太平洋戦争の歴史が詰まった靖国神社、戦後の日本を学ぶ!

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皆さんは靖国神社に行ったことはあるでしょうか??
ここは、日本の歴史において非常に重要な意味を持つ神社。
靖国問題が毎年取り上げられる中、ここの問題を知らずにはいられないでしょうってことで、この問題について、自分なりにわかりやすくまとめていきたいと思います!!
今回の記事は、結構な学び記事になります(笑)

靖国神社

毎年8月15日になると、日本は「今年は首相が靖国神社を参拝するか」という問題が毎年出てきます。
しかも、今年の2015年は終戦70周年というきりがいい数字であるため、中国とか韓国がまた嫌味を言ってきそうです(笑)。
この問題、一旦ここで整理したいと思います。

靖国神社

靖国神社には、西南戦争から太平洋戦争までの殉教者を祀っております。
つまり、日本のために貢献した方々を祀っていると言ってもいいと思います。
まぁそれだけであれば問題ないのですが、戦争時、日本は朝鮮半島や中国の一部を占領していました。
なので、中国や朝鮮の人からしたら、「うちらからしたら、その神社で祀っている人は、うちらの土地を占領していた人々なんだよ。そんな人を、首相が参拝するなんてうちらは許せん!!」って言っているわけです。
しかも国際社会からしたら、ここで眠っている人たちの一部は東京裁判(極東国際軍事裁判)で、”戦争犯罪人”となっているわけですから。
東京裁判については、後に詳しく紹介します。
でも、日本からしたら、やはり国のために戦った人に対して参拝する行為は当然のように思います。
特に、神風特攻隊員。
彼らは、死ぬとわかっていながら、自分たちの行動が少しでもこの国の為になると信じて命を投げ出しました。
靖国神社の中にある遊就館や、広島県江田島の海軍学校には神風特攻隊の遺書が展示してありますが、あれは本当に考えさせられます。

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靖国神社

これは、慰霊の泉。
戦没者の多くは、故郷の母を思い、清い水を求めながら、息を引き取りました。
この彫刻は、清らかな水をささげる慈愛に溢れる母を、抽象的に再現したものだそうです。

靖国神社

大江益次郎像。
大江益次郎は 1824年に山口県山口市で生まれました。
はじめて西洋式軍艦を設計し、その後江戸で「鳩居塾」を開いた他、蘭学者、兵学者としてその名を高めました。
本人は、明治2年の9月に亡くなりますが、同年の6月、戊辰戦争の戦没者を祀る東京招魂社(現 靖国神社)の創建に際し、社地選択の為にこの地を視察したほか、靖国神社創建に大きく貢献したため、彫刻師である大熊氏廣によってこの像は作られました。

靖国神社

靖国神社

太平洋戦争が起源の物って多いんです。
1.お好み焼き
原爆が落ちた、広島。
その焼け野原の状態の街を復興しようと、多くの人達が、鉄くずだらけの街で奮闘していました。
そんな中、彼らに何とかお腹いっぱい食べさせてあげたいと、女性人たちは奮闘しました。
そこで、ありったけの食材を鉄くずの上で焼いてできたものが広島風お好み焼きの起源なんだそうです。
あの中には、麺が入っているがあれは単純に量を増やすために入れたんだってさ!
2.広島カープ
セ・リーグの球団の一つである広島カープ。
この球団ができたのは原爆が落ちて3年経った1948年なんだそうです。
このころ、当時マツダの社長は、3年経ってもなかなか町が明るくならない。
そんな様子を見て、何とか街を活気づけたいと思って作ったのが、広島カープなんだそうです!!
3.新幹線の技術
 新幹線を作ったのは、三木忠直さんという方です。
この方は、元々「桜花」というゼロ戦の設計をしていた方。
戦争が終戦した後、飛行機の設計は「飛行機は戦争に使われるから」という理由で設計を拒んだそうだ。
そこで、鉄道なら戦争には使われないだろうということで、新幹線の設計をしたんだとか。
この奮闘記は、プロジェクトXでも放送されました。
調べるとまだまだあります。
ぜひググってみてください!!!

靖国神社

この中が神社の本殿となります。
比較的最近の総理の中で、この神社を参拝した人物は、「中曽根康弘」「橋本龍太郎」「小泉純一郎」「安倍晋三」です。
ちなみに、戦後歴代首相で参拝しなかった方は13名です。
私は、靖国問題は周辺国との「歴史認識の違い」が大きいように思います。
ここのA級戦犯を参拝するということは、戦争を肯定するということになるそうですから・・・
しかし、この食い違いは一体いつまで続くんでしょうかね・・・

靖国神社

本堂の敷地の横には、遺書がありました。
書き手の名は「相良安次郎」氏。
神風特攻隊など多くの遺書を見てきましたが、感無量になります。
この人たちの努力があって今があるということを忘れてはなりませんな!!

