かつて米兵が押し寄せた金沢八景の「みなと旅館」に迫る!

↑更新・取材裏情報はTwitterにて(^ ^)

ういっす!

今回は、またまた横浜にあるレトロな旅館の記事になります。

この旅館には、併設した形で昭和36年創業の老舗銭湯「みなと湯」があるんですね。銭湯と旅館がセットで営業しているという結構珍しい形態の場所っす!

んで、この「みなと旅館」が結構面白い背景がある旅館でしてね、近くには米軍に占領されていた追浜飛行場があったなどの関係で、女性を連れた米兵の方がメインターゲットである旅館だったんですね。

そんなみなと旅館に宿泊してきたので、以下で紹介しますね~~

本記事のポイント

・開業時は女性を連れた米兵相手を主とした旅館だった
・ここだけでなく、逸見と横須賀中央にもみなと旅館はあった
・現在は長期滞在のビジネス客が主の旅館

スポンサーリンク

金沢八景に残るレトロな旅館

かつての景勝地「金沢八景」

今回の舞台は、金沢八景っす!

かつては神奈川県屈指の景勝地として、江の島や鎌倉と一緒に巡る観光地として有名だった場所。今は開発によってその海岸線は姿を消してしまったが、現在は八景島シーパラダイスや潮干狩り、あとは釣り客も多い場所として知られていますかね!

昭和29年創業の「みなと旅館」

そんで、今回紹介したいのが、こちらの「みなと旅館」。いかにも昔ながらのどこか懐かしい雰囲気が漂ってそうな建物っすよね!

これめっちゃ粋な造りっすね

玄関の上部にはこんな造りも!

「みなと」と彫られていますが、”な”の文字がくずし字になっている所に時代を感じますわ!

玄関はこんな感じ!

中の雰囲気や匂いからも、まさにおばあちゃん家って感じww

昼の時間はスタッフの方がこちらにいらっしゃらないようなので、隣の銭湯のスタッフを呼んでのチェックインとなりました。ここは長期滞在のお客さんが多いようなので、チェックインのために常駐する必要はないってことっすね!

今回私が宿泊した部屋は「竹」
部屋の中はこんな感じでした

部屋の広さは6畳ほどでしょうか。一人で泊まる分には問題ない広さっすね。部屋の中は、まさに「ザ・職人宿」って感じ。

ちなみに今回、なんでこの旅館に宿泊したのかというと、旅とかそういうわけではなく、2021年8月に出版する博物館の本の原稿の最終チェック作業をするためっす。「家じゃ集中できないから、どっかの宿で作業しよう!」ということで泊まりに来たって感じです!

電子レンジと冷蔵庫完備っす
外から丸見えやww

テレビをつけたらドラえもんがやってました。それよりも、扉を開けたら目の前がコインパーキングで中が丸見え状態というのが笑えましたわww

という感じで、ここから原稿確認作業に勤しんだ私ですが、やはりいつもの取材癖が抜けきれず、ここの旅館の背景が気になってしまうというねwww

ということで、時間を見計らってここの社長さんから夜に話を聞かせていただけることとなりました~(*´▽`*)

女性を連れた米兵客がターゲット

宿泊した日の夜、短い時間ではありましたが、みなと旅館の社長さんがいらしてここの歴史をちょっと聞かせていただけることとなりました。ということで、以下でその内容をまとめようと思います!

食堂に掲げられている周辺地図

「食堂に地図があるので、それを見ながら説明しましょうか!」ということで地図の前までやって来ました!

そして地図を見ながらご主人さんに話を聞かせていただいたわけですが、聞いてみると、この旅館には意外な背景があったんですわ(*´▽`*)

おじいさんが建てた旅館だった

そもそも、この「みなと旅館」を建てたのは、今のご主人さんのおじいさんとのこと。おじいさんは元々米を扱っていた米商人の方であり、さらには食糧公団の理事長か何かの役職にも就いていたという、やり手の方だったみたいです!

米屋に限った話ではないかもしれないですが、当時はお金を持った方は不動産を買うっていうのが常套な流れだったようで、その流れでおじいさんも横須賀周辺の土地を買い、そこに旅館を建てたというのが開業の流れだったそうです。

第一から第三までの旅館が描かれていた

いろんな場所の土地を買ったということで、実は「みなと旅館」は現在の旅館以外にも、第一みなと旅館が逸見に、そして第二みなと旅館が横須賀中央にあったんだそうです。

逸見には第一と別館もあったようだ
第二は横須賀中央駅のすぐ近くにあったみたい

第一と第二が開業したのは戦後の頃。そしてこれらの旅館は、普通の旅館というわけではなく、いわゆる連れ込み旅館だったそうです。

戦後、横須賀には多くの連合軍がやってきて、その様子は司令官であったデッカー将軍の本『黒船の再来』を読めばわかるかと思います!

