静岡の相良油田では、太平洋沿岸で唯一石油が湧いていた!?

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こんちわっす!

今回は静岡県にあるこれまたマイナーな博物館を紹介しようと思うわけですが、それは静岡県牧之原市にある「相良油田資料館」という博物館なんすわ。

“油田”って書いてるので、「石油が湧いたの?」と思うかもしれないですが、そうそう、そうだったみたいなんですよ。この資料館がある場所は、太平洋沿岸で唯一石油が採掘できたという激レアな所みたいなんですよね(*´▽`*)

まぁ、今はその痕跡はほぼ残ってないんですけどね。。とはいえ、太平洋で唯一石油が湧いた相良油田とはどのような場所だったのか?

資料館の館長さんにも話を聞いてきたので、その辺の歴史を以下で紹介しますね~~!

本記事のポイント

・相良油田は明治6年に採掘され、戦後の1955年に閉坑した
・採掘の作業は過酷だったようで、事故により多くの死者が出た
・人気漫画『Dr. STONE』に取り上げられ注目度は上がっている!

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太平洋沿岸で唯一、石油が湧いた!

ということで、今回は静岡県の牧之原市という場所へやって来たわけですが、牧之原といえばお茶で有名ですよね!

道を走ってると、ひたすら茶畑が広がりまくる牧之原ですが、この辺の茶畑には大井川の川越人足(かわごしにんそく)が関わっていたというのが結構面白いんですよね~。大井川に橋が架かる前は、背負って川を越えて収入を得る川越人足の人たちがいましたが、橋が架かって仕事が奪われると、彼らは牧ノ原台地を開墾して茶畑を開くという策に出たというね。

その辺は島田市博物館で学ぶことが出来るので、そっちの記事で詳しく書くとして、今回紹介する相良油田資料館は↓この場所になります。

この辺は目立った観光地が近くにあるわけでもないし、アクセス面でもなかなか行きにくい場所にあるので、マニアックっすよね。

そんな場所にあるこちらが、相良油田資料館。「油田の里公園」という、そのまんまの名前の公園があるんですけど、資料館はその公園の中に位置しています。

その資料館がこちら!

1997(平成9)年に誕生したということで、開館から25年近く経つこの資料館。こうして見るとそれなりな大きさに見えますが、展示室自体は見た目ほど大きくなかったっすね。まぁ、とにかく入ってみますか。

あと、ちなみにですが、”相良”の読み方は”さがら”になります。みなさんわかりました??

資料館に入ると、早速館長さんが出迎えてくれて簡単にではありますが相良油田の歴史について教えてくれました。なので、その辺を簡単にではありますが資料館の関内の紹介と合わせて書いていきたいと思います。

240もの小屋が立ち並んだ

太平洋沿岸で唯一石油が湧いた相良油田が発見されたのは1872(明治5)年のことでした。

萩間川左岸の海老江(現:牧之原市大江)で、ベトベトして臭い水が湧き出していることを、旧徳川幕臣の村上正局(むらかみ・まさちか)が聞き、その水を調べてみたら、原油であることがわかったんですな~!

そして、それを聞きつけた石油発掘の先駆者・石坂周造という人物によって、東京石油会社相良支社が設置され、明治6年に、周辺で手掘り採掘がはじまりました。

相良にこんな光景が広がってたらしい

手掘りでの採掘がはじまると、相良には上の写真の様な小屋が立ち並ぶようになりました。

この小屋の中に穴を掘り、採掘するために小屋には井戸の中を照らす反射鏡、井戸の中に空気を送るタタラ、井戸の土砂を引き上げる滑車などの設備が整えらえていたんですな!

そんな相良油田、最盛期は明治17年頃で、産出量は年間ドラム缶約3,600本、手掘りの井戸数は240坑で約600人が働いていました。全国の産油量の1割を占めていたそうですよ。石油というとほぼ新潟で賄っていたイメージがあるので、相良で全国の1割を占めていたとは意外!!

