100年を超える苦難の歴史が詰まった「碓氷峠鉄道文化むら」へ!

↑更新・取材裏情報はTwitterにて(^ ^)

こんちわ!!

今回は、群馬県安中市にある「碓氷峠鉄道文化むら」という鉄道博物館をターゲットにします。

日本中を探すと、鉄道関連の博物館って本当にたくさんありますよね。んで、今回この場所をなんで取り上げたのかというと、ここは前回の記事と被りますが中山道最大の難所だった碓氷峠に鉄道を通したという歴史を伝えるって特徴があるからっす。

それを前面に押し出しているというわけでもないみたいですが、そんな歴史を扱ってるとなると知の冒険でも紹介したいと思って記事にしたという感じ。

ではでは、ここの博物館がどんな見所があるのか、紹介していきますね〜〜!

本記事のポイント

・横川機関庫の跡地に作られた博物館
・中山道最大の難所だった碓氷峠に鉄道を通した歴史がわかる
・車両展示も豊富で、子どもや鉄ヲタに人気!

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峠の釜めしで有名な横川駅にある

「碓氷峠鉄道文化むら」があるのはJR横川駅のすぐそばっす。JR横川駅がどこにあるかわからんっていう方も多いかもしれませんが、、、

その場所はココっす。

住所で言うと群馬県安中市なのですが、軽井沢に近い長野県と群馬県の県境辺りの群馬寄りの場所。JR横川駅って言っても、地元民以外にパッと反応するのは鉄道マニアくらいっすかね。。( ;∀;)

この横川駅周辺のことは知の冒険でも記事にしていまして、「峠の釜めし」で有名な荻野屋だったり、あとは秘境にある温泉旅館「金湯館」、さらには中山道最大の難所に鉄道を通す際に造られた鉄道遺構「めがね橋」について書いてたりしてます!

と言う感じで、この辺は結構掘れば歴史がたくさんある場所なわけですが、今回紹介する「碓氷峠鉄道文化むら」は、「めがね橋」と同様に碓氷峠に鉄道を通した碓氷線の歴史をも紹介している博物館なんすね!

中山道最大の難所だった碓氷峠

そもそも、この博物館がある場所は横川機関庫の跡地でした。

中山道最大の難所に鉄道を通した背景に関しては、↑上の「めがね橋」の記事に概要をまとめたのでこちらを見ていただければと思います。

碓氷峠は、角度が急な難所で容易に鉄道を通すことが出来なかったため、最初は馬車鉄道を通していました。が、その間にどうやってこの急勾配の難所に鉄道を通すかと試行錯誤した結果、ドイツで取り入れられていたアプト式を用いることになりました。

アプト式に関しては、博物館の館内に写真やら説明が書かれた紙が貼ってありましてですね、、、

線路間に敷かれたラックレール

そのアプト式とは、線路の間にギザギザのレールを敷き、これに機関車にある歯車を噛み合わせて進むというもの。急斜面であっても、この仕組みを使えば上り切れるというわけです。

ラックレールと歯車が噛み合う様子

あーそうそう、こういう仕組みです。こちらも、博物館の階段に貼ってありました( ̄▽ ̄)

そんで、この仕組みを取り入れるためには専用の蒸気機関車を接続してその車両に引っ張ってもらう必要があったのです。

横川駅には、元々横川〜高崎間の終着駅だったことから駅のそばに横川機関庫が創設されていましたが、それを明治25年にアプト式機関車庫に改築し、その翌年には車庫を増設。

そしてこの機関庫の場所に誕生したのが「碓氷峠鉄道文化むら」だったんですね~。

今回の記事で私が一番伝えたかったのはこの内容っす。

では、そんな機関庫の場所に建てられた博物館の中を紹介していきますね〜〜!

