こんにちわっす!
日本中の知られざるスポットを取材してブログにしている『知の冒険』。
今回は群馬県にある老舗旅館を紹介するんですが、それは上野村にある『今井家旅館』という旅館。
ここは建物が築400年近いというすげぇ古さもあれば、日本航空123便墜落事故のあと、朝日新聞などの記者たちが取材のための定宿としていたという背景もあるなど、私的にはとても興味深い旅館で、ずっと行きたいと思ってたんですよね!
ということで、そんな今井家旅館には2022年のGWに宿泊してきましたので、以下で色々と紹介していきますね~(*´▽`*)
築400年にもなる、歴史ある旅館
ということで、今回は群馬県上野村にある今井家旅館へとやって来ました!
地図で見るとなかなかアクセス的に来やすい場所ではないものの、私は前日まで草津温泉にいて、そこから軽井沢を経由してやってきましたよん♪
入り口には「名物猪豚料理」の看板があります!
電話で宿泊の予約をする際には、普通の夕食にするか、猪豚料理にするかを選べまして、猪豚にすると少し値段が上がるって感じです。今回、私は普通の夕食にしたんですが、今考えたらせっかく行くんなら猪豚にすりゃヨカッタと反省。。
入り口を見ても、建物の古さを感じられずにはいられません。こういう雰囲気が本当にたまんないんすよね~(*´▽`*)
看板に「今井四郎兼平」と書いてますが、この今井四郎兼平というかたは平安時代末期の武将みたいっすね。この宿の先祖をさかのぼるとその方にあたるってことなのか。
ググると結構出て来るし、Wikipediaもある有名な方なんですね。わたしは平安時代は完全に守備範囲外なので全く知りませんでしたわ。。(;・∀・)
旅館の近くには、目立った観光スポットは少ないものの、代表的なものとしては不二洞があるみたいですね。
この洞窟、私はまだ行ったことないのとちょっと時間の関係で今回も訪問できなかったんですが、ここは関東最大級の鍾乳洞ということで、気にはなってるんですよね。。
ではでは、早速中に入ってみることにしましょ~~
入り口の扉を開けると、いきなり現れるこちらのお部屋というかロビー。畳にコタツ、さらには天井の低い木造の建物という昔を感じる要素が勢ぞろいしています!!
ロビーに入ると、さっそく女将さんが応対してくれて、消毒に検温、さらには宿帳を書くなどの受付を済ませます。
そして部屋へ案内していただき、、という所ではあるんですが、他のお客さんがいなくて女将さんも少し手が空いているとのことなので、早速ではありますが、いつものように旅館の背景だとかその辺のことをいろいろと聞かせていただきましたよん♬
まずは今井家旅館の建物から話を聞かせていただいたんですが、この建物が建てられたのは、今から400年以上も前とのことです!!
400年前というと、1622年ということで江戸時代前期ですよね。江戸時代って歴史の授業では習ったりするものの、その時代からずっと令和の現代まで残っていて、その建物に泊まれるってのが、時代の凄さを感じますわ。。
とはいえ、旅館を始めたのは明治中期頃。今の女将さんはで三代目であり、明治中期ということで旅館だけでも創業から120年くらい経っているんですね!
そんな今井家旅館ですが、ここのおうちの先祖は、ここから近くの諸城という山の上にあった城の城主だったみたいです。
一応、GoogleMapにも地点登録されていました。そこが崩れたりして危険だということから、現在の場所に移ってきたみたいですよ。今井家旅館に限らず、この辺には築100年から200年近い建物が多く、昔はお蚕さんをやったり蒟蒻(こんにゃく)を作ったりなどをして暮らしていたとか。
そんな今井家旅館は、登山客や不二洞、さらにはこの付近を流れる神流川の流域へアウトドアへやって来た方々などいろんな方が泊まりに来るとのこと。
今井家旅館の簡単な背景はこんな感じですが、この旅館にも大きな変化が起こったのは、1985年8月12日でした。
日本航空123便の墜落事故がおこり、多くの記者が旅館へとやって来ることになるのです。
飛行機事故後は新聞記者の定宿に
ロビーの天井には、写真の通りたくさんの色紙などが展示されているわけですが、その半分くらいが記者さん関連の物なんですよね。
1985年8月12日に発生した日本航空123便墜落事故は、この近くの御巣鷹山の尾根に墜落したことから、事故を取材するための多くの新聞記者の方が滞在する宿となったのです。
事故直後はとにかく多くの記者さんが入れ代わり立ち代わり旅館を出入りしていたそうです。その中でも、一番長くいたのが朝日新聞の方々だったようで、朝日新聞東京本社から送られた感謝状も展示されていました。
この123便が墜落した場所は御巣鷹山の尾根となっていますが、この「御巣鷹山」という山は全くの無名の山でした。飛行機の圧力隔壁が破損し垂直尾翼が吹き飛び、そこから機はウロウロする形で北上していき、たまたま御巣鷹山に墜落。
ただ、その山は登山道があるわけでもなかったことで、事故当時は現場まで行くのが本当に大変だったようです。今でこそ30分ほど山道を登ればいい場所まで道路が整備されいますが、当時は片道でも5,6時間かかったとも。
そんな大変な現場だったこともあり、ここに送られる記者は体力のある若手が送られてきたみたいです。
事故が近くで起こったとはいえ、上野村には旅館や民宿は他にもいくらかあったわけですが、何で今井家旅館が記者の方々の定宿と化したのか??
