今回は愛知県の陶器に関するお話です。愛知県の瀬戸市は瀬戸焼という焼き物で有名な街。そんな瀬戸市には、陶器を作成していたことから窯垣の小径(かまがきのこみち)という歴史ある名所があるんだそうです。
今回のスポットは、瀬戸市になる焼き物の歴史を展示している「瀬戸蔵ミュージアム」を訪れた際に知った場所。ここで陶磁器に関して学んでいた時に、窯垣の小径を知り、ここも取材してみたいと思って速攻訪れてみたというのが、今回の記事を書くに当たった背景になります(^ ^)
ということで、今回は 「窯垣の小径」という場所にスポットを当ててその歴史などを説明していきますよ〜!!
本記事のポイント
・愛知県の瀬戸市は陶器が有名な街で、「窯垣の小径」という名所がある
・「窯垣の小径」とは、陶器を窯で焼いた際の資材を再利用して作られた垣
・ここでは、陶器を作りすぎて公害問題が発生していた
見出し
窯垣の小径はどこにあるのか?
窯垣の小径(かまがきのこみち)はどこにあるのかというと、愛知県の瀬戸市にあり、詳しい位置は上の地図の場所になります。このスポットは多分そんなに有名ではないのではないかと思いますが、行った結果としては歴史も多くとても行ってよかったと思える場所でしたよ!「隠れた名所」ってヤツですね!
窯垣の小径を歩く
窯垣の小径へは車で来たのですが、ちょっとアクセスがわかりづらいのと道が狭かった。。昼過ぎに到着して、階段を上り小径へと進んでいきます。
▲階段の脇には、陶器的なものが並んでいる
今回訪れたのはGWの最初の方!どこも人が多いのかと心配していたのですが、人はあんまりいませんでした。。ま、そういう場所を選んで取材してるんですけどね!人が多いと色々取材しづらいですからね(⌒-⌒; )
駐車場から階段を上がると、すぐに窯垣の様子を垣間見ることができます。左側のちょっとした壁には、それっぽいもので壁ができていますね!
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窯垣の小径が学べる「窯垣の小径資料館」
▲瀬戸市に関する陶器の歴史が学べる「窯垣の小径資料館」
そしてふらふらと歩いていると、資料館が現れました。ここは窯垣の小径資料館というスポットで、無料でガイドの方が陶器に関する歴史を教えてくれます!!ただ、この資料館は開館時間が10:00~15:00とラーメン屋の昼営業並の営業時間しか空いてないので要注意( ;∀;)
早速資料館に入っていくと、ガイドさんが陶器に関する様々な歴史を教えてくれました!!
昔は民家だった家を資料館に改装
▲馬を飼っていた痕跡が垣間見える資料館
この家には、以前はおばあさんが一人で住んでいたようですが、平成3年に亡くなってしまったそうです。その家を資料館にしようということで改築されて出来たのが「窯垣の小径資料館」になるとのこと。
元々はここで作られた陶器は馬を使って運んでおり、この家はその馬を飼っていた家でもあるのです。そのため、今でも馬が頭を出す窓(写真中央)や餌を与える口(写真下部のやつ)も用意されているわけです。
▲窯の中では、このように板と棒で組み立てられていた
そして、陶器というと土的なやつでこねた物をろくろに回しながら壺のような物を形作っていきますね!!その後は、窯で焼くわけですがこの窯垣の小径では、板や棒で組み立ててそこに陶器を置いて焼いていたとのこと。
で、使い終えたこれらの板や棒をこの辺の垣に再利用したという感じなんですね!!
で資料館に入る前に足元を眺めてみると、四角いタイルが敷き詰められています!そう、これらのタイルが、上で説明したように窯で使われていた板なのです。窯の中で板や棒で組み立てた場所に陶器を置いていたため、この板の上に陶器を置いて焼いていたわけです。
板には家紋のように製作者のマークが刻まれているのですが、おわかりになりますでしょうか?この板は、丸い円の中に2本の線が描かれていますね!
▲見ると、「中」の文字が刻まれている
こちらには「中」という漢字が刻まれていますね!中村さんか中島さんが作ったものとか??
右側の板に描かれているマークは、「中」の文字が四角く囲まれていて麻雀牌に見えてしまうのは私だけ??
これらのタイルは、瀬戸で取れる砂を使用して作られています。瀬戸の砂は焼くと白くなることを利用して、タイルが作られているようですよ!
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これが窯の中の様子
そして、資料館の入り口に進むと先ほど説明したこれが現れます!板と丸い棒みたいなやつで高く積み上げていって、その隙間に陶器を置いているというのは先ほど説明しましたが、まだ説明してないことが一つあるんです。肝心なのは、陶器は丸い筒の中に入れてあるということ!