その小屋の内部は、資料館にある模型でも表現されています。

井戸の中の土砂を引き上げたり、井戸の中に空気を送るタタラを足踏みしたり、採掘した原油を運んだりしてますね。

240もの小屋が点在していた

そんな小屋が、相良油田には240軒点在していたようです。 でも、今はどの小屋も現存しておらず、掘っていた井戸は危険だからということもあって埋めてしまっているそうです。ただ、これらの小屋は、上でも書いてるように井戸を掘って原油を採掘するための小屋なので住まいではないんですよね。

なので、ここで働いていた坑夫の方々は別で住まいがあったはずなんですが、彼らの住まいはどんな感じだったんでしょうね~。

という感じで、相良油田のざっくりした大枠の話はしましたが、続いては、その採掘する作業がどんなものだったのかについてまとめることにしてみます!

囚人を利用するほどの過酷な作業

240もの井戸を掘って手掘りで採掘していた、相良油田。そこで働く坑夫の仕事は、重労働の上、常に危険と隣り合わせの作業の連続でした。

では、手掘りでどのように井戸を掘っていたのか、ちょっとまとめてみることにします!

井戸の断面図

まず、上の図が手掘り法によって掘られた井戸の断面図になります。この手掘り井戸の深さは100~180mほどで、最深では255mもあったそうです。

ひたすら掘削しては土砂・岩石を引き上げることの繰り返し。そして原油が尽きれば、再び掘り継いでいくわけです。この井戸を掘る作業、今では考えられない危険な作業だったようで、とにかく転落事故、ガス中毒、落盤事故が多かったみたいなんですね。。

さらに、地下深くは酸素の濃度も薄く光も届きません。こうして断面図を見てるだけで、実際に井戸の中がどんなものだったのかは想像するしかないものの、100m以上も深い場所での作業は想像以上に厳しかったはずです。。

人手が足りず、静岡刑務所の囚人にも掘らせていたほどだったようで、さらには犠牲者も出たということで、相良油田の近くには、採掘等で犠牲になった方々を慰霊するために建てた坑山神社もありました。

ありましたというか、今もその神社は現存しているんですが、今回は時間なくて行けなかったんですよね。。(;・∀・)

館内には、そんな過酷な作業を行っていた際に使用していた器具などがこうして並べられてました。

雇夫の賞金記録(明治22年)

ちなみに、作業時間としては一人2時間、日中4交替で8時間掘り続けました。

資料館には昔の賃金記録なんかも展示されておりまして、日給でいうと、明治時代だと12~30銭という高給だったものの、飲食に慰安に散在も多かったようです。

相良油田辞令書

大正時代は、37銭、今の価値で言えば1,500円ほどだったとのこと。

そんな作業の様子が、資料館の中で簡単にではありますが再現されていました。

正面の二人の人間がいて、左の方はロープを引っ張り上げることで井戸の底で堀田岩や土砂、さらには目当ての原油などを引き上げているみたいです。

一方、右にいる人はなにをしているかというと、”タタラ”という長方形の板を踏んずけているんですよね。これは、上でも書いたように、井戸の底は酸素が届かず、何もしないと酸欠状態になってしまうので、タタラの板を踏み続けることで坑内に空気を送っていました。

実際に、酸素不足で呼吸困難になり亡くなったケースもあったようですので、このタタラ板は必要不可欠な存在だったんですね。

資料館ではこうした人形がありますが、公園内にはこの小屋をリアルに再現したものがありましてですね、、、

それがこれ!

この建物は、手掘り坑の上に建てられた杉皮葺きの井戸小屋で、採掘当時のままの大きさに復元したものです。南側に面する屋根には、長さ6尺(約182cm)、幅(約91cm)の長方形の大きい明かり窓がついています。

上の写真でも、天井を見ると明かり窓ついてるのがわかりますね!

この小屋は中も覗くことが出来まして、、、

はい、井戸がありましたww

これ本当にこのくらいの大きさだったんですかね??中に人が入るにはちょっと狭い気がしますけども。。

リアルに掘るのはあぶねぇもんな・・

井戸の中はどうなってるかというと、こんな感じで深さまでは再現されていませんでした。ってかそりゃそうか、、リアルに100m以上も掘るの大変だし、そもそも危ないわなww

こちらは、記事の中で何度か説明している”タタラ”という長方形の大きな箱型の板で、空気の流れを生み出す器具っす。この両端に4~8人の人夫が乗り、上下交互に踏むことで空気を坑内に送り込んでいました。

作業の様子は以上にしたいと思いますが、続いては相良油田で採掘した原油について話すことにします。ここで採れた原油、結構質の良いものだったみたいですヨ(*´▽`*)

世界的に見ても良質な原油だった!

