金沢八景に残る元料亭の旅館「追浜園」に癒された!

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こんにちわ!

日本中の知られざるスポットを発掘してブログにしている知の冒険。今回は、八景島シーパラダイスがあることでお馴染み、神奈川県の金沢八景にある渋い旅館の紹介です!

老舗旅館、渋い旅館もたくさん紹介している本ブログですが、神奈川県に住む人間としてどうしても宿泊したかったのが、今回紹介する『追浜園』っす!

とはいえ、一人客は宿泊不可で二人以上からということでしたので、今回は中学時代の後輩を引き連れて宿泊してきましたww

かつて金沢八景には多くの旅館が立ち並び、この旅館の歴史もキニナルところですので、館内やご主人さんから聞いた追浜園の昔話も併せて紹介していきたいと思います~(∩´∀`)∩

本記事のポイント

・元々は、追浜駅で海軍向けの料亭として営業していた
・追浜園の周辺には結構な数の旅館が営業をしていた
・めちゃくちゃ風情ある建物で、神奈川では大変貴重!

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大変貴重な風情ある渋い旅館

ということで、今回は金沢八景にある「追浜園」へとやって来ました!

こちらがその外観なんですが、どうです?めっちゃ素晴らしくないですか?
最近はこうした雰囲気の旅館は少なく、以前から訪問したかっただけに、今回は念願の宿泊となったわけです!

ネットにもここの歴史が書かれた記事はないので、背景もすんごく気になってたんすよね〜〜。

玄関では丸窓がお出迎え

館内に入ると、正面にはいきなり丸窓が登場します。内観は結構綺麗にリフォームした様子が伺えはしますが、所々、意匠だったり風情ある様子が垣間見えたりもします。

入って早速受付を済ませて、チェックイン。他にお客さんもいて、満室に近い雰囲気でした。

めっちゃ急な階段を上っていく

今回は中学時代の後輩を連れての宿泊なんですが、というのも、ここは一名のみは受け付けておらず、二名から宿泊可能というスタイル。でも、どうしても宿泊したかったから「二名分出すから、一緒に泊まってくれ!!」と言って、無理やり連れて来ました(笑)

和な雰囲気の素晴らしい客室

部屋はこちらなんですが、窓には風情ある意匠が見られるなど雰囲気は最高でした!自宅から1時間30分くらいで来れる場所ではあるものの、ちょっと非日常な感じにも浸った気分(*´▽`*)

裏口側から

外側もいくらかカメラに収める。

黒塀は風情がありますね~

周辺は黒塀に覆われているんですが、昔の料亭はこうした塀がよく見られたようですね。

お客さんが使ってはいけない階段

チェックインして館内を徘徊した後、フロントにてご主人さんから話を伺うことが出来ました(∩´∀`)∩

旅館の建物に関する話から追浜園の背景に至るまで、気さくに話してくれたわけですが、まずは建物についてから書いていきますね!

この日は宿泊客が多く、他の部屋は覗けず・・

今の追浜園の建物についてですが、この建物、元々は料亭だったそうです。そのため、宿泊部屋は、昔は食事するための個室だったんですって。二人部屋はともかく、家族が泊まるための広間は部屋の壁を取り外しているとのこと。

女中さんの部屋だった待合室

玄関横にある応接間は、かつて女中さん二人が寝泊まりしていた部屋。写真で伝わるかわかりませんが、二人が寝るにはケッコー狭い部屋っす。

落ちたら救急車必須やな・・

こちらは玄関わきにある階段。とはいえ、こちらの階段も結構急で、今の建築基準法では絶対に造れない角度です(笑)

とはいえ、段の高さに対して平面が狭いことから、安全面の関係でお客さんには利用していただくことが出来ない階段とのこと。。

玄関側は、追浜園が営業を始めた当初からの建物(さっき話した元料亭の建物)であり、築70年以上は経過しているとのこと。とはいえ、いつ建てられたかは不明。。

んで、こちらは裏玄関側なんですが、こちらは追浜園の営業の際に増築したエリア。

という感じで、ざっと館内を紹介したところで、次は追浜園の歴史について書いていきたいと思います!

