草津温泉とハンセン病にまつわる知られざる歴史とは!

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こんにちわっす!

今回は、人気観光地である草津温泉とハンセン病にまつわる話です。

何でこの話題を取り上げたのかというと、草津には重監房資料館という博物館がありましてですね。。その博物館がキッカケで、草津温泉とハンセン病に関して今回記事にしてみたという感じです。

この記事は、本記事が「草津温泉とハンセン病」をテーマにして、次の記事では「重監房資料館」をテーマにするという二部構成で行こうと思います!

ではでは、草津温泉とハンセン病にはどのような関りがあったのか、以下で紹介したいと思います。

本記事のポイント

・明治時代には、湯畑附近にハンセン病患者が定住した
・ハンセン病隔離政策によって、草津に栗生楽泉園が誕生
・湯畑に湧く温泉の一部は、栗生楽泉園へと送られている

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人気温泉地に隠された知られざる歴史

草津温泉のシンボルでもある湯畑

今回の舞台は、日本を代表する観光地である草津温泉です。

草津と言えば、硫黄臭バリバリの火山性温泉が湧く観光地であり、シンボルでもある湯畑など温泉地としては申し分ない場所であるわけです。

でもですよ、、

そもそも、この温泉地にはハンセン病に関する歴史もあるんですね。

ハンセン病に関しては、以前、日本で初めて誕生した国立ハンセン病療養所である岡山県の長島愛生園に関する記事に詳しく書いたので、ぜひ、こちらを見ていただければと思います。

ハンセン病に関しては上の記事を見ていただくことにして、草津温泉とハンセン病の関わりは、明治時代に始まるのです。

患者たちが定住していた湯ノ沢地区

明治時代の頃、「草津温泉はハンセン病に効能あり」と宣伝されていたことから、多くのハンセン病患者が草津温泉に定住するようになりました。彼らは点在するわけでなく、湯ノ沢地区という場所(今でいう大滝乃湯がある辺り)に集まり部落を作り、そこに集まって暮らすようになったのです。

ところが、そんな彼らはこの地を去らなければいけなくなってしまいました。

ハンセン病は、1873年(明治6年)に「らい菌」を発見したノルウェーの医師、ハンセンの名前をとって、現在ではハンセン病と呼ばれています。1900年代の初めには、ハンセン病はコレラやペストと同じように恐ろしい伝染病と考えられ、1907年(明治40年)には「癩らい予防ニ関スル件」が制定され各地を放浪する「浮浪らい」と呼ばれる患者さんの収容が始まりました。

その後、1929(昭和4)年に発生した「無らい県運動」が発生。この運動は、らい患者が無い県(無らい県)を作ろうと競って患者を収容する運動のことであり、その流れから1931(昭和6)年に「らい予防法」へと引き継がれ、全国に国立の療養所が誕生することになるのです。

それにより、ハンセン病を患った方々への強制隔離・収容が始まることになります。

初の国立ハンセン病療養所「長島愛生園」

まず、日本で初めて国立のハンセン病療養施設として、岡山県の長島という島に愛生園が誕生。

そして湯畑附近の湯ノ沢地区に定住していたハンセン病患者達も、同じように強制隔離させられることになったわけです。

そこで、人が多かった湯畑周辺の場所から3km近く東へと離れた場所に、日本で二番目の国立ハンセン療養所として、栗生楽泉園が誕生したのです。

湯畑に湧く温泉は栗生楽泉園へ

ただし、そんなハンセン病患者の方々を隔離させる際には、一つ条件がありました。それは、「湯畑の温泉をその場所まで引いてあげる」ということ。

七つの木桶があるが・・

そう、実は草津温泉のシンボル的存在である湯畑には、知られざる話があるのです。草津温泉の主要源泉である湯畑ですが、ここで湧出した温泉は、木桶を通って様々な旅館へとお湯が引かれているんですよね。

でもですよ、一つの木桶だけは実は別の場所に引かれているんですよ。

一つだけ経路が違うのだ

それがこれ!

手前の木桶を見ていただきたいんですが、この木桶だけ、お湯の向き先が異なっているのがお判りでしょうか。他の木桶から注がれた温泉はその先に流れているものの、手前だけはそのまま真下に流れているんですよね。。

そして、そのお湯は湯畑から3kmほど離れた栗生楽泉園まで引かれているんです。

草津温泉は、今でも白旗の湯、地蔵の湯など無料の公衆浴場がたくさん点在していますが、昔はこう言った場所で混浴で皆が入浴していました。今でも、栗生楽泉園ではその古(いにしえ)の文化が残されていて、園内にある浴場では、今でも湯畑から引いたお湯を混浴で浸っているそうです。

今まで草津温泉には何度も訪れていたものの、この湯畑の話はマジで知らんかったな〜。

今も入所者が暮らす栗生楽泉園

栗生楽泉園の入り口

そんな栗生楽泉園には、今でも入所者の方々が暮らしている。入所者の平均年齢は80歳を超えており、彼らはハンセン病自体は完治しているものの、ハンセン病を患った際に受けた障害が残っている方々なのです。

これは岡山県の長島愛生園だけでなく、他の療養所でもそうだと思いますが、改めていうと、入所者の方々は既にハンセン病は完治しています。戦後に特効薬が出たことで、治る病気になったというわけです。

栗生楽泉園に入所している方々は、10〜30代のころに発症していることから、50年以上もこの場所で暮らしている方が大半。とはいえ、別にここから一切出られないとかそういうわけではなく、外にパチンコしに行ったりとか、気ままに外出は出来ているんですって!

人権無視極まりない重監房

そんな栗生楽泉園には、1938〜1947年までの九年間だけ稼働していた重監房という建物があったんですね。正式名称は特別病室なんですが、全国のハンセン病療養施設の中から、特に反抗的だった、いわゆる問題児的な人を閉じ込める施設だったんですね。病室というか、マジで監獄そのものというね。。

そんな恐るべき建物は、もう無くなってはいるものの跡地だけは残っているのです。

重監房があったことを伝える碑
重監房の跡地

そう、この場所ね!

ちょっと訪問したのが2月だったということで雪に覆われていますが、土台だけはこうして残されているんですよね。2013(平成25)年にはここで発掘調査も行われており、収容者がここで生活していたことを示す痕跡も多数発掘されていたりします。

おわりに

という、お話でした!

実は、私は草津温泉からすぐの場所にある草津国際スキー場で、学生時代はインストラクターをやっていたことがあったり、そもそも私の父親が草津温泉を気に入っていることから、クソガキだったころからよく連れて来てもらってきてたんですよ!

それだけ馴染みがあった場所ではあるものの、こんな歴史があったとは本当に知りませんでしたわ。。

ということで、今回の記事はここまでですが、まだこれには続きがあります。

それは、先ほど書いた重監房についてです。栗生楽泉園の園内には、重監房の史実を伝える「重監房資料館」があるので、そこを訪問した様子を続編で書いていきたいと思います!

しばし、お待ちを!

参考文献

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詳細・地図

住所 群馬県吾妻郡草津町草津白根464-1533
入館料 無料
開館時間 複雑なので、詳しくはHPをご覧ください
休館日 複雑なので、詳しくはHPをご覧ください
駐車場 無料
電話番号 0279-88-1550
アクセス 本竜野駅から徒歩約20分
リンク http://sjpm.hansen-dis.jp/

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