その大きな要因としては近くに上野村役場、さらにはヘリが離発着できる広場が目の前にあったことと、女将さんが話してくれました!!
ということで、女将さんが旅館の裏まで案内していただいたんですが、事故があった当時は、御巣鷹山付近で一番大きな広場が今井家旅館の裏にあるこのグラウンドだったそうです。
そのため、ここで明け方からひたすらヘリが離発着を繰り返しており、遺体などを運んでいたんですって。そうしたことから、今井家旅館に滞在するのが都合が良かったんでしょうね。
地図を見てみるとこんな感じ。旅館の裏手の川を隔てると、目の前が広場というかグラウンドだったというわけ!
そして、先ほどのロビーの天井に目を向けると、記者の方以外にも色んな色紙があります。あ~懐かしい。
あ~これ懐かしいっすわ~。昔、TSUTAYAでDVD借りて『クライマーズ・ハイ』見ましたよ。これは主演の堤真一さんのサインなんかな??
うわ~永六輔さんのサインもありましたよ。。(泣)
あの名曲『上を向いて歩こう』を歌う坂本九さんが飛行機事故で亡くなったって初めて知った時は、本当にビックリしましたわ。。永六輔さんは『上を向いて歩こう』の作詞をしたんですよね。
今井家旅館には泊まりはしなかったものの、休憩したり食事をしたそうだ。
ちなみに、日航機の事故は私も大変関心をもっていて、まだ知の冒険のブログを始める前に慰霊登山に行ったことがあるんですよね。私が生れる二年ほど前に、520名もの方が亡くなる航空機事故があったなんてと、事件を初めて知った時は驚きで、なんか現場に行きたくなったんですよね。
この事故では、『上を向いて歩こう』で知られる川崎市出身の坂本九さん、さらにはバーモンドカレーを考案した浦上さんも亡くなっているという。。
事故現場の近くには、慰霊の園という施設もあり、毎年8月12日にはこの場所で慰霊祭が行われます、今でも8月12日になると、ニュースでこの場所で法要を行っている光景を目にするかと思います。
慰霊塔だけでなく、敷地内にある日航機事故記憶保存館には、事故で亡くなった乗客が所持していたミニーちゃんの人形、腕時計、眼鏡などが展示されています。
腕時計が全部、事故の時間を指して止まっているのは凄く記憶に残っています。。
あと、羽田空港の近くにある『日本航空安全啓発センター』も凄く勉強になるので、関心ある方は言って欲しいです。参加者の多くは航空関連の仕事をしている方みたいですが、一般の方でも空きがあれば訪問可能っす。
でも、平日のみですしなかなか空きがないのでそういう意味ではハードルは高いものの、行って損はない場所です!
という感じで、日航機事故関連の施設としてはなので、気になった方は足を運んでみて下さいね。
日航機123便が墜落した現場であり、現在は車道が整備されていて30分ほどの登山で現場にたどり着ける。時期によっては封鎖されているようなので、訪問する場合は要確認。
・慰霊の園
今井家旅館の近くにあり、毎年8月12日には慰霊祭が行われる場所。供養塔や観音様、事故の詳細について知れる展示保存館がある。
・日本航空安全啓発センター
羽田空港の近くにある施設で、日本航空の社員の方が事故の詳細や経緯などを詳しく紹介してくれる。なかなか空きがなくて予約が難しいものの、ものすごく勉強になる場所。
私が御巣鷹山を訪問したのは10年近く前のことになるんですが、この時はいつでも慰霊登山に行けたんですが、2022年現在は期間限定でしか行けないようになってるみたいなので、行こうと考えている方は事前に調べてからのほうが良いかと思います!
柱に残された秩父事件の刀傷
日航機事件に関する話だけでなく、今井家旅館を訪問した際に外せないのが、柱に残されている秩父事件の際の刀傷なんすね!
神棚がある場所の柱を見てみると、、、
あ~ありましたありました。
写真に写っている柱の下部が削れているのがわかりますかね??
