社は神奈川県を代表する観光地である江の島と関係が深いという神社なわけですよ。

そこで、「何で墨田区に江の島と関係がある神社があるんだ?」となってくるわけで、その辺を江の島にまつわる歴史も含めて、以下で紹介していきたいと思いますー(*´▽`*)

本記事のポイント

・江島杉山神社は杉山和一という人物が関係している
・和一は江の島で管鍼術を思いつくキッカケをつかんだ
・鍼術の腕が認められ徳川綱吉から土地を譲り受けた

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江の島ゆかりの神社が東京に!

今回の焦点である江島杉山神社があるのは、JR両国駅から歩いて7分ほどの場所。両国国技館という大相撲の会場があることでも知られているこの場所から、南に向かって進むとその神社は姿を現します。

江島杉山神社の入り口

はい、こちらですね。駅からも大通りからも少し外れた場所にあるため、ここは結構閑静な場所となっております。

ではでは、中に入ってみましょう!

江島杉山神社の本殿

こちらが本殿ですね。

まぁ何はともあれ、この神社は「江島杉山神社」という名称であるように神奈川県にある江の島と関係が深い神社な訳です。

それはなぜか??

そもそも、何で私がこの神社の存在を知ったのかというと、江の島は江戸時代中期の頃は江戸庶民の方々の観光&信仰の地として支持されていたという記事を書いたことがキッカケでした!

↓この記事ね!

記事を書く上で、鈴木良明著の『江島詣』の書籍を参考にさせていただいたんですが、この本に江島杉山神社の話が出てきてそこから知ったんですわ。

江島詣の記事の方にも、ちょこっと江島杉山神社の話は出て気はしますが、改めて墨田区に江の島ゆかりの神社がなぜあるのかについてまとめていきたいと思いますよん!

管鍼術を発明した杉山和一

幼くして失明してしまう杉山和一

この神社には”杉山”という名前がついておりますが、これは杉山和一(すぎやま・わいち)という人物名からきております。

杉山和一は、1610(慶長15)年に、武家にて生まれるも幼くして失明をしてしまいます。今の時代だと福祉が充実しているため、目に障害がある方は支援を受けることができるわけですが、江戸時代初期にはそのような救援措置は無かったため、盲目の方でも働かなくてはいけませんでした。

とはいえ、盲目ということで出来る職業は限られており、男性であれば按摩、女性であれば按摩か瞽女(ごぜ)くらいしか選択肢はなかったんですね。。

瞽女とは?

盲目の女性が旅をしながら旅先で三味線などの芸を披露して、銭を頂いていた人たち。昔は全国にいたようですが、昭和に入った頃には新潟周辺に残るのみになった。瞽女さんがいたのは、1960年代頃が最後でした。

そこで、杉山和一は鍼術を志すことになりました。

ところがです、江戸の山瀬啄一に入門するも技術が向上せず師の下を破門させられることになります。目が不自由な以上、何かを成さねばということで和一は江ノ島弁天の岩屋に籠り、断食修行を行うことになります。

そして修行を終えた日、江の島を歩いていた際に大きな石に躓いて倒れてしまうんですが、その時に何か足に刺さるものが・・。

手に取ってみると筒状になった椎の葉の中に松葉が包まっていたのです。そこで和一はひらめきました!!

「いくら細い鍼(はり)であっても、管に入れて使えば盲人の私でも容易に打つことができるんじゃね??」

鍼の刺し方
引用元:https://89ima.com/note/hari-sashikata/

いわゆるこういうやつです。管の中に鍼を通した状態であれば、盲目の方でも適切な場所に鍼を刺せるというわけです。

こうして、現在の鍼術(はりじゅつ)の主流となっている「管鍼(かんしん)術」が誕生したわけです。

辺津宮に安置されている福石

石に躓(つまず)いたことから誕生したということで、その石は”福石”と名付けられ、今でも江の島の辺津宮付近に安置されています。結構気づきにくい場所にあるので、江の島に来た観光客の中でもココを見に来る方はほっとんどいないでしょうけども・・(;・∀・)

今でも、江の島では5月になると杉山和一を偲ぶ『杉山祭』が県鍼灸マッサージ師会主催で開催されております。今でも、江島杉山神社に江島神社(江の島にある神社)の宮司さんが訪れることもあるとかで、江の島とのつながりがあるんだそうですよ!

徳川綱吉より土地を授かる

江の島でそのような出来事があった後、和一は京都の入江豊明の下でさらに鍼術を学び、江戸で開業すると鍼の名人として有名になりました。

そこでです、和一に大きな転機が訪れました!

なんと、和一の名声を聞いた五代将軍の徳川綱吉にお呼ばれされることになったんですね。

徳川綱吉というと、皆さん、学校の社会科で習いましたよね。”生類憐みの令”で有名ですし。そんな綱吉は持病を患っていたため、和一の鍼術に頼りたかったというわけなんですね。

そして和一により治療を受けた綱吉の持病は、結果的に和らぐことになりました。そして信頼を受け、検校(けんぎょう)の地位を得ることになったのです。

綱吉の難病を治療・回復させた功績により、和一が83歳の時に綱吉から「何か欲しいものはあるかいな?」と問いかけられることになります。そこで和一は「ん~そうっすね~、本所一ツ目に土地が欲しいっすわ~」と答えます。

そう、その土地こそが江島杉山神社がある場所なんです。

和一が篤く信仰していた下之宮(現:辺津宮)

