二子三業地の名残りは、電柱、街灯、神社にあり!

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こんにちわ〜〜〜っす!

今回も前々回、前回の記事に引き続き神奈川県にあった多摩川沿いの歓楽郷「二子三業地」についての記事になります。今回が三部作の最後ですね。

前々回は二子三業地誕生から終焉までの流れを書き、前回はこの地に唯一現存する料亭「やよい」についてをまとめました。

そんで、今回はそんな二子三業地が現在どうなっているかという点をまとめましたので、以下で紹介しますね〜〜!

本記事のポイント

・料亭の屋号が書かれた電柱が残っている
・「二子三業組合」と書かれた街灯が12本残っている
・豆まきなどのお祭りが行われた神社にも三業組合の名残りがある

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「やよい」の屋号が残る電柱がある!

ということで、今回の記事では二子三業地の跡地に残る花街の痕跡を紹介するわけですが、ここには「電柱」「街灯」「神社」に花街の名残りが残っているんですよね。

なので、その三点に分けて紹介したいと思います!!

まずは電柱に関して!

色街の名残りは電柱にあり

遊廓や花街跡に行くと電柱に名残りがあるケースって結構多いんですよね。

「新地」「楽天地」「新天地」という名称はそう言った場所で使われることが多いので、これらはよく見かけるんですよ。今ではこれらの名称が使われてなかったとしても、こうして電柱には残ってたりするものなんです!!

「弥生」と書かれた電柱

そう思って二子三業地でも電柱を見てみると「弥生」と書かれているものが数本残っています。ここの三業地にある電柱全部ってわけではないですが、料亭「やよい」周辺の電柱はこうなっているんです。

というように、近くにある丸子花街でもそうなんですが料亭とか旅館の屋号も電柱に反映されているケースって結構あるんですよね!

まぁ他の人からすると「だから何すか??」という感じかもしれませんが、私からすると「こんな場所にも賑やかだった時代の痕跡が残っているんか〜」と感慨深くなるんです。。

私の気持ち、わかってくれます??(笑)

「二子三業組合」の銘が入った街灯

電柱の次は街灯っすね!

この地に残る花街の名残りとして私的に一番取り上げたいのが「二子三業組合」という銘が書かれた街灯っす!!

よく注意して見ないと素通りしてしまうんですけどね、、

これよ、これ

この電柱をよく見ていただきたいんです!!

この赤く丸した奴ね!

この街灯、一見普通の街頭に見えるんですが、よく見てみると、、

「二子三業組合」と書かれているでしょ!

探すとたくさんあった

ただこの「二子三業組合」と書かれた街灯、一本だけではなく探してみると結構たくさん残ってたんですよね。現役の時代にはもともと何本あったのか不明ですが、とりあえず今現在で何本残っているのかを探したところ、、

全部で12本も残っておりました!!

あえて残しているのか、ただほったらかして残っているだけなのか、その辺の背景はようわからんですが結構な本数が残ってるんだと深く感心。

先っぽもいろんなタイプがあった

そんでそれぞれ上を見上げてみるとですね、昔のままっぽい灯りが残っているものもあれば、LEDに取り替えられているものもあれば、何もないただの棒と化しているものまで!

先っぽがない奴は、どうしてそうなっちゃったの!?笑

一応、12本がどこにあるのかをまとめたマイマップを作成したので、こんなマニアックな探索をしたいと思った方がいましたら、参考にしてみてください(笑)

田辺新地に残る雪洞

ただ街灯にもタイプがいろいろありましてね、例えば和歌山県の田辺新地という場所には上の写真の街灯というか雪洞(ぼんぼり)という形で今でも残されております。これはすごく風情あるし、花街だったことを思わせる名残りとなっているんですよね〜。

こうやって住宅街となっても、かろうじて花街の名残りが残っているだけでも

豆まきが行われた二子神社

豆まきなどの祭りが行われていた二子神社

あとはこちらの二子神社にも目を向ける必要があります!

この二子神社では豆まきなど三業地関連のお祭りが行われた場所でした。花街にある神社だと、酉の市が行われていることが多いですが、ここでは酉の市ではなく豆まきが行われていたんですな〜。

ここ、本殿は上の写真に写っている建物なのですが、、、

本殿の右奥にはもう一つ、「稲荷社」という小さな祠があるんですね。

ここをよく見てみると、、

「二子三業組合」と書かれている

ね、「二子三業組合」と書かれていますでしょ!

三業組合総出の行事 二子神社祭礼
引用元「高津区制40周年記念誌 たかつ ひと・まち・記憶」

この稲荷社は二子三業組合が出資したことで作られたようです。

前々回の記事でも上の写真を載せましたが、こうして二子神社の祭礼では三業組合が総出でお祭りを盛り上げたようです。いいね〜賑やかだったんだろうな〜。

屋号にも名残りがあるんすよね

あとはですね、アパートに屋号にも注目したいんですよ!

「小池」「幸林」の屋号が残る

昔の住宅地図と照らし合わせると、ここにその名残りがあるようでした。

多摩川沿いには「小いけ」「幸林」などの料亭が建ち並んでいたようですが、上の図の「上部である現在の地図」と「下部の1970年の住宅地図」を比較すると、「小いけ」「幸林」の料亭時代の屋号がそのままアパート名に使われているんですね。

「幸林」の屋号が残る

こういう所も、花街の名残りを探索する一つのポイントだったりします。料亭だった場所の区画にそのままアパートやマンションが建っている場合は、こんな感じでそのまま屋号が受け継がれていることがあるんですよ!!

跡、名残りなのかわかりませんが目についたものが一つありまして、こちらのアパートの入り口に注目してみると、、

これは富士山ですかね!

素晴らしい作りをしたものがありました。ここも地図を見ると旅館だったみたいなので、その名残りなのかな??

今も現役の料亭「やよい」

まぁ、あとは前回の記事でも書きましたが、料亭「やよい」ももちろん痕跡の一つです(笑)

二子は私の家から近いということもあって、四回近く散策したわけですが、今現在で花街に関する名残りというと多分このくらいだと思います。

神奈川県の花街跡でいえば結構痕跡は残っている方だと思いますけどね。でも、二子の花街はそこまで名が挙がる場所でもないのか、ネットでも探索している方はほとんどいないみたいですけどね。

おわりに

という感じですかね!

二子三業地に関して三記事にわたって紹介してきましたが、いろいろ調べて放出できる情報はこのくらいっす。

料亭「やよい」の女将さんとは名刺交換もしたし、私の家からも結構近いのでまた訪問したいとは思ってますけど、いろいろ私もやらなきゃいけないことがたくさんあるから落ち着いたらかな。

何か新たな情報を仕入れたりしたら続編を書くかもしれないですが、二子三業地に関してはとりあえずこれで終結ということで。

ではでは、また次の記事でお会いしましょう〜〜

参考文献

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詳細・地図

住所 神奈川県川崎市高津区二子1丁目20−1
アクセス 二子新地駅から徒歩5分弱

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