資料館にずらっと並んだ相良油田の原油

ここで採掘された原油は、資料館にもこうしてずらっと並んでいますが、かなり良質物のだったそうです!

新潟で採れるのもそうですが、黒くドロッとしているのが一般的な原油だとおもいます。でも、相良油田の原油はさらりとした琥珀色であり、ガソリンが34%、灯油34%、重油は9.5%含まれていました(サウジアラビアの原油は25%、13,5%、48%)。

ガソリン、軽油を多く含んだ軽質原油のため、汲み上げた原油を精製しなくてもそのまま使用できたほどだったんですな!

相良油田の原油は、明治の頃は東京でランプ用として重宝されており、昭和になると脱穀のための発動機などにも用いられていたとのこと。相良には港があり、東京-相良間には定期便があったようで、船で運んでいたそうです。

そうしたアクセス面、あとは新潟で採れるようなドロドロしたものでないため、精製せずにそのまま用いることが出来たという面でも、相良の原油は重宝されました。

そんな相良の一大産業となった石油でしたが、海外から安い原油が輸入されたことや、徐々に産出量が減ったことなどで、1955(昭和30)年、約80年間続いた相良の石油産業に幕が下りたんですな。。

近代化産業遺産にも認定されていたんか!

現在は、1950(昭和25)年開坑の深さ310mの機械掘り油井だけが残り、県の天然記念物に指定され、経済産業省の近代化産業遺産にも認定されています。

とはいえ、相良油田には今でも10~20万トンほど原油が埋蔵されているんだそうです。まぁ採算が合わないので、そのまま放置という感じになってますが。。

そんな相良油田は、2021年3月16日にテレビ朝日の番組である『ナニコレ珍百景』にも取り上げられたそうです。そのときは、「今も石油が湧く畑」として上の写真の原油を採取したとのこと。

そして相良油田の原油はそのままランプに用いることが出来るということで、館長さんが火をつけてくれることに!!

なんだか、こうしてみるとウイスキーみたいっすな(*´▽`*)

そこに筒をかぶせると、、

筒をかぶせると、見事ランプに!

こうしてランプになるわけです!

人気漫画の題材にも!

そんな資料館の一角に、こんなコーナーがありました!

なぜか、漫画が並んでいるんですが、こちらは『Dr. STONE』というアニメであり、単行本十~十一巻に相良油田が登場するんですって!

最近は、『ゆるきゃん』『ラブライブ』など、アニメの効果ってのは凄いな~と感じる今日この頃ですが、皆さんはこのアニメご存じでした??

『Dr. STONE』は、未来を舞台にしたSF冒険漫画で、主人公の少年らが石油を求めて相良油田を訪れる設定みたいです。へ~そうなんだ、、私はアニメや漫画はマジで疎くて、最近大流行りの『鬼滅の刃』ですら全く見ようとおもってないくらいっすから(;・∀・)

でもでも、『Dr. STONE』が週刊少年ジャンプへの連載にあたり、作画担当者が現地の視察にも訪れ、そして連載を始めた2019年1月ころからは、東京など大都市圏をはじめ全国各地から若者や家族連れらが訪れるようになったんですって!

なるほどね~。今回は、1時間に満たないくらいの滞在だったので、そこまで深く館長さんに話を聞くまではいきませんでしたが、相良油田の大枠についてはいろいろ教えていただくことが出来ました。

かなりマイナーな資料館だとは思いますが、オモシロい歴史が詰まってましたわ!!

おわりに

はい、以上になります!

いや~しかし、日本で石油が採掘できる場所といえば新潟にメージが強くて、太平洋沿岸に油田があったなんておもわなかったっすわ。しかも、出て来る原油は世界的にも良質なものだったんですからね(*´▽`*)

ここはなかなかアクセス面でも良い場所とは言えないかもしれないですが、人気漫画にも取り上げられてるということで、多くの方に注目されればいいですね!

ではでは、また次の記事でお会いしましょ~!

参考文献

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詳細・地図

住所 静岡県牧之原市菅ケ谷2525−1
入館料 無料
開館時間 09:00〜16:00
休館日 火曜日
駐車場 無料
電話番号 0548-87-2525
アクセス 東名高速道路 相良牧之原ICから、車で10分ほど
リンク https://www.city.ota.gunma.jp/005gyosei/0170-009kyoiku-bunka/2014-0507-1321-164.html

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