こんにちわ!
日本中の知られざるスポットを取材してブログにしている『知の冒険』。今回は、山梨県富士吉田市にある『大国屋』という民宿を取り上げます。
前回の記事では、御師住宅である外川家を取り上げて富士講・富士信仰に関する内容をまとめましたが、今回の大国屋も外川家と同じ御師住宅だった建物。
その大国屋は、現在民宿として一般客が泊まれるようになっており、以前私も宿泊してきたので、そんな大国屋について以下にまとめていこうと思います!!
富士信仰の歴史に触れられる貴重な宿坊
今回紹介するのは、山梨県富士吉田市にある「大国屋」という旅館。
地図で示すとココになるんですが、絶叫マシーンだらけの富士急ハイランドからそんな遠くない場所にありますね!
大国屋がある上吉田からは、天気がいいとこんなに素晴らしい富士山が見えます!!
いや~富士山は何度見ても素晴らしいですよね。目の保養になりますわ(∩´∀`)∩
そんな上吉田の通りには、今も昔の名残りとして、上の写真の様な入り口に石柱が建つ厳かな雰囲気がちょくちょく見られます。
ココが大国屋の入り口になるので、早速入ってみることに!
いや~素晴らしい雰囲気。
正面に二つの玄関が見られますが、右側は富士講の先達、いわゆる立場が上の方が入る用の式台で、そうでない方は左側から入ってたって名残りかな?
今は、その式台が入り口になってますね!
中に入ると、イカツイ兜と屏風がお出迎え!!
創業から300年以上もの歴史ある旅館だけあって、古(いにしえ)の雰囲気満載で、入り口から最高ですわ!(^^)!
宿泊当日はお客さんは私だけ。宿泊部屋、さらには他のロビー的な部屋も結構広く、一人で悠々自適に過ごさせていただけました(*´▽`*)
館内に入ると、さっそく女将さんが出迎えてくれました。んで、いつものように私が古い旅館が好きなこと、さらには歴史、特に今回であれば富士信仰の歴史を調べるのが好きってことを伝えると、女将さんが大国屋の歴史についていろんなことを紹介してくれました~~(∩´∀`)∩
ということで、ここからは、ちょっと大国屋の歴史を紹介しますね!
大国屋の歴史を女将さんから伺った!
大国屋は創業から300年以上経っていることもあり、今の女将さんの代で17代目。17代ってすごいですよね!!とはいえ、300年前からずっとこの場所で営業しているというわけではなく、昔はもう少し富士山寄りの場所に位置していました。
こちらは明治25年の上吉田の様子を写した地図ですが、この時点では既に今の大国屋があるエリアに御師住宅がビッシリと建ち並んでいるのが分かるかと思います!!
上吉田に宿坊エリアが誕生したのは1572(元亀3)年のとき。まだ江戸時代よりも前になるんですが、この時は上の地図の赤枠で示した浅間神社の方、つまり今の場所よりもっと富士山側に宿坊がありました。
でも、雪代(ゆきしろ)という、富士山で発生する雪崩が発生する場所だったこともあり、この災害による被害が深刻だったことから、もう少し富士山より遠い現在の場所に宿坊を建て直したというのが背景にあります。
先ほどの地図を拡大すると、「田辺」って名字が見られるかと思いますが、ここが大国屋。
江戸時代、江戸で富士信仰が盛んだった最盛期には86軒もの宿坊が建ち並んだそうですが、富士山が信仰の山から観光の山へと変わっていったこと、さらには交通の発達によって、わざわざ宿坊に立ち寄らなくても公共交通機関や自動車で直接登山口まで行けるようになったなどの時代の変化から、宿坊へ訪れる人は激減。。
それにより、御師宿坊は民宿になり、その傍ら、収入の柱は学校の先生などの職で賄うようにもなっていきます。やはり、御師という格式高い家ということもあるからか、民間企業でバリバリ働くというよりかは教師のような仕事へ就く方が多かったみたいですよ♪
現在は菊谷坊、大鴈丸など、大国屋以外にも宿泊できる建物はかろうじて残されており、大鴈丸はゲストハウス的な今風な感じで営業しているそうです。筒屋さんはネットで検索しても宿泊する口が見つからず、泊まれるかは電話してみないとわからんすが・・。
本記事では超ザックリと歴史を紹介しましたが、大国屋の近くで同じ御師住宅を資料館として一般公開している「御師 旧外川家住宅」について書いた前回の記事にまとめていますので良かったらこちらも見てみて下さいね!!
