今回は、二子三業地の記事の続編になります。
神奈川県川崎市高津区の多摩川沿いには、昭和50年頃まで二子三業地という花街がありました。関東大震災や多摩川に架かる二子橋の建設を機に誕生したこの花街は、売春防止法や娯楽の変化などによって料亭が姿を消していき、昭和50年代頃には消滅してしまいました。
その辺の背景は前回の記事にまとめたわけですが、今回はそんな二子三業地に残る最後の料亭「やよい」を訪問する機会があったので、その館内の様子と、三代目の女将さんからいろんな歴史を聞かせていただいたので、その辺をまとめております〜!
二子三業地には料亭が残っている!

ということで、やってきました二子三業地最後の料亭「やよい」。
この料亭、普段は他のお店のようにお客さんを入れて料理を提供しているわけではないため、存在は知っていたし何度か建物の外観は見に来てはいても館内に入ったことはなくてですね。。なので「何かの機会に、中に入ることができればな〜」と、ずっっっっっっっっと思っていたんですよ!!
ところがです、ここの近くにある大山街道歴史館という施設のイベントで、料亭「やよい」を訪問する町歩きイベントがあることをツイッターのフォロワーさんから教えていただき、即座に参加予約を行なったことで、やよいの訪問が実現することになりました( ̄▽ ̄)
本当、フォロワーさんに感謝でございますm(_ _)m
ではでは、早速中に入ってみることにしましょう!

扉の前では「料理店」の鑑札がお出迎え!
二子にも残ってましたか。神奈川県では川崎堀之内、横浜日本橋、横須賀皆ヶ作、真鶴、小田原などなどいろんなところに現存してますが、ここにもあったとはな〜。
生きてる限りは料亭を残したい!

そして館内に入り、三代目となる女将さんから二子三業地や料亭「やよい」の歴史に関していろいろと教えていただわけです。女将さん、すごく親切な方でどんな質問にも答えてくれて本当に感無量でございました(⌒▽⌒)
ということで、軽く「やよい」の歴史を書いていきますか!

そもそもこの料亭、元々の屋号は「おしず」であり、それは先代の女将さんのお義母さんの名前である”しずえ”からつけられました。今も庭には「おしず」と刻まれた石灯が残されているんですよ!
ところが、「お」が付くお店が増えてきたため、「『お』のつく名前はやめる!」といって保健所でお店の登録を降り消した過去もあったとのこと。
お店の名前を「やよい」にしたのは、「どこかの人が”やよい”って店をやって凄く繁盛して出世した」って話を聞いたので、それにあやかったという。
現在の建物は1950(昭和25)年くらいに建てられたとのこと。当時は二階建ての建物はこの辺に無く、多摩川で花柳界による花火が行われていたため、それが見えるように二階建てを建てたんですって!
今は、周辺の建物も高くなっていて多摩川見えなくなってますけどね。。


お客さんとしては高度経済成長期以前は職人や芸術家の方など個人の方が多かったが、徐々に職場の方々などの団体客が多くなったそうです。
売春防止法などで周辺の料亭は続々と廃業していくなか、二代目の女将さんが「生きている間は『やよい』を残したい!」という思いが強かったことで、今でもこうしてお店は廃業届を出さずに料亭として残っているとのこと。
風情ある意匠が満載の館内!
では、続いては館内で撮りまくった写真を載せていきますね!!

玄関の扉を開けるとまず目に飛び込んでくる光景!
富士山が描かれた丸窓が現れるんですが、これはこれはとても素晴らしい意匠っすな。

廊下にある戸にもこんな模様が描かれているし、、

玄関の戸にもこうして風景が描かれてるんですよね〜。

さらに、視線をあげるとこんな灯りがあるんですが、よ〜〜く見てみると、、、

梅の木にウグイスがとまっている様子がこうして作られているんですな〜。

あと、感慨深かったのがこの鏡!!
左下に「小ぼたん」「あや子」と書かれていますが、これは芸者さんの源氏名。この芸者さんたちから送られた鏡なんですって!

