多くの飛行兵を育てた歴史を「桶川飛行学校平和祈念館」で学ぶ!

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こんちわっす!

日本中の知られざるスポットを取材してまとめたブログ『知の冒険』。今回も、またまたニッチな博物館を紹介するわけですが、今回紹介するのは、埼玉県桶川市にある「桶川飛行学校平和祈念館」です!

以前の記事では、茨城県の笠間市にある「筑波海軍航空隊記念館」という海軍に関するスポットを取り上げましたが、今回は陸軍っす!

前回の記事でも書きましたが、知覧や万世など太平洋戦争関連の施設は九州に多いイメージがりますが、関東にも探せばあるものなんですね。桶川に陸軍の分教場があったという歴史はかなりマイナーではあると思いますが、ここにどんな歴史があったのか、以下で説明しますね~(*´▽`*)

本記事のポイント

・建物が残り続けていたこともあり、2021年8月にオープン
・戦争が終わった後は、引揚者や戦災者の方々の住まいとなった
・分教場時代の建物の部材を用いて、建物を復原

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少年飛行兵たちの宿舎を復原

ということで、川崎の自宅から埼玉県桶川市まで、ポンコツ軽自動車を走らせてやってきました!

いや~埼玉県ってそれなりに開拓しているつもりではありますが、まだまだこんな場所があったんですね。10:00過ぎという割と早い時間帯に来たからか、土曜ではあったもののお客さんは私ともう一組の方しかいらっしゃいませんでした。

まっ、私が行くニッチな博物館って、大体いつものんな感じですけどね(;・∀・)

隊員達が寝泊まりしていた宿舎

敷地にはいくつかの建物があるんですが、メインはこちらの建物っす。

ここは、桶川分教場時代は隊員たちが寝泊まりしていた宿舎になります。詳しくは後で描きますが、この近くの川の対岸にはだだっ広い場所がありましてですね、、そこが飛行訓練場となっていたんですね。そんで、彼らはここで寝泊まりしていたというわけっす。

こちらの建物に受付があるので、早速中に入ってみましょ~~

外も中も凄くきれいだった

受付を済ませて展示室に向かうわけですが、宿舎だった建物は閑散としていました。廊下も、上の写真の通り殺風景ですよね。

大抵はこういうのって地元のイベントのポスターが貼ってあったりするんですが、そういうの何もないわけですよ。でも、分教場時代もこんな感じだったでしょうし、当時の雰囲気そのままって感じでしょうか。

廊下に沿って展示室は四つ。

展示物はそんなに多いわけではないですが、部屋の周囲に説明が書かれたパネルは多いので、この分教場に関する歴史はそれなりに学べるかと思います!

展示物は、他の戦争関連の資料館にあるようなものがほとんどですかね。展示物に関する解説はあまりありませんでしたが、遺族の方から寄贈していただいたものとかなのでしょうか。

これは薩摩半島を写した地図っすね
玉留めで「武運長久」と書かれてますな

こちらは「千人針」っすね!

これも戦争関連の資料館にはよく見られるもので、私は京都にある舞鶴引揚記念館で初めて見たんですよ。

女性たちがひと針づつ縫っていき、返し縫いは「無事に帰ってこれるように」、また玉留めには「弾を止める」という意味が込められているんですよね。

実際の部材を用いて蘇った分教場

この建物は、分教場で飛行訓練をしていた隊員たちの宿舎棟だったということで、展示室となっている部屋は全て寝室だったようです。

なので、このように写真やパネルで桶川分教場の歴史を紹介している部屋もあれば、、

こうして生徒たちが寝泊まりしていた様子を再現している部屋もありました。

生徒たちは朝、この部屋から日々の訓練へと出発し、夕方、訓練から帰り就寝していました。そして卒業を迎えるとこの部屋を去り、戦場へと向かっていったのです。

しかし、えらい隙間なくビッシリベッドが置かれてますね。隣でイビキでもかかれたら大変そうだ。。(;・∀・)

ベッドは一部屋に18台置かれており、隣との間隔が狭いことから頭の位置を互い違いにするように配置されていたそうです。

見回りをする将校
出典:1943(昭和18)年「写真報道 学鷲」朝日新聞

館内には写真もあって、こんな感じで将校がちゃんと寝てるかを抜き打ちチェックする様子が写ってました。

あと、壁にはこんな棚がありまして、ここに隊員達の日用品や身に付けていたものを置いていたそうです。仕切りもないし、ここもギュウギュウだったんだろな~

整理整頓された二段の棚の様子
出典:1943(昭和18)年「写真報道 学鷲」朝日新聞

と思っていたら、こちらも写真があってこんな感じだったようです。

ここは映像室

この分教場だった建物は、見た目はだいぶ綺麗なので「一から新しく建てたのかな?」と思ってたんですが、そうでもないみたいなんですよね。

建て直しはしたものの、その際には分教場当時の部材を用いた(でも、少し新しい木材も用いている)んですって!

スタッフの方から教えていただいたんですが、この写真に写ってるもので見ると、真ん中から右側が当時の部材で左が復原にあたって新しく取り入れた木材ともこと。

触ると古い方がザラザラして違いがなんとなく分かるんですが、見た目だとあまりわかんないっすね。。

現在は、こうして廊下はだいぶ綺麗になってますよね。

でも、復原する前は、廊下も床が抜けるんじゃないかというボッロボロの状態だったみたいです。とはいえ、壊して更地にするのはもったいないとのことで、ものつくり大学の先生の監修により、建物を一旦ばらして組み立てなおしています。

はい、では館内の紹介はざっとこのくらいにして、続いては、桶川分教場の背景について、ちょっと説明しようと思います!

