日米首脳会談が行われた中曽根元首相の別荘「日の出山荘」とは!?

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こんちわっす!

今回の記事は、東京都西多摩郡の日の出町に位置する「日の出山荘」がターゲットになります。

東京都にあるとはいえ、かなりの西側ということで都会とは程遠い景色の場所に位置するこの博物館。閑静な森の中に佇んでいるものの、ここはかつての総理大臣だった中曽根康弘の別荘であり、レーガンアメリカ大統領やゴルバチョフソビエト連邦元大統領など多くの著名人を招待した歴史ある建物でもあるのです!

ではでは、その「日の出山荘」とはどのような場所なのか?

以下で紹介していきたいと思います~~(*´▽`*)

本記事のポイント

・1983年にレーガン大統領が訪れ、日米首脳会談が行われた!
・当時のまま、三つの建物が敷地内に残されている
・日米首脳会談は日の出町におけるビックイベントであり、碑も残されている

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東京の僻地にある元首相の別荘

ということで、今回の舞台は東京都西多摩郡という場所。青梅市や檜原村は何度か訪問しているものの、西多摩郡への訪問はほとんどない私。余談ではありますが、地図を見てわかるように西多摩郡って飛び地があるんですね!

この辺りの背景も調べたら面白そうですが、話がそれてしまうので、これはまた別の機会に!

そんで、日の出山荘があるのはこの場所。地図を見るだけでも、なかなかの僻地であることが分かるかと思います!

そんな僻地へと、自宅の川崎からポンコツ軽自動車を爆走してやって来た私。

いや~緑が広がっていてマイナスイオン満載で本当に心地いい雰囲気。新宿や渋谷のようなコンクリートジャングルと同じ東京とは思えない景色ですよね!

日の出山荘は建物と駐車場がちょっと離れていて、駐車場から10分弱ほど歩いて向かう必要があります(*´▽`*)

とはいうものの、歩みを進めていくと、この先に博物館があるとは思えない光景になってきてちょっと焦る私。。(;・∀・)

とはいえ、案内に沿って進んでるのであるに決まってるんですけどね(笑)

ここか~~、日の出山荘はちょっと前から気になってたんですけど、中々ここに来る時間作れなくて、自分的には

看板の文字は中曽根康弘氏の直筆

いや~~やって来ましたね!

この看板見ると、えらいとこ来たな~感をより感じられる。

受付を済ませて山荘内に入るわけですが、敷地内には広大な庭が広がっていて、建物がポツポツと点在してる感じっすね。敷地面積は約25,000㎡にも及びます。

建物は、青雲堂、天心亭、書院の三つがあり、書院は館内にたくさんの写真が展示してあったりするため、じっくり見るとそれなりに時間がかかると思いますよ!

ということで、まずは敷地内にある三つの建物についてサクッと紹介していこうと思います!

江戸時代末期に建てられた青雲堂

かつては農家が暮らしていたそうな

まず、受付から歩いてすぐに現れるのがこちらの「青雲堂」という建物!

東京にこうした茅葺き屋根の建物は本当に数少ないと思いますが、この建物は江戸時代末期に建てられたとされる古民家。1962(昭和37)年に中曽根元首相がこの建物を購入したそうなんですが、その当時はもうボッロボロで廃墟同然だったみたいです。

元々は農家の方が住んではいたそうですが、その後はずっと人が住んでなくて放置されていたところを、中曽根元首相が購入したそうな。中曽根が日の出山荘を購入したのは、憲法調査会で憲法制定過程を検証し、首相公選制の思案を練っていた1964年のことでした。管理人の方に聞くと、そもそも何で中曽根さんがこの場所に目を付けたのかというと、

「同じ議員仲間などが青梅にいたそうで、そういうつながりでここを買ったと聞きましたよ! 」

とおっしゃってましたが、真実はどうなのでしょうね?

ちなみに、この建物は「青雲堂」と呼ばれました。故郷・高崎市にある政治運動の拠点”青雲塾”から名付けられたとのこと。

レーガン夫妻の訪問に合わせて外壁は茶色く塗りなおしたとのこと

ロナルド・レーガンアメリカ大統領夫妻が、中曽根首相の招待を受けて日の出山荘を訪問したのは1983(昭和58)年11月11日のこと。

昭和58年というと、都会では団地など、どんどん新しい住宅が建てられた時代でしたが、中曽根氏は「これが古来の日本人が暮らしていた生活体系だったんです!」ってことを、レーガンに見せたかったそうです。

レーガンが来るときは、この建物がより古く見えるように茶色く塗るなどの細工もしたとか!