そう、この矢印で刺している物を見ると、焦げ茶色の陶器が筒の中に入れられているのが分かりますね。で、これが何かということになるわけです。。
なぜわざわざ筒に入れる必要があるのかというと、窯の中で陶器を焼く際には燃料である松の木を投げ入れていたからです。実際にその様子は映像で見るとわかるのですが、窯を焼くときには窯の入り口には「薪を渡す役」と「渡された薪を窯に投げる役」の2人がいました。この二人が餅つきの時のリズムのような感じで薪を窯にバシバシ放り投げていくわけです。
そんな感じで窯の中に薪をぶん投げるため、陶器は筒の中に入れておかないと陶器に薪が当たって欠損してしまう可能性が十分にあるんですな。そのため、筒に入れているわけです(*’▽’)
で、この筒も小径の途中でこんな感じで再利用されているさまを見ることができます。ただ、こう見るとなんか無理くり積み上げられているような気がしますな( ;∀;)
庭にも広大な窯垣が!
資料館の庭には、結構見ごたえのある窯垣が姿を見せます。ここにも、かつては窯が段々状に作られていたそうです。垣をよく見ると、先ほど説明した板(タイル)や棒が積み上げられているのがわかりますかね!これらは、先ほど紹介したタイルや棒などが消耗品であることから、使い終わったものを垣として利用したものが「窯垣の小径」となっているのです。
日本中には陶器で有名な場所はたくさんあるものの、このようにして窯垣を作っている場所は日本でここだけなんですって!
資料館でビデオ鑑賞!
係りの方に案内していただき、こちらの部屋でビデオ鑑賞をすることに!
▲さらに深く知れればと、ビデオも流してくれました
このビデオでも、ここの窯垣の小径の歴史を学ぶことができます。しかも映像付きなので実際に窯の中で陶器を焼いている様子も見ることができるんですよね!その光景は結構見る価値ありますよ( ^ω^ )
その他にも色々解説していただいた!
その他にも色々と解説していただきました。こちらはトイレな訳ですがなんかすごいですね!ちゃんと足を置く場所にまでそれ用の置き場が用意されて、今のトイレよりも豪華そうですね。で、こちらのトイレに描かれているのは牡丹(ボタン)と雀。
和式の便所もなんかすごい!
こちらは浴槽ですね!風呂で使うお湯は外で水を沸かしてお湯を通してくるそうです。手前で服を脱ぐのですが境目もわかるようになっていますね!しかし、床と壁に陶器が敷き詰められており、なんかめっちゃバブリーなお風呂にも感じますが、浴槽は木でできていて時代を感じます・・(⌒-⌒; )
そして、建物は一通り説明していただき、さらには庭も説明してくれました。庭には多くの種類の植物が育っておりましたぞ!!
▲スタッフさんからいただいた葉っぱ
庭にあったとある木の葉っぱを係りの方が取ってくれました。この木の葉は、葉脈が縦に生えています。そのため、他の葉に比べて切れにくい性質があります。ということで「縁が切れにくい」「金銭が切れにくい」ということで財布に入れて行く方が多いんですって。色々なゲン担ぎの考え方があるもんだ。。
ということで、私も財布に入れておくことにしましたよ!ちなみに、この葉は柑橘系の匂いがするのです。その他には山椒の木や備長炭の原料になる木などもこの庭で育てられていました。このようにして、かつてここに住んでいた家主の方は植物を楽しんでいたそうです。
今回、窯垣の小径に関して色々説明していただいた方は加藤さんという方。瀬戸には加藤さんが多いようなのですが、それは陶器の祖である「加藤藤四郎」によるものなんだそうですよ!加藤さん、ありがとうございました〜!
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現在も本窯がある
▲ここは、窯垣の小径関連のポスターで使われる場所
資料館の方から、今現在も実際に使用されている窯を見れる場所があるということを教えていただき、その場所に行ってみることに。資料館からその窯までは、また小径を通っていきます。しかし、こんな細い道を馬が通っていたとは・・。そして、ここから撮った写真は窯垣の小径を紹介しているポスターに載っているのと同じ光景です!
右側の垣には、板やら棒やらが大量にぶっこまれているのが分かりますね!!
ここに、窯があったらしい。。
▲いまだに使われている本業窯
そして、資料館から10分くらい歩くと本業釜と言われる窯に着きました!1949年に作られた窯のようで、1995年に市指定有形民俗文化財に指定されています。今現在は本窯があるのは2箇所しかないようです。でも、まだ残っているのが救いですね!!
