信仰の地に移築された遊廓建築「いさご屋旅館」が最高だった!

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こんちわっす!

今回は、久々に元遊廓旅館に関する記事になります。知の冒険では今でも日本中に残る数少ない遊廓にあった旅館を訪問してきましたが、今回は山梨県身延町にある「いさご屋旅館」です。

いや〜関東近郊にもまだ残ってたんですね。最近では人気アニメ『鬼滅の刃』でも遊廓がテーマだったりするわけですが、遊廓というテーマのみならず、今は若い人を中心に、昔ながらの古い旅館に泊まりたいという方が増えてるという声は色んな旅館の方から聞くんですよね!

では、今回のターゲットである「いさご屋旅館」とはどのような旅館なのか。その歴史も含めて、以下で紹介したいと思います〜〜!

本記事のポイント

・富士宮の遊廓にあった建物を移築してきた建物の旅館
・三階は、遊廓当時の面影を残している
・山梨県で唯一、有形文化財の泊まれる旅館

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日蓮宗総本山である信仰の地へ!

山梨県身延町。

東京や神奈川からとなると富士山の真反対に位置するこの場所は、南妙法蓮華経と唱えることでお馴染みの日蓮宗総本山である身延山久遠寺がある場所。

300年近い歴史がある宿坊「覚林坊」

多くの身延詣へと訪れるこの地には、今でもいくらかの宿坊が残っており、一般の方でも宿泊することが可能となってます。私が以前宿泊した覚林坊は、宿坊ではあるものの旅館の様に泊まりやすいですし、コロナ前は外国の方も多かったみたいっすよ!

日蓮宗総本山の身延山久遠寺

この身延の地に久遠寺が開山したのは、今から800年近くも前のこと。今でも、開山以来、朝のお務めは800年一日も欠かさず続けられているというのだからこれは本当に凄いことっすわ。

身延の周辺には、七面山という信仰の山もあったりとなかなか神秘的な場所なんですよね~~。ここはロープーウェイもあって奥之院にも行きやすいですし、春は桜も綺麗みたいなんですよ!

今回紹介する「いさご屋旅館」は、そんな場所にあるんですな~~

山梨県にある元遊廓旅館

その久遠寺の麓にあるこちらの旅館が、「いさご屋旅館」っす!

どうです、めっちゃ雰囲気ある建物じゃないっすか??

周辺の建物に比べてもかなり存在感があるこの建物。表がピンク一色ってのも目を張るものがあると思います。ここ、ずっと前から泊まりたかったんですがなかなか機会が合わず、今回はマジで念願の訪問となったんですわい(*´▽`*)

ということで、早速館内に入るわけですが入り口の屋根がめっちゃ印象的っすよね~~!

“子”の漢字が読めん・・

入り口に掲げられている看板も凄い雰囲気!!

左川ではなく右から書かれているので、戦前の物かと思いますが「館旅屋子砂」と書いてあります。

めっちゃ崩してる字っすね~~

山梨県でも数少ない「料理店」の鑑札

ちなみに、入り口の上部には「料理店」の鑑札も張り付けられています。

これ、めっちゃくちゃレアなんですけど、宿の方に聞くと「それ、よくわかんないんですけど、ずっと張り付けてるんですよ!」とのことでした!

とはいえ、これはかなりコアな話なのであんまり深堀りするのはやめましょう。

日蓮宗の何かっすかね??

あとは、さすが日蓮宗総本山の麓にある旅館。

南妙法蓮華経と書てあるのはとりあえずわかるが、これは何のマークなのか??

雰囲気満載の玄関

そして館内に入ると、こんな光景が広がっています!!

正面には早速階段が現れ、柱や時計、天井部分などなど見所満載っすわ。

玄関の床には、こんな素晴らしいタイルが!!

バリアフリーも考えてこれらのタイルは取っ払う計画もあったんですが、「これを無くすのはもったいない!」という声があり、今も残しているという。

そして玄関の天井は、実に見事な格天井!!

身延山に遊廓があったの?

あとで、遊廓時代の名残がある三階の写真を紹介したのですが、その前にこの場所に元遊廓の建物がある背景に迫りたいと思います!

そもそも、身延山に遊廓はあったのか?

答えは”NO”!!

では、なんで元遊廓建築の建物がこの場所にあるのかというと、この建物は静岡県の富士宮市から移築されているという背景があるんですって!

