ハンセン病隔離政策によって誕生した長島愛生園とは!?

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こんちわっす!

今回は、実に二か月ぶりの記事投稿になります。「あれっ、知の冒険さんもうブログ辞めちゃったの?」って思った方がもしかしたらいたかもしれないですが、いや、そんなことはないっすよ!

というのも、以前の記事でも書いた通り、今まではこれから出版する博物館本の取材旅にずっと出ていた関係で、全然記事を書く時間がなかったんですよ。。取材するだけでなく、本の原稿も書かなくちゃいけなかったので。。

んで、つい先日、三か月ぶりに家に帰還したのでこれからまたまたブログも書いていきますよ~って感じなのですが、早速今回紹介するのは、岡山県にある「長島愛生園歴史館」という博物館について二つの記事で紹介します!

長島愛生園は、日本初の国立療養所でありハンセン病患者の方々の隔離政策を行うためにつられた歴史があるわけです。という、今回はハンセン病、そして差別というテーマに関する博物館についてっす!

本記事のポイント

・ハンセン病は感染症によるもので、遺伝は無関係
・長島愛生園にいる入所者の方々は、既にハンセン病は完治している
・歴史館は、入所者の方の足跡を後世に伝えるために誕生した

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“人権の島” 長島

ということで、今回の記事で紹介するのは岡山県の長島という島にある博物館です。長島って聞かれてもどんな場所かよくわからんと思うのですが、場所はここっすね。

岡山県の東側に位置するこの島は、今では橋が架けられて車でも行くことができる島となっています。でも、行ったことがある方はあんまりいないかもしれないですね。。

長島は”人権の島”とも言われ、一世紀近くにわたりハンセン病の歴史がここで刻まれてきたわけです。今は、「喫茶さざなみハウス」というシャレオツなカフェが出来たということで、そのお客さんもいくらかいるみたいですけどね。

園内にある長島愛生園歴史館

そして、島内を進んでいくのと現れるのが、こちらの「長島愛生園歴史館」。すげぇツタがまとわりついてる、ちょっとジブリチックな雰囲気を醸している建物ですが、ここで愛生園やハンセン病に関する歴史などを展示しているわけです!

ということで、いつものように館内を紹介したいところなのですが、その前に「ハンセン病とは何か?」ってことを理解していく必要があるわけです。

ここは、博物館の本にも掲載する予定で愛生園の方にも取材したんですが、ここの博物館の大きなテーマとしては、以下の点が大事になってくるとのことです。

ということもあり、その辺の事実を教えていただいたし、記事を書くにあたってはそこをしっかり書いといたほうが良いと思ったので、今回の記事ではその導入部分についてサラッとまとめてみたって感じです!

ハンセン病隔離政策とは!?

ハンセン病の由来となったG.Aハンセン

そもそも、ハンセン病はどんな病気かというと「抗酸菌(らい菌)によって引き起こされる慢性の感染症」 です。

症状としては、皮膚と共に末梢神経に病変が生じ、手足の運動機能の麻痺や感覚麻痺などの症状を伴います。

ハンセン病自体は、はるか昔からあった病気のようですが、日本初の国立療養所である長島愛生園が誕生した根幹にあったのは、1929(昭和4)年に発生した「無らい県運動」でした。この運動は、らい患者が無い県(無らい県)を作ろうと競って患者を収容する運動のこと。

国と民間が一体となった動きで、「ハンセン病は恐ろしい急性伝染病である」との誤った情報を国の宣伝と流し、患者に対する差別は一層厳しくなったのです。

そしてその二年後の1931(昭和6)年になると、「らい予防法」が成立。

らい予防法とは

日本中のすべてのハンセン病患者を、療養所に隔離できるようにする法律。この法律に前後して行われた「無らい県運動」により、ハンセン病をすべてなくそうという「強制隔離によるハンセン病絶滅政策」が広まる。

https://www.mhlw.go.jp/houdou/2003/01/h0131-5/dekigoto.html

この法律により、強制隔離によるハンセン病絶滅政策という考えのもと、在宅の患者も療養所へ強制的に入所させるようになったわけです。

1930年開園当初の愛生園の模型

そう、日本初の国立療養所である長島愛生園は、こうした流れの中で1930(昭和5)年11月20日に開園したんですね。

この長島が選ばれた背景は、過疎地であることや港があって水もあるなど地理的条件が揃っていたことがあげられます。とはいえ、ただ地理的に良いだけではなく周辺住民との衝突もあったわけです。

このハンセン病の療養所というのは、少し原子力発電所と似たような点があります。設置するとなると、周辺住民は反対するんですね。おそらく、当時は「療養所を作ってハンセン病患者を集めたら、我々だって感染するかもしれないじゃないか!」という誤解が広まっていたんだと思います。しかし、街からすると療養所ができることで、その分、人は集まって街の経済を考えると助かるわけです。

その後、不治の病と言われていたハンセン病は、治療薬が開発されて「確実に治る病気」になりました。

とはいえ、療養所に隔離する「らい予防法」が廃止されることはなくそのまま残り続けていたため 、世の中のイメージは「そういった法律が残り続けているってことは、やっぱりハンセン病は隔離しなくてはいけない危険な病気なんだ」というイメージが拭えませんでした。。

そのため、既に治療が完治していた入所者の方であっても、外の世界に出て元ハンセン病患者だということをカミングアウトすると差別に苦しむわけですし、そう考えて、完治していても愛生園にとどまり続けたわけです。

この差別は、本人だけでなく家族にも及んだということで、関係者は長年に及ぶ間、差別に苦しんだわけです。そんなこともあり、ハンセン病にかかった方は名前を変えるケースも多いとのこと。

