大河至上最低視聴率だった「金栗四三」の凄すぎる偉業を学んできた!

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こんちわっす!

日本中の知られざる場所を発掘・取材している知の冒険ですが、今回紹介するのは、熊本県にある偉人を取り上げた資料館になります。

その偉人とは金栗四三(かなくり・しそう)という苗字も名前も珍しい方なんですが、この方は日本人で初めてオリンピックに参加したというスポーツ界の開拓者でもあり、女子や障害者スポーツの普及、さらには箱根駅伝の創設などにも携わったレジェンドだったのです!

ではでは、そんな方を取り上げた資料館を訪問し、スタッフの方に色々説明していただいたので、以下で紹介したいと思います~(*´▽`*)

本記事のポイント

・金栗四三さんは、日本で初めてオリンピックに出場した方
・マラソンの世界最長記録の保持者でもある!
・NHKの大河ドラマ『いだてん』を機に、資料館は誕生した

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オリンピックを開拓した偉大なる先人

今回取り上げる金栗四三さんはこのお方です。写真を見るに足の筋肉もしっかりしていてめっちゃ鍛え上げているのがわかりますよね。

この金栗さんは熊本県玉名市の出身であり、そこには晩年を過ごした住宅を資料館にした「金栗四三の住家・資料館」があるので、今回はそこに訪問したというわけっす。

早速車で訪問して駐車場に停めたわけですが、大谷翔平?が出迎えてくれるサプライズも(*´▽`*)

大谷って確か岩手県出身じゃなかったでしたっけ?今年活躍したから、とりあえず作ったって感じ??

やたら足が細い気がして、モデルみたいっすね!!

まぁ大谷さんはいいとして、早速資料館に向かうことにしますか!

駐車場からちょびっとだけ歩くんですが、こうして旗がそびえたっている気合の入りっぷりですよ!!

なんだかちょっとテンション上がってきますわ↑↑

ここは資料館ですよね??

んで、ココが資料館っすね!

とはいえ、「ここが金栗四三の住家・資料館でございます」的な看板が見当たらないので、本当にここかちょっと不安になりましたけどね。パット見はただの民家に見せません??

ってことでちょっと不安にはなりましたが、GoogleMapを見ると間違いないので特攻することにします!

手前が資料館、奥が晩年の住家

訪問すると、平日だったこともあってかお客さんは誰もいなかったものの、スタッフの方が二名いて出迎え&解説をしてくれました!

とはいっても、ここの資料館は2019年1月6日~12月15日に、大河ドラマ『いだてん〜東京オリムピック噺〜』がNHKで放送されることをキッカケに誕生した資料館。

放送中だった当時は一日に200人ほどの人が押し寄せたりしたことで、スタッフの方も対応しきれないような混雑具合だったようです。とはいえ、放送が終わるとなるとお客さんは一気に少なくなって今に至るそうなんですね。ということもあり、閑散とした時期の平日に30代の男がふらっと訪れたため、スタッフの方も「こいつは何でここに来たんだ?」という感じだったかもしれません(;・∀・)

でも、全国の博物館を巡ってる的な話をしたら、「あ~なるほどね~」となり、資料館を案内してくれることになりました。

ではでは、まずは金栗四三という人物がどんな方なのかという点から紹介していくことにしましょう~~。

日本初の五輪アスリートだった!

金栗家の家族写真
四三さんは、恐らく前列の右から二番目

金栗四三(かなくり・しそう)は、1891(明治24)年8月20日に熊本県玉名郡春富村で造り酒屋を営んでいた父信彦・母シエの間に8人兄弟の7人目として誕生しました。

ちなみに、名前にもなっている四三(しそう)の由来は、父が43歳の時に生まれた子供だから。海軍軍人だった山本五十六が、お父さんが56歳の時に生まれた子だからそう名付けられたみたいな感じですかね(笑)

幼い頃は病弱だったものの、小学校の入学の頃には体も元気に。9歳で入学した小学校の時は、往復12kmの道のりを毎日走って通学し、この頃に走ることの基礎がつくられたそうです。

前列の真ん中が金栗さん

そんな金栗さんがマラソンに出会うきっかけになったのが、東京高等師範学校(現筑波大学)に入学し、徒歩部に入部したことがキッカケの様です。

オリンピック参加を進めた嘉納治五郎氏

その頃になると、日本においてもオリンピックに参加する動きが活発になっていました。アジア人初のオリンピック委員でもあった嘉納校長との関りから、四三は国内予選会に出場することになり、そこで2時間32分45秒を記録。

これは当時の世界記録を27分も縮めるという大記録となったのです!

