吉原の花魁が秘伝の鰻を食べに「女郎うなぎ福助」へ!

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こんちわっす!

日本中の知られざるスポットを取材してブログにしている『知の冒険』。

今回紹介するのは、埼玉県の小川町にある老舗の鰻屋さんである『女郎うなぎ福助』。店名に”女郎”とつく、なかなかのインパクトを誇るお店ですが、ここはそうした歴史だけでなく、建物もとっても素晴らしいんですよね!

ということで、今回はその福助を訪問して鰻を食ってきただけでなく、建物も見れる場所はひたすら撮影してきたので、その辺を以下で紹介したいと思います~(*´▽`*)

本記事のポイント

・安政二年に創業した老舗の鰻屋!
・店内は干支が彫られた格天井や太鼓橋がお見事!
・吉原の花魁から伝授されたことが女郎うなぎの由来

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創業160年の老舗で極上の鰻を

ということで、今回は埼玉県の小川町へと足を運びました。小川町って、あまり聞き馴染みのない方は多いかもしれないですが、昔は和紙で栄えたほか、多くの商人が暮らす大変活気のある町だった場所。

そういった商売で稼いだお金持ちも多く、藝者さんもたくさんいたわけですが、その名残りとして立派な二葉楼の建物も残っていたりするんですね。

レトロな雰囲気が漂う素晴らしい外観

そんな二葉楼からすぐの場所にあるのが、今回のターゲットである「女郎うなぎ福助」。いや~見るからに渋くて粋な建物っすよね!!

ここは土日も営業してはいるものの、営業時間がお昼のみということもあって、お店の存在は知っていてずっと行きたいと思ってはいたものの、なかなか時間が合わなかったんですよね。。今回は平日に休みが取れたので、金曜日のお昼、しかも開店直後の訪問となりました!

扉を開けると、中はこんな感じになってました!

奥には真っ赤な太鼓橋も見られ、これはこれは素晴らしい雰囲気でしたわ!

このアングルめっちゃ好きっすわ

創業は安政二年ということで今から160年も前になるわけですが、建物自体は昭和初期と大正時代の二つの建物が合体しているという。

館内には太鼓橋がかかった場所にちょっとした池がありまして、、

これから捌かれる鰻たち

覗くと、鰻たちが泳いでおりました!

これらが、女郎うなぎとして提供されるようです。命をいただくありがたみを実感します。

スタッフの方に通された部屋はこちら。四つほどテーブルがありましたが、他にお客さんいなかったので、独占状態でした( ̄▽ ̄)

茶碗蒸しとお吸い物も付いてたヨ

んで、今回私が頼んだのは、『仙元重』という、うな重。4,480円ということで、老舗ではあるもののうな重にしては平均的な値段ではないでしょうか!!

はい、御開帳!!

鰻はタレが甘めであっさりしていたため、メチャクチャ食べやすかったっす。

館内に展示される数々の絵ハガキ

鰻を食べ終えた後は、ちょっと店内を徘徊。

創業150年以上もの歴史がある老舗

廊下には結構たくさんの絵ハガキなど昔の写真がたくさん展示されていて、これは歴史好きには嬉しい!!

ここ、今では『女郎うなぎ福助』という店名ですが、かつては『福助田中家』という名称だったみたいです。

今は、お店の前は交通量が多い国道245号線となっていますが、昭和初期はこんな雰囲気だったんですね~

こちらは大広間っすね

老舗というと、「昔は著名人も多数訪問した!」ってお店が多いですよね。この店も例に漏れず、皇族の東久邇宮や、田山花袋(たやま・かたい)、さらには若山牧水などの著名人が宿泊したことでも知られています。

結構古いパンフレットもあった

写真以外にもパンフレットもこうして展示されていました。パンフレットによると、小川町は、かつて「武蔵小京都」と言われてたみたいっす。

こういうの多いっすよね、千葉県の我孫子は「北の鎌倉」なんて言われていたようですし、神奈川の上大岡は「浜の箱根」とか言われていたそうですな〜( ´ ▽ ` )

宿泊もしてみたかったわ~

宿泊部屋や大広間、小町風呂などの写真が載ってますね。

という感じで、店内にあった絵葉書などを紹介しましたが、続いては店内の見所をひたすら紹介していきたいと思います!

干支が彫られた極上の格天井

まずは入り口の天井に造られた格天井!!

これ、最初は何が彫られているのかわかんなかったんですが、女将さんに「」と教えていただきました!

なるほど、周囲の12マスに干支が彫られているんですね!

こちらは虎(左)と牛(右)っすな~

ずっと天井を見上げてると首が痛くなってくるわけですが、それでもずっと見ていたいっすわ。

玄関から受付に目を向けると、受付の奥には真っ黒な福助が店内を見つけていました。

受付にある「料理店」の鑑札は結構珍しい。小川町には三枚ほど見られますが、これはちょっとマニアックなお話。

字体がめっちゃ粋ですな~

こちらは、もっと古い料亭の鑑札ですね。こちらは、さらに珍しい木札形式のもの。

受話器とスイッチが謎に合体してますが、内線とかかな?

鰻の心得
この太鼓橋周辺は何枚でも撮りたくなります( ;∀;)
芸術的な造りの天井
さりげなく大福帳もありました

ということで、一通り館内を紹介したわけですが、続いては「ここで提供される鰻が『女郎うなぎ』と呼ばれているのがなぜなのか?」という点について、紹介しようと思います!

女郎うなぎの由来とは!?

このお店の一番気になるところが、『女郎うなぎ』の由来っすよね。”女郎”って単語が入っているだけでインパクト大なわけですが、なぜ”女郎”という名称が使われているのか??