千葉県にあった松岸遊郭の絵ハガキ

そもそも、遊廓とはひとことで言うと「国が公認で売春を認めた女郎屋・貸座敷を集めた区域」のこと。ちなみに、遊廓は建物ではなくエリアのことを指します。つまり、「売春をする建物が集まった一角」のことを指しているわけで、建物は女郎屋・貸座敷・妓楼などの呼び方があります。

商店街に例えると、
・商店街 = 遊廓
・商店街にある一つ一つの店舗 = 女郎屋・貸座敷・妓楼
ですかね。

なので、「元遊廓旅館」という言葉は厳密に言うと元貸座敷旅館とかになるんですが、「元遊廓にあった旅館」というのもなんかスッキリしないし、元遊廓旅館という言葉がよく使われてますね。

一時期は日本全国で500箇所以上あったと言われる遊廓ですが、山梨県でいえば二箇所しかありませんでした。。

引用元:『貸座敷指定地調』

こちらは1929(昭和4)年の内務省による資料ですが、山梨県は「穴切遊廓(甲府市)」「関山遊廓(上野原市)」しか書いてないわけです。

山梨県にある関山遊廓跡

とはいえ、これはあくまで公的に売春が認められていた遊郭に限ってであって、大月や韮崎、さらには鰍沢や都留などにもそんな感じの場所はありました。いわゆる私娼窟(のちの青線)というような場所ですね。

ということで、身延に遊廓はなかったわけです。

火事で焼失し、急遽貸座敷を移築

では、なぜ今の場所に貸座敷を移築することになったのか?

それは、元々の「いさご屋旅館」が火事で焼失してしまったことが原因でした。

「戦時中の話ですが、どうやらお客さんが部屋でタバコを吸ってたそうなんです。それが原因で火事になり旅館が焼失してしまったんです。」

そう話してくれたのは、今の旅館のご主人さん。私が宿泊した日は、私以外に宿泊客がいなかったこともあり、館内を案内しながら旅館の背景を説明してくれました( ̄▽ ̄)

とはいうものの、久遠寺の麓ということで、この場所は多くの参拝客が団体で訪れる場所。そのため、すぐに旅館を建て直す必要があったわけですが、新しく建て直すのは時間的にも厳しい。。となると、既にある旅館をどこかから移築してしまえばいい!!

「そこで、親戚の関係か何かで富士宮にあった遊廓の建物を移築することになったんです。当時は三軒あったみたいなのですが、その中でも『富士宮御殿』と言われていた一軒をこっちに移築したみたいです。」

火事になったということで、周辺への賠償も兼ねての移築だったとのこと。そして移築当時は、一つでも部材が盗まれると組み立てられないと言うことで24時間体制で三人の警備をつけての運搬となったという話もしてくれました。

富士川使って運んだか??

富士宮から身延って、近くはないですがそこまで超遠いってわけじゃないっすからね。しかも、この二か所の間には富士川が流れているので、この川を使って運んだのかもしれないっすね。

とはいえ、、富士宮→身延は逆流ですけどね。。

しかし、この建物にはまだまだ多くの謎が残されています。

「遊廓にあったとき、何という屋号だったのか?」

「この建物は、いつ建てられ開業したのか?」

「この建物に関するエピソードなど。。」

屋号に関しては、調べてくれてる方がいて目星は付いているとのことですが、それ以外のことはあんま分かってないみたいです。。

引用元:『貸座敷指定地調』

一応、昭和4年の内務省による資料を確認し、静岡県の項目を見ると富士宮市(当時の富士郡大宮町)に三軒の貸座敷があったことは確認できています。ちなみに、働いていた女性(娼妓)は17人ですね。なので、この三軒のうちのどれかが移築されたんでしょうね。。

富士宮市にある浅間神社

富士宮には、富士山を参拝する富士講の方々がたくさん訪れていた関係で、富士山詣を終えた方々が遊廓にお金を落としたとかそういった話を聞きましたが、どうなんでしょうね??

富士宮市の資料館になければ、静岡県立図書館に何かしら富士宮の遊廓に関する者が残ってたりしないでしょうか??

いろいろキニナルな~~

とはいえ、この建物に関する資料はなく、先代のお婆さんからも遊廓に関する話は聞いたことがなかったとのこと。ただ、覚えがあるのは「もう金輪際、富士宮には戻りたくない。。」という言葉は発していたそうです。

経営していくにも、堅気でない方々と関わることもあり大変な思いをしていたんでしょうか。。

背景がほぼわからないということで、ご主人さんは富士宮市にある図書館へも調査しに行ったそうですが、収穫はなし。。一体、この建物にはどんな歴史があったんでしょうね。。

県内唯一の泊まれる有形文化財に!

