こんちわっす!
今回は、静岡県にあるお寺に関するお話です。
静岡県下田市には、玉泉寺というお寺があります。京都の清水寺みたいなデカくて超有名なお寺というわけではないんですが、何でこのお寺を取り上げたのかというと、ここは幕末開国の歴史において欠かすことのできない場所だったんですね。
日米修好通商条約、きっと歴史の授業で習ったと思いますが、このお寺は、その条約を締結しに来たダウンゼント・ハリスが滞在していた領事館だったわけです。
そんなことから、このお寺には「ハリス記念館」があったり、それにまつわる様々な歴史が詰まっている希有なお寺ということで、そんな玉泉寺について、以下で紹介したいと思います!
日本初のアメリカ領事館は下田に!
伊豆半島の南側に位置する静岡県下田市。
中学校とかその辺の歴史では、ペリー来航とかで一度は触れることがあるだろうこの場所には、とっても歴史があり知の冒険としても取り上げて多くの方に知っていただきたいお寺があるんですよ!!
それが、こちらのお寺!
伊豆急下田駅から少し距離がある場所にひっそりとたたずんでいる玉泉寺っす。駅からは遠いし、周辺に目立った看板もないので、下田の観光地として大々的に取り上げられているわけでもないみたいな、このお寺。
でもこのお寺、とっても歴史あるお寺なんですよ!
階段を上がろうとすると、まず現れるのがこちらの石碑。
ちょっと読みずらいですが、「安政十年 日本最初 米国領事館」と書いてあります。
終戦後にマッカーサーが厚木に降り立ったあと、横浜にあるホテルニューグランドが宿舎となりましたが、この幕末の時代はそうした外国の方が滞在するホテルは少なかったわけです。
そのため、お寺がそうした役割を果たしているんですね。下田だけでなく、神奈川宿の方にも、そうした元領事館だったお寺がいくつか今も現存しています。
そんなに大きなお寺でもなく、伊豆急下田駅周辺の商店街エリアから離れた閑静な場所にあるこのお寺。
本当に境内は静かです。
でもでも、ここにはいろんなエピソードが詰まっているので、まずはハリス記念館から紹介しますね!
何で、玉泉寺が領事館に?
そんな玉泉寺には、こちらの「ハリス記念館」という資料館があるんですね。
お寺というと、宝物館があって昔からお寺にまつわる仏像、絵巻、彫刻などのいわゆる仏教的な要素の物を展示してる場所がちょくちょくあったりしますが、ココは違うんですわ!
ハリスとは、あの日米修好通商条約を締結しに来たダウンゼント・ハリスのこと!
彼が三年近くここで滞在した故(ゆえ)、玉泉寺は幕末の歴史に欠かすことが出来ない存在となったわけです!
「充実した見応えある資料館です。」
マジで、充実した資料館っすよ!
歴史に何も興味ない人だと厳しいかもしれないですけど、興味ある人にとっては訪れて損はないと思います!
館内には、ハリスが玉泉寺にいた時代に使われていた食器類とか着物、あとは玉泉寺所蔵の写真や古文書もたくさん展示されています。
でも、館内は写真撮影禁止!
来館したら、しかと、目に焼き付けて下さいね~~!
ちなみに、下田にいくつかお寺がある中で「何で玉泉寺がアメリカ領事館に選ばれたのか?」に関して、玉泉寺の方に聞いてみると、、
・伊豆急下田駅やペリーロードの中心部から離れた場所だった(当時は外国人は異質な目で見られていたため、中心部から話した方が問題が起こりにくいと考えた)
・海に近く、海を向いていたことから海上の様子を確認しやすかった
とおっしゃってました!
あの、渋沢栄一も絡んでるよ!
ということで、「日本初のアメリカ領事館だった」とか、ダウンゼント・ハリスに関する史実が語り継がれている玉泉寺ですが、このお寺を語るには、もう一人欠かすことのできない方がいるんですね!
