こんちわっす!
日本中の知られざる博物館やスポットを取材してブログにしている『知の冒険』。今回紹介するのは、埼玉県川口市にある近代建築「」です。
この建物、大通り沿いに突如現れるんですが、和洋折衷でとにかく作りが素晴らしい近代建築なんですよね!
私は最近たまたまネットでこの建物の存在を知ったんですが、Twitterでもあまりタイムラインに流れてこなかったので知られざる穴場スポットなのかもしれないですが、建物好きの方であればたまらない場所だと思いますので、この建物の写真や背景を以下でまとめたいと思います( ̄▽ ̄)
見出し
大通り沿いにある巨大近代建築
ということで、今回やってきたのは埼玉県川口市にあるこちらの「旧田中家住宅」。国道122号線の大通り沿いに突然現れるのが少し驚きですが、とにかくデカくて立派な建物なのは見ただけでわかりますわ( ´ ▽ ` )
では、早速中に入ってみることにしましょ〜〜!
中に入り、券売機で入場券を購入します!
いつもどのくらいお客さんが来るのかわかりませんが、私が訪問した日は結構コンスタントにお客さんがやってきていましてたわ。そんな人気スポットではあるものの訪問すると、最初にスタッフの方がこの建物の背景について5分ほどで解説してくれます。
私の場合は、いろいろ質問させていただいたということもあり15分くらいかかりましたけどね( ;∀;)
入り口は商家のような作りになっていて、視線を上げると立派な神棚が、そして天井は見事な格天井となっています。
ではでは、ここから館内の部屋や造りをひたすら紹介していこうと思うのですが、まずは田中家がどのような背景があってこの巨大な近代建築を建てたのか??
その背景について、簡単に紹介したいと思います!
麦味噌と材木商で財を成した
田中家は、代々長男が家督を相続して「徳兵衛」を襲名しています。初代徳兵衛は農家として身を立て、二代目徳兵衛より、麦味噌の醸造および材木商を営み巨額の富を築きました。
この川口市には、元々田中家以外にも味噌工場が多々あったようでして、館内にある昭和12年の川口市鳥瞰図を見ても、その様子がわかるかと思います。
この当時、川口は水が綺麗で湧き水も豊富。さらには麦も採れたなどの条件が揃っていたことで、これだけの数の味噌工場があったようです。
とはいえ、この辺で材木商は田中家一店舗しかなかったため、材木商においてはかなり財を成したそうです。
今は住宅地となってマンションやら建物が建ちまくっていますが、この時代は周辺がこんなに開けていたということで、三階の大広間からは富士山も見えたんですって!!
ということで、代々田中家は徳兵衛の名を継いで麦味噌と材木商を営んでいたわけですが、その中でも、19歳で家督を相続した四代目徳兵衛(1875 – 1947)は商才に長けており、昭和の初めの頃までにかなりの財を築き上げました。
この旧田中家住宅は、そんな四代目徳兵衛が1921〜1923年にかけて建築した建物なんですね!
四代目徳兵衛、やり手っすな〜〜。というか、1923年に建てたってことで、ひとつ気になることがありませんかね?
そう、1923年といえば関東大震災が発生した年ですよね。なので、「この建物は大丈夫だったん?」と思うわけですが、大丈夫だったみたいです。地震発生の直前に完成したみたいなんですが、これでぶっ壊れてたらマジで悪夢ですよね。。
田中家は自ら材木商を営んでいたことから建築資材にはこだわりがあり、当時入手できる最高級の木材を用い、煉瓦も建築現場近くで職人に一枚ずつ焼かせました。
洋館は総煉瓦造りで、レンガはイギリス積み。結構な厚みで積んでいて、近くの工場で焼いた”焼き過ぎレンガ”という少し黒っぽい色を呈したレンガを用いています。そして、このレンガが評価されたことで、今では重要文化財になっているんですって!
そんな旧田中家住宅、先ほどは道路側から正面を見た様子の写真を載せましたが、横から見るとこんな感じになってます!
建物は総煉瓦造りの洋館と和館に分かれているんですが、洋館は先ほども書いたように関東大震災が発生した1923(大正12)年に建てられており、和館の方は1930(昭和5)年に増築されたもの。
とはいえ、昔はの全体像はこんな感じだったそうです。
なんか、建物の密度半端ないっすね( ;∀;)
周辺に囲うようにして建てられている建物は味噌蔵だったようで、こちらは昭和48年の大改修の際に取り壊したとのこと。今はこの蔵があった場所は庭園に、あとは新たな茶室が整備されました。
はい、この建物の背景に関しては簡単にではありますが以上にしようかと思います。そして、ここから館内をひたすら紹介していくことにしますね。
まずは、先ほどの入り口すぐにある1階の応接間から!
