弘前には、太宰治が自殺未遂を行った部屋が残っている!

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こんちわっす!

日本中の知られざるスポットを取材してブログにしている『知の冒険』。今回紹介するのは、前回の記事に引き続き、青森県にある太宰治関連のスポットになります。

前回は太宰治の生家である斜陽館を紹介したわけですが、今回は青森県弘前市にある「太宰治ゆかりの家」という場所なんですね。

ここ、ケッコーマイナーな場所だとは思うんですけど、凄くアットホームですし、スタッフの方が親身に解説してくれることもあって、マジでおすすめの場所なんすよね!

ではでは、「太宰治ゆかりの家」とはどんな場所なのか、以下で紹介しますね~~!

本記事のポイント

・太宰が弘前高校へと通うために、三年間下宿した家
・一度カルチモンを大量に飲み、自殺未遂をしている
・太宰本人が残した落書きも残されている

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太宰関連のマニアックなスポット

ということで、今回紹介するのは青森県弘前市にあるスポットなんですが、弘前市というと、たくさんの近代建築があることでも知られています。

知られてるって言っても、一部の界隈に限りますけどね。。(;・∀・)

弘前市にある数々の近代建築

前回の記事でも書いたように、旧弘前市図書館(左上)や青森銀行記念館(右下)の建物は、弘前の名棟梁である堀江佐吉による設計であるわけですが、上の写真の様に見ごたえある近代建築が街中に点在してるんですよね!

当初、弘前へとやって来た目的はこれらの近代建築を時間が許す限り見て回ることだったんですが、巡りながらGoogleMapを見ていたら、偶然発見したんですよね、「太宰治まなびの家」を!

それがこの建物なんですが、もともとは旧藤田家住宅という太宰の親戚のおうちみたいです。

ここは弘前の観光地である弘前城周辺からは少し距離がありますし、太宰ファンとかそういったちょっとマニアの方の訪問が多いんじゃないかなと思いましたが、実際はどうなんでしょうね~~?

では、中に入ってみましょう~~!!

館内に入り、受付を済ますと早速太宰が下宿していた部屋がある二階へと上っていきます。

本日はここで何かのイベントがあったらしく、一階は多くの方でわちゃわちゃしていたんですよね(;・∀・)

でも、どうやら私が訪問したのはちょうど終わったタイミングだったようで、スタッフの方が途中からこの建物、そして太宰にまつわるいろんな話を解説してくれました。

生活が乱れ始めた下宿時代

二階はこんな感じで、畳の部屋が二つと大変狭くなっていました。

その奥のこちらの部屋が、弘前高校へと通うために三年間暮らした部屋とのことです。

前回の記事でも紹介したように、太宰は今の斜陽館(旧津島邸)で生まれ、小学校まではそこで暮らしていたものの、中学校の時は親戚筋の豊田太左衛門宅に寄宿。そんで、弘前高校時代は、別の親戚筋であるココ藤田家に寄宿することになったという流れみたいです。

高校卒業までの太宰の住まい
誕生~小学校時代:斜陽館で過ごす
青森中学校時代:親戚筋の豊田太左衛門宅に下宿
弘前高校時代:親戚筋の藤田家に下宿

生れてから高校卒業までの住まいは↑上記の流れになるようで、太宰は昭和2年から5年の間、弘前高校の入学から東京帝国大学の入学が決まるまでの三年間をこの部屋で過ごしているとのこと。

寄宿することになったとはいえ、弘前高校の場合、実家から通う以外は寮から通うのが原則だったそうですが、太宰は病弱だったとかそういった理由があったことで許されたみたいっす。

藤田家で撮られた太宰の写真

そんな太宰ですが、この場所で下宿生活をしているときに、どんどん生活が荒れていくことになります。。

その大きなキッカケは、芥川龍之介の自殺でした。

館内の解説によると、「芥川龍之介の自殺に影響を受け、義太夫に夢中になり、義太夫の題材の多くが心中ものだったということから、心中の妄想が育った」ということのようです。

ここで自殺未遂を・・

何度か自殺未遂を繰り返している太宰ですが、1929(昭和4)年12月に、この部屋でカルモチンという睡眠薬を大量に飲んだことが、太宰一回目の自殺とされているとのこと。

太宰は中学の頃からカルモチンを常用しており、これまでも似たことはあったみたいっすね。。

自殺当日は、医者や家族が呼ばれて大騒ぎとなり、その後は、ここから近くにある「大鰐温泉 ヤマニ仙遊館」という旅館で療養することになりました。この宿は、今も営業を続けている老舗旅館になるんですな~。

ちなみに、この一回目の自殺をした理由は、「次の日の数学のテストを受けたくなかったから」というしょうもない理由だった説もあるようで、人間、本当に何がキッカケで自殺するかわからんすな、、と思い知らされる話でもあります。。(;・∀・)

とはいえ、この後も彼は自殺未遂を何度か繰り返し、最終的には玉川上水に入水して38歳の若さで亡くなってしまうんですよね。。

そして、荒れた生活は自殺未遂だけにとどまりませんでした。。

高校に行った時、最初は成績は良かったものの彼は芸者遊びなどをするようになってしまい、成績は下がっていってしまうんですね。。家がその地元の大地主であり、太宰は津島家の期待の星だったため、 兄からお金を送ってもらっていました。。(;・∀・)

兄は学力向上のためにお金を必要としていたと思っていたようですが、太宰は芸者遊びに使っていたそうです。。(;・∀・)

毎回、20円から30円を持って遊びに行っていたそうで、当時の教員の初任給が50円だったことから結構な額を芸者遊びに使っていたみたいです。今の初任給が22万とすると、今の額で10万近くを毎回使ってたってことでしょうか??

