あの有名女優もやってきた、牛深遊廓跡に現存する「三浦屋」へ!

↑更新・取材裏情報はTwitterにて(^ ^)

こんちわっす!

今回は、熊本県天草市にあった牛深遊廓の第二弾になります。

前回は牛深遊廓に関して、現地を訪問して地元の方の聞き込みと資料を元にざっと背景を説明させていただきましたが、今回は貸座敷だった建物に突撃した記事になります。

そんな内部で撮った写真を元に、以下で紹介していきますね〜!

本記事のポイント

・三浦屋はいつからあったのか、また築年数などは不明
・映画の撮影で、大物女優も訪れた!
・本当は壊したいのだが、結構な金がかかるので壊せない・・

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タイル、意匠が満載の遊廓建築へ!

前回の記事でも書いたように、神奈川県から遠くはるばる牛深の遊廓に関して調査しに来たわけですが、いろんな偶然があって、今回は三浦屋の建物を取材させていただけることになりました。

普段は大学の研究者の方々とか、そういう方を見せたことはあるものの、私みたいなようわからん人間に見せるのは初めてみたいです(笑)

ここはね、やっぱあれですよ、交渉術ってやつですよ!!

と言いつつ、ただ懇願しまくっただけですけどもww

右側の入り口から潜入

どこから入るのかというと、左側の自転車が止まっている場所かと思いきや、右側の木でふさがってる場所です。左側は、何年か前まで飲み屋として別人に貸していたとのこと。

では、入ってみることにしましょう!

「二十才未満立ち入り禁止」の札が

午後の漢字が「午后」となっていて、何だか時代を感じますわ。。

三浦屋は、売春防止法後は料亭として営業してましたからその時の札でしょうな。

足元にはタイル模様が・・

足元を見ると、ランダムに配色されたタイルがあるのがこういう建物らしい。

壁にもタイルあるやないっすか

さらに壁面を見ると、こんな場所にもタイルが見られました。

中はかなり荒れ果てていた

正面の玄関からはどういうわけか入らず、脇の部屋から入りました。ここはしばらく空き家になっていることから、廃墟みたいな感じになっていて、靴のまま上がらせていただきました。

この建物は、遊廓の時代の貸座敷を経て赤線となり、売春防止法の後は料亭として昭和60年とかその辺まで続いたそうです。

ところが、今のご主人さんは公務員になりこの店を継がなかったことから、廃業した形になります。

ただし、過去を振り返ると三浦屋にはわからないことがたくさんありましてですね、まず三浦屋という屋号の貸座敷がいつ開業したのか、さらにはこの建物がいつから建ったのか。その辺は不明みたいなんですよね。。

そもそも、ご主人さんは、小さい頃はここに住んでいたわけではなく、ここから少し離れたところで住んでおり、昼に遊びに来るくらいだったとのこと。両親は、ご主人さんが小さい頃はあまりここに寄せ付けたくなかったみたいです。

ということで、料亭時代のこともほとんど知らないとのこと。

玄関からの景色

そんな感じで三浦屋のことを聞きながら、館内を進むことに。

ここが玄関になるわけですが、いきなり階段が現れます。この建物には、二階へ上がる階段が三つあり、これはお客さん用でしょうかね。この階段の反対側(向こう側)にも階段があり、上りと下りで分かれていて、さらにもっと奥にある階段は女性が上る用だったんでしょうか??

もっと奥の階段は後で出て来るので、またその時に話しますね!

あと、この左側、今は白い壁がありますが、これは飲み屋にするために改造したものであり、それより前は柵みたいな感じになっていたようです。もしかしたら顔見世だったのかな?とかね。

まだ電気は通っているため、ご主人さんに灯りをつけていきながら館内を散策する。

組み木の奴は、ご主人さんが小さい頃に壊してよく怒られたそうです。

二階の廊下

先ほどの階段を上がり、二階に進みます。

まずは二階の奥にある大広間に行くために、ここの部屋はスルーしますが、両側には四畳半ほどの個室がある感じです。

んで、ちょっと気になっているかもしれませんが、奥にある意匠がやけに目立ってますよね。

枠が緑に塗られた松の意匠

これね、これ!!