ただ、入所者の方が施設にとどまり続けることは、やはりイメージ回復にはつながらない。その大きな要因が「らい予防法」だったこともあり、ようやく1996(平成8)年に廃止されたときには、対処が遅れたことに関して、入所者の代表に当時の厚生大臣だった菅直人が謝罪をしています。

とはいえ、この「らい予防法」の廃止では、社会の意識に大きな変化はありませんでした。

ただし、その後は熊本県で 「『らい予防法』違憲国家賠償請求訴訟」が発生。

「らい予防法」違憲国家賠償請求訴訟
国の責任をはっきりとするため、裁判が起こされた。入所者からは偏見や差別で苦しんだことが語られ、改めて被害の大きさが明らかに。裁判は入所者が勝ち、国の責任がはっきり示され、国は謝罪。

この訴訟により、国と原告の間に和解が成立し、社会の関心も高まったのです。

ドバーーっと書きましたが、愛生園、そして近代以降のハンセン病に関する簡単な流れはこんな感じです。どうですかね、ザッとご理解いただけましたでしょうか??

忘れ去られてしまう恐怖

平成15年に誕生した長島愛生園歴史館

そんな長島愛生園に歴史館が誕生したのは、2003(平成15)年のこと。

この背景には、入所者の方から「自分たちの足跡をどこかに残したい」、さらには彼らは子供を持つことができないことから、「自分たちが亡くなると自分たちがいたことが忘れ去られてしまう」という声が上がったんだそうです。

そこで、彼らの足跡を語り継ぐ施設をつくるという話になったことから、長島愛生園歴史館は誕生したのです。

ここは、次に投稿する記事でも詳しく書こうと思っていますが、この歴史館だけでなく、園内に残る隔離政策時代の遺構、さらには都合が合えば現在もいらっしゃる入所者の方々の講話を聴くことも可能。

そういった知識を得ることや体験を通じて、ハンセン病について正しく理解していただき、偏見や差別をなくしていこうというのがココの目的でもあるわけです。

ハンセン病は既に完治している!

ということで、長島愛生園に関して正しく理解しておかなければいけないことを以下にまとめました!

長島愛生園に関する大事なこと
・ハンセン病とは
「抗酸菌(らい菌)によって引き起こされる慢性の感染症」とのこと。
・日本でハンセン病は感染しない
現在、日本で新たなハンセン病の患者は現れることはない。ただし、ブラジルやインドなど海外ではまだ感染例がある。
・愛生園にいる方々は完治済
今も、長島愛生園には入所者の方々が暮らしているが、皆が既にハンセン病は完治している。とはいえ、ハンセン病が完治する前に患った後遺症が残っている。そのため、入所者の方を「ハンセン病の患者」という言い方は誤りであり、「ハンセン病による後遺症が残っている障害者の方々」が正しい。

改めてですが、ハンセン病は「抗酸菌(らい菌)によって引き起こされる慢性の感染症」。そう、”感染症”なんですよね。

とはいえ、昔はそう認識されずに”遺伝によるもの”と勘違いされていたんです。

というのも、ハンセン病は感染してから発症するまでは数年間かかるんですね。以下の厚生労働省の資料によると、新型コロナウイルスの潜伏期間は、多くは5日~6日のようですので、どこで感染したかをまだ追えますが、 数年かかるとなると追うのは不可能なわけです。

感染から発症までの潜伏期間は1日から12.5日(多くは5日から6日)といわれています。

https://www.mhlw.go.jp/content/10900000/000596861.pdf

そうなると、確率的に言って親がハンセン病患者だったらその息子に感染しやすいということで、家族に感染しやすいわけです。なので、まだ「ハンセン病=感染症」ということがわからなかった時代は、「家族内で感染するということは遺伝なんじゃないの?」という誤解が広がったというわけですね。

ハンセン病の治療薬について

そんなハンセン病、日本では治療薬が誕生したことから、既に病気は治ります。現在、長島愛生園には今でも入所者の方々がいらっしゃいますが、彼らは既にハンセン病は完治しているわけです。でも、ハンセン病の薬がまだ無かった際に患った後遺症が残る障害者の方々ではあります。

現在の入所者の方々の平均年齢は86歳。地元に戻ることもできるわけですが、彼らはもう何十年もこの施設で暮らしていることから、今からまた外の世界で過ごすというのも恒例ということもありかなりハードルが高い。帰ったとしても自分の居場所がないというのが現状みたいです。

むしろ、この施設の方が長く接している方々がたくさんいることから、施設の方が過ごしやすいということみたいです。

ハンセン病隔離政策によって誕生した、岡山県の長島愛生園。本当にザッとではありますが、以上のような背景があったんですね。

おわりに

ちょっと今回の記事で、ハンセン病に関する説明をしすぎたので、博物館や園内の紹介は別記事に分けようと思います!

でも、ハンセン病に関しては正しく理解しておくことが大事なので、こういった前情報も大切だと思います。

そう書いていて、私の記事の内容が間違いだったらまずいですけどね(;・∀・)

施設の方に取材した内容をミスなく書いたはずなので、もし間違ってたらどなたかご指摘をお願いします<m(__)m>

ということで、次回は博物館と園内を紹介する記事になります。よければ、次の記事もご覧になってみて下さいね~!!

参考文献

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詳細・地図

住所 岡山県瀬戸内市邑久町虫明
入浴料 無料
開館時間 09:30~16:00
休館日 月曜・金曜 夏期休館日8月10日~8月20日 年末年始12月28日~1月5日
駐車場 無料
電話番号 0869-25-0321
アクセス 岡山ブルーラインの虫明ICより車で約10分
リンク http://www.aisei-rekishikan.jp/index.php

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コメント

  1. 浅田博一 より:

    新作を首を長くして待っておりました、。
    これから楽しみが増えます。

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