デパートの屋上遊園地みたいな雰囲気

園内に入ると、まず現れるのがこちらのミニ遊園地。

私が小さい頃は、デパートの屋上にこうしたアトラクションがある光景をよく見ましたけども、まさにそんな光景が広がってました。とはいっても、訪問した日はバリバリの雨日和だったため、誰もいない寂しい雰囲気でしたが。。

トーマスがなんだか寂しそうだ・・
アンパンマンも元気なさそう・・
碓氷峠の急勾配を再現

そんなミニ遊園地の脇には、アプト式鉄道の再現もありました。線路の間にギザギザのラックレールが敷かれてますよね。そして、この傾斜も碓氷峠の急勾配66.7‰を再現しているようです。

これ、歩きや車とかで考えたら全然急に見えないんですが、鉄道にとってこの角度は大変しんどく、この勾配に多くの先人たちが悩まされていたわけです。

ちなみに、このアプト式は、現代の日本でも大井川鐵道で唯一現役で取り入れられてるみたいっすよ!

苦難の歴史が詰まった鉄道資料館

という感じでミニ遊園地が広がってるわけですが、私が一番注目したいのはこちらの建物っす。

こちらは、一階に鉄道ジオラマが広がっており、二階に碓氷峠における鉄道の歴史が展示されているんすわ!

これが、その鉄道ジオラマ。私の今回の記事では写真で紹介するくらいにしておきますが、子どもたちにはここはたまらない場所じゃないっすかね!

鉄道ジオラマっていいですよね!!

知の冒険でも、鉄道ジオラマ関連の場所は結構多く取材していて、日本一大きな鉄道ジオラマがある「原鉄道模型博物館」、山梨県にある鉄道ジオラマがあるゲストハウス「鉄道ゲストハウス 鐵ノ家」、館長が13年かけてすべて手作りで完成させた鉄道ジオラマがある「昭和レトロ情景館」などを訪問してきましたかね!

このジオラマは運転できるのかしら?

ちょっとやりたくなったりはしましたが、ここは主に紹介したい内容ではないので次に行きましょう(笑)

「電車でGO!」四連発

ジオラマ以外にも、ゲーセンでお馴染みの「電車でGO!」もあったりします。でもこのゲーム、メッチャむずいんですよね・・(;・∀・)

とはいえ、懐かしいな~~

そして、昔の写真などが貼られた階段を上ると、、

パネルやら資料が展示される「碓氷峠・鉄道のあゆみ」のエリアが現れます!

1888(明治21)年に横川~軽井沢間に馬車鉄道が開通してから、1997(平成9)年に廃止されるまでの歴史っすね!

馬車鉄道が開通した後、横川~軽井沢間に鉄道を通す際には、アプト式という方式が取り入れられましたが、それはスイス人のローマン・アプトが開発した方式でした。

アプト式を考案した「ローマン・アプト」

ローマン・アプトは、登山鉄道のための国際組織の機械工場事務長となった経緯もあり、彼が発明したラック式鉄道が1885年にドイツのハルツ鉄道で採用されることになります。

以降、1929年までに全世界で72路線に取り入れられました。

その方式を、ヨーロッパへ調査しに行った仙石貢(せんごく・みつぐ)、吉川三次郎が、碓氷峠に取り入れるよう推薦した背景があったりします。

展示内容に関しては、先ほど説明したように、「中山道最大の難所だった碓氷峠に鉄道を通した史実」に関する内容の展示になります。そういった史実の説明だったり、鉄道が開通していた当時使われていた品々が展示してあるって感じですね。

傾斜が急だった碓氷峠に鉄道を通した説明が書いてます。

たくさんの駅の標識

そしてこの急勾配には、26か所の隧道(トンネル)と18か所の橋梁(きょうりょう)を建設することになりました。橋梁は18か所のうち17か所がレンガ式のアーチ橋。

険しい山々の中に鉄道を通したわけですから、それはそれは大変だったでしょうな。。

ただし、やはり事故も多かったようなんですよね。。

1901(明治34)年には列車逆行事故が発生したり、1918(大正7)年にはトンネルを通過中の貨物列車が、電気制動機の故障により逆行しはじめ、熊野平駅構内の岸壁に激突(上の写真)。

