こんちわっす!
今回は、東京にある大変古い建物の旅館がターゲットになります。
その名は「大宗旅館」。”おおむね”ではなく”だいそう”と読みます。ここは東京都中央区、いわゆる築地市場の割と近くに位置する旅館なんですが、周辺に高層マンションが立ち並ぶなかでも木造の旅館が残っているというなかなかの光景が広がってる場所だったりします!
マジで、昭和のおばあちゃん家に泊まりに行ったような、凄い時代錯誤を感じる旅館でした。今回は宿泊をして、さらにお母さんからもいろんな話を聞いたので、その辺を以下でまとめていきますね~~!!
物凄い時代錯誤を感じる建物
近くには築地市場や築地本願寺、さらには国際聖路加病院という有名な病院もあったりするまさに東京の一等地!!
その近くにある高層マンションが立ち並ぶエリアに、今回のターゲットである旅館が今でもひっそりと営業を続けています。
はい、ココっす!!
周年がびるだらけではあるものの、一つだけ木造の建物があることがわかります。ものすごい時代差ですよね。。
まぁ今でもこういった木造の建物は全国を探せばたくさん残ってるので決して珍しい建物ってわけでもないですが、この中央区でビルに囲まれた中残っているというシチュエーションが何ともいえないっすわ(;・∀・)
パッと見は「営業してるのかな??」と思うかもしれないですが、もちろん営業中!
今回は電話で予約して、16:00ころに訪問することと相成りました!!
では、中に入ってみましょう!
ほい!!
ここが、今回私が宿泊したお部屋になります。もう凄い和な雰囲気ですよね。令和の東京の一等地にも関わらず、これだけ昭和な雰囲気に浸れるなんて、私はもう幸せですよ~~(*´▽`*)
ちなみに、大宗旅館は素泊まり6,000円っす。
そのため、16:00にチェックインを終えた私は、夜の築地をふらっと散策しながらちょっと早めの夜飯を食べに行き、二時間後くらいに再び旅館へとカムバックしたのでした!!
旅館じゃなくて民家だった
部屋に帰るとお母さんが布団を敷きに来てくれました!
「今晩はどこでご飯食べてきたの?」
「夜は寒いから、布団十分に敷いておくね」
そんな会話をしながら布団の用意をしてくれるお母さん。その時に、いつものように、色々と旅館の背景とかの話を聞かせていただきました~!
大宗旅館の建物が建てられたのは、1930(昭和5)年。つまり、今から90年近くも前なんですね。そしてここは旅館として建てられたわけではなく、あくまで民家だったみたいです。
そうそう、これだけ古い旅館があるということなので、「この辺は昔旅館が立ち並んでいて、大宗旅館はその生き残りなのかな?」とか思ってたんですが、昔は民家や商店、後は恒常的なものが建ち並んでいた感じだったみたいです。
「戦前はね、築地の仲買い業者だったんですよ。入り口正面が帳場だったのよ。」
大宗旅館の玄関を開けると、正面にこんな扉が現れるんですが、ここが帳場で取引をしていたみたいです。
ただ、前後になると鑑札が取り上げられて仲買い業者を続けることが出来なくなったそうです。。そこで、先代のお婆さんは「二階にある部屋を使って旅館にすっか!」と、旅館への転業を決めることになります!
戦後に鑑札が取り上げられて、仲買いが出来なくなった。。そこで、二階の五部屋を使って旅館を始めた。さらに、実は三階にも部屋があって、二階がいっぱいの時にはそこにも泊めていた。
そんな大宗旅館は、先代のお婆さんの後を継ぎ、今のお母さんが継承しているとのこと。ご主人さんは無線関係の会社のサラリーマンだったようで、サラリーマンと旅館経営という共働きで乗り切ってきた。
ご主人さんは、会社を定年退職したあとは30年ほど年金暮らしをして、90歳で亡くなったとのこと。現在、お母さんは78歳。
機械が好きだったというご主人。会社から無線機を貰って機械いじりをしていたそうで、今でも玄関にはその名残りが!
