埼玉県には給食の歴史が学べる「学校給食歴史館」がある!皆が食べた給食の秘話とは!?

↑更新・取材裏情報はTwitterにて(^ ^)
皆が食べたであろう「給食」。その歴史に関してはあまり知られていないことが多いかと思いますが、埼玉県の北本市という場所には、学校の給食の歴史が学べる「学校給食歴史館」という博物館があるんですわ!
ただ、この博物館の厄介な所は平日しかやっていないということ(⌒-⌒; )
仕方なく火曜日に無理やり行ってきたというね。。ということで、学校給食歴史館で学んだ給食の歴史を以下でぶちまけていきたいと思います~~!!
本記事のポイント

・日本の学校給食は、山形県鶴岡市が発祥!
・戦後、食糧難となった日本だが「ララ物資」によって給食は復活した!!
・日韓W杯のときには、ワールドカップ給食が全国で食べられていた

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いざ、博物館に潜入!!

この博物館の最寄り駅は、JR北本駅。約30分近くを歩いての訪問となりました。博物館は、埼玉県学校給食会という敷地の中にあるようです。
こちらが学校給食歴史館。給食関連の博物館は、日本ではここだけとのこと。大変貴重な博物館ですね!
ちなみに、博物館は入館無料。やることは、見学申込書を書くだけっすわ!!
館内はこんな感じ!こじんまりとしているし、平日ということもあってか誰もいませんでした!ん~やはり土日休みということなので、一般の方々にはとても訪問のハードルが高いですな。。
ただ、この博物館は珍スポットやB級スポットというくくりではなく、結構有名な博物館であるとのこと。最近も、韓国の大学教授の方が訪れて、韓国の給食を発展すべく日本の給食に関して学びたいということで訪れたという。
さらには、カンボジア教育相の訪問もあるなど結構この博物館の認知度は上がっており、給食に関する事で視察というか訪問してくることは多々あるんだそうですよ!!
こんなスペースも!椅子は、かな~~り古い感じの椅子と机が。なんか美術室とかって、こんな椅子と机があったような気がします。給食をテーマにしているとあって、さすがですわ(*’▽’)

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学校給食の歴史は山形県から始まった!

▲学校給食の始祖といえる「佐藤霊山氏」
日本の給食の始まりは、明治時代の出来事でした。それは、明治22年10月に山形県鶴岡市での出来事。ここには大督寺というお寺があるのですが、このお寺の境内にある私立忠愛小学校で、家が貧しくてお昼のお弁当を持ってこられない子供たちに、この小学校を建てたお坊さんがご飯を作ったことが給食の始まりです!
そのお坊さんとは、佐藤霊山という方。このかたの周囲に対する利他の精神から、日本の給食の歴史は始まったのです!
始まりの地である大督寺には、上の写真のような学校給食発祥の地を示す碑が建てられています。
こちらが、初めて支給された学校給食のメニュー!!おにぎり、塩鮭、菜の漬物という大変シンプルな食事。このメニューが、学校給食の元祖なんですな。何か感慨深い。

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我々の給食を救った「ララ物資」とは!?

1941年12月8日に始まった太平洋戦争。日本は敗戦して1945年8月15日にポツダム宣言を受諾して終戦となりましたが、本土では空襲もあったことで焦土と化し、食料が枯渇する状況となりました。
そのため、全国の子供たちは食べるものがなく、空腹に耐えるようになっていきました。食べ物といえば、サツマイモや少しお米が入っただけのおかゆなど。その頃の小学校6年生の体は、小学校4年生の大きさしかなかったそうです。
そんなさなか、1946年には横浜の港に世界の国々から脱脂ミルク、小麦、缶詰などの食料が送られてきたのです。これはララ物資というもので、これの発起人となったのがサンフランシスコ在住だった浅野七之助という人物でした。
浅野は、1946年に祖国を救うべく「日本難民救済会」を立ち上げたことによって多くの物資が日本に送られてきたのです。戦後にストップした日本の給食は、このララ物資によって復活し多くの日本人を救ったのです。ちなみに、「ララ」とはLicensed Agencies for Releif in Asiaの頭文字「LARA」をつないだものです。
▲横浜の港に佇む「ララ物資記念碑」
そのララ物資の記念碑は、今も横浜の港にひっそりと佇んでいます。この碑には、香淳皇后(昭和天皇の奥さんにあたる方)の歌碑が刻まれています。太平洋戦争という一大事に、昭和天皇も大変苦労されたと思います。戦後の様子は、想像するしかないですが今の我々があるのは、この物資の影響がとても大きいということですな。

誰もが食べたはず!懐かしの給食メニュー!