1階:応接間
玄関の隣には、こうした洋風感全開の応接室があります。上げ下げ窓にカーテンがかかり、椅子やテーブル、さらには天井から吊るされた明かりがとても洒落てますな~。
洋風感満載の雰囲気であり、応接室ということで多くの方をここに招いたと思いますが、ここではどんな話が繰り広げられてたんでしょうね~??
洋風感満載の応接室ですが、天井だけは日本建築の天井様式である格天井となっています 。
お寺とか昔の料亭、あとは古い銭湯でもちょくちょく見かける造りですね!
天井の真ん中には、アカンサスの葉が彫られています。近代建築って、外観とかでもそうですが、よくアカンサスの葉が用いられているんですよね。最近では、茨城県石岡市にある看板建築とか、あとは同じ埼玉県にある岩槻市郷土資料館の建物でも見られたっけな!
あと、この格天井、茶色く塗られていますがその中には金が敷き詰められているのではと、スタッフの方がおっしゃってました。確かに、ヒビが入ってるように禿げたところがちょっと金色を呈してるんですよね!
さすが田中家、贅を凝らした作りですわ(*´▽`*)
そんなアカンサスですが、旧田中家住宅の庭に、こうして生えていましたww
私が訪問したのは2月ですが、花は6~7月に咲くみたいですね。どんな花を咲かせるか気になる方は、ぜひググってみて下さいな(;・∀・)
部屋の中にはこんなイラストがありまして、こんな光景が広がってたんですかね~と、想像を膨らませる!
応接室を見たところで、続いてはこの階段を上って二階へ!
赤絨毯が敷かれた、何とも豪華な階段ですな。
ちょっと解説を挟みますが、この建物、最初はお客様を集めてパーティーする場所として使われていたようで、田中家が住んでいた母屋は、この建物の向かいにあったみたいです。
そう、「旧田中家住宅」という名称ではあるものの、最初は住まいではなかったんですね。。
六代目の徳兵衛になったときに初めて、自宅として使うようになったそうなんですが、ここでどういう生活をしてたかについては記録がないのでわからないとのことです。。
ちなみに、この旧田中家は、2005(平成17)年まで田中家の住居として使われていました。その後、川口市が取得して現在のように一般公開されているんですが、つい20年ほど前まで人が住んでいたのに驚きですわ・・。
住居としては建物があまりにもデカすぎますし、、掃除などの維持管理はめっちゃ大変だったんじゃないっすかね。。
2階:書斎
豪華な階段を上って二階に進みます!
階段を上がって、正面に現れるこちらが二階の書斎になります。
書斎ということで、椅子や机などの家具はあったと思いますが家具は見当たらなかったっすね~。
一階の応接間の格天井とは異なる造りになってますが、この部屋は「格廻り縁付き折り上げ漆喰天井」というやたら長い名前の天井になっているようです。
あと、二階には蔵のような部屋がありまして、、
この部屋では、先ほど旧田中家住宅の歴史についてざっと紹介しましたが、そうした田中家の歴史が展示パネルやいくらかの品々が展示されている形で紹介されています!
結構詳しく紹介されているので、この部屋だけで田中家についての背景は十分理解できると思います。
二部屋見ただけですが、とりあえず三階に上がります。
3階:控室・蔵
三階に上がると、また正面にこんな洋風の部屋が現れます。この部屋は控室なんですけど、三階にはこの後紹介するパーティーなどに使われていた大広間がありましてですね、、パーティーの接客の際の控えの間として使用されてたみたいです。
3階:大広間
こちらは迎賓のために造られた大広間。
最初の方でも説明した通り、この大広間は眺望を重視したため、あえて三階に造られています。この部屋全体は、1600年代半ばにイギリスでポピュラーになったというジョージアン様式を基調としており、天井は漆喰天井、花弁をモチーフとした中心飾りが施されています。
昔はここから富士山も見えたようですが、今はマンション建ちまくり状態のため見えなくなってます。。orz
そして、両側に見える柱はイオニア式のペディスタイル付きのオーダーとなっており、窓は上げ下げ式。
あと、この旧田中家住宅では、建物デザインと共に照明器具やテーブルや椅子、飾り棚など、デザイン性に優れた家具・調度類によって室内空間が構成されています。
確かにこれらの椅子、メッチャ高そうww
この部屋にもイラストがありますが、こんな雰囲気だったんですかね~。
2階:座敷・客間
三階を見終え、今度は再び二階に下りてきました。
二階は、先ほど書斎を紹介したと思うんですが、そのお隣には、和風を取り入れた本格的な数寄屋風書院造りの座敷があります。ここは主に接客のために用いられたようで、上の写真でいうと手前は8畳の座敷、奥が6畳の次の間となっています。
天井には屋久杉が用いられ、長押(なげし)には3寸の檜正目が用いられ、欄間には、桂月山人(松林桂月)画の彫り物がはめられています。
欄間をよく見るとこうして文字が彫られていてですね、よく見たら「桂月山人」の本人の名前が彫られておりますな!