多くの隊員が訓練した分教場

今回紹介している祈念館は旧熊谷陸軍飛行学校桶川分教場だった歴史を伝える場所となっていますが、その分教場は1935(昭和10)年に開校した旧熊谷陸軍飛行学校(現航空自衛隊熊谷基地)の分校として、1937年(昭和12)年6月3日に設置された陸軍少年飛行兵実技教育訓練施設なんですね。

教官、学生以外は熊谷本校に雇用された地元の人たちで、学校事務の他、飛行機の整備や通信、気象などの業務にあたりました。

昭和18年3月までは、ほかの兵科から飛行兵を希望してきた招集下士官学生を教育し、以後、陸軍少年飛行兵、学徒出陣の特別操縦見習士官など、昭和20年2月の閉校までに20期余り、推定1,500~1,600名の飛行兵を教育しました。

というわけですが、関東には陸軍の施設だけでも、陸軍航空技術学校(埼玉県所沢市)、東京陸軍航空学校(東京都武蔵村山市)、熊谷陸軍飛行学校(埼玉県熊谷市)、陸軍中野学校(東京都中野区)などいろいろあって、どの学校が何をやってたのかとか結構わけわかんないんすよね(;・∀・)

その中でも、熊谷陸軍飛行学校は航空兵科下士官となる生徒、少年飛行兵などに飛行機操縦の基本教育を行った学校でした。その熊谷の学校には、多くの分教場が全国に点在していたようで、上の写真を見てもわかるように結構な数の分教場があったみたいっすね!

とはいえ、これらの分教場の中でも、桶川飛行学校平和祈念館のように博物館としてその歴史を語り継いでるのはココだけなんですよね!!

でも、それにはいろんな偶然があったからでして、大きな要因としては「建物がたまたま残り続けていたから」なんすな。

当時の滑走路は、今はホンダエアポート(軽飛行機専用の非公共用飛行場)になってるようです

桶川分教場は、終戦を迎えるとGHQに接収され、その後の一年間は連合国軍の駐屯地として活用されたものの、そのことが幸いして対岸の荒川河川敷に所在した訓練用滑走路や格納庫などと同様に、分教場の建物も解体されることなく残り続けました。

駐屯地としての役割を得たことで返還された分教場は、海外からの引揚者や戦災者、また、生活困窮者を収容する共同住宅に用地変更されることに。

地名からその寮は「若宮寮」と呼ばれており、昭和31年6月、この共同住宅には最大64世帯(303名ほど)が居住する一大コミュニティを築きました。

しかし、高度経済成長期を境に居住者は徐々に減り始め、平成19年3月に最後の居住者が退去したことで、60年ほど続いた引揚寮としての役目を終えたのです。

分教場だった当時の建物配置図

その引揚寮だった建物は、この図だと食堂・風呂棟や教室棟の建物だったようで、それを戦後に寮として使ってたみたいですね。

とはいえ、祈念館として本部宿舎棟だった建物がメインで残っていますが、引揚寮だったのは現在残っておりません。。

その教室棟があった場所がここなんですが、何もないっすね。。でも、建物があったと思われる跡は何となくわかりますけども。。

よく見ると、「建物跡」と書いてありました(;・∀・)

宿舎棟以外にも、今の記念館には生徒の便所・洗面所として使用された便所棟の建物もこうして復原されています。

生徒は朝の05:30に起床し掃除をした後、ここで顔を洗い歯を磨き、身支度を整えました。ちなみに、もちろん当時は水洗ではなくボットンっす・・(;・∀・)

あとは、敷地内にこんな建物があるんですが、こちらは桶川分教場時代はトラックなどの軍事車両を格納・整備するための建物だったそうです。

天井の梁がすげぇ・・

あと、こちらは入り口脇にある守衛棟。

桶川分教場時代には門衛が待機しており、生徒や教官、分教場で働く地元の人々など、入場者の管理をしていました。一時期は、生徒が利用する売店もあったそうですよ!

という感じで、これで祈念館の建物や展示は一通り見た感じですかね。マイナーな場所ではあるものの、結構勉強になりましたわ(*´▽`*)

おわりに

はい、以上になります。

ここはそんなに展示物が多いわけでもないですし、サッと見ると数分で見回れる場所です。とはいえ、説明が書かれたパネルが多いですし、興味がある人だと凄く勉強になると思いますよ!

たまたま建物が残っていたことでこうして記念館として今でも昔の歴史を語り継いでいるわけですが、こうした場所は本当に貴重ですよ。地味な場所かもしれないですが、多くの方に来ていただき、かつての先人たちの痕跡を語り継いでいっていただきたいと思っております。

ではでは、また次の記事でお会いしましょ~

参考文献

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詳細・地図

住所 埼玉県桶川市大字川田谷2335番地の16
入館料 無料
開館時間 09:00~16:30
休館日 月曜日(祝日の場合はその翌日休館)
毎月末日(日曜日の場合は開館)
年末年始(12月27日から1月5日まで)
駐車場 無料
電話番号 048-778-8512
アクセス JR高崎線桶川駅西口から、「東武バス」川越駅行きにて10分、バス停「柏原」下車、徒歩5分
リンク https://www.city.okegawa.lg.jp/soshiki/shiminseikatsu/jichibunka/shisetsu_ichiran/shogai_bunka/otherfacilities/1937.html

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