東海道の新居宿に残る藝者置屋「小松楼」を見学してきた!

↑更新・取材裏情報はTwitterにて(^ ^)

ういっす!

今回は、静岡県湖西市にある「小松楼まちづくり交流館」という場所がターゲットになります!

交流館といっても、ただの公民館ではなく、ここはかつて東海道31番目の宿場である新居宿にあった藝者置屋の建物なんですね。そんな置屋の建物が、今は地域の方が交流する場となっているだけでなくかつての芸者がいた歴史を伝えるための施設として一般開放されているというわけっすね!

こうした建物を一般開放してくれている場所もそんなに多くないですし、本当に貴重な施設である藝者置屋『小松楼』。

一体どんな場所なのか、以下で紹介しますね~~(*´▽`*)

本記事のポイント

・元は二階で宴会もできる置屋の建物だった。
・芸者さんの写真や三味線、唄本など数々の遺品が展示されている
・現在は湖西市の建物で、無料で一般公開されている!

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日本で唯一の関所遺構が残る新居宿

ということで、今回は静岡県湖西市にある新居宿へと訪問したわけですが、新居宿ってどの辺にあるか、皆さんわかりますでしょうか?

というか、”あらい”と初めて聞いたときは、漢字は「新井」だと思ってたんですが「新居」なんですよね。元SMAPの中居くんが「中井」じゃないみたいなww

まっ、そんなのはどうでもいいので話を進めます。。笑

んで、場所はここになります。静岡県のめっちゃ西側で、浜名湖のすぐそばですね。

日本で唯一の関所遺構「新居関跡」

この新居ってあまり聞き馴染みない場所かと思いますが、ここは全国でも関所の遺構としては全国で唯一当時の建物が現存する場所なんですよね!

あとは昔の旅籠を一般開放している「旅篭紀伊国屋資料館」があったりという感じですが、それほど昔の古き良き雰囲気が残っているかというと、結構建物も壊されたりしていてそうでもないって感じでしょうか。。

元々は平屋だったみたい

そんな場所にひっそりと佇んでいるのが、今回紹介する「小松楼まちづくり交流館」です!

ここは名前の通り「小松楼」という屋号の藝者置屋だった建物。元々は今の場所ではなく国道301号線に面した場所にあったようですが、大正時代だったかそのころに現在の場所に移築したとかおっしゃってた気がします!

入り口は閉まって中も見えないですが、開館中であれば扉を開けて入って大丈夫っす!

電話は50番だったみたいっす

では、中に入ってみましょ〜〜

いきなり急な階段が現れる

扉を開けると、こんな感じ!

ここは現在湖西市が運営しており、入館料は無料。そして常になのかはわかりませんが、案内してくれるスタッフの方がいましたので、館内を説明しながら案内していただけました!!

ありがたしm(_ _)m

ボロボロの空き家が交流館に復活

まずは一階の広間にて、スタッフの方に小松楼がこうして交流館として一般公開されるに至った背景を説明していただけました。

そもそも、新居に芸者がいたのは60~70年ほど前とのこと。そして、当時の置屋の建物として残っているのはここだけ。

新居に芸者がいなくなり小松楼が置屋の役目を終えた後、この建物は持ち主の方の住まいだったのと同時に、部屋がたくさんあったことから下宿先として部屋貸しもしていたそうです。

ところがその後、家の人がいなくなるとここは空き家に。。そして長い間無人だったということで、中もボッロボロの状態となってしまいます。

ところが、こういう昔ながらの建物が新居からだんだん無くなっていくなかで、この建物を皆が交流できる場所として残そうではないかという話が出て、有志の方でここを掃除するところから活動が始まったんですって!

とはいえ、お金の面もあり残すか壊すかという話で結構あたふたしたそうですが、最終的には新居町が湖西市に吸収合併される前に、この建物を新居町が取得して条例をも作ったあとに湖西市に渡して今に至るという流れなんだそうです。

こうした建物を維持するには結構な金がかかりますし、、大変っすよね。

ここが二階っす

という背景があった小松楼。

一階にあるその他の部屋は事務所などになっており、多くの見所は二階にあるので、階を上がります!

踊りの稽古をしてたらしい

二階に上がると、真ん中にはちょっと広いスペースがあり、その周囲に部屋がある感じですね。このスペースでは、かつては芸者さんが踊りの稽古をしていたみたいです。

歩くたびにギシギシと軋む音が聞こえ、所々にこの建物の古さを実感。

良い雰囲気っすよね

人形なんかも置いてあったり、絵になりますね〜〜。

新居の元芸者は今もご存命

では、二階にある大広間に移動しますね。ここが館内の中では一番見所が多い部屋。

22畳ほどの広さがあるわけですが、当時は場合によっては襖で小部屋に仕切ったりとかしてたんですかね。ここには芸者さんの写真だったり、彼女らが現役時に使用していた品々などが展示してあります。

多くの男たちが芸者と飲み明かしたことだろう

ちなみに、新居に芸者が現れたのは明治の終わりころとのこと。ここは漁師町だったことから漁師が遊びに来たほか、この辺りは製糸業や紡績業などの繊維産業が発達していて潤ったそうです。

というのも、その要因としてはここ新居がトヨタ自動車でお馴染みのトヨタグループの生みの親である豊田佐吉の故郷でもあるんです。彼は自動織機を発明し、それがのちのトヨタ自動車につながったというわけっすね。

という背景があった新居には、一番多いときでは11軒の置屋があり、50~80人ほどの芸者さんがいたそうです。置屋はあちこちの料亭などに芸者さんを派遣するのが主な役割ではありますが、小松楼では二階が座敷になっており、ここで芸者と飲むことも可能だったようです。

館内に掲げられた藝者たちの写真

そして大広間にはかつての芸者さんの顔写真も展示してありました。一般公開されている施設でこうした写真が展示してあるのは、かなり稀じゃないっすかね!!