とはいうものの、「この建物が富士宮の遊廓にあった建物だった」と判明したのは、つい最近のこと。

そのキッカケは、この建物が登録有形文化財に登録されたことでした!

当時の新聞記事が宿にあった

登録されたのは2016年のこと。身延町の文化財保護課だって言ってたっけな、、その辺の役所関連の方が「山梨県にも有形文化財の建物を増やそう」という動きになったときに、いさご屋旅館にも声がかかったそうなんです。

そこで、じつはご主人さん自身もこの建物の背景については全くわからなかったものの、登録有形文化財になるにあたりガチで調査した結果、「実は、富士宮の遊廓にあった建物を移築してきた」ということが発覚したんですって!

そして、日本には宿泊できる登録有形文化財はたくさんあるものの、なんと山梨県では、いさご屋旅館のみ。

ちなみに、今のいさご屋(砂子屋)とは、元々この地にあった旅館の屋号なんですな。

古い部屋は人気らしい

最近は、超人気アニメである『鬼滅の刃』で遊廓が取り上げられているというのもあるかもですが、若い人、あとは女性一人で泊まりに来ることも多いんだそうですよ。

部屋を予約する際にも、「できれば一番古い部屋に泊まりたいのですが・・」と懇願するお客さんも増えているという。

私もそうですが、小さい頃からコンクリート造りの今風の家に住んでた世代からすると、木造の風情ある建物は気分転換になるというか懐かしいというか、ちょっと普段と違った雰囲気に浸れるということで気分転換になるんですかね?

最近は”昭和レトロ”もブームみたいですし、こういった旅館が注目を浴びてたくさんお客さんが来てくれたら、私も嬉しいっすわ(*´▽`*)

遊廓時代の名残りがある三階へ!

そして、今回は宿泊した日の夜、宿泊客が私だけということもあってか、夜の時間にご主人さんからマンツーマンで館内を案内していただきました(*´▽`*)

ここはGoogleMapの口コミにも書かれているように、マジでフレンドリーで女将さんもご主人さんも接しやすいんですよね。本当に神でした!!

この階段を上がって三階へ!!

一階の玄関付近以外や二階は結構改修しているんですが、三階は遊廓当時の雰囲気をかなり残しているんですね。

ということで、三階へと上がっていくことに。

三階はこんな感じ。部屋は5,6くらいありましたが、各部屋の広さは6畳くらいですかね。この空間で、今から90年近く昔、一体どんな雰囲気だったんでしょうね。

四番は縁起悪いっすもんね~~

部屋には番号が振られているんですが、四番の部屋はありませんでした。病院と同じで、やっぱり縁起を気にしているんですね!

九番はあるんかいな!

と思ったら、9番はあった・・(笑)

ココは三番の部屋で。「古い部屋に泊まりたい!!」ってお客さんに泊まっていただいてる部屋とのこと。

6畳ということで広くはないですが、これは風情ある最高の休日を送れること間違いないっすよ。そして、ここは昔の特徴と多く残している部屋でもあるんですよね。

これ、作るの大変だったろな・・

窓にはこんな意匠もありました。大麻の葉をあしらった麻の葉紋様がありますね~~

これは何の形を表してるのだろ??

んで、この3番の部屋は天井がマジで素晴らしいです。移築前は、どの部屋もこのように網代天井だったみたいですが、他の部屋は問題があってこの部屋以外は新しく直しちゃったみたいです。

見事な床の間

こちらは少し広めのお部屋。昔は間に仕切りがあったと思いますが、今はぶち抜かれていて広めの部屋となっております。

そして、こたつあるのがたまんないっすな~~

こちらの部屋は、玄関と同じく見事な格天井。

窓はこんな感じ
子どもにはちょっと怖いかも・・
これは鎌倉彫り??

あと、鏡台はどれもこうした彫り物なんですが、鎌倉彫りとかでよくこんな感じのやつ見ますけど違いますかね??

そして、窓の手摺りには擬宝珠(ぎぼし)が取り入れられています。

伝統的な建築物の装飾として、神社とかそういった建物に見られるものですが、いさご屋旅館にもありましたか!!

という感じで、遊廓の雰囲気を残した三階の様子を紹介させていただきました!