戦時国債の影響で料亭は廃業に・・

奥は昔からの建物で、手前は増築部分

追浜園が開業したのは今から80年近く、戦前の頃から開業したとのことです。とはいえ、はっきりした年代は不明なんですって。。

そして屋号に”追浜”があるように、元々は今の場所ではなく追浜駅の近くで料亭として営業をしていたそうです。追浜には追浜海軍航空隊という海軍の航空基地があったことから、メインのお客さんは海軍さんたち。

そうして賑わいを見せていたそうですが、戦後にお店を続けられなくなってしまうのです。というのも、創業者の女将さんは戦時国債を購入しており、それらが戦後に紙くず同然となってしまったことから、料亭を維持できなくなってしまったそうなんです。

そこで追浜駅付近にあった料亭を手放し、その後、少しの期間を経て今の場所で再スタートを図り、今に至るというのが簡単な経緯とのこと。

とはいえ、昔の詳しいことは何か記録に残っているわけではなく話を聞いてそれを覚えている程度とのこと。

景勝地として栄えていた金沢八景

金沢八景は、海側の景色が良かったことから、江戸時代には多くの江戸庶民に人気の観光地でした。

それゆえ、都心に近い別荘地的な役割を果たしていたこともあり、伊藤博文のこの地を気に入って別荘を建てており、明治憲法の草案を練っていた場所としても知られています。

その後、京浜急行が開通して交通の便が良くなったことから、海水浴場、潮干狩りが出来る行楽地としても知られるようになったわけですが、いつの頃からか、追浜園の場所の周辺にはたくさんの旅館が建てられることになります。

いつからどれだけの旅館が建てられたのかを調べたんですが、文章として明確な記述は見られませんでした。。が、1960年の住宅地図を見るとその痕跡を見ることが出来たので、ちょっと地図に載せてみます!

1960年の地図をもとに作成

1960年の地図を見ると、これだけたくさんの旅館がありました。追浜園だけでなく、皆楽園、龍宮館、やなぎ旅館などなど。

今は住宅地となっているこの場所に、これだけの数の旅館があるというのはちょっとビックリ!!

これらの旅館はいつ頃に増えたのか、そしてどうしたお客さんを目的に建てられたのか、ご主人さんもはっきりとはわからないとのことでしたが、金沢八景について記した資料には以下の様な記述が見られました。

昭和五年(1930)湘南電鉄の開通によって状況は一変する。

民宿の申し込みは急増し、金沢町は「貸間・貸家はなるべく安くして、暴利をむさぼらないよう。保健・衛生に注意すること」などの心得を通達している。

引用元:『伊藤博文と金沢別邸』p.138

戦前の頃、元々は富岡に海水浴場があり、八景の乙舳(おつとも)海岸まで足を延ばすお客さんはほとんどなかったそうです。ところが、湘南電鉄(現:京浜急行)の開業でお客さんが急増し、八景の周辺にある民宿も賑わったってことですね。

ということで、この頃から追浜園の様な旅館が増えたんじゃないかと思うんですが、どうなんでしょうね~~?

やなぎ旅館は、すでに閉業・・

1960年にはたくさんの旅館があったものの、私が追浜園に宿泊した2023年1月時点では、追浜園、皆楽園くらい。追浜園の隣には”やなぎ旅館”の建物もありはするものの、今は閉業してしまったとのこと。

八景の砂は、千葉から運んできてるんすよ

ちなみに、今はどんな宿泊客が来るのかと聞くと、八景島シーパラダイスや潮干狩りの客さん。あとは、鎌倉や三崎、さらには、みなとみない目的で観光に来る方々が多いとのこと。

鎌倉のお客さんは特に多く、確かに鎌倉って観光客は多いものの宿泊施設が少ないんですよね。。

というような感じで、少し話を聞くつもりが、結局1時間30分近くご主人さんと話をして、色んなことを聞かせていただきました。

金沢八景は追浜園以外にも、伊藤博文にまつわる話もあれば、伊藤博文が通った老舗うなぎ屋の『鰻松』、レトロな雰囲気の純喫茶『オリビエ』などなど、色んな見ごたえある歴史やスポットがあるんですよね!!

金沢八景、気になる方はぜひ足を運んでみて下さいね(*´▽`*)

おわりに

はい、以上になります!

追浜園は神奈川県に残る、数少ない風情ある旅館ということもあって、ケッコー前から気になっていたんですよね。とはいえ、ネットに詳しい情報は皆無であり、今回の念願の宿泊によって多少は解明できたかと思います(*´▽`*)

営業は土日のみ、そして二人客から宿泊可能で、一人客は宿泊できないというのは少しハードルが高いかもしれないっす。でも、安いしアットホームな雰囲気の本当に落ち着く旅館ですので、こうした旅館に興味ある方はぜひぜひ利用してみて下さいね~~!

ではでは、また次の記事でお会いしましょ~(∩´∀`)∩

詳細・地図

住所 神奈川県横浜市金沢区瀬戸8−23
営業日 土日のみ
電話番号 045-701-9519
駐車場 無料
アクセス 金沢八景駅から徒歩5分ほど
リンク https://www.oppamaen.com/

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