こんちわっす!
今回も、いつものように日本中にあるマニアックな博物館を紹介するんですが、本記事で紹介するのは栃木県栃木市岩舟町にある「岩舟石の資料館」っす。
これがまたマニアックは博物館でですね、名前の通り外観が岩舟石という地元でしか取れない珍しい石を用いて建てられているんですよ。外観が本当にインパクト絶大でですね、その外観に惹かれて私も訪問したという感じっすわ!!
この資料館がある岩舟町は、かつて岩舟石を採掘したことで潤った背景があり、この資料館ではそんな歴史に触れることが出来るんですね。
ではでは、「岩舟石の資料館」とはどんな博物館なのか?そして、採掘で潤った岩舟町にはどんな歴史があったのか?
以下で紹介していきますね~~!
石造りの荘厳な博物館
ということで、今回はマニアックな岩舟石の資料館を訪問するわけですが、そもそも岩舟町と言われても場所的にピンとくる方はあんまりいないのではないかと。
んで、最初に地図をブッ込みたいのですが、場所は栃木県の南部ですね。なので、東京の方からでもそこまで遠いとは思えない場所にある感じでしょうか!
ちなみに、私は自宅の川崎から車で向かい、4時間以上かかりました。。まっ、いつものように高速道路は使わず下道オンリーだったから、それだけかかったんですけどね(;・∀・)
そして、今回のターゲットである「岩舟石の資料館」の建物がこちら!
これは凄いっすね~~~~!
世にある博物館の建物とは異なり、この建物は石を積み上げたことによって建てられたというインパクト絶大の外観。そして、デザインもアシンメトリー(左右非対称)でかなり奇抜じゃないっすか??
いくつか扉があるんですが、入り口はここみたいっすね。
これだけのインパクトある外観なわけですが、はたして館内はどうなっているのか??
早速入ってみることにしましょう。
館内はこんな感じ!
この資料館、展示物はごく少数。というか、ここは、そもそもこの建物が展示物であり、あとは昔の写真や関連書籍が置いてあって、昔の岩舟の歴史に触れることが出来るって感じなんですな。
そしてこの資料館には館長さんが一人常駐しておりまして、聞けばいろんなことを解説してくれるんですよ(*´▽`*)
ということで、館長さんからこの資料館の背景や岩舟の町に関するあれこれを教えていただいたので、その内容をまとめてみることにしましょ~~!
江戸時代から採掘されていた岩舟石
館内に掲げられた、岩舟山の周辺をちょっと上から撮った写真。矢印で示した禿げまくっている山が岩船山で、手前の真っ平らな大地は関東平野になります。
関東平野を囲う山々は、東に花崗岩からなる筑波山、北に那須日光連山、西の赤城山・榛名山を経て秩父連山と連なっていますが、岩船山は秩父古生層足尾山系に属します。
新生代に硅石(けいせき)の家に噴出した安山岩であり、造山にあたって付近にあった小石を巻き込んで、いわゆる地膨れ山を形成したもので、安山岩質角礫凝灰岩と呼ばれています。
安山岩質角礫凝灰岩って言われてもなんだかよくわかんないと思いますが、「角礫を含んで噴火した際にできた石」であり、岩舟石とも呼ばれているこの石。
栃木県だと大谷石が知られているかとは思いますが、岩舟石ってのもあるんですね。いや~知らんかったわ~。
岩舟石は、建築物や土木構造物では主に基礎などに多く用いられました。古くは江戸城の石垣にも使用されたといわれており、明治には旧栃木県庁や両毛線の各駅ホームなどで、また大正時代には渡良瀬川の護岸等にも使用されました。
そして、石を運ぶには鉄道が必要だったということで、岩舟石の輸送を目的とした岩舟人車鉄道が1900(明治33)年に開通。岩舟山から渡良瀬川の高取河岸へと輸送されることになります。
しかし、開通直後から経営は思わしくなく、社員への賃金未払い問題などが起こった挙句、1916(大正5)年に岩舟人車鉄道は営業を停止。。それに代わる鉄道として、翌年に軽便鉄道が開通しています。
そんな岩舟石は、いつから採掘されてたのかというと江戸時代からとのことです。
石垣や河原の護岸工事などに重宝され、昭和30年ごろの最盛期には36軒の石材店があり、館長さんの小さい頃も、ダイナマイトによる爆破が日常で、爆破前にはサイレンが鳴っていたそうな 。ところが、コンクリートやブロックの出現によって切り石の需要は減っていき、昭和50年代になると、建築方法の変化もありさらに衰退。。
今はもう岩舟石の採掘は過去の話となってしまったのです。。
職人救済のために建てられた
そんな岩舟石が用いられた資料館の建物は、昭和6~7年にかけて川島定四郎氏によって建てられました。今から90年近くも前の建物だったんですね。
建物を建てた目的としては、昭和初期は不況の時代だったことから岩舟石の細工技術の保存、そして職人救済のために建てられたようです。建築費用は、今の貨幣価値で二億円ほど。
建てられた当時は採石の事務所として使われていたようです。
そして岩舟石の需要もなくなったものの、町の方でも「この建物はぜひとも残して多くの方に見ていただきたい!」ということで、今は半官半民のような状態で資料館として一般公開しているとのこと。
建物には良質な岩舟石が用いられており、そして何といっても腕利きの職人さんによって建てられたということで、上の写真の様な様々な模様が外壁に見られます。
岩舟石は硬さもかなりある岩石とのことなので、こうした模様を作るのもかなり大変だったんじゃないっすかね??