こうした松の意匠は、遊廓や料亭建築に見られますが、ここは枠が緑色で、その枠内には「人」のような感じで木が埋め込まれています。

こういった意匠は、本当に建物によって様々ですからね。今の建物と違って個性がありますわ!

宴会に使われたであろう大広間

三浦屋の大広間

そしてここが大広間っすね。

もう畳も外されていて、何か床に茶色い粒みたいのがたくさん転がっているかと思いますが、たぶんコウモリの糞です(笑)

料亭時代は宴会をしていたと思うんですけどね。芸者さんとかいて呼んだりしていたんでしょうかね?

桜の木が使われた床の間

そんな広間には、こうした床の間もありました。奥には鶴が描かれた意匠が見られ、左側の縦に使われている気は桜でしょうね。

欄間には麻の葉文様

欄間にはこんなデザインが描かれていますが、これ、なんの模様かわかりますでしょうか??

おばあちゃん家の座布団とか、結構いろんな場所で使われているデザインなんですけど、これは「麻の葉文様」というデザインです。つまりは「大麻」ですね。

大麻は戦前までは、日本の文化に深く根付いていた農作物だったこともあり、昔は様々なものにこのデザインが使われていたのです。今では「危ない薬物」というイメージがありますが、ちゃんと大麻に理解すると今の法律では何がダメで、どこまでが問題ないのか、あとは大麻がいかに日本の文化に根付いていたなど理解が深まるんですが、それはまた別の機会に!

あとはこうした組子細工も見られます。

ご主人さんからの話だと、「小さい頃はこの組子の一部を外したりしてお母さんにに怒られた」なんて話も聞かせてくれました( ;∀;)

確かに外したくなる気持ちはわかる。

こんなものもあった

有名女優・大竹しのぶもやってきた!

そんな三浦屋の大広間。

実はここはとある映画の撮影で使用された場所であり、その際には映画の主演を務めた有名女優である大竹しのぶさんも来たんですって!

その映画とは、『女たちの都~ワッゲンオッゲン~』。

2013(平成25)年に上映されたこの映画は、「かつて漁業と花街で栄えた町」だったものの、漁業は衰退し、仕事もなく若者もいない衰退都市になってしまった牛深を何とか復活させようと、主演の大竹しのぶらが奮闘して町おこしをするって話ですかね。

で、どんな方法で町おこしをするかというと、それは「芸者」なんですわ!

何でこの映画で牛深を取り上げたのかというと、衰退都市No.1といわれていたからとのこと。

公式HPに載っている文章を一部抜粋すると、、

熊本県天草市牛深。100年前、豊富な漁獲量を誇るこの海の町には、若く屈強な男たちが稼ぎ、金が舞い、いい女が春を売り、豪華春蘭な色街が栄えた。

http://jaijai-movie.com/introduction.html

この「いい女が春を売り、豪華春蘭な色街」を指しているのが、牛深遊廓でしょうね。

大竹しのぶらが芸者になって牛深ハイヤを踊り賑わいを戻すというもの。周りの人は「いやいや、牛深だぞ、こんな何にもない町でそんなの無理っしょ!」というものの、徐々に協力者を集めて奮闘していくっていう話ですかね。

↑上で埋め込んだYouTubeの予告編を見てもわかると思いますが、三浦屋の大広間、写ってますよね!!

この大広間で様々なシーンが撮影された

主演の大竹しのぶさんだけでなく、杉田かおる、松田美由紀などがこの部屋に来て、宴会だったり話し合いのシーンが撮られたみたいです。

こう紹介しているものの、実は私もYouTubeの予告編見ただけで本編は見てないんですよね。。Amazonでは見れないみたいなので、TSUTAYA行って探してみるかな。

ぶっ壊れた階段・・

ちなみに、その映画の撮影の裏話ですけど、さっき話に出てきた、一番奥にあると女性が上がるためのものと思われる階段、実は映画の撮影中にぶっ壊れちゃったらしいです。。いや~階段崩れるって結構ヤバいっすよね(笑)

誰も怪我はしなかったようで、本当に不幸中の幸いですよ。大竹しのぶさんがここで骨折でもしたら、なかなかの大事件になっちゃいますからね。。

でもなんだかな~、もう廃業した貸座敷の建物がこうして映画のシーンに出てきたりすると、遊廓がちょっとでも世の中の陽の部分にちょっとでも出てきたというか、そういう感動を覚えたんだけども、それは私だけでしょうか??(笑)

廊下部分だったり大広間を紹介してきたので、続いては個室もいくつか紹介していきましょう!!