そう、その方こそが、2024年から一万円札になることでも知られている渋沢栄一です!
ハリスと渋沢栄一は、直接の接点は無かったものの、二人は同じ時代を生きて日米両国にそれぞれ偉大な功績を残しています。
明治新政府の高官として明治維新を支え、新政府を辞した後は実業家として第一国立銀行、王子製紙などの近代企業の設立に尽力し、晩年は社会公共事業にも尽力。地元の埼玉県深谷はもちろんのこと、本当にいろんな場所に行って歴史に触れると、とにかくなにかしらに渋沢栄一の話題が絡んでくるんですよね。
一人でどんだけいろんな事やってんねん、って思っちゃうくらい(笑)
そんな渋沢栄一が、なぜ玉泉寺と関わりを持つことになったのか?
それは、現在の住職の祖父の起こした行動からでした。
幕末という日本の大きな出来事に関わったこの玉泉寺ではありますが、大正時代になると本堂は軒が傾き、根太が折れたみすぼらしい姿となっていました。その昔、ハリス、ヒュースケン、お吉らによって日本開国の表舞台として使用された本堂は、実に無残な姿だったわけです。
ところがです、その住職はこの歴史ある御寺を守るべく、修繕費などをカンパしてくれる方を求め東京へと足を運び、史跡保存運動に専心、没頭。そんな中で出合った方々の紹介を経て、ようやく渋沢栄一へとたどり着いたのです。
その後、住職が渋沢栄一邸宅を訪問した時は、渋沢栄一80歳、住職26歳の時でした。親と孫くらいの年齢差ですね。。
お寺の修繕に関して、最初は反応がいまいちだった渋沢でしたが、住職が何度もしつこく訪問したことで、渋沢は日米協会会長の徳川家達公爵へと「玉泉寺はダウンゼント・ハリスも駐在した歴史ある御寺だから、後世に残すためにも援助をお願いします」的な感じの書簡を送ることになります!
そのおかげにより、徳川公爵とアメリカ大使館の援助を頂き、さらに地元では当寺檀信徒、浜崎村、下田町関係者の全面的な協力体制も整い、現在の本堂が完成したんですね!
そして本堂の修繕に併せて建てられたのが、こちらのハリス記念碑。こちらの碑は渋沢栄一によって建立され、昭和2年10月1日に除幕式が行われています。
ちなみに、この記念碑の工事を担当したのは清水組、今の清水建設っす!
ダウンゼント・ハリスの記念碑があるのは、ここ玉泉寺と東京の麻布にある善福寺の二か所のみです。どちらの碑も、太平洋戦争下ではアメリカが敵国だったことで倒されたりもしたそうです。
いや~渋沢栄一、本当にどこに行っても話題に出てきますわ。
下田でも、彼にまつわるエピソードがあったとはな~~
『唐人お吉』は、捏造の物語
そして玉泉寺といえば、ダウンゼント・ハリスに仕えていた女性として唐人お吉も大きく関わっています。
唐人お吉と言えば、CDや舞台などでも彼女の物語が取り上げられている人物。
その内容は「国のためにハリスの世話をしたものの、外国人に接したことで差別に逢い(当時は外国人を異質の目で見ていたため、その方々に接したことでお吉も差別を受けた)、最後はお吉ヶ淵と言われる場所に身を投げて投身自殺をした悲劇の女性」って感じの物語で、下田にある宝福寺の住職がその物語をまとめた書籍も出版されています。
今でも、宝福寺には「唐人お吉記念館」という資料館があってその物語を伝えています。
以前私もここを訪問していて記事にまとめてはいるんですが、、、
この物語は、ほっとんどが嘘というね。。
いわゆる、物語であって実際の史実とはかけ離れているというわけです。「国のために使えた悲劇の女性」という物語が独り歩きし、それがCDや舞台で演じられ、下田ではその物語を使って観光客を誘致しているって感じですかね。
とはいえ、玉泉寺の古文書を見るとその物語は実際の史実とかけ離れており、玉泉寺の住職さんは「物語としては別にいいけど、それが本当の史実のように伝えるのは間違いだぜ!」って紛糾して、こんな本も書かれています。
お吉はここ玉泉寺にも関わっている人物であるのに、彼女のウソの話が真実として伝わるのは勘弁してほしいって感じの内容ですww
でも、これは唐人お吉物語に限らず、例えば八甲田山の雪中行軍遭難事件も、高倉健主演の映画『八甲田山』とは内容が異なる部分も多いし、三浦半島に伝わる小桜姫伝説なんかも、あくまで物語であって、それが史実とは言い難い。。
あまりにも出来過ぎたというか、劇的すぎる物語って着色されていることが多いので、史実として簡単に鵜吞みにするのは危険かもしれないです。知っておくと、ネタとしては良いかもしれないですけどね(;・∀・)
牛乳発祥はここなの!?
