消毒風呂、収容所、監房…長島愛生園にてハンセン病を学ぶ!

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ういっす!

今回の記事は、前回に引き続き岡山県にある長島愛生園に関する記事になります。

↑前回の記事では、日本初の国立療養所である長島愛生園がいかにして誕生したのか、そしてその愛生園に関するハンセン病隔離政策に関してをまとめました。

んで、ここでその辺の内容を理解していただいたうえで、本来の目的であった長島愛生園内にある愛生園歴史館という博物館に関して今回の記事で紹介するって感じです!

ここ、私は実際に訪問したわけですが本当に勉強になって視野が広がって、訪問した価値があったと思ったので、その辺を以下で紹介しますね~!

本記事のポイント

・長島愛生園は、ハンセン病隔離政策によって誕生した国立療養所
・歴史館では、愛生園やハンセン病の歴史について学ぶことができる
・園内にある歴史館以外の桟橋、収容所、監房の遺構も見所

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ハンセン病隔離政策と愛生園の歴史を

2003年に開館した長島愛生園歴史館

はい、ということで今回の記事ではこちらの長島愛生園歴史館を紹介したいと思います。

長島愛生園歴史館は、ハンセン病隔離政策によって誕生した日本初の国立療養所である愛生園とハンセン病に関して学ぶことができる博物館。ハンセン病に関して取り上げた博物館は少ないですし、愛生園も隔離政策という解く瞬間強化だったということで、他所ではなかなか学ぶことができない内容を扱っている問うこともあり、大変貴重な場所なんですね!

では、中に入ってみることにしましょう!

入り口に書かれた「長島愛生園」
洋風な館内

館内の雰囲気はこんな感じ!

ツタがグルグル巻き状態の外観からしたら結構ビックリするぐらい綺麗であり、天井の灯りなどを見ると洋風な雰囲気がちらつく感じになっていますね!

見事なステンドグラスだ

他所では見れない貴重な展示物の数々

ハンセン病に関する説明がある

ここは医学展示室で、ハンセン病に関するパネルや資料が展示されている。「ハンセン病とは何なのか?」「海外のハンセン病事情はどうなっているのか」などはここでわかるよ。

メインの展示室

そしてここがメインの展示室っすね!

長島愛生園の模型を中心にして、その周囲には、説明パネルと資料が展示されていて、愛生園やハンセン病の歴史について学ぶことができます。

開園当初の愛生園の模型

住まいである十坪住宅だけでなく、精神病棟、病棟、治療室、礼拝堂、注射場など建物がビッシリ。ここで、1,700人ほどの入所者が生活をしていたそうです。

無らい県運動から始まった隔離政策

前回の記事でも説明しましたが、ここでも一応軽く説明を書いておくと、この長島愛生園が誕生した背景としては、1929年に勃発した「無らい県運動」が起因しています。

ハンセン病というのは、はるか昔からある「抗酸菌(らい菌)によって引き起こされる慢性の感染症」という病気で、温度の低い

無らい県運動によって、らい患者が無い県(無らい県)を作ろうという機運が高まり、その影響からか、二年後の1931(昭和6)年になると、「らい予防法」が成立 。ハンセン病にかかった方を隔離するという流れの中、日本初の国立療養所である長島愛生園が1930(昭和5)年に誕生したのです。

十坪住宅に関する資料

こちらは十坪住宅に関するパンフレットなどの資料ですね。

入所者の方々は、園内にある十坪住宅という建物に住んでいたそうです。とはいえ、入所者の数に比べて住宅の数が足りないこともあり、二組の夫婦が同じ部屋に暮らすという事態も発生したそうです。

愛生園に関する新聞記事
入園時に渡された着物
園内のみで用いられたお金

これは園内通用票という、園内でのみ使われていたお金。

何でこういったお金が必要なのかというと。逃走防止のためなんですね。普通のお金を持つと逃走する可能性があるものの、これ持って逃走しても外で使えないっすから。。

こういった展示物は、本当に隔離政策によって誕生したここならではの話ではないでしょうか。。とはいえ、リアルで恐ろしい。。

園内で用いられた品々

差別に苦しんだ患者とその家族

ハンセン病に関する国とのあれこれ

前回の記事でも大事なこととして書きましたが、現在いる入所者の方は、全員がハンセン病はすでに治っている方になります。とはいえ、ハンセン病の治療を終える前に後遺症を患っている障害者ではあります。

開園してから入所してきた方の中には、完治して外の世界に戻った方もいますが、治っても施設内に居続けた方がいます。今も入所している方々がそれに該当する方々です。

というのも、ハンセン病が治っていても外の世界の差別が深刻で、それが家族にも及んでいたわけです。世の中でそういう差別が無くならなかった大きな要因が、1931(昭和6)年に制定された「らい予防法」という法律がまだ残っていたからということなんです。

らい予防法は「日本中のすべてのハンセン病患者を、療養所に隔離できるようにする」という法律なため、「この法律がまだ残り続けているってことは、やっぱりハンセン病というのは恐ろしい病気なんだ」ということを世の人々は思っていたわけです。

そんな中、1996年にようやく「らい予防法」が廃止され、国の対応が遅れたということで、当時の厚生大臣である菅直人が謝罪したという背景がありました。上の写真に写っているパネルに書かれているのは、そんな内容です。

現在施設にいる入所者の方の平均年齢は86歳。もう何十年もこの施設で生活している方からすると、いまさら外の世界で生活するのは厳しいため、ずっとこの施設で余生を終えるとのこと。

隔離政策で愛生園に入所してから、ずっとこの愛生園だけの世界で生き続けるのは外の世界にいる人からすると想像を絶する苦悩があったと思います。家族にも差別が及び、本当に大変な日々だったんだろなと。。

楽団を作って演奏も行っていた

入所者の方々はいろんな活動をしていたようで、その一つにあったのが音楽活動でした。ここに展示されている楽器は、その彼らが使ったものですね。

入所者の方が書いたベストセラー小説

1,700もの人間がいればいろんな方がいたようで、その中の明石海人という方が書いた歌集『白猫』がベストセラーにもなったそうです。

1939(昭和14)年に発売された小説で、25万部を売り上げたそうですよ!

展示物の記事を読むと、明石海人はハンセン病患者であることに加えて失明もしていたようです。「若き天才、癩文学の太陽」と書いていることもあり、どんな作品か読んでみたくなりますな。。

と思ったら、明石海人の歌集がamazonにあったので、気になった方は読んでみて下さいな~!

二階にある第二映像室

入所者の証言映像と関連映像を試聴できます。

私が訪問した時はそこまで時間が無くて、一名の証言ビデオしか見ることができませんでしたが、これは大変貴重な資料だと思います。隔離政策という特殊な環境下だったということもあり、ココでしか学べない内容も多いと思います。

ということで、愛生園歴史館に関して一通り館内を案内しましたが、ここで一旦ページを区切ることにしましょう!

次のページでは、園内にある全身消毒風呂、収容所、監房の遺構などを紹介します!

続きはこちら!当時のままの全身消毒風呂はインパクト絶大!
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