さらに奥に進むと、上の写真からだと手前に見える8畳の座敷と奥の4畳の次の間から構成されている客間が現れます。
しかしお雛様すげぇな、、どの部屋にも飾ってるんだな。
天井は屋久杉。
1993(平成5)年に屋久島が世界遺産に認定されたことで、屋久杉の伐採は禁止されたため、今は新たに入手することが出来ないわけですが、古い建物だとちょくちょく見られますね。
ちなみにこの天井、竿縁(さおぶち)と呼ばれる細い横木を通し、その上に天井板を乗せていますが、こうした天井を竿縁天井って言うんですね!
昔の住居、後は銭湯でもちょくちょくみかける天井だな~と思ってたんですが、名前は今調べて初めて知りました(;・∀・)
ということで、これで二階部分は全部見たことになります。
上った時とは別の階段を使って一階に下り、最後は一階の和室を見に行くことにしましょ~!
1階:和室
ということで、最後は三つの和室が連続する和館の部分を見てみることにします。
このエリアは、先ほど記事でも紹介した昭和5に増築した和漢のエリアになります。
和館が建設された1930(昭和5)年は、四代目徳兵衛が貴族院多額納税者議員として国政に進出していた時期でもあり、材料・工法ともに日本の木造住宅技術が最高潮を迎えた時期で、その特色が現れています。
和館には、多いときには70人ほどの来賓を迎え、大勢の接客を行うために増設されたと言われているそうです。
廊下には松の意匠が見られ、さらには、長~い杉の木が用いられています。
一階の和館には部屋が三つありまして、一番手前の仏間には何かプロジェクトでスクリーンに映像が写されてました。何の映像だったんだろ。。
先ほどの仏間は10畳、そして12畳の次の間、一番奥は15畳の座敷になっています。
この三部屋も、二階と同様に竿縁天井で屋久杉が使われてるんですね。
二階の和室同様、一階の和室にも素晴らしい欄間がありまして、、
床の間の脇にある彫り物や襖の意匠も良いですよね。
和室の奥にはトイレがあるんですが、扉など所々見応えある作りが見られます。
という感じで、これで館内は一通り紹介できたと思います!
ひたすら写真を使ってバシバシ紹介しましたが、実際に訪れると写真で見た以上にインパクトあると思いますよ!
見所はいろいろありますが、私的には明かりが印象に残りましたな~。明かりにしても昔のものをそのまま用いてるとのことですし、各部屋によって形も異なっているので、こうして見るだけでも絵になります!
あとは、記事内でもいくつか紹介しましたが和室の部屋には桂月山人の彫り物も様々なデザインが見られるので、訪問した際には、これらの造りも是非見て楽しんでいただければと思います〜( ̄▽ ̄)
おわりに
はい、以上になります!
しかし、川口市にこんな立派な近代建築があるとは思わなかったっすよ!
今までいろんな近代建築の建物は見てきましたが、和洋折衷で作りが本当に見事ということもありマジで見応えある建物なので、この建物を見に行くだけでも川口市に行く価値はあると思います( ̄▽ ̄)
ということなので、気になった方は是非行ってみてくださいね〜。
では、また次の記事でお会いしましょ〜!
参考文献
詳細・地図
住所 | 埼玉県川口市末広1丁目7−2 |
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入館料 | 高校生以上 200円 小・中学生 100円 |
開館時間 | 09:30~16:30(入館は16:00まで) |
休館日 | 月曜日(月曜日が祝日の場合は、その直後の平日) 年末年始(12月29日~1月3日) |
駐車場 | 無料 |
電話番号 | 048-222-1061 |
アクセス | JR川口駅より徒歩20分ほど |
リンク | http://www.kawaguchi-bunkazai.jp/tanaka/info/info.html |