幕末開国史に大きくからむ玉泉寺。実は、牛乳発祥の地だったりもするんですね。
とはいえ発祥と言っても、もちろん世界初というわけでなく、日本で牛乳を飲んだ最も古い記録が残っているのが、ここ玉泉寺だったというわけです!
ちなみに、ハリスのために牛乳を調達したのがお吉であるというのも、『唐人お吉』の物語に出て来るようですが、これも観光用の話。
日本の地における牛乳を飲んだ最古の記録としてココが牛乳発祥の地となっているわけではありますが、この幕末の時代、まだ日本では牛乳を飲むという文化はありませんでした。とはいえ、外国では日本よりお先に牛乳を飲んでいた国があり、ハリスも自国では飲んでいたんですね。
では、どのような流れで、ここ玉泉寺にてハリスが牛乳を飲む流れになったのか?
そもそも、古文書によると、ハリスは玉泉寺に来るなや早速「牛乳飲みたいっす!」という話を出していたようです。これが、安政3年8月6日のこと。
ところが、奉公所の返事は、「日本では牛乳ってものを飲んでません。ちょっと厳しいっす。。」と断られました。
ところが、江戸で倒れたハリスが懸命の治療による快方に向かい始めた時期に、再度「牛乳を飲みたい」とお願いしたことで、下田町の役人が、周辺の白浜村、蓮台寺村などへ向かい、玉泉寺に牛乳が届けられました。
水谷八重子主演の芝居『唐人お吉』では、水谷八重子扮するお吉さんが牛乳をハリスに運ぶ場面がありますが、そうしたものはあくまで芝居の中の話であって史実とは異なるというわけっす。
日本における牛乳の歴史は、そんな背景が元にあるようです。
そんで、この下田市が創業の地でもある(創業の地は他に二か所あるそうですが・・)森永乳業によって、昭和37年にこの碑は建てられました。
今では当たり前のように飲んでいる牛乳ですが、こんな歴史があったんですね~
ちなみに、そんな背景があったということで、ここでは牛乳も売ってます。お寺で牛乳売ってるって、超レアっすよね!
おわりに
いかがでしたでしょうか?
玉泉寺は人も多くない場所ですし、お寺の方も凄く親切ということもあり歴史に関して聞きたいこと聞けば、結構いろんなことを教えてくれると思いますよ!
今回訪問した際には、なんだかんだ一時間くらい話し続けましたかねww
お寺って日本全国に数えきれないくらいありますけど、色々調べてみると意外な歴史や発見があったりするんですよね。
ここは伊豆半島の南側ということでアクセスが良い場所とは言えませんが、下田に来た際には、是非寄ってみてはいかがでしょうか~~
参考文献
詳細・地図
住所 | 静岡県下田市柿崎31-6 |
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ハリス記念館入館料 | 大人500円、小人200円 |
ハリス記念館開館時間 | 08:30~16:30 |
休館日 | 年中無休 |
駐車場 | 無料 |
電話番号 | 0558-22-1287 |
リンク | https://www.izu-gyokusenji.or.jp/ |