閉業も考えているという・・
あっ、そうそう、あとこの旅館はテレビの取材でも使われたことが何度かあうようでして、、
ブラタモリでタモリさんが訪れたり、『旅猿』という旅番組では岡村隆史と東野幸治がこの部屋で撮影したことがあったとか。お母さんは岡村さんと少しだけ話をしたそうで、そんなことも少し話してくれました。
という感じで、色々な昔話を話してくれるお母さんに、今までどんなお客さんがココに宿泊してきたのかも聞いてみました。
昭和の時代は、近くにある築地市場関係の方、あとは建築関係の方が長期滞在していたそうです。平成になると、この辺へ出張に来たビジネスの方が泊まりに来ることが多かったとか。
さらに、以前は仕事終わりに夜中まで麻雀をする建築関係のグループがいたという話をしてくれました。彼らは終電を過ぎても麻雀を打つため、家に帰ることが出来ず大宗旅館に泊まって翌朝からまた現場に行ってたという。
「夜中に一升瓶持ってやってくるのよ。急いで布団敷いて三時に寝るでしょ。そんで朝の八時から仕事に行くの。」
「忙しい思いをさせてもらったのは、そのグループが最後だったかな・・・ 」
とはいえ、令和の時代にもなるとお客さんは大変少なくなり、特に今では新型コロナウイルスの影響もあって、お客さんは私みたいなこういう建物に興味あるとかそういう人が月に一人泊まりに来るくらいだという。。
「閉業するかも考えてるんですよ・・」
話をしている中で、お母さんはボソッとそうも話していました。。
あとはですね~、ブログでは書けないような結構深い話までしていただきましたよ。私みたいな古い建物好きな人間からしたら、できる限りこうした建物は残ってほしいと思うものの、維持する側は本当に大変なんだなと改めて思い知らされました。
お母さんから聞いた話の中で、ブログに架ける話は以上ですかね。。(笑)
まぁ何度も言いますが、本当に旅館というか田舎のおばあちゃん家に泊まらせていただいてるって感覚の方が近いです。
トイレも洗面台も風呂も共同
旅館の背景をサラッと紹介したところで、後は館内の様子をひたすら写真で紹介していこうと思います!
こちらは二階のトイレと洗面台。元々この建物は民家として建てられているので、共同利用になります。
もっというと、お風呂に至っても宿泊客とご家族共同なんですわ(笑)
一階に下りてきましたが、そのお風呂場がこちらなんですけど、床のタイルなんかは本当に懐かしいですよね。家族の方と共同ということですが、今日は私が一番風呂を入らさせていただけることになりました!!
あっ、あと脱衣所の足元にもこんなタイルがありました!
あと、風呂場の天井の作りはとても素晴らしいっすね!
周辺の素材はパッとはわからないですが、中央に使われているのは竹でしょうね~~。
風呂の周辺で紹介したいのはこのくらいですかね!
では、再び二階へと上がっていくことにします。
館内にある数々のレトロ
なんだか、この建物にあるとすべてがレトロで懐かしいものに見えてしまう。昔は部屋でタバコ吸う客がいたのは当たり前だったでしょうね。
今では吸う人も減ったのか。廊下に灰皿が置いてありました。
あとコレもまさに昭和の家電でしょうが、冷暖房機ですかね。今も動くのでしょうか??
今だとリモコンが当たり前ですし、表示は液晶っすよね。回したりスイッチも色々あったり、今の時代に見るからなのか懐かしくもあり面白くもある。
今日の宿泊客は私だけだったということもあり、鍵かけませんでしたけどね(笑)
もう、この鍵はすっかり見慣れてしまいましたな~。最初はビックリしましたけどね(;・∀・)
あと、私が宿泊した部屋にはこんな欄間もありましてですね。凝ってますよね~~
反対の部屋から見ると、明かりで欄間の彫が際立って見えます。美しいけど、私の写真撮影技術がクソ過ぎて無念・・。
こうした古い建物は、細かく見るといろんな発見があって楽しいものです。私は結構いろんな建物に行って、少しずつ期の素材とかそういう知識も蓄えている最中でして。
この細い二本の木は、桜っすかね??
男性用トイレのガラスも、美しい・・
はい、ということで再び部屋に返ってきました!
しかし、布団にコタツってやっぱり絵になりますね。昔の学生寮みたいな部屋に見えますわ(笑)
そして、いつものように土曜の夜はテレビの音を聞きながら、ブログ執筆に勤しんだのでした!!
他の記事でも書いてますが、ブログの記事を書きながら旅館で過ごす夜の時間が本当に至福の時間なんですよね。
おわりに
そして、夜中の1時くらいでしょうか、もう眠気がピークに達して眠りについたわけですが、いや~、改めて今の東京都中央区とは思えない光景ですよ。
この大宗旅館はずっと泊まりたかったので今回は念願の訪問となったわけですが、とりあえず泊まることも出来てお母さんともいろんな話が出来て良かったです(*´▽`*)
先ほども書きましたが、お母さんが「閉業も考えてる・・」とおっしゃっていたので、キニナル方は早めの訪問をお勧めします。こういう旅館って、本当にどんどん姿を消してますからね。。
では、今回の記事はここまで。また次回の記事でお会いしましょ~~!
参考文献
詳細・地図
住所 | 東京都中央区築地7丁目10−5 |
---|---|
駐車場 | なし |
電話番号 | 03-3541-7152 |
アクセス | 築地駅から徒歩で6分ほど |