そこで金栗さんは、世界記録を達成したことで、競技関係なく初のオリンピック日本代表に選出。それは1912(大正元)年に開催された第5回のストックホルム大会でした。

とはいえ、今のように飛行機がなかった当時は、船やシベリア鉄道に乗るなどの長旅を経る必要があり、慣れない食事などの影響もあったため、金栗さんは26~27km付近で意識不明となり脱落。。

近くのペトレ家の人に開放してもらい、競技場に戻らずに日本に帰ってしまったのです。オリンピックの競技中に国に帰るって、今では考えられないですよね。。というか、そもそもこの当時はマラソンに給水所がなくて、金栗さんだけでなくランナーの半分がゴールできない状態であったりと、今考えると結構メチャクチャな状態だったみたいっす。。

パリ大会の時の写真(金栗さんは右前)

その後は、第6回のベルリン大会に出ようとするも第一次世界大戦で大会は中止、その4年後の1920(大正9)年の第7回は2時間48分45秒で16位、さらに4年後の1924(大正13)年のパリ大会では途中で意識を失い途中棄権。。

三回もオリンピックに出場はしたものの、メダルを取ることはなく一線を退くこととなったのです。

何事にも始まりはあるわけですよね。今年2021年は東京でオリンピックが開催されたように、今ではオリンピックも我々の生活に馴染んだイベントとなっていますが、日本人として初めてオリンピックに参加したというのはすごいことですよ。

1912年というと大正元年なわけですが、この頃はラジオもないわけですし、そもそもオリンピックが海外で開催されてることすら知らなかったんじゃないですかね。。

晩年暮らしていた生家が残る

という感じで、簡単ではありますが金栗さんの功績を紹介させていただきましたが、続いては金栗さんが晩年暮らしていたお宅を紹介することにします!

これがここ!

パネルが無ければただの民家にしか見えないですが、彼は亡くなるまでここで暮らしていたみたいです。玄関は入ることができるので、ちょっとお邪魔してみることに。

ちょろっと解説が書かれてます
中は上がれないっす・・

建物にはこうして当時の生活用品が多少なりとも展示されていますが、実際に住まれていたころはもっとたくさん残っていたようです。でも、こういう形で一般公開すると思ってなかったため、色々処分しちゃったみたいです。

とはいうものの、それでもいくらかは残っていたということで、こうして展示されているという。

先ほども書いたように、この資料館は2019年1月6日~12月15日に大河ドラマ『いだてん〜東京オリムピック噺〜』がNHKで放送されることをキッカケに誕生しました。

金栗さんは晩年、この家に住みながら地域の健康マラソンの普及に努めたものの、1983(昭和58)年に永眠。その後、この家には長女の方が暮らしていたそうですが、その方は8年近く前に亡くなります。以後、お孫さんがたまに帰ってくるくらいでここは放置されていたものの、大河ドラマが放映されるということで、それをキッカケに池上家から玉名市に寄贈されてこの資料館が誕生したというわけです。

建物はそんなに広くない二階建ての建物ではあるものの、こうした丸窓があったり、、、

洒落た欄間ですな~~

あとはこんな波を描いた欄間もありました。これはなかなか珍しい意匠ですな~~

こうした擦りガラスも昔の建物によく見られる

貴重な品々が展示されている資料館

そして、住家だった建物の他にもう一つこんな建物があって、こちらは資料館になっています。

あと、NHKで放映されたドラマの話をここにはさむと、金栗さんを取り上げた『いだてん〜東京オリムピック噺〜』は、大河ドラマ史上最低視聴率となり企画としてうまくいったとは言えなかったみたいです。

脚本家の宮藤官九郎さんがこだわり過ぎたのか、ストーリーの途中で時代があっちに行ったりこっちに行ったりで話がちょっと難しかったからか、若い人はまだしも高齢の方は途中から脱落してしまったようでして。。

私はドラマを全く見てないのでスタッフさんから聞いた話でしか分かりませんが、ドラマの表現の仕方が問題だっただけであって金栗さんの偉業が凄かったのには変わりないんですけどね!

