江の島の歴史を伝える元宿坊「岩本楼」の風呂がヤベェ!

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こんちわっす!

日本中の知られざるスポットを廻りまくって知られざる歴史を発掘するブログ『知の冒険』ですが、今回のターゲットは神奈川県の有名観光地の「江ノ島にある超老舗旅館「岩本楼」です。

この旅館、ずっと泊まりたかったんですがなかなかその機会がなく、今回は大学時代の友人を巻き込んで宿泊する機会があったので泊まってきましたよ( ̄▽ ̄)

ということで、江ノ島の歴史にめっちゃくちゃ深く関わっているこの岩本楼の歴史も踏まえながら、館内の様子などいろんな情報を以下でまとめて放出したいと思いますよん!

本記事のポイント

・元々は宿坊であり岩屋を管理していた江嶋総別当だった
・明治時代の神仏分離によりお寺から旅館へと転業して今に至る
・ローマ風呂と弁天洞窟風呂はマジで凄い!

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信仰の地「江ノ島」に佇む老舗旅館

岩本楼がある江ノ島

ということで、今回の舞台は江ノ島になります。江ノ島は神奈川県のみならず、もはや全国的に名が知られている観光地ではないですかね??

シラス丼やタコせんべいが有名ですし、夏になると近くの湘南の海で海水浴を楽しむリア充の方々が集結する場所。若い人を中心に多くの観光客が訪れ、正月になると江島神社へ初詣にやってくる方もたっくさん訪れる場所っすね!

江島神社の参道

江ノ島は多くの観光客が訪れはするものの、東京から余裕で日帰りできてしまう場所にあることから、ここで宿をとって一泊するってお客さんはそうそういないんじゃないですかね。。なので、江ノ島に関してはあんまり旅館があるイメージも少ないんじゃないかと思います。。

事実、ここは2020年に開催するはずだった東京オリンピックのヨット競技の会場になってはいるものの、「一時的に客が来てもオリンピックが終わったら需要が亡くなってしまう」とのことで宿泊施設を作るという話もなかったみたいですし。。

ただし、そんな江ノ島にもスゲー老舗旅館があるんですよ!

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江ノ島にある老舗旅館「岩本楼」

それがこちらの岩本楼!

江島神社の参道にあるこちらの旅館、多くの方がここを通り過ぎているはずなのですがこの旅館の存在に気づいてない方が多いかもしれないっすね!

早速中に入ってみましょーー!

看板に味がある
江ノ島の歴史には欠かせない岩本楼

中に入るとこんな感じ。

明治時代から旅館として営業しているためかなり長い歴史を持っているわけですが、建物自体は今風にリフォームされているので、内部もレトロな雰囲気という感じではありません。

でもでも、ここはお風呂がめちゃくちゃ見ごたえありますし歴史もあるということでずっと泊まりたかった旅館なんですよね!

んで今回、いつもは一人で訪問して取材しつつ宿泊することが多い私ですが、たまたま大学時代の友人たちと「久々にどっか泊まりに行くか~」という機会を設けたので、私の独断と偏見で岩本楼をチョイス(笑)

ということで、宿泊する機会を得ることができたので、館内の様子や岩本楼の歴史など、その辺を以下でぶちまけていきたいと思いますよん(*´▽`*)

まずは、岩本楼の歴史から!

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岩本楼は元々お寺だった!?

今でこそ、江島神社がある関係で「江ノ島=神社」という印象が強いかと思われますが、それは明治維新の際に行われた神仏分離以後であり、その前は江ノ島には三つのお寺(下之坊、上之坊、岩本院)があり、それぞれが下之宮、上之宮、岩屋本宮を管理していました。

詳しく書くと以下になります!

江ノ島の三宮
下之宮
現在の辺津宮で、祭祀主体者は下之坊。
祭神は多紀理比賣命(たぎりひめのみこと) 。
上之宮
現在の中津宮で、祭祀主体者は上之坊。
祭神は寸島比賣命(いちきしまひめのみこと) 。
(岩屋)本宮
現在の奥津宮で、祭祀主体者は岩本坊。
祭神は多紀理比賣命(たぎりひめのみこと) 。

江島詣のコース(おおよそ)

そんな江ノ島は、庶民の生活が比較的安定しだした江戸時代中期になると多くの観光客や参拝客が訪れる場所となります。

江戸から二泊三日かけて歩いて旅行するには程よい距離だったこともあり、神奈川県では「江ノ島→鎌倉→金沢八景」が人気定番コースになり、さらに日程に余力がある方は「大山→江ノ島→鎌倉→金沢八景」というコースを巡ってもいました。

東海道五十三次「藤沢宿」

その様子は皆さんが学校の歴史で習った、歌川広重が描く東海道五十三次にも現れています。

東海道五十三次は、日本橋から三条大橋までの宿場の様子が描かれた浮世絵ですが、その中でも藤沢宿を描いたのが上の写真なんすね。奥に描かれているお寺は時宗総本山の遊行寺であり、手前に描かれている鳥居は藤沢宿から江ノ島に通ずる江島道の入り口に建てられた江島神社の一の鳥居っす。

この絵に描かれている方々は江島詣へ訪れた方々であり、鳥居の麓に描かれているのは盲目の方々。

江ノ島は歌舞伎などの芸能関係の方の信仰が篤かっただけでなく、杉山検校が下之宮を篤く信仰していたことから盲人の方の信仰も篤かったわけですね〜。

吉原遊廓の方から寄贈された青銅鳥居

そんな江ノ島には、江戸庶民の方が訪れた痕跡がいくらか残されています。その中の代表的なものとしてはこちらの青銅鳥居ではないですかね!

