もう日本に一軒だけ!昭和全盛の歴史が詰まった「キャバレー白馬」へ!

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こんちわっす!

今回の記事は、なんと”キャバレー”についてです(*´▽`*)

キャバレーは、知の冒険で初めて取り上げるどころか、私もそういったお店に行くのは人生で初めて!というか、もうこの令和の時代、キャバレーはこのお店一軒しか残ってないという、超ウルトラ貴重な店だったのです!

もうね、多くの言葉はいらないと思いますが、本当に本当に昭和な世界が広がっていましたよ!!

ということで、そんな伝説ともいえるキャバレー白馬について、以下でトコトン紹介したいと思います( `ー´)ノ

本記事のポイント

・熊本県八代市には、日本に一軒しかないキャバレーが現存する
・まさに昭和の良い時代を象徴する豪華絢爛なつくり
・東海林太郎、八代亜紀、美川憲一などの多くの有名人が来た

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キャバレーとの思わぬ出会い!!

とはいうものの、今回訪問した「キャバレー白馬」は、元々知っていたわけではなくマジでたまたま発見したんですよね。

それは、熊本県八代市の歓楽街をぼ〜っと歩いていた時のこと!

神奈川在住の私は、博物館の本の取材で全国を回っていたわけですが、ちょっと夜に時間が空いたので八代を散策しようと思っていたわけです。

するとですよ、昭和館満載のネオンが目に入り、何だろうな〜と思って近づいてみたわけですよ。何気なく。

おっ、キャバレーあるじゃん

そしたら、上のネオンに「キャバレー」と書いてあって、「あれ、今どきキャバレーあるなんてマジで珍しいじゃん!」と思ったわけですよ。でも、車で来てるし、酒が飲める状況じゃないから入り口だけちょっと見て帰るか〜くらいにしかこの時は思ってなかったんですよ!

そう、この時までは!!

マジで古き良き昭和の光景だ

しかし、お店の前に来るとその思いは一変!!

これは凄い、この懐かしさをそそるネオンが灯る外観は昭和遺産ともいうべき、素晴らしい光景が広がっていたわけです。まさに古き良き、あの高度経済成長の、イケイケドンドンの時代を象徴するかのようなキャバレーという世界。

これは、入ってみたい・・。

そう思っていたとき、お店からたまたまスタッフの方が出てきて、どうしようか迷っていた私に「お客さんどうですか、入ってみますか?」と声をかけていただいたんですね!

値段を聞くと、80分飲み放題で5,500円。人によっては高いと思うかもしれませんが、私からすると「おっ、思ったほど高くはないな〜」という印象!

ということで、キャバレー体験を5,500円で得られると考えると、入らない理由はないと思い店内に入ったわけです。

めっちゃ、昭和やん!

おおーーーー、中はマジで昭和。

もう今の時代は、平成を超えて令和の時代。でも、ここに入ると本当に昭和の時代にタイムスリップしたかような錯覚に陥るわけですよ。ここはいわゆる、昭和を再現したわけじゃなく、実際に昭和から続く生きた歴史なわけですからね!

そう感じるのも無理はないってわけだ!

照明も、レトロ感半端ない
メイン会場は地下にあるのだ

そして、階段を下りて会場へと向かいます!

すげーーーーーー

そして、舞台が出てきたわけですが、これは凄いわ!!

こんな空間初めて!!!

ちょうど生バンドが演奏していて、お客さんが歌ってましたが、これが、これがキャバレーという世界ですか。私はまるで子供が遊園地に来たかのように、ワクワクがマジで止まりませんでしたわ!

八代の名物であるマキシト

席について飲み物を選びます!

そして、キャバレーではホステスのお姉さんもいて私の席の隣に来てくれました。

んで、飲み放題ということで飲み物を頼むわけですが、私は車で来ているため酒は飲めないという残念な状態。。そう告げると、代表から”マキシト”という飲み物を勧めていただきました。

“マキシト”とは八代市の特産品でギネスにも認定された世界最大の柑橘類である”晩白柚(ばんぺいゆ)”に炭酸を加えたジュースとのこと。へ~、八代にそんな柑橘類があるとは知らんかったな〜。

ということで、このジュースをいただきながら、代表からキャバレー白馬の歴史などをたくさん伺わせて頂いたので、以下で書いていきますね〜。

日本にキャバレーはここだけ!?

代表とツーショットを!

そしてふと訪れたキャバレーでしたが、今の代表である池田さんに聞くと驚きの事実が判明したのです!

なんと、もう日本にはキャバレーはここにしかないというのですよ!

週刊文集の記事

これは、週刊文春の記事にも書いてたんですが、「生バンドが入った純粋なキャバレー」という意味では、白馬だけみたいです!