いかんせん、学生の遊びにしては度が過ぎてましたね!

最初の妻だった小山初代

そんな青森市の花柳界に通っていた太宰ですが、ここで最初の妻である芸者の小山初代と出会うことに!

ただ、最終的に彼女は太宰を頼って上京し東京で一緒に暮らすも、太宰と心中未遂を起こし、その後別れることとなります。

下宿先に残された直筆の落書き

太宰にまつわる資料がいくつか展示されているわけですが、この下宿先には、なんと彼が残した本物の落書きがそのまま残されているんですよね!

この長押(なげし)に残されています

それがこちらに残されているんですが、よく見てみると、、、

ん~確かになにかの数式が書かれていますよね。

太宰の身長は175cmほどで、この落書きが書かれた長押はちょうど描きやすい高さにあったようです。書かれているものは数式ではあるものの、何を表した式かについては意見が分かれているようで、未だはっきりしていないとのこと。

ひとつ分かっているのは、太宰は数学が苦手だったそうっす(;・∀・)

その他には、こんな太宰の写真が展示されているんですが、これらの写真は全てこの部屋で撮られたものみたいです!

キマッてますな~~

そんな写真の中でも、こうして顎に手を当てたキザなポーズが印象的ですが、太宰はこうしてかっこつけることが多かったみたいな話も聞きました。

後はこうした机や、、

これは複製だと思いますが、彼が来ていたと思われる服もこうして掲げてありました。

ちなみに、この藤田家は大正時代に建てられたそうです。初めは青森県と秋田県の境にある碇ヶ関の村長宅として建てられた家だったみたいですが、弘前市で造り酒屋を営んでいる藤田家が1921(大正10)年に今の場所へと移築したと言われている。

藤田家の酒造業にまつわる資料

平成になり、道路工事のために取り壊しの話があったみたいですが、太宰治の研究者である小野正文が中心となって、弘前太宰治下宿保存会を結成。

保存活動を行なったことで青森県が土地を提供し、弘前市が管理する形で今まで保存されています。

という感じで、二階は十分紹介したと思いますので、ちょくら一階も紹介しますね(*´▽`*)

一階はこんな感じで、襖(ふすま)で区切られた座敷が数部屋ある感じ。

その中で、この写真に写ってる部屋には床の間がついております。

その床の間にはこんな写真がありまして、こちらは昭和5年3月の旧制弘前高校の卒業写真であり、太宰も一番左に写っています。この写真と今の床の間を見比べると、確かにこの場所で撮られたことがわかります!

あとは、太宰にまつわるちょっとした写真・資料が展示されてる部屋があって、、

資料はこんな感じ!

こちらは太宰のノート。ひたすら似顔絵の落書きが書かれてますねww

このノート、展示はレプリカで、本物は弘前大学に保管されているとのこと。

という感じで、一階は太宰にまつわる話は特になかったので、サラッと紹介させていただきました。という感じで記事を終えようと思いましたが、最後に弘前には、今も太宰が通っていたという喫茶店が営業を続けているとスタッフの方から聞いたので、せっかくなので寄ってみました!!

凄くフレンドリーなお店だったので、最後にここだけ紹介させていただければと思います(*´▽`*)

太宰が通った喫茶店「万茶ン」

それが、こちらの弘前の歓楽街にある「万茶ン」という喫茶店。

1929(昭和4)年にオープンした喫茶店であり、かつては太宰治だけでなく石坂洋次郎、井上ひさしなどの著名人も、ここでコーヒーを楽しんだとされているお店なんですね。

今のご主人は四代目。とはいえ、創業者の直系というわけではなく、閉店の噂もあったこのお店の関係者とたまたま知り合ったことで、喫茶店の店主となったんだそうです!

ご主人さんは私とそんなに年も離れてなく、気さくであることからもお客さんとのコミュニケーションを大切にしているようで、凄く居心地のいいお店でした!

若き太宰の写真もありました
創業当時からあるシャンデリア

ご主人さんが言うには、昔のもの過ぎて、照明がつかなくなった時に業者に依頼したら「古すぎてどう直していいかわかりません。。」って言われたらしいですww

ということで、博物館だけではなく、こうした彼が通っていたお店も残ってたりするもんなんですね。ご主人さん、本当に気さくな方でしたし、弘前に行った際はまた立ち寄りたいっすわ!

おわりに

はい、以上になります。

前回の斜陽館に引き続き、青森県にある太宰治関連のスポットを紹介しました。山梨県にある太宰関連のスポットをいくつか訪問しているということもあって、青森県のスポットも訪問したいとずっと思っていたので今回取材できて本当に良かったっす(*´▽`*)

前回紹介した斜陽館は結構有名な場所なので知ってる方も多いかもしれないですが、今回の「太宰治ゆかりの家」はあんま知られてないかもしれません。。

アクセス的にも良い場所とは言えないですし。。

でも、先ほども書いたように、あとはGoogleMapの口コミを見てもわかるのですが、スタッフの方が凄く親切で、太宰がココに滞在していたことにまつわり話をしてくれるので、興味ある方であればマジでおすすめの場所となっておりますよん(*´▽`*)

ではでは、また次の記事でお会いしましょ~~

参考文献

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詳細・地図

住所 青森県弘前市御幸町9-35
入館料 無料
開館時間 10:00~16:00
休館日 12月29日~1月3日
駐車場 無料
電話番号 0172-39-1134
アクセス ・JR弘前駅より徒歩20分
・弘南鉄道大鰐線弘高下駅より徒歩15分
・大鰐弘前ICより車15分
リンク https://dazaiosamumanabinoie.amebaownd.com/

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