個室をひたすら覗いてみる

個室の入り口の天井にはこうした造りが見られます。

料亭の個室、あとは昔の連れ込み旅館でもこういう造りはよく見られますね。

四畳半ほどの部屋がたくさん

中を覗いてみると、どの部屋もだいたいこんな感じでした。広さは四畳半とは六畳とはそのくらい。

ちゃんとどの部屋にも床の間がありますね。今ではもう畳が剥がされて、やはりコウモリの糞も健在でしたww

暗くてブレちまったぜ・・orz
廊下でも、ブレちまったぜorz

せっかく中に入って写真撮らせていただいたのに、ブレたものが何枚か・・。マジで、撮影技術がクソすぎてスンマヘンorz

奥に進むと、瓢箪に彫られた意匠が現れた
す、素晴らしい・・

瓢箪の意匠、遊廓や料亭建築の建物によく見られますが、ここではその枠の中に竹が埋め込まれてますね。

実に素晴らしい。。

廊下のガラスも独特のデザイン
ここは、ちょっと広めの部屋

ここはちょっと広めですね。

床の間も健在ですが、各々の部屋で使われている木の素材は異なるみたいです。私は桜だったらすぐわかるんですが、それ以外だとわかんないんですよね〜。こういう時、建物に詳しい方がいるとありがたいんですけども。

物置になっていた

一番奥の部屋は、こんな感じで物置になっていました。

すげぇ頑張って探せば、何か面白い資料が出てくるのでは?と思いましたけど、どうでしょうね?笑

という感じですかね、だいたい40分くらいでしょうか、思い出話を聞かせていただきながら館内を案内させていただきました。

もうね、本当に中を見れただけでありがたいですよ。

なかなか来れる場所ではないし、ご主人さんも壊したいと言っていたためいつ無くなるかもわからないし。明治時代から続く牛深遊廓の歴史にかろうじてでも触れることができ、とても貴重な経験となりました。

おわりに

最後は建物の裏から

この建物、市に譲渡することも計画していたようです。ご主人さんが市長さんと同級生だったこともあり話を進めようとしたんですが、やはり維持費がかかるとのことで、税金で維持する計画は断念。

もう長く空き家になっていることもあり解体したいものの、解体費用を見積もってもらったら1,000~2,000万円くらいかかるとのことで今は断念しているという。そもそも、ここまでの道は狭い場所が多く、大きな重機も入んないんですよね。。解体するとなるとどうすんだろうか。。

しかし、本当に来るのが大変だった熊本県牛深。

もしかしたら、もう二度と来ることはないかもしれないこの場所ではありますが、現地の方から様々な話を聞けて、建物も見せていただけた本当に貴重な機会となりました。

今は博物館関連の取材も多く、これからも知の冒険のネタは博物館が多めになると思います。一応、それを主軸にやっているので。

でも、遊廓・花街もできる限りは取材し続けていきたい。何よりも当時を知る方から話を聞くことは何よりも大事だと思っている。今回、三浦屋のご主人さんと話したことは、旅の何よりの思い出となったし、この経験が今後の人生にいきればと思っている。

そんなことを思った牛深訪問でした。一応記事はこれで終わりますが、映画は早いうちに見なきゃな(笑)

参考文献

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詳細・地図

住所 熊本県天草市牛深町
アクセス とにかく遠いですww

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コメント

  1. 浅田博一 より:

    綿密な取材ご苦労様です!
    すべて拝読させていただきます。
    がんばってください!

    • 丹治 俊樹 より:

      記事、ご覧いただきありがとうございます!
      引き続き、頑張ります!

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