「新吉原」と刻まれている

こちらには「新吉原」と書かれていますが、これがいわゆる今の風俗街である吉原のことです。吉原遊廓は静岡県の二丁町遊廓が起源となっていますが、最初に吉原遊廓があった人形町の方を「元吉原」と言っていて、その後に火事で移転した千束にある新しい方を「新吉原」と言っていましたので!

ここにそういう鳥居があるとなると「んっ、江ノ島にも遊廓があったんか?」と思う方もいるかもしれませんが、そうではなく、これは吉原遊廓にいた方々の中に江ノ島を篤く信仰していた方が講を作って江島詣に来ていたことから、その方々が寄贈してくれたものなんですね。

これ以外にも、無熱池(むねつち)の付近にも吉原の痕跡があるんですが、吉原以外にも島内にはいくつか痕跡は残されているので時間があったら探してみて下さいね!

この辺の吉原遊廓と江ノ島の関係に関しては以下の記事にまとめたので、良ければこちらもご覧になってみて下さい<m(__)m>

ところがです、明治時代になり神仏分離、そして廃仏毀釈がおこったことから江ノ島から仏教要素が排除されて各宮が「下之宮→辺津宮」「上之宮→中津宮」「本宮→奥津宮」になり、この三か所を総称して江島神社が誕生することになります。

藤沢市明細地図(昭和37年)

これにより、下之坊、上之坊、岩本院は称号を廃止されてしまい、旅館に転業することになるんですね。そんな背景があり、岩本院は旅館「岩本楼」へとなって今に至るわけです!

どうです、なかなか面白いっしょ!

下之坊は『恵比寿屋』に

ちなみに、岩本楼のすぐ近くには「恵比寿屋」という旅館もあるのですが、こちらは下之坊が転業した旅館になります。この旅館にも、岩本楼と同様に資料館があったりしてとても気になってる旅館なんですよね~。

この辺の岩本院のことや、江ノ島の信仰に関しては以下の記事に結構頑張ってまとめているので、良ければこちらもご覧になってみて下さいね(*´▽`*)

あと、江ノ島の歴史でいうとこちらの『江島詣』がとても勉強になります。江島詣に関しては資料なら図書館にいくらでも置いてありますが、本屋さんで売っている本としてはこのくらいなんですよね~。

まぁ、あんま需要があるジャンルではないしな。。(;・∀・)

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宿泊客のみ観覧可「岩本院資料館」

館内にある岩本院資料館

岩本楼の歴史をいろいろ書きまくっているわけですが、それだけ歴史がある旅館ということで岩本楼の館内には「岩本院資料館」があるんですよね!

旅館の中に資料館があるってなかなか珍しいっすよね。写真撮影禁止の展示物もあるものの可能な範囲でここで紹介したいと思いますよん(*´▽`*)

館内はこんな感じ!

そんなに広いわけではないですが、歴史好きにはたまらない空間ですよ。

お寺時代の建物の一部かな?

この辺は岩本院時代の建物に使われていたものの一部なんだろうな~。襖(ふすま)とか凄いわ。。しかし、岩本院の時代はどんな建物だったんだろうか、、展示物を見ただけでも凄そうなのがなんとなくわかる。

ってかこの資料館、一通り観覧はしたんですが多少解説もあったものの、そこまで和しく書かれていたわけでもなかったので、この辺旅館の方に開設でもしてもらえばよかったな。。

この鏡に書かれていたのは・・

あと、ちょっとこの鏡が気になりましてですね。。この鏡には寄贈してくれたお店の屋号が書かれていて、鏡の下に「雷門前 常盤堂」と書かれているということで、これは浅草にあるお店が寄贈してくれたもののようなんです。

雷門とは、かの有名な浅草寺にある門のことでしょうから。

そんで、鏡の縁をよく見てみると、、

東京ラーメンの元祖「来々軒」

「浅草公園 来々軒」と書かれているのがわかりますでしょうか??

このお店、実は東京初のラーメン屋なんですね。この来々軒、今はすでに廃業してはいるものの、明治43年に開店したお店で日本のラーメン史に大きな歴史を刻んだお店でした。今でも、数店ほどこのお店で修業した方が営むお店も残っているんですよね。

本記事で先ほど「江ノ島は江戸庶民に親しまれた観光地でもあり信仰の地でもあった」と書きましたが、恐らくこの鏡を寄贈してくれたお店の方々も、江ノ島をよく訪れ、この岩本院にも由縁があったんですかね~。

岩本院時代の看板

ちょっと話がそれてしまいましたが、話を岩本院資料館に戻しますか!

こちらは岩本院時代の看板かな。右には「宮内省御用旅館」と書かれているように、皇室関係の方々も利用していたみたいです。あ~この辺の歴史とかもすげーキニナルな~。

岩本院時代の木魚

この木魚は岩本院時代に浸かっていたもの。なので江戸時代とかそのくらいの時代の物なんじゃないっすかね~。

こちらは鎌倉彫のお盆かな。

こちらは富士山が描かれたお盆。これ以外にも、印鑑だったり掛け軸だったりといろんなものが展示してあるので、宿泊する機会がもしあれば、ぜひぜひこちらの資料館にも足を運んでみてくださいな!

ということで、この辺で一旦ページを区切りますかね。

岩本楼の歴史を紹介したところで、次ページではもっと館内の様子を紹介していこうと思います。一番の見どころであるローマ風呂も含めて( ̄▽ ̄)

続きはこちら!超贅沢空間のローマ風呂は必見!
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