日本の飛行機王が建てた名建築「旧中島家住宅」とは!?

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こんにちわ!

今回紹介するのは、群馬県太田市にある「旧中島家住宅」というスポットです。「旧××住宅」みたいな場所って、日本中を探すと結構たくさんあるんですけど、今回は中島さんのお宅になります(笑)

「中島」とは、どちらの中島さんかというと、中島飛行機(株)の創設者である中島知久平(なかじま・ちくへい)氏が建てた住宅なんですが、とにかく敷地が広いし、建物の造りも本当に素晴らしいものでした(*´▽`*)

もう見るだけで圧倒される建物で、内部も凝った造りがいろんなところに見られるんですよね!

ではでは、そんな旧中島家住宅とはどんな場所なのか、以下で紹介していきますね~~!

本記事のポイント

・中島飛行機(株)の中島知久平が両親のために建てた邸宅
・GHQへの接収、空き家状態を経て2014年に一般公開となった
・和洋折衷の豪華な造りで、一部だけ館内見学が可能

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豪華な唐破風屋根がお出迎え!

今回の目的地「旧中島家住宅」があるのは、群馬県太田市。埼玉県との県境を流れる利根川沿いに位置しているということもあって、群馬県とはいえ首都圏からは割と生きやすい場所にあります。

とはいえ、それは車に限った話で、最寄駅からは車でも15分近くかかるので、公共交通機関だとちょっと行きずらいっすかね。。

では、早速中に入ってみることにしましょう!!

敷地がとにかく広い!!

門をくぐると巨大な前庭が現れるんですが、本当に広いんすよね。まぁここは群馬県の太田市であり、駅からも車で10分以上かかる場所でもあるからこその広さという感じでしょうか??

巨大な堂々たる唐破風屋根

そしてまず目に入るのが、この素晴らしい唐破風屋根。いろんな建物に取り入れられている造りではありますが、旧中島家住宅の屋根とにかく大きさが半端なく、それゆえ見た目のインパクトがとにかく絶大でした。

こちらは車寄せであり、来客を迎えてもてなすための役割を持っていたと思われているとのこと。

このアングルが結構気に入っている
ここで受付を済ませます

玄関に入ると、広さ22.5畳の広間があり、左手には事務所が続き、右手には応接間が二部屋続きます。

ここは無料なので入場料を払う必要はありませんが、新型コロナが蔓延している時期ということで連絡先を書くなどの作業をここで済ませます。

ただ、元々は広間だったこの受付部分も見所が満載でですね、、、

豪華なシャンデリアと格天井

まずは天井。もう首が痛くなるまでずっと見上げたくなるほどの光景ですが、何とも見事な格天井が広がってるのがわかります!

シャンデリアをドアップ!!

館内唯一の洋風意匠である応接間

二部屋続きの応接間

広間を抜けると、二部屋続きの応接間が現れます。和風の外観からは想像もできない華やかな空間。

二室ともに大理石の暖炉をつけ、天井のモールディング、ステンドグラス、上げ下げ窓などの洋風な意匠を取り入れています。椅子やカーテンなども、洋風感をさらに引き立てていますね!!

広大な旧中島家住宅の中でも、洋風意匠としているのはこの応接間二室のみ。では、ちょっと足を踏み入れてみることにしましょ~~!

電気ストーブの据えられた大理石製の暖炉

こうした大理石の暖炉が大変素晴らしいですが、、、

ステンドグラスもたくさんの窓に取り入られていて大変見ごたえあります!!

何かの花をモチーフにしてると思うんですが、何かわからん。。わからんけど、とにかく綺麗っすわ。。

ステンドグラスをドアップー-!

あとはこんな昔の電話もありました。繋がってはいないと思いますが、とりあえず受話器を取って耳に当てたくなりますわ。

という感じで、ひたすら館内を写真でバシバシ紹介しているんですが、あまりこの建物に関するネタはそんなになくてですね。。

この部屋は応接室なので、多くの来客を迎え入れたとは思うんですが、中島知久平の両親が住んでいたころ、どんな方々がお客として訪れたんでしょうね??

探すと所々に家紋が取り入れられてるヨ

あと、見所としては家紋ですかね!

車寄せ、さらには瓦やシャンデリアの飾り、襖の引き手金具などには、中島家の家紋である「下がり藤」が取り入れられています。

訪問した際には、ぜひ探してみて下さいね~~

GHQ、米軍も利用した過去があった

では、ちょっとここで旧中島家住宅の背景に迫ってみることにしましょう!

先ほども書いたように、この建物は中島飛行機(株)の創設者である中島知久平(なかじま・ちくへい)が建てたわけですが、それは自分のためではなく両親のためなんですね!!

中島邸という名前だし、中島知久平が建てたわけだから本人が住んでたと思いきや、両親の家だったんすか。。知久平本人の家は東京の三鷹にあったようで、この家に来ることはほとんどなかったみたいです。

上の写真を見てもわかるように、とにかくこの建物の敷地は広大で、庭が半端ない広さってのがわかるかと思います。各棟は中庭園を囲むように「ロ」の字型に配置されており、グルッと一周できるようになっているみたいです。

旧中島家住宅を建てた中島知久平
引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/中島知久平

中島知久平は「日本の飛行機王」とも言われ、戦前の航空機産業を牽引し、政界にも進出した実業家でした。

館内には彼の写真もないため、見学後にググって初めてお顔を拝見させていただきましたが、こんな顔立ちの方だったんすね。

あと、建物のことをちょろっと話すと、この建物の設計を手掛けたのは、伊東東一(いとう・とういち)皇居や皇族などの宮殿建築を請け負う宮内省匠寮出身の建築家でした。

そして、この建物が建てられたのは昭和の初期とのこと!