ま、マジか( `ー´)ノ

キャバレーは、ホステスさんとお酒を飲みながらお話をしたり、生バンドが演奏する舞台で歌ったりして楽しむ場所。第二次世界大戦後に、進駐軍用にRAAが慰安施設を作ったのが始まり。

戦後、昭和三十年代では東京都内だけでも週百店舗もあったキャバレーは、無名時代のビートたけしがステージに立っていたり(たけしは『キャバレー』というタイトルの小説も書いている)、キャバレーを下積みにして歌手や芸人が巣立っていったもの。ただし、ディスコやキャバクラなどの新たな業態が出てきたことで衰退していったとのことです。

そういえば私がよく行く横須賀にもEMクラブという米軍の娯楽施設が昔はあって、多くの歌手がそこで場数を踏んだとかどっかで聞いたな~(EMクラブ=キャバレーと言っていいかはわからんが)。

都内にも数年前までは何店舗かキャバレーは残ってたみたいなんですが、もう現在では一軒も残ってないのか。。

確かにな~、現代では仕事終わった後に飲みに行くなんて機会はまずないですからね。。まぁ私もそうなんですが、会社の上司と飲みに行くくらいだったら別にやりたいことたくさんあるわけだし。。

八代亜紀初舞台のキャバレー

そうそう、あと、このキャバレーで欠かすことができないのが八代亜紀の存在。

「雨々ふれふれ もっとふれ・・」の歌詞である名曲『雨の慕情』でお馴染みの八代亜紀が初めて舞台に立ったお店でもあるんですって!

そっかー、確かに八代亜紀って熊本県八代市出身だもんな〜。

入り口にある掲示板

で、館内や館外にも八代亜紀の写真はいくつかありましてですね、、お店の外にあるこちらの掲示板を見ると・・

八代亜紀が歌っとる

八代亜紀が歌っている写真もあったりするわけです。右側のピンク色の衣装を着て歌ってるやつね。

若き頃の八代亜紀

あと、店内にもいくつか写真あるんですが、この八代亜紀は若いっすね〜。両脇に立っているのは、創業者である先代の代表と奥さんっす!

ちなみに読み方に関してですが、八代亜紀さんは「やしろ」ですが、八代市は「やつしろ」なので要注意っす(笑)

美川憲一さんも来たらしい

その他には東海林太郎、美川憲一、山本リンダ、梅宮辰夫などなど、今では名が知れた方々がたくさん訪れていたんですって!!

キッカケは売春防止法だった

そんな「キャバレー 白馬」。

60年近くも、この八代でキャバレーを続けてきたわけですが、今まで本当にいろんなことがあったと思うんですよね。そんな今までの歴史とか、あとはどんな背景があって誕生したのかという創業のキッカケなどもキニナルので、その辺も代表に聞いてみました!

まずは誕生の経緯ですが、キャバレー白馬が創業したのは1958(昭和33)年。今から60年近く前になるわけですが、これには、あの売春防止法が大きく関わっていたそうなんですね!

紺屋町遊廓跡にある遺構『黄金』

そう、八代市には戦前までは白馬からすぐ近くの場所に「紺屋町遊廓」という遊廓があり、戦後はその場所が赤線地帯となっていました。

上の写真は、その紺屋町に残る唯一の遺構「黄金」の建物で、白馬を訪問した翌日にそこの遊郭について調べたんすよ。まぁ、その話は別の記事でするとしましょう。

その赤線は、売春防止法によって廃止となるわけです。それが昭和33年。

赤線が廃止になったことで、若い人たちが遊ぶ場所がなくなってしまい、そこで立ち上がったのが先代の代表だったんですって!

写真中央にいるのが先代の代表

上の写真の真ん中に座ってスーツを着ている男性が、キャバレー白馬を創業した先代の代表。

「売春防止法で若者が遊ぶ場所が減ってしまったから、遊べる場所を作ろう!」と思い立ったことから、このキャバレーを作り、「昭和天皇が白い馬に乗っている姿がカッコいい!」と思ったことから、店名を”白馬”にしたんだそうです。

先代の代表はいぐさ農家のご子息。数年前に亡くなってしまったものの、彼の奥さんである大ママは今もご存命!!

高級車一台分のシャンデリア

館内も豪華絢爛にするために、設備にはお金を惜しまなかったそうです。天井に吊るされているシャンデリアなんかは、当時では高級車一台分もしたとか。

夫婦二人三脚で、そんなキャバレーをずっと守ってきたんですって!