ということではありますが、ちょっと館内を覗いてみることにしましょ~~!

ココは資料館ということでいくつかの金栗さんに関する品々が展示されていますが、写真が多めです!

金栗さんの略歴や昔の色々な写真など

ちなみに、記事の最初の方で金栗さんの略歴を紹介しましたが、彼には物凄い記録がありましてですね!

それはマラソンの最長記録!!

そう、本来は最速記録を持ってると思うはずですが、彼が持っているのは最長記録なんですね。というのも、先ほども書いたように、初めてオリンピックに参加した1912年の大会では、マラソンの途中で脱落してしまったわけです。

しかし、それから50年が経ったあと、「消えた日本人ランナー」としてスウェーデンで記事になったことがキッカケで、スウェーデンオリンピック委員会から「オリンピック記念行事」へ招待を受けることに!

そして、半世紀ぶりにストックホルムの五輪記念陸上競技場を訪れて用意されたゴールテープに到着。この瞬間「日本の金栗、ただいまゴールイン。タイム54年と8か月6日5時間32分20秒3、これをもって第5回ストックホルムオリンピック大会の全日程を終了します」という粋な場内アナウンスが流れたのです。

これはこれで面白い記録ですよね(*´▽`*)

金栗さんはそうした記録だけではなく、女子はスポーツをやるものではないという時代だったものの、世界を見た金栗さんは女子スポーツをも国内に広めました。さらにはこの方、今では年始の恒例事業にもなっている箱根駅伝の創設にも関わっているというたっくさんの功績を残した方なのです。

足袋で走るとか想像しただけで痛そうや・・

ちなみに、この金栗さんが写っている写真を見てもわかるように、この頃はランニング用のシューズが今の様に充実しているわけではなく、履いてるのは何と足袋!!!

この頃はマラソンにおいては地下足袋や裸足が当たり前の時代。そこで、東京の足袋屋に頼み込んで足袋の改良に取り込んで「金栗足袋」を開発したようです。

メチャクチャ足にマメが出来そうですが、実際に走るとどんな感触なのかは気になりますな~~

というような写真がたくさん展示されているわけですが、金栗さんゆかりの品も少しばかり展示しております。

こちらは、1912年に日本人で初めてオリンピックに参加したときのものでしょうかね。「1912」という文字が微妙に見える。。

「福岡国際マラソン選手権大会」と書いてるが、詳しい詳細は分からん・・
持ち帰ったスウェーデン紙幣

1967(昭和42)年のストックホルム大会55周年記念行事に参加し、持ち帰ったと思われる紙幣。

さらに、館内の隅にはちょっと雰囲気の異なる一角がありますな~。これは、東京の世田谷にある観音寺というお寺に金栗さんが揮毫した「」の扁額があることから、それを記念して作成した複製品。

韋駄天とは「よく走る神」「盗難除けの神」として知られ、スポーツ全般に御利益があるといわれています。

あと、NHKの大河ドラマのタイトルである『いだてん』はここからきています。

ちなみに、この資料館の庭にはまだ育ち途中のイチョウの木があるんですが、この木は世田谷観音寺の御神木であるイチョウから育ったものとのこと。

へぇ~、しかし東京の世田谷に金栗さんと由縁があるお寺があるとはな~。

その世田谷観音寺というお寺は、ということで、ちょっと気になるので今度行ってみたいと思った次第でござんす!!

おわりに

ドラマの放映は終わってしまい、生家の方はもう閉鎖されているみたいですが、この資料館はこれからも存続する予定とのこと。

熊本県の玉名市ってたぶん今回初めて訪問したと思いますし、テレビやメディアで名前を聞くことも少ないのでなかなか訪問する機会は少ないと思いますけどね。。

とはいえ、万一近くを通った際には是非寄ってみてほしいですし、そうでなくても金栗さんという人物に少しでも多くの方が関心を持っていただければ嬉しく思ってます(*´▽`*)

では、また次回の記事でお会いしましょ~~

参考文献

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詳細・地図

住所 熊本県玉名市上小田600
入館料 無料
開館時間 09:00〜17:00
休館日 なし
駐車場 無料
電話番号 0968-57-7548
アクセス 九州縦貫自動車道の菊水ICから車で10分ほど
リンク https://kumamoto.guide/spots/detail/12459

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