ではでは、階段を上って二階へ行ってみることにしましょう!
ちなみに、この建物に階段は二つありましてですね、一つはお客さんが上り下りするためのもので、もう一つは料理を運ぶための階段とのこと。こちらはお客さんが上る用の階段ね!

二階にも、窓にはこんな風景が描かれていました。波の上を鳥が優雅に飛んでる姿が描かれていますね。

二階には部屋が二つあるんですが、まずはこちらから。
今の三代目の女将さんは、舞踊、あとはお茶の先生でもありこちらは稽古場になっているそうです。

写真でどんくらい伝わるかわかんないですが、この部屋もすごく風情ある雰囲気。正面に大きな鏡がありますが、踊りの教室だからでしょうね!


こちらはさっきも写真載せましたが、二階の個室。
ちなみに、この建物は二子神社を作った宮大工さんが建てたようです。かなりしっかりした造りになっていて、東日本大震災のときもビクともしなかったそうですよ。
花街が賑やかだった時は、24時間営業状態。そのころは営業時間という概念がなかったそうで、お客さんが来れば何時であろうと芸者が呼ばれていました。なので、この部屋ではお客と芸者さんが常に入れ替わり立ち替わりだったんでしょうね〜〜。


シャンデリアにもこんな模様が描かれてましたよん。

今では二階の窓を開けると周辺の建物が見えるだけですが、二階建てにした昭和25年頃は他の建物は平屋で二階は無かったため、ここから多摩川が見渡せたみたいですよ。


はい、再び一階に下りてきて今度は広間を!

そんな広間にあった柱ですが、縦にヒビが入っていますよね。これ、入ってしまったのではなくわざと入れてるんですが、なぜかわかりますでしょうか?
木造の建物だとよく見られるものなのですが、これは「干割れ」を防ぐためなんですね。木というのは徐々に乾燥してくるので、時間が経つと木が締まっていってヒビが入ってしまうんです。
が、事前にヒビを入れる(これを背割りと言います)ことで、他の面にヒビが入ることを防ぐことができるんですね。木造の建物に行った時には柱を見てみるとこのヒビを見ることがよくあるので要チェックっす!!

上げ下げ式で、襖をずらすと粋な模様がお出迎え!!
他にもまだまだ写真はたくさんあるのですが、代表的な部分はこんな感じでしょうかね。イベントが終わった後も、女将さんにいろいろ質問してたら私とフォロワーさんだけの館内貸切状態でさらに案内していただけたので、今回訪問できて本当に大満足でした!

売春防止法が適用される1958(昭和33)年までは「待合」だったそうですが、それ以降は待合での宿泊が出来なくなり、一時は「旅館」だった過去もあったようです。
以前までは一日一組でお客を取ってはいたものの、今ではお茶の教室や落語のイベントなどで使われ、たま〜に仕出し料理をよそからとっているとのこと。とはいえ、まだ廃業届は出していないので、現役の料亭ではあるのです。
しかし素晴らしい建物だった、本当に今回の機会に感謝でありますm(_ _)m
おわりに

凄く親切にいろいろ教えてくれた女将さん。
料亭「やよい」は、今の女将さんの代で閉業するそうです。ずっと気になっていたお店だったので、こうして訪問できたことは大変貴重な機会となりました。女将さん、本当にありがとうございました!
これからもお元気で!
ということで今回の記事は終わりますが、二子三業地に関してはもう一つ続編記事があります。この料亭「やよい」以外にも、現地を徘徊すると多少なりとも花街の痕跡が残ってるんですよね!
↓↓以下が続編になるので、よければこちらも読んでみてくださいね( ̄▽ ̄)
参考文献
詳細・地図
住所 | 神奈川県川崎市高津区二子1丁目20−1 |
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アクセス | 二子新地駅から徒歩10分弱 |