綱吉からこの場所を譲っていただき、管鍼術誕生のきっかけとなった江の島の下之宮(現在の江島神社の一つである辺津宮)を篤く信仰していたこともあって、江の島の弁財天をここに勧請して誕生したのが江島杉山神社ってわけなんですな。

なるほどね〜〜

境内には杉山和一記念館もある

江島杉山神社の背景はこのくらいにして、神社にある見所をスゲー簡単にですが紹介したいと思います。

岩屋洞窟を模した洞窟もある

まずはこちらの洞窟。

神社の中に洞窟があるケースはたまにありますが、この洞窟は江の島にある岩屋洞窟を模しています。先ほども説明しましたが、岩屋洞窟は鍼術の腕が上がらないということで杉山和一が断食修行をした場所ということで大変由縁がある場所なんですよね。

人工的に作られた洞窟

この洞窟は、自然発生的にできたものではなく石を築いて人工的に作ったそうです。

奥には宇賀神像、宗像三女神像、杉山和一検校像が祀られていますので、読んでいただいた方でここに来る方がいらっしゃったら、ぜひこの中も見てみてくださいね(*´▽`*)

境内にある「杉山和一記念館」

そしてこの神社には、杉山和一の記念館も併設されています。

この博物館、GoogleMapには一応地点登録はされていたものの口コミが0件だったということで私が最初に投稿しておきました。

0件は寂しいぜ・・。もっと多くの方に知ってほしいな~~。。

博物館の館内

館内は博物館というか、地元のこじんまりとした公民館といった感じ(*´▽`*)

博物館は二階なので、スタッフの方と階段を上がることに。

杉山和一記念館の展示室

そしてこちらが展示室。

室内に入ると、スタッフの方が「ちょっと待っててくださいね~」と言って部屋の電気をつけてくれました。この博物館はかなりマイナーな博物館ということもあって、普段は人が来ないため電気は消されているようでした。

B級スポットといわれるような場所によくあることですけどね(;・∀・)

そして、館内を鑑賞する前に少しスタッフさんから博物館の背景を伺うことができました。

杉山和一記念館はこの一部屋のみ。2010年に、杉山和一が生誕400年を迎えたのを機に、鍼灸・按摩業界や視覚障害者、障害者教育、社会福祉など諸団体によって400年余の歴史文化の継承と発展のために建設が企画され、2016年に誕生した博物館なんですって。

博物館の建設資金は、全国の方々の寄付金や日本宝くじ協会からの助成金によるもの。そしてこの博物館の入館料は一応無料ではあるものの、維持費としてお気持ち程度の金額を頂いてるとのことでした。

江戸期鍼灸・按摩関連の資料

私みたいに博物館巡りでここを訪れるというのはかなり珍しいケースのようで、ここに来る方の多くは鍼灸師や鍼灸師の試験をこれから受ける学生さんなどが来るそうです。

鍼灸師の方でも、杉山和一という名は教科書とかで見たことはあっても、この場所にこういった形で神社や博物館があるってのはそんなに知られてないみたいです。。

管鍼術で用いる器具
医療関連っぽい掛け軸ですな
徳川綱吉直筆の掛け軸

そしてこの博物館の一番の見所はこれじゃないっすかね!

展示室の奥にある「大弁才天」と書かれた掛け軸なんですが、これはなんと1701(元禄14)年の6月に徳川綱吉が本人が書いたものなんですって。300年以上も昔のものってことかいな!

館内には治療所も併設されている

そして記念館内には「杉山鍼按治療所」もあります。技術を継承するために、設けられているんだそうですよ!

スタッフさんと話していてとても気になったのは、「杉山和一」という人物をもっと世の中の方々に知ってもらいたいということ。墨田区内でもさほど知名度あ低いというのが現状のようなんです。。

盲目の偉人といえば塙保己一さんだとまだ知られていて、地元の埼玉県本庄市が市営の博物館を作っていたりと公的なミュージアムがあるわけで気合が入っているわけです。が、杉山和一に関しては墨田区民の中でも知名度が低く、墨田区には他にもたくさんの歴史ネタがあるため埋もれてしまっている感があるようなんですよね。。

テレビとか何かで取り上げられるといいですけどね。江の島なんかは多くの観光客が来ているわけですし、辺津宮でもうちょっとアピールしてもいい気はしますが、、、とはいえ、観光客にはあんまり刺さらないテーマではあるかな〜〜。

ということで、この記事を読んでいただいた方でちょっとでも興味があったら、この神社か江の島に行った際には和一さん関連のスポットを訪問していただければ私も幸いでございます!!

おわりに

はい、以上でございます。

今回はいつも以上にマイナーな場所を取り上げましたが、神奈川県の江の島にゆかりがある神社のお話をさせていただきました。この神社には、上で説明したような背景がありますが、神社やお寺は皆さんの住んでいる場所にもちらほらありますよね!

普段は関心をもっていなくても、ちょっと背景だとかいろいろ調べてみると意外に面白いエピソードがあったりするものなんですよね。皆さんも、ちょっと暇な時にでも調べてみてはいかがでしょうか(*´▽`*)

ではでは~

参考文献

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詳細・地図

住所 東京都墨田区千歳1丁目8−2
駐車場 なし
電話番号 03-3634-1055
アクセス JR両国駅から徒歩7分ほど
リンク http://ejimasugiyama.tokyo/

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