このように段々に作られているのですね。しかし、窯の前に用意されている材木の量が半端ない(T . T)
本当はここの方に説明していただきたかったのですが、時間の関係でここはさっと見学するだけに終わってしまったのが悔やまれる。。今度愛知県方面に来た際にはまた寄ってみようかな。
中はこんな感じでした。焼く直前と焼いた後の中がぜひ見てみたいものだ!
なぜこの場所に窯垣があるのか?
記事の最初にの地図で示した場所に「窯垣の小径」はあります。では、まずはなんでこの場所に窯垣の小径があるのかというところから!まず、この場所は「谷戸(やと)」と呼ばれるような地形になっています。
谷戸とは、両側が山の斜面になっておりその谷の部分に位置する場所のこと。上の地図でいうと、白丸で囲った部分が周囲が森に囲まれており、その谷の部分に家屋が立ち並んでいると思います。
神奈川県の鎌倉にも「長谷大谷戸(はせおおやと)」というバス停があるように谷戸の地形が大変多く、その他には横須賀なんかも谷戸になっている場所が多かったりします!まぁ山がちな日本の地形では、そのほかにも多くの場所で谷戸になっている場所は多いかと思います。
▲谷戸の斜面に沿って段々状に作られた窯
その谷戸の傾斜を利用して、段々状に窯釜を作っていったのです。そんなことからこの街は「洞(ほら)の街」とも言われていたそうです。これらの窯を燃やすためには燃料が必要となるのですが、それらの燃料は周囲の森林を伐採して得ていました。
また、瀬戸には瀬戸焼の原料となる粘土などを採掘する採掘場「瀬戸キャニオン」があることで、陶器の材料も釜で焼くための材料も揃っていることでここに窯が作られた模様。
▲瀬戸焼に使われる粘土を採掘していた「瀬戸キャニオン」
ちなみに、瀬戸キャニオンとはここ瀬戸市にある採掘場のこと。採掘しまくったせいでその光景がグランドキャニオン風に見えることからつけられた名称なんだそうです。昔は結構眺めよく見れたようですが、今現在では窯神神社という神社から何とか眺められるという程度。ちなみに、リアルなグランドキャニオンには程遠いです。。
↓↓瀬戸キャニオンに関しては、かなり前に記事にしていますのでよかったら見てみてくださいm(__)m
森林伐採や公害問題にもなっていた
窯を燃やすために、周囲にあった松の木を伐採して燃料にしていたわけですが、あまりにも木を切りまくったせいで周囲の山が禿山になってしまったそうです。また、窯で燃やした際には黒い煙が出るため、瀬戸は「空が黒いか川が白ければ景気がいい」なんても言われていたそうです。「川が白い」とは、瀬戸キャニオンなどで採掘をしたことによって川の水が砂で濁るということです。
しっかし、学校の日本史では四日市ぜんそくや水俣病などの公害事件は習うものの、今回の瀬戸市や工場地帯として発展してきた神奈川県の川崎市など日本中のいろいろな場所で公害という問題はおこっていたのですな。。
そこで、これらの山では東京大学農学部の方々が植林をすることで、今は森が蘇っているんだそうですよ。今でも学生の方が休暇を利用してこのエリアに実習に訪れるそうです。東大生は色々なところで、密かに活躍されているのだ!!
おわりに
他の地域では見ることのできない窯垣の光景もよく、あまり知られていないスポットでもあるので行楽シーズンでものんびり観光できるスポットだと思いますよ!ちなみに、瀬戸の陶器に関してだと、ここ以外にも窯神神社や瀬戸蔵ミュージアムも訪れると、より深く学べると思います!
▲同じ時期に取材をした「瀬戸蔵ミュージアム」
瀬戸蔵ミュージアムに関しては、ここを訪れる前に取材をしたのでそこに関しての記事も後日あげたいと思います~!
参考文献
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詳細・地図
住所 | 愛知県瀬戸市仲洞町 |
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営業時間 | 10:00-15:00(資料館) 10:00-16:00(ギャラリー) ※ギャラリーは企画展開催時のみ開館 |
定休日 | 水曜日(祝日の時は翌日) |
電話番号 | 0561-85-2730 |
アクセス | 尾張瀬戸駅下車徒歩20分尾張瀬戸駅から名鉄バス品野方面、名鉄バス古瀬戸経由赤津方面「瀬戸公園」下車徒歩3分 |
駐車場 | 無料(33台) |
リンク | http://www.seto-marutto.info/cgi-bin/data/miru/021.html |