貴重な古文書もたくさん残っている!
ということで、大国屋も今は民宿として色んな方が泊まれる宿になっています。あと、今も富士講の方々は今もいて、夏になると大国屋に泊まりに来るんですって!
お客さんとしては、他に富士山目当てにやって来た外国人観光客、あとは高校生の合宿など大人数の団体客を受け入れたりもしてるそうです。建物、そして一つの部屋も割とデカいので大人数を行け入れるのにはもってこいなんですな~!!
そんな大国屋には、庭に大きな蔵があって、ここに古文書などたくさんの資料が残されているそうです。どんな古文書が眠っているのか見てみたいとは思うものの、たぶん古文書見ても何て書いてるかわからんだろな・・(笑)
この蔵は、富士講の歴史を調べている大学の先生、さらには建築関係の調査で訪れた方などに見せたりするそうです。
この蔵には、文章が書かれた書類だけでなく、太太神楽(だいだいかぐら)の際に出した豪華な料理の3mにもなる献立の記録だったり、色んな貴重な資料が保管されているそうです。んで、そうした資料は時折博物館に貸し出して展示したりもしてるんですって!
とはいえ、蔵の中だけでなく部屋にもたくさんの富士信仰に関する文献などがたくさん並んでました。逆に何から読んでいいかわからんですな・・( ;∀;)
たくさんの資料の中から、とりあえず『富士吉田市史研究』を取り出して読んでみた私。。ところが、当然読み切れるわけでもなく、サラッと目を通した後、テレビ見たりブログ書いたりしてたら、あっという間に一晩が過ぎてしまいました。。
こういう資料とか、時間かけてどっぷり読みまくりたい思いはあるものの、、なかなか時間とれないんですよね。。
あと、建物の裏には結構広い敷地が残されてました。昔は池があって鯉を飼ってたんですって!
あと、御師宿坊には富士講の方々が祝詞を読み上げるための御神前があるんですが、大国屋には見当たりませんでした。。女将さんに聞いてみると、昔は庭にそうした御神前があったそうですが、浅間神社に寄付したので、ココには無いんですって!
とはいえ、館内を見渡すと、少しばかりこの建物が宿坊だったという名残りが見られました!
そのひとつが、コレ!!
札には「食行身禄(じきぎょうみろく)」の文字が見られますが、この方は富士信仰の祖と言われている角行の弟子であり、富士講を広めた方として知られている人物。この方は、1671~1733年の間に生きた方であり、大国屋は彼が宿泊した記録も残っています。
あとは、屋内にも提灯が見られ・・
廊下にもこんなのが。
この廊下の雰囲気が好きで、椅子に座りながらボーッとしてました(笑)
おわりに
はい、以上になります!
女将さんが凄く親切で、チェックインとチェックアウトの時に合わせて1時間くらい宿坊の歴史とかを話してくれました。
そして大国屋以外にも、女将さんは月江寺の方にある「新世界乾杯通り」のイベントにも関わってたりもするんですって。「新世界乾杯通り」は、富士吉田市にある昔のスナックが建ち並ぶ通りで、地域おこし協力隊が入って若い方が色々盛り上げている場所!
女将さんも、色々活動されてるんですね~~
ちなみに、今回は大国屋を紹介しましたが、今度は同じ元宿坊の菊谷坊にも今度泊まる予定ですので、こちらの記事も近々書き上げようと思います(∩´∀`)∩
ではでは、今回はこのくらいにして、また次の記事でお会いしましょ~~!
参考文献
詳細・地図
住所 | 山梨県富士吉田市上吉田5丁目10−25 |
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駐車場 | 無料 |
電話番号 | 080-5198-0491 |
アクセス | 中央自動車道河口湖I.Cから車で5分 東富士五湖道路山中湖I.Cから車で15分 富士急行線富士山駅から徒歩5分 富士急行線富士山駅から富士急バスで北稜高校入口で徒歩1分 |