このお面怖すぎ・・

レーガンがやって来た当日は、12:30に山荘到着後、青雲堂において両首脳夫婦はおそろいのチャンチャンコを着てくつろいだ雰囲気の中で昼食を共にし、中曽根自らお茶を点(た)てるなど、和やかな会食だったそうです。 上の写真にも、その様子が移ってますね(*´▽`*)

これにより、両首脳の個人的な友情と信頼は一層深まり、日米関係の円滑化にも貢献。これを裏付けるように、1984年1月の世論調査では、日本を信頼できる国とする米国人が57%と、前年より13%も増えたんですって。

とはいえ、そんな首脳会談を行うまでには、大使館の職員たちが、安全面で何度も日の出町へ下見に来るなど、町民からすると非日常な光景ばかりだったそうです。

まぁ皇室の方とか首相、他国のトップが来るとなると、周辺の草むらをくまなくチェックしたり、マンホールの中まで確認するとかよく聞く話ですけどね(笑)

茅葺き屋根はとにかく維持費がかかる・・

あと、ちょっと運営面の話をすると、日の出山荘は中曽根氏から日の出町へと譲っていただき町の運営になっています。日の出町で運営はしているものの、青雲堂の屋根を修理するのも何百万もかかるなど、やはり維持費は結構かかるとのこと。。

茅葺き屋根は吹き替えしないといけないっすからね、、。

ロン・ヤス会談が行われた「天心亭」

青雲堂からさらに進むと、こんな建物が現れるのですが、こちらは「天心亭」という建物。”天心”という名称は、明治時代の美術指導者、思想家だった岡倉天心からきています。

天心亭は、部屋には入れないものの玄関から中を覗くことが出来ます。

ここはレーガン大統領と日米首脳会談、いわゆる”ロン・ヤス会談”を行った場所。そして中曽根氏はここで俳句、座禅、読書、ラジオといった趣味を楽しみ、必ずここで寝泊まりをしていました。

天心亭での日米首脳会談の様子

日米首脳会談は「天心亭」の囲炉裏を囲んだ椅子席で行われ、日米及び世界の重要問題に関する率直な意見交換が行われました。

この会談は世界各国にテレビ放映され、日本農家の佇まいと林に囲まれた静かな山里での会談は、日本の紹介だけでなく”ロン・ヤス”と呼ばれた日米結合の強さを示しました。

とっても仲良さげに話しているレーガンと中曽根ですが、この二人が出会ったのは1983年1月17日のこと。ワシントンに降り立った中曽根は、米ソ中距離核戦力の削減を巡って意気投合したことが背景にあります

中曽根は、「今度のサミットでは、私がキャッチャーをやるから、あなたはピッチャーになりなさい。ただ、ピッチャーもたまにはキャッチャーの言うことを聞かないといけない」と述べた。

レーガンは、「ピッチャーはキャッチャーのサインどおりにボールを投げるものだ。たくさんサインを出して欲しい」と同意した。

さらにレーガンが、「これからは自分をロンと呼んでほしい。あなたのファーストネームはなにか」と尋ねると、中曽根は「ヤス」だと答えた。「ロン・ヤス」関係の始まりである。

引用元:『中曽根康弘 「大統領的首相」の軌跡』p214
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詳細・地図

住所 東京都西多摩郡日の出町大久野5270番地
営業時間 10:00~15:30(入館は15:00まで)
入館料 一般300円、65歳以上200円、高校生200円、小・中学生100円、未就学児無料
休館日 月・火・年末年始
※1月・2月は、月~金(土・日・祝日開館となります)
電話番号 042-597-1009
駐車場 無料
アクセス JR横川駅から徒歩5分
リンク https://www.town.hinode.tokyo.jp/category/6-0-0-0-0.html

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コメント

  1. ちゃまちゃま より:

    すみません、記念碑の後ろにある、配水塔のようなクセのある建物が気になります!!

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