店内に、その由来が書かれていた

その由来は、店内にこうして書かれていましたが、ここでも簡単に紹介したいと思います!!

お伊勢参りは江戸時代に大変流行っていたそうな

その物語のキッカケは、このお店の先代である田中善兵衛の親友の一人が伊勢神宮への物見遊山(お伊勢参り)へ出かけたあと、旅の思い出にと江戸の吉原へと立ち寄ったことのようです。

その時に相手をした花魁があまりにも気品高く美しいのでたちまち虜になってしまったんだそうです。そこで、その親友は大枚を投じて見受けをして小川町に連れて帰ったものの、なんと、その人は結婚して奥さんがいたんですってな。。

結婚してたのに、花魁を小川町に連れて来たんかいー-!!!

って突っ込みたくなりますが、そこで、自分の家ではお受けできないとのことで、善兵衛に預けたんだそうです。

善兵衛は早速我が家に引き取り救いの手を差し伸べたということで、彼女も又、その喜びにこたえて家業の手伝いをこなしました。

そして歳月が経ったある日、彼女も歳を取って病床に伏していたとき、善兵衛を枕元に招いて終生の恩返しにと、彼女の生家に伝わる、ウナギのかば焼きの秘伝極意を教え、これにまつわる悲願を叶えていただきたいと残して亡くなりました。

花魁が伝授した秘伝の鰻

そして、その花魁が伝えた鰻料理ということで「女郎うなぎ」と称し、心機一転家業を改め、現在の当主にまで伝わっているとのこと。

なるほどな~。ってか、その花魁の生家であるうなぎ屋は、何てお店だったんでしょうね??

有名な店だったら、何かの資料に残っているかもしれないし。。

という感じで館内を紹介してきたわけですが、あと一つ、福助を訪問したからには是非見ていただきたい風呂場があるので、それを紹介しますね~!

船形のタイル風呂が素晴らしすぎた

八角形の奇天烈な外観

その風呂は一階にあるんですが、私が食事していた部屋から外観が見えました。なかなか独特な造りをしてますなww

この小町風呂は現在は使われていないものの、スタッフの方に「見たいっす!」って言えば見せていただけるので、私もそうすることに!!

タイルだらけの小町風呂

その風呂がこちら!!

いや~~マジで素晴らしいっす。

船形の浴槽は、千葉県館山市にある老舗旅館『幸田旅館』でも見ましたが、ここで二回目っすかね。

しかし、ここはその浴槽が全面タイル。ピンク、ブルー、オレンジの三色を使って見事な湯船が作られています。これは、お湯張って湯船に浸かりたくなりますな~♨♨

このお風呂は、昭和30年頃に館内に建築されたもので、『小町風呂』という名称がついています。

小川町商工会に依頼して、広く一般募集をした結果、選ばれた名称とのことっす。

湯船だけでなく、壁もデカデカとタイル絵が描かれています。

洗い場の蛇口

湯船を張るお湯はここから注いでたみたいですが、めっちゃ粋な造りじゃないっすか??

そして極めつけは、コレ!!

見事な女体っすね~~。タイル絵とはいえ、結構なまなましい絵ですので、いい絵ではあるものの、Twitterに載せるのは止めておきました・・(;・∀・)

消防法改正で旅館は休業・・

今は飲食店として営業を続けている福助ですが、20年ほど前までは旅館もしていたんですね。

時代を感じる看板ですね

現在の入り口の反対側には、旅館業組合の看板もありますし、、

裏側には「割烹旅館」の文字も見られます。

が、2001年のとある事件によって、割烹旅館 福助は休業を余儀なくされることとなるのです。。

それは、2001年9月1日に発生した「歌舞伎町ビル火災」。

上に載せたWikipediaにも書かれていますが、この火災をキッカケに消防法が大きく改正。この改正によって、防火管理が徹底されることとなり、福助は旅館の許可が下りなくなってしまったんだそうです。。

消防法改正後の基準に満たすためには、資金を投じて防火対策をするための改修すればいいんですが、、

「でもね、需要がね・・。なかなかお客さんも少なくなっているから。」

と、女将さん。。

でも、旅館はあくまで休業中とのことで、閉業しているわけではないとのこと。

店内にある絵ハガキには、かつての福助の大広間が写っていました。いや~素晴らしい大広間、、。ここでかつては藝者をあげて宴会が行われていたんですかね~

奥野垂れ幕に福助が!

こちらも大広間が写った絵葉書っすね!

ここから先は立ち入り禁止・・

二階に客室や広間があるそうですが、現在は先ほどの消防法の関係もあって立ち入り禁止。果たして、福助が旅館を再開する日は来るのでしょうか。。

再開したら、100%、私は泊りに来ますけどね(*´▽`*)

おわりに

はい、以上になります!

とにかく、鰻はおいしかったし、建物も本当に素晴らしいお店でした。私が訪問した時は平日の開店直後だったということもあり、他にお客さんもいなくて女将さんから少しお話を聞くことが出来たり、好きなだけ店内を撮影することが出来ました!

通路には絵ハガキや新聞の切り抜きなどの資料も多いですし、食事だけでなく歴史や古い建物が好きな方であれば、十分楽しめるお店だと思いますヨ(*´▽`*)

ではでは、また次の記事でお会いしましょ~~

参考文献

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詳細・地図

住所 埼玉県比企郡小川町小川97
営業時間 11:30~14:30
営業日 木曜日~日曜日・祝祭日
駐車場 無料
電話番号 0493-72-0026
アクセス 東武東上線・小川町駅より徒歩6分
リンク http://joro-unagi-fukusuke.jp/index.php

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