いや~お客さんが誰もいなかったということもあり、一人で十分にこの空間を堪能させていただきましたよ(*´▽`*)

三階はこんな感じなんですが、あとは二階にも見応えある階段があるのでちょっとそっちも紹介したいと思います。

圧巻の、屋久杉らせん階段!

その螺旋階段がこちら!!

この建物、一階と二階につながる階段は玄関正面にあるのと二つあるみたいです。遊廓という特殊な用途であることから、お客さんと娼妓・オーナーが顔を合わせないようになど複数階段あることをよく聞きますが、ここも用途を分けてたかもしれないですね。

屋久杉が使われている超レアな階段

そしてこの階段はめっちゃレアものでして、壁に使われている素材は、何と屋久杉。

以前、久遠寺にある五重塔を修復しに来た際に、金剛組の方々がこちらの宿泊したそうですが、その際にも彼らから「この階段は本当に珍しい、そして技術力も高い!」と絶賛していただいたとのこと!

金剛組って、聖徳太子が作り世界最古の会社とも言われているんすよね。その方々からお墨付きをもいただいてる階段というわけっす!

これは手摺りって言っていいのかわかりませんが、味がありますな~~

ちなみに、この階段は一階の厨房と二階を結んでおり、お客さんの食事を運ぶようにここの従業員の方が使う用になっています!

そんな感じで、この建物は昔からの建築方式で複雑に梁を組んで建てていることもあり、東日本大震災の時、身延の辺りも震度5ほどの揺れはあったものの、ビクともしなかったんですって!

丸窓などの意匠や豪華な夕食も紹介

ということで、遊廓当時の雰囲気を残した場所は紹介しましたが、その他にも館内の様子などをいろいろ紹介しますね1!

宿泊日はここで宴会が行われてました

まずは、二階にある大広間。

結構な広さで、私が宿泊した日の夜もここで宴会が行われていました。12月の中旬ということで、忘年会とかだったんすかね~~。まぁあとは身延山久遠寺に参拝しに来る団体の方の食事とかもこの部屋が使われるんでしょうか。。

大広間は、移築した後に改修して作ったようで、あんまりこの部屋のことについては伺えませんでした。。

そしてこの大広間の奥には、こんな素晴らしい丸窓が!!

こちらは大広間の床の間
こちらは二階廊下にあった意匠
作りが細かいっすね~
まさに、正しい夕食とはこのこと

そんでここは建物が素晴らしいというだけでなく、夕飯もマジでうまかったんですよね!!

量も程よく、遊廓建築にて至福の夕食を堪能させていただきました(*´▽`*)

身延は湯葉が名物っす

いろいろ紹介したいんですが、身延は湯葉が有名でして、この辺の宿に宿泊すると恐らく大抵は湯葉が出て来るかと思います!

こちらは、”幻の大豆”とも言われている身延で収穫される「あけぼの大豆」を使用したスープ。

これ、めっちゃくちゃ旨かったっす!!

刺身はやっぱうまいっすな~~

海のない山梨県ですが、いさご屋旅館では清水港から海産物を仕入れています。こちらも満足の味でしたぞ!!

三浦半島には、北条遊郭跡に一軒ありますけどね。

この時間が本当に至福の時間(*´▽`*)

そして、夕飯をたいらげた後は、いつものようにテレビを流しながらブログ更新に勤しんだのでした!!

いっつも書いてますが、この土曜の夜の時間が本当にゆっくりできる時間なんですよ。日曜日になると「明日仕事や・・」ってなりますが、土曜の夜だとまだ気持ちに余裕が持てますからね(*^-^*)

おわりに

以上、元遊廓旅館である「いさご屋旅館」の紹介でした!!

今でも元遊廓の旅館は幾らかは残っているものの、関東近郊でいえば、ここと神奈川県横浜市にある松島旅館だけなのではないでしょうか。。もしかしたら他にもあるかもですけども。。でも、松島旅館は松島楼の頃の建物ではなく屋号として継いでるという感じなので、当時の建物の旅館となるとここだけかな??

八戸にある「新むつ旅館」

先日は、元遊廓旅館の筆頭だった新むつ旅館の女将さんが亡くなったという大変悲しいニュースもあり、どんどん減っていくことでしょう。。行けるうちに、泊っといた方がいいっすね。本当に。。

ではでは、また次回の記事でお会いしましょ〜!

参考文献

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詳細・地図

住所 山梨県南巨摩郡身延町身延3696
駐車場 無料(5台)
電話番号 0556-62-0028
アクセス 東京から車で3時間くらい
リンク https://isagoya.minobu.jp/

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