酔った客ともめるなんてしょっちゅう

昔は二階席もあった・・

今では一階席のみとなっているものの、当時は二階まで客席があり(今は使用しておらず塞がれている)、高度経済成長気など日本がイケイドンドンの時代には平日でもいつも満席だったそうです。

いつも満席だったとはね〜

一階だけでも結構な席数ですけど、これが平日でも満席だったとは凄い時代ですわ。しかも、席が満席ってだけではなく、、

階段に座っていた客もいたとか

席に収まりきらなかったため、階段に座るお客さんもいたんですって。

マジか、すげぇな・・( ̄▽ ̄)

ヌードショーもあったそうだ

それだけお客さんがたくさんいたこともあり、在籍のスタッフも多く、賑やかな頃は30人くらいいたとか。生バンドは九人編成。

お店は今と同様で、日曜日のみが休みで週六日の稼働でした。そのうち、月火水がヌードショー、木金土がドサ回りしていた売れない歌手の演奏だったとのこと。そうそう、ここは歌うだけではなく、昔はヌードショーを行っていたんですって!

いわゆる、生バンドの演奏に合わせたヌードショーのようで、今の代表も、この当時は生バンドのドラムを演奏していたそうです。

売れない歌手は、こういうキャバレーで歌うことで場数を踏んでいたようで、いつも大きなボストンバッグを持ってきており、中には衣装とか譜面を持ってくる。譜面は結構な重さなようで、歌手の方が持ってきた譜面をバンドの方達に配り、譜面を見ながら今日演奏する曲のテンポとかを確認したりしてたんですって。

お客さんとしては、八代の名物でもあった、いぐさ農家の方々、あとは大きな工場があったことから十条製紙、興人、メルシャンなどの方々がたくさん訪れていた。が、予約しないと席がないため、ひっきりなしに予約の電話がかかってきていたそうです。

今では仕事終わりに飲みに行くなんて文化はどんどん消えているわけですが、当時はそういう時代だったんですね~。

とはいえ、いい時代であっても大変なことは多々あり、お客も酔っ払っていることから因縁つけられてとかはしょっちゅうだったそうです。

カウンター席もあるよ

新型コロナウイルスもあるし、お店を維持していくのは大変だとは思いますが、残り続けることで喜ぶお客さんも多いと思います。

ジュリーの曲を唄ってきたぜ!

専属のバンドがいるんだよ

代表とホステスさんと話していた時、

「どうですか、もうちょっとしたら生バンドが入るので、せっかくですから唄ってみてはいかがですか??」

と、勧めていただきました。

そうそう、キャバレー白馬は今も専属の生バンドがいるんですよ。バンドが実際に弾いてくれるなか、歌うことが出来るわけだ!!

歌はあんま自信ないんですが、せっかくキャバレーに来たわけですし、しかもお客さんは私だけ(*´▽`*)

ヘッタクソな歌を歌っても大丈夫っしょ!!ってことで、舞台に上がらせていただきましたよん。

お姉さんに撮ってもらった

33歳ではあるものの、普段スナックで昭和歌謡曲は鍛えてますからね!!

今まで、全国の歓楽街にあるスナックで歌いまくってきた実力をここで披露してやるぜーーーーってことで歌ってきましたよ。ちなみに、この写真撮影は、お姉さんにお願いしました(笑)

えっ、、なに歌ったかって??

それはですね、、ジュリーこと、沢田研二の『時の過ぎ行くままに』ですよ♪

あなたは〜すっかり〜・・

結局、一曲だけしか歌いませんでしたが、こうした舞台で歌うことはもしかしたら人生で二度とないかもしれない。

カラオケとかスナックで歌うのとは違い、舞台に上がればちょっとした歌手の気分!

もっとお客さんがいたら、それはそれで手拍子でもしてくれて楽しいだろうな~と思ったりするけども、『時の過ぎ行くままに』は、手拍子出来る曲じゃないか。。

ちなみに、平成の曲も歌えますが、AKBとかは曲目にないからね(笑)

おわりに

あっという間だった・・

ということで、話を聞いたり一曲歌ったり、あとは写真を撮ってたら、あっという間に80分が経過してしまいました。もうちょっとこの空間に浸りたかったですが、これはまた八代に来るしかないっすね!

今度熊本に行くのはいつになるのかわかりませんが、本当にお店に行けて良かった。そして、キャバレーという世界を体験することができて、本当に良かったです。

代表の方もスタッフの皆さんもすんごく親切で、良い旅の、そして一生ものの思い出になりました。

また、挨拶しに行けたらいいな!!

参考文献

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詳細・地図

住所 熊本県八代市本町1丁目13−9
料金 飲み放題で80分5500円
営業時間 20:00~24:00
定休日 日曜日(現在、新型コロナの影響で月曜日も定休)
駐車場 なし
電話番号 0965-33-3211
アクセス JR八代駅から徒歩20分ほど

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