横須賀には上町三丁目にあった柏木田遊郭、あとは田浦の船越にあった皆ヶ作と安浦に赤線がありましたが、それ以外にも、横須賀中央の周辺には多くの連れ込み旅館があり、今でもその旅館の名残りとして、翁美家旅館が営業を続けていたりします。

ドブ板通りには、横浜で今も語り継がれている白塗りの娼婦のメリーさんも立っていたことがあるように、戦後の頃の横須賀にはこういった売春の話は多くの書籍や資料にも記録されていたりします。

ここが現在のみなと旅館

そして、第三みなと旅館は1954(昭和29)年に追浜にて開業。これは、いわゆる現在の「みなと旅館」とのことですが、ここも当時は連れ込み客目的の旅館だったんですね。

いや~そうだったんですね。今はもう第一と第二は閉業して建物もなくここしか残っていないものの、元々は三つ、そして別館も入れると四つものホテルを持ってたんですね!

階段の鏡に「第三」って書かれてた

そうそう、そういえばご主人さんから話を聞く前、階段にあった鏡に「第三みなと旅館」って書かれた鏡があったんで、”第三”ってのが気になってたんですよね!!

そういうことだったのか(*´▽`*)

食堂はダンスホールだった!?

ダンスホールだった食堂

以上のような背景があり、ココには多くの米兵の方がやって来たとのことで、現在の食堂は、開業当初はダンスホールだったそうです。

ご主人さんは小さい頃、「あの部屋は近づいちゃダメよ!」って親に言われていたんですって!

食堂っぽくない扉は気になっていた

そういわれると、この扉は確かにおかしいと思ってたんですよね。いわゆる旅館の食堂にしてはドアノブが無い珍しい造りですし。

そういうことだったのか!

トイレの扉が男女で異なる謎・・

あとは館内のトイレも気になってたんですよね。

このトイレ、左側が男性用で右側が女性用。男性用の方が大きくて、さらには女性用はドアノブがついてて、男性用は押戸なんですよ。

男性用トイレは妙に洋風チック

んで、女性用トイレはさすがに中を見てはいませんが、男性用の方はこんな感じで妙に洋風な感じを醸し出しておりましてですね、、いわゆる開業時にここにやって来たお客さんは、米兵の男性と日本人女性のペア。

女性用はその辺の旅館と同じで良いものの、男性用は外国人が多いことを考えて洋風チックにしてるんじゃないかな~とかね。

結婚式も行われていたんすよ!

開業時は多くの米兵がやって来たわけですが、現在の主なお客さんは長期のビジネス客。職人さんが工事などの現場にやって来ると、その工事期間中はここで滞在するって感じっすね!

とはいえ、ここの二階にはこんな大広間も完備されています。

今は仕切りが入っていて27畳のスペースが二つに分かれていますが、仕切りを外せば54畳もの大広間になります。現在は、宴会やスポーツ合宿などの大人数の宿泊に使われていますが、まだ結婚式場が現在のようになかった時代は、ここで結婚式も行われていたんですって!

丸窓もありました
マンガとかが置いてるのは職人宿っぽい

その他は、いたって普通のビジネス旅館って感じですかね!

本の種類は豊富っすね
『東電OL殺人事件』の本もあったww

床や階段がギシギシと軋んだりしますが、それは年季が経っているということでご愛敬を。

まぁ内部はこのくらい写真載っければ把握できるかと思います。

ここは食事付きと素泊まりが選べます。素泊まりだと4,800円と格安な値段で泊まれますよ~!

金沢八景は横須賀が近ければ、八景島シーパラダイスや鎌倉などのアクセスも悪くない場所です。ぜひ、この辺に来た際に、こういったレトロな旅館が好きな方であれば泊まりに来てみてはいかがでしょうか~~!

おわりに

次回は隣の銭湯の記事になります

ということで、以上が「みなと旅館」の紹介になります!

今回は旅館に関する内容の記事になりましたが、宿泊時は隣にある銭湯「みなと湯」にも入りに行き、そっちの方も写真撮ったり取材させていただきました!

ということで、次回の記事は続編としてお隣の「みなと湯」を紹介しますので、次回の記事までしばしお待ちくださいませ~~

参考文献

↓よければクリックをお願いします

詳細・地図

住所 神奈川県横浜市金沢区六浦東3-1-23
駐車場 無料
電話番号 045-701-8349
アクセス 京浜急行の追浜駅から徒歩8分
リンク http://www.minatoyu.com/

知の冒険TOPへ

↓↓twitterもよろしくです
※ほぼ毎日つぶやき中
こちらの記事もどうぞ!
この記事も読まれてます!
関連コンテンツ
関連コンテンツ



  • このエントリーをはてなブックマークに追加

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です