靖国神社

ここで、御朱印を貰いました。
本日は日曜であったからか人もそれなりに多くはいましたが、社務所はそんなに混んでいませんでした。
御朱印を貰う文化は、最近は女性が多いとは聞きますが、それでもまだかなりマイナーな分野なんでしょうね。

靖国神社

ここは、遊就館。
太平洋戦争以前の日本の歴史を展示しています。
以前、ネットか何かでデヴィ夫人が「日本の若者は一度は遊就館に行った方がいい」というのを見た気がします。
自分もそう思います。

靖国神社

ここが遊就館内。
右側のエスカレーターを上がると、博物館内です。
それ以外にも、売店だけでなく戦時中に使われた模型も展示してあります。

靖国神社

これは「ゼロ戦」の愛称で親しまれた、零式艦上戦闘機です。
これは、昭和15年、すなわち紀元節2,600年に正式に採用された戦闘機。
ちなみにこのころの武器などの名称は、紀元節の一と十の桁をよく採用しています。
ゼロ戦は、2,600年で、下二桁が0なのでゼロ戦となっています。
他の九十九戦艦などの名前もここからきています。。

靖国神社

この蒸気機関車は、昭和17年、日本軍がビルマ・インド侵攻作戦の陸上補給を目的にタイ(泰)のノンプラドックからビルマ(緬甸)(現ミャンマー)のタンザビヤの最短距離である415kmの区間で敷設したものです。
この区間はかつて、イギリスの植民地でした。イギリス軍は気候や地形が険しいこの場所での鉄道敷設に苦戦していましたが、日本軍は今回、現地住民など17万人を動員し、1年3ヶ月の早さで開通したんだとか。

靖国神社

靖国神社

靖国神社

国防男子と国防女子wwwww
何か最近、自衛隊男子が人気で、自衛隊の方との合コンがセッティングされているということを聞きます。
確かに、給料はいいし、職としては安定していますからね!!
でも、国防女子という単語はここで初めて見ました。
自衛隊の女子ってどんな方なのか、気になりはします(笑)

靖国神社

太平洋戦争では、多くの場所で多くの悲惨な戦いが起こりました。
ここで、日本人なら知っておいたほうがいい方々を紹介します!!
・栗林忠道
硫黄島の戦いで指揮を執った中将。
硫黄島の戦いで、日本にとって苦しい状況の中、地下に立てこもりアメリカが予期しないほどの大打撃を与えたことは有名。
しかし、栗林忠道の名前は日本ではそんなに有名ではありませんでした。
彼の名を有名にしたのは、「硫黄島の戦い」と「父親たちの星条旗」です。
確か、この映画の監督を務めた”クリント・イーストウッド”が、硫黄島の戦いで、日本兵は粘り強い戦いをしたにもかかわらず、それが、日本人にあまり知られていないことに驚いたんだとか。
そこで、この日本側からとアメリカ側の視点に基づいた映画を作成し、この映画をもとに硫黄島の戦いと栗林忠道の名が知られたんだとか!!
とはいえ、この方の名を知る人は今現在、国内にどれだけいることやら・・・
・大田実
沖縄戦において指揮を執った中将。
沖縄がアメリカ軍によって占領されかける所まできたとき、自身の司令室にて自決。
その前には、大本営にあてた以下の最後の電報は有名。
「沖縄県民斯ク戦ヘリ.、県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」
沖縄県民は最後まで勇敢にたたかった。
だからこそ、ご遺族には特別なご配慮をしてほしいという内容です。
・小野田寛郎
フィリピンのルバング島でなんと30年間も一人で生き抜いたという超人です。
戦争が終わったと言われたものの、それは敵の策略であり、出ていったら殺されると思った小野田さんは、ずっと島のジャングルの中にこもっていたんだそうです。
本当に凄すぎ!!
・横井正一
小野田さんと同様の理由で、グアム島に28年間もの間たった一人で生き抜いた超人。
いやもう小野田さんにしろ横井さんにしろ凄すぎ!!
横井さんが帰国した際に残した「恥ずかしがりながら、帰ってきました」という言葉は有名。
地元の愛知県には、当時どのようにして暮らしていたかを学べる横井正一記念館がある。
この方たち以外にも知るべき人は本当に多い。
もう一度、この国の歴史について、学びなおす必要がありますな!!

靖国神社

この方は、パール判事ではないか??
この方、ご存知でしょうか??
ここで、東京裁判(極東国際軍事裁判)の話になります。
東京裁判とは、
この裁判は、インチキ裁判と言われています!!
なぜか?
1.事後法によって裁かれた
法律というのは、基本的には、裁判の前に制定された法に基づき裁きます。
しかし、この裁判で裁かれた「平和に対する罪」「人道に対する罪は」この段階では存在していない法律。
ってか、その時点での法律では裁けるものがなかったんだそうです・・・
2.判事がみんな戦勝国の方
判事は、アメリカ、イギリス、オランダ、フランス、ソ連、支那、オーストラリア、カナダ、インド、フィリピン、ニュージーランドの11ヶ国。
そんでもってこの11ヶ国はすべて戦勝国なんだとさ。
どう考えても戦勝国と敗戦国が半々であるのが普通なのにこれではずるすぎ!!
そして、このインドの判事こそが、パール判事なんです。
パール判事は、唯一、この裁判は茶番劇であり、事後法によって裁かれることの違法性と、戦勝国だらけの判事構成について批判した人物なのです。
そりゃ、日本からしたらこの方の功績は称えたいものです。
だからこそ、ここ靖国で祀られているんでしょうな!!
以上が、靖国神社のまとめでした。
靖国問題にしろ太平洋戦争に関することにしろ、知らなくてはいけないことが本当に多い。
 でも、このことにまあそんなに関心は持たなくても、ちょっとでも知ろうという人が私の周りにいないのが本当に残念。
この「知の冒険」は、とにかく世の中の色々な人たちに、知るべきことを知って視野を広げてほしいということが大きなコンセプトでございます。
ぜひ、靖国神社は一度は足を運んでみてください!!

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参考文献

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詳細・地図

住所 東京都千代田区九段北3丁目1−1
営業時間 6:00~17:00(1、2、11、12月)
6:00~18:00(3、4、9、10月)
6:00~19:00(5月~8月)
駐車場 普通車1時間400円、観光バス1時間1200円
電話番号 03-3261-8326
アクセス 九段下駅から徒歩5分くらい
リンク http://www.yasukuni.or.jp/
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