新居に芸者がいたのは戦後数年までの様で、現在からは60~70年近く昔のこと。でも、現在でも昔新居の芸者だったという方で今もご存命の方がいらっしゃるそうです。

ここにやって来るお年寄りのなかにも、「俺も大昔はここで芸者と一杯やったよ!」とおっしゃるかたも稀にいらっしゃるみたいですよ!

笑顔の芸者さんたち

いつだれが撮った写真なんでしょうね~。

なんかほのぼのとしたいい雰囲気やわ(*´▽`*)

芸者さんとバイオリン

芸者さんというと三味線を弾いてるイメージがありますが、バイオリンを弾いてる写真は初めて見たかもしれん。和洋折衷ですね。

三味線や今でいう歌集など

続いては床の間を覗いてみることにしましょ~~(*´▽`*)

ここにも何かいろんなものが置いてありますね~~

こちらは三味線の撥(バチ)
三味線っすかね

昔のこういう唄本もたくさん展示されていました。

ここにも三冊ありますね!

最初は「芸者さんの名簿とか帳簿か?」と思ったんですが、こちらも唄本とのことです。ちなみに、小松楼にはいわゆる芸妓の名簿も残されているそうですが、個人情報の関係でここでは展示していないんですって!

この唄本はちょっとめくってみましたが、こちらも何書いてるか全く分かんなかったっす。。

食器類もありました

これはここで暮らしていた芸者さんが使っていた食器類なんですかね?

煮物、和物(あえもの)、ごはん、漬物と書いてますが、デザインが全部一緒でだいぶ質素に見えますね!

確かに説明書きがないと何が何だか全然わからんすな。。

その他にも、芸者さんが使っていた鏡とか、、

火鉢なんかも置いてました。この辺の物は、小松楼にあったものだったり別の置屋にいた芸者さんが使っていたものなど様々。

買掛帳や仕入帳を襖に再利用

部屋の外に出てみると、細い廊下がありました。小松楼では、二階の周囲はこの廊下で囲まれており、この廊下を通じて部屋を行き来することもできたようです。

こちらも廊下っす
別の小部屋

二階には、先ほどの大広間以外にも三つほど部屋がありました。

ここは六畳の小部屋で、ここにもちゃんと床の間がありますね。

そしてその部屋の襖を見てみると、、、

小松楼の家紋でしょうか?

こんな模様が描かれてました。松の模様に、小松楼の「小」が描かれてますね。家紋だったのか、スタッフの方に聞けばよかった。。

こちらの襖には、なにやら、やたらと紙が貼られていますね。でもこれ、襖の紙の代わりに不要になった仕入帳を再利用した物とのこと。

色々書いてあるが読めん。。

何が書いてあるのかと思ってよく見てみたんですが、、、これは読めないっすね。。

あと、もう一つ同じような襖がありまして、、、

こちらはお客さんのツケをメモした帳簿を襖の紙代わりにしたもの。ここに記載されているお客さんの名前を見ると、割かし近所に住んでいた方が多かったとのこと。

ということで、小松楼で芸者さんとお酒を飲んでいた方々は、よそからのというよりかは地元の方が多かったのではという推測もできる。

という感じで二階での見所は一通り紹介できたかな~という感じです。

実は下駄箱も見所が!

あ、あと帰る前に下駄箱も要チェックです!

この下駄箱も下から開ける形式のもので、置屋当時のまま今も使われています。昔の古〜い建物にたまに残ってたりしますけど、あまりみることはないっすかね。

そんでこの下駄箱、中にも当時のものが残されているんです。

スタッフの方に開けていただき写真を撮らせていただきましたが、ほらほら、草履が見えるでしょ。これも、当時芸者さんが履いていたものが今でもそのまま残されているんですよ!

さらに下の段にも残されてました。

写真手前のものは超厚底っすよね。こけたら足首やっちゃいそう。。

歌丸師匠のお弟子さんである桂歌助さんの色紙

あっ、あともう一つ。

これは私的にヒットしたものですが、玄関には桂歌助さんの色紙が掲げてありました。桂歌助さんは、あの人気番組である『笑点』でおなじみの桂歌丸さんのお弟子さんです。

一度だけ、私は歌助さんの落語を聞いたことがあるんですが、まさかここにも来ていたとは!!

小松楼は落語だったりとしたちょっとしたイベントスペースとしても利用されてるんですって。こういう場所良いっすよね~~、私の近所にもこんな場所があったらここで街の歴史に関するイベントとかやってみたいっすわ~~!

おわりに

はい、以上になります!

しかし静岡県の新居にもこんな場所があったとはな~~。とはいえ、この他にも秋田県能代市には料亭『金勇』が能代市の施設として一般公開されてますし、福井県小浜市にある元料亭の蓬嶋楼もそうですね。あとは、山形県酒田市にある相馬樓もそうですね。

という感じで料亭とか置屋とかそういった建物はまだ全国を探すとちょくちょく現存しているので、これからも探しては引き続き紹介したいと思います~~!

参考文献

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詳細・地図

住所 静岡県湖西市新居町新居1190-3
入館料 無料
開館時間 09:00~17:00
休館日 月曜、年末年始
駐車場 なし
電話番号 053-594-0540
アクセス JR東海道本線 新居町駅から徒歩12分
新居関所駐車場から徒歩3分
リンク http://a-machinet.org/komaturou.htm

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コメント

  1. 小野田剛士 より:

    湖西市民です。
    豊田佐吉は合併前の湖西市出身で、合併前の新居町とは縁もゆかりもありません。

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