外観はこんな感じですかね。しかしこの建物、すぐ前にJR両毛線が走っていて、電車の窓から見て「何だこの建物は??」と思った方も多いんじゃないっすかね。。
パッと見は博物館には見えないですし。。(;・∀・)
洋風感満載の館内!
そんな館内は、外観からは想像がつかない洋風感満載に仕上がっています!!
天井には、こうしていい感じの照明がぶら下がっていましたヨ。
明かりも素晴らしいですが、天井に描かれた模様も気になってしまいます。
この建物は二階建てになっています。上の階には、ちょっとばかり展示物があるので上ってみることにしましょう。
二階には、こんな感じでちょっとした展示物がガラス越しに展示されています。
といっても、こんな感じでかつて採掘に使われていた工具が簡素な感じで展示されてる感じですね。
とはいえ、何だかこの侘しい感じといいましょうか、無造作に展示されている様子が、蒙古の岩舟町で採石されていた歴史は過ぎ去ったことを示すような、そんなようにも感じましたわ。
二階にはもう一つ展示室がありまして、こちらには昔の注文書や出勤簿、申請書などの書類なども展示されていました。
爆薬はこれを使ってたみたいですね。昭和化成品株式会社は、ググってみると今でも会社は存続してるようで、日本工機株式会社と社名も変わっているようです。
爆破体験、人気映画のモデルにも
そんな岩舟町は、切り立った岩壁があるなどで、色々ネタが豊富な場所だったりする場所みたいです。
まずはこれ!!
館内にあったパネルなんですが、こんな感じで年に一回は岩壁に向けたライトアップのイベントが行われているそうです。
さらに、この場所にはとある撮影スポットでも有名な場所なんですね。
この「撮影所 入口」と書かれた看板の先を進んでいくと、、
こうして開けた場所に到着するんですが、、ここ、実はテレビ、特に戦隊ものなどの爆破シーンでよく使われる場所なんだそうです!
東京からそんなに遠くないってこともあるんでしょうね。仮面ライダーなんかは、ほっとんどここで撮影してるみたいっす(笑)
試しに、「仮面ライダー 岩船山」とかでググってみて下さい。死ぬほど画像とか出てきますので(*´▽`*)
戦隊もの以外にも、オダギリジョー主演の『忍 SHINOBI』、『20世紀少年』などなど、いろんな映画にも使われてるんですって。
また、すぐ近くにある岩舟駅は、新海誠監督の映画『秒速5センチメートル』の舞台になっており、ネットで検索すると聖地巡礼している方がめっちゃたくさんいましたヨ(*´▽`*)
ということで、全国から多くの方が、この名もなき岩舟駅へと足を運ぶんだそうですよ。アニメの力って凄いっすね!!
おわりに
はい、以上になります!
まぁ~今回もかなりマニアックな博物館を紹介しましたが、こういう場所が本当に好きで、もはやこの博物館めぐりのために人生を楽しんでいるといっても過言でない私。
こうした博物館って、日本中を探すと本当にたくさんありましてですね、行っても行ってもまだまだ尽きないんですわ(;・∀・)
ということで、これからも知の冒険は続いていくわけですね。これからも、本ブログをよろしくお願いいたします<m(__)m>
ではでは、また次の記事でお会いしましょ~~!
参考文献
詳細・地図
住所 | 栃木県栃木市岩舟町鷲巣500-15 |
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入館料 | 無料 |
開館時間 | 09:00〜17:00 |
休館日 | 毎週月曜日、休日の翌日、年末年始 |
駐車場 | 無料 |
電話番号 | 0282-55-5877 |
アクセス | JR岩舟駅から徒歩3分ほど |
リンク | https://www.city.tochigi.lg.jp/site/culture/1578.html |