パンフレットにも載っていた棟札

平成20年度に旧中島家住宅の調査が行われた際、主屋と門衛所から棟札が確認され、主屋は1930(昭和5)年4月17日、門衛所は1931(昭和6)年7月23日の上棟であることがわかったそうです。

昭和初期に建てられたこの建物ですが、戦後、1946(昭和21)年にはGHQが将校倶楽部として接収された過去もあったそうです。その後は、妹の中島あや氏が住んだり、日本政府が借り上げして米軍に提供したり、進駐軍家族が住んだり。

んで、平成に入って空き家だった状態から、2009(平成21)年に土地と建物が太田氏の所有となり、2014(平成26)年に「太田市中島知久平邸地域交流センター」としてオープンすることになったのです。

えげつない広さの庭・・

かつては飛行場が配備されていた河川敷近くの敷地であり、庭がめっちゃ広いっす!

学校のグラウンド並みの広さがりますし、サッカーや野球ができるレベルの広さでした。今はこれだけ広い庭、何かに使ったりしないんすかね~~。

旧中島家住宅の平面図

んで、館内ですが一般公開されてはいるものの、現在見学できるのは一部なんですよね。。左側のオレンジ色の部分(さっきの広間や応接間)が入館できる範囲で、ピンク色の部分が外から覗くのだけOKという範囲。

ピンク色の部分はまだまだ改修しなくてはいけなく、館内見学できるまではまだまだ時間がかかるとのこと。。

解説のパネルは無く建物見学重視

あと、この建物を建てた中島知久平が創業した中島飛行機株式会社、は今の自動車メーカーであるSUBARUの前身にあたります。その辺の歴史とかを伝えるパネルがあっても良いとは思いましたが、この施設は、建物の歴史や中島飛行機に関する説明がパネルで紹介されているってわけでもなく、とにかく建物を見ることに尽きる場所って感じですね。

ということで、先ほどは館内見学可能だった洋風の広間、応接間を紹介しましたが、ここからは和風の客間、居間、仏間を紹介しますね~!

和風の客間に上がれるのは15年後・・

続いて紹介するのは、こちらの次之間・客間の建物。先ほどのピンク色の箇所で、中には上がれず、外から覗いて見学できるエリアっす。

ここは先ほどの広間と同様に、天井の作りも結構凝ってるんですよね!

壁や襖に描かれた絵が素晴らしく、間近で見たくてしょうがないわけですが、ここは外から覗くのみ。。

部屋に上がることが出来ないので、下からのぞき込む形で強引に撮影しましたが、先ほどの広間と同様にこちらも格天井になっているのがわかります。

折上格天井は木目の縦横、そして配色が交互になっており、これまた独特なシャンデリアが1基吊るされているのがわかります。

襖絵も大変見ごたえありますな

襖や壁には、絵師による波や雲、千鳥の優雅な図柄が描かれており、きらびやかな空間を演出しています。

凝った造りということもあり、ぜひ部屋に上がって鑑賞したいところではあるんですけどね、、写真じゃあんま伝わりにくいかもしれないですが、結構傷んでるんですよね、部屋のいろんなところが。。

そんなこともあり、修復だけでなく耐震の調査とかとか、館内見学に至るまでにはやるべきことが山積みの様です。。この建物は国の重要文化財に指定されているということもあり、国や県が予算の面でひと悶着ありそうな感じの様で、スタッフの方が言うには、これらのエリアが館内見学できるのは15年くらい先とのこと。。

さすがお役所仕事。。

両親や妹さんが暮らしていた建物

さらに奥に進むと二階建ての建物が現れますが、こちらは一階部分が居間や仏間、そして二階部分には丸窓も見ることが出来る座敷があります。

先ほど紹介した応接間や客間はあくまで外向けのための空間であり、こちら側が両親や妹さんが暮らしていた生活空間のための建物になるようです。

とはいえ、ここも館内は立ち入り禁止なので、一階部分を覗くだけになります。

中はこんな感じになっていて左側が仏間、右側が居間になってます。ここはたいへんわかりやすく、襖がビリビリ状態になってますね。。

襖に何か木が描かれてると思いましたら、よくみたらテープでしたww

壁もそうですし、襖も痛んでる様子が垣間見えます。。

こうした明かりはとりあえず写真に収めておく

という感じで、2022年1月現在で見学できる箇所は一通り紹介させていただきました。

まぁだいぶ時間はかかるようですが、まだこれから館内見学できるエリアも増えてくるということで、15年後にまた訪問してみようと思いますww

その時、私は49歳か。。まだ生きてんのかなww

おわりに

はい、以上になります!

旧中島家住宅は本当に素晴らしい建物なので、建物好きの方にはマジでたまらない場所だと思うんですが、いかんせんアクセスが悪いんすよね。。

とはいえ、首都圏に住んでいれば車であれば行ける距離ではあるので、無料ですし、何かのついでにでも足を運んでいただければと思います。

では、また次の記事でお会いしましょ~~!

参考文献

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詳細・地図

住所 群馬県太田市押切町1417
入館料 無料
開館時間 09:00〜17:00(入場は16:30まで)
休館日 月曜日(月曜休日の場合は翌日)
年末年始(12月29日~1月3日)
駐車場 無料(40台)
電話番号 0276-52-2235
アクセス 太田駅から車で15分、熊谷駅から車で30分
リンク https://www.city.ota.gunma.jp/005gyosei/0170-009kyoiku-bunka/2014-0507-1321-164.html

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