さらには、急峻なエリアだったということもあり1950年には大規模な土砂崩れが発生。50名もの死者が出てしまいました。

ラックレールの摩耗

こちらはアプト式で用いられるラックレールの一部ですね。

とはいえ、こちらは中古品。黄色いテープで新品時の歯車の形状が現わされていて、「機関車のラック歯車を絡ませ続けるとこんだけ摩耗しちゃうんすよ!」ってことを言いたいわけですわ。

その他にも、信越本線にまつわるいろんな展示物がありますよん♪

駅員さんが身に着けてたものっすね
このレコード、聞いてみたいww
特急の車両をイメージした展示

という感じで、このエリアは結構パネルや資料が豊富なので、鉄道好きや歴史好きの方であれば結構楽しめるんじゃないかと思っています!

とはいえ、ここは子連れのお客さんも多いわけですが、子どもには退屈なエリアかもしれないっすね(;・∀・)

敷地はめっちゃ広いっす

資料館を見終わったあとは、敷地の奥にある車両展示を訪問してみました!

この『碓氷峠鉄道文化むら』はですね、入り口からだとあんまりわかんないんですがメッチャ敷地が広くてですね、上の写真の鉄道展示館から奥には、たくさんのしゃりょが展示してあるんですわ!!

とはいえ、この辺に関しては私もそこまで詳しくないのと、この記事では先ほどの歴史が一番伝えたい点なので、ここからはササッと紹介させていただきますね!

車両が丸々こうして展示されていましてですね、運転席だけは覗くことが出来たりします!

ひと昔の前の鉄道の運転席ってこんな感じでしたよね。

メーターやらスイッチやらがひたすらたくさんあって、なんかやたらと運転席が狭いという。。

さらに奥に進むと、アプト式鉄道の車両が展示してありました!

この車両っていうのは、先ほども書いたように、「客車を牽引するための車両」です。

アプト式電気機関車の国産第一号である「ED421号」

牽引のための車両といっても、こちらはアプト式電気機関車として、昭和9年に誕生した純国産第一号なんですね。

横川~軽井沢間が明治26年に開通した当時は、蒸気機関車で客車を牽引していました。その後の明治45年には同区間が電化されたものの、この頃の電気機関車は輸入に頼っており、昭和9年に国産の車両がやっと誕生したというわけなんですね!

メッチャ広大やんけww

そんな電気機関車の奥にはこんな広大な光景が広がっていてですね、広場に町たくさんの車両が展示されていたりします。

この辺はね~、鉄道マニアの方であればどれがどんな車両なのか説明できるとは思うんですが、私はその辺はあまり詳しくないので、こんなにたくさん展示されてるよってだけ書いておきますね(;・∀・)

列車の背後には急峻な岩場がそびえたっている光景が絵になりますね!

という感じで、今回は碓氷峠鉄道文化むらを紹介させていただきました。今回は、知の冒険の記事なので歴史とかその辺のテーマを中心に持ってきて紹介しましたが、子ども連れや鉄道マニアの方が多い印象でしたので、車両がたくさん展示されているエリアが人気なのかもしれないっす。

おわりに

という感じで、知の冒険では直近の記事で、『峠の釜めし』の駅弁で有名な荻野屋、明治17年創業の金湯館、鉄道遺構の「めがね橋」も含め、横川駅周辺のスポットを色々取り上げ支えていただきました!

横川って最近気になって掘り下げてみたんですが、調べると色々あるもんなんですね~。

ということで、横川駅周辺のスポットは一旦ここで終了にして、次回からはまた別の場所の博物館などを取り上げたいと思います!

ではでは~~!

参考文献

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詳細・地図

住所 群馬県安中市松井田町横川407−16
営業時間 3/1~10/31:09:00~17:00(入園は16:30まで)
11/1~2月末:09:00~16:30(入園は16:00まで)
入館料 中学生以上:500円
小学生以上:300円
小学生未満:無料(保護者同伴)
休館日 毎週火曜日(8月を除く)・12/29~1/4
火曜日が祝日の場合は開園し、翌水曜日が休園
電話番号 027-380-4163
駐車場 無料
アクセス JR横川駅から徒歩5分
リンク https://www.usuitouge.com/bunkamura/index.php

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