これが傷跡の様で、ちゃんと説明書きもありました。が、背景については女将さんが詳しく話してくれました。
秩父事件とは、年貢を納め切れない農民たちが、政府に対して負債や減税を求めて、明治17年の10月31日~11月9日の期間に蜂起(ほうき)したという事件。
自由民権運動のさなかに発生した事件なんですが、この騒動を収めるべく、東京憲兵隊によって鎮圧されていくも、菊池寛平をボスとする一隊が群馬県の上野村にやって来たさなか、中食をとるために今井源十郎宅(現:今井家旅館)に立ち寄ったそうです。
その際、炊き出しを強く迫り、脅すために刀を力任せにン回したときに刻まれた傷跡なんですって。
怖っっ(;・∀・)
今から140年近くも前の事件ですが、それが今でも生々しく残ってるわけです。まさに後世に残して欲しいものですね!
ということで、日航機の事件に関する話や秩父事件の刀傷について紹介したわけですが、あとは館内の様子などを写真も踏まえてパパっと紹介することにしますかね!
時代を感じる要素が満載!
話が終わった後、部屋へと案内していただいたのですが、私が宿泊したのは二階。ということで、こちらの階段を上っていきます。
廊下には、時代を感じる意匠もみられます。が、この廊下で一番インパクトあるのがですね、、、
こちらの甲冑っす(・∀・)
この甲冑について、女将さんに聞いてみたら、、
「私も詳しくはわからないんですけどね、でも天正11年頃のものとは聞いてますね~」
とのことでした。
天正11年というのは、西暦でいうと1583年。戦国時代の物になるわけですが、440年近くも昔の物ってことになりますね。ちょっと身に付けてみたいわ(笑)
あと、トイレの間を貫く巨木が結構印象深い・・。
んで、私が宿泊したのは、この部屋でした!
ちょっと部屋の中を眺めてみると、こんなものがあったんですが、エアコンといてもクーラーのみなのかわかりませんが、100円を入れてエアコンを利用する機械っすね。
本体には「タイムトロン」って書いてますが、聞いたことない名称っすね。現役でこれが使われてたらビックらこきますが、
あと、もうこうした電話機も、レトロの仲間入りになるんですかね。。
あと、お風呂はこんな感じ。浴槽の中はタイル張りになっていて、壁中は石積みになっているなかなか見応えある雰囲気♨
ちなみに、お湯は結構熱め(笑)
あと、部屋の造りでこちらは離れになるんですが、この部屋だけは他の部屋に比べて作りが大変凝っておりました。床の間なんかは、だいぶ良い木材を使っているっぽいですし、、
この部屋は壊す話もあったみたいなのですが、これだけの部屋を壊すのはもったいないということで、残したと女将さんは話してくれました。
あとは丸窓があるのも、たまらないですわ!!
宿に着いて一通り女将さんから話を聞き、風呂に入った後は夕食です!!
家庭的な料理という感じで、全体的に味もおいしくて至福のひとときでしたよん♬
馬刺しは、以前吉原遊廓跡のそばにある「桜なべ 中江」で食った以来ですかね!
脂がのってて、メッチャ旨かったですYO。
という感じで館内を一通り紹介しましたが、最後にここは有名人の方も多くやってきており、その色紙も残っているので数枚ほど紹介しますね~~!
あと、記者の方々以外の色紙も多く、こちらは有名俳優の阿部寛さんのサイン。テレビ朝日系の名ドラマ『TRICK』の撮影が、旅館の近くにある「まほーばの森」などで行われていた関係でここへやって来たとか。
『TRICK』ということで、まだデビューしたての仲間由紀恵の色紙もありました!!
TRICK懐かしいな~。私はあまりドラマは見ないんですが、なぜかこのドラマは好きで、ビデオに録画して中学生の頃によく見てましたわ(*´▽`*)
こちらは、福田武夫と中曾根康弘。共に、群馬県出身の総理大臣っすね。
これは地元の選挙活動のためにやって来たからであって、泊まりに来たとかそういうわけではないみたいです。。
ジャイアント馬場とも戦った超有名プロレスラーである、ザ・デストロイヤーの色紙まであるじゃないっすか!
という感じで、結構幅広いジャンルの方が訪れてるんですね。
おわりに
はい、以上になります!
建物が築400年、創業は明治時代で、秩父事件や日本航空123便墜落事件など私の琴線に触れるテーマが多く、GWに訪問することが出来てマジで大満足の宿泊となりました(*´▽`*)
ということで、こうした古い旅館とか歴史好きの方であれば宿泊して損はないと思いますが、ここは公共交通機関での訪問はかなり厳しいと思いますし、車でもアクセスが良いとは言えないので、アクセス面での難易度は高いかもしれないっす!
でも、コロナ禍もあって多くの老舗旅館が閉業にもなっているので、気になった方は早めに足を運んでみて下さいね。
ではでは、また次の記事でお会いしましょ~~
参考文献
詳細・地図
住所 | 群馬県多野郡上野村乙母140−1 |
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駐車場 | 無料 |
電話番号 | 0274-59-2009 |
アクセス | とにかく遠いです・・ |