博物館内には、各年代ごとの給食がずらーーーーーーーーっと並んでいるんですな。給食というと、パック牛乳、ソフト麺、コッペパンなどなど色々なメニューがありましたね~!ということで、そこ辺の懐かしメニューを紹介していきましょう。
▲1960年代の給食
こちらは1960年代の、高度経済成長期の給食です!ソフト麺的なやつが懐かしい(*’▽’)
私は結構食べる方だったので、食欲ない奴からソフト麺を強奪するみたいなことを結構やってた気がします( ;∀;)
この頃は、まだ牛乳は瓶で提供されていたんですね!!
▲2000年頃の給食
こちらは、2000年頃の給食。ちょうど、私が給食を食べていたのはこの頃ですわ(*’▽’)
私は、小学校の時は給食でして、中学校の時はお弁当だったものの牛乳だけは学校から用意されていたという感じでした。
私が、中学校1年生の時の最初の係りが牛乳係だったということで、その辺のことはよく覚えているというね(*^▽^*)
▲2016年頃の給食
こちらが、今現在の給食。今も牛乳はパック牛乳なんですね!あ~みかんとかあったな~確か冷凍ミカンとかもあったりしたはずなんですが、皆さんも食べましたかね??

給食に関する様々なうんちく!

給食に関しても色々なうんちくがあるもんです!ちょっくらいかで紹介していきましょ~~!

ワールドカップ給食というものが存在した!!

2002年に行われた日韓ワールドカップ。実はこの大会が行われたことによって、世界中の料理を給食で食べられるようにと考えられた「ワールドカップ給食」というものが誕生していたんですな!
出場国のキャンプ地を中心に、出場国の料理を取り入れたワールドカップ給食の献立が作られました。カメルーンのキャンプ地である大分県中津江村ではカメルーンに関する給食献立になったり、アイルランドのキャンプ地であった島根県出雲市では、アイルランドの料理であるアイリッシュ料理が出たそうです。
こちらは、カメルーン料理の給食。コンボという肉団子に野菜の煮込みをかけて食べる料理や、バナナを天ぷらにする料理などがありそれがメニューとなっていたようです!!ちょっと食ってみたい( ;∀;)
その他には、スロベニア共和国の給食やセネガル共和国の給食などなど!!
日韓ワールドカップの時は、まだ中学二年生の時。あの時は、秋葉原のゲーセンで知らない外国人と盛り上がったりととっても懐かしい思い出でしたわ。日本対チュニジア戦の時は、部活の顧問の先生に懇願して休みにしてもらったりとかね(*’▽’)

まさかの食べ放題!バイキング給食!

日本に死ぬほど浸透したバイキング!その発祥は、カタカナではあるものの1958年に東京の帝国ホテルで提供されたのが初めてなのです。
そのヒントとなったのは、スウェーデンの「スモーガスボード」。大きなテーブルに多種多様のごちそうを並べて、お客さんが好きな分だけ取って食べるという形式があり、しれが基となってバイキング形式が誕生したのです!!
で、それは我々の給食にも反映されました。このバイキング給食は平成元年ごろから盛んに実施されたとのこと。私はこれ食べたことないんですけど、これ全国で展開されていたんでしょうか??
ただ、この給食の方針としては好きなものを好きなだけ食べたれや~~ということではなく、「自ら考え食べようとする給食」という能動的な給食として提供されているのです。つまり、馬鹿みたいにとりまくって残すのではなく、自分が食べられるものを自分で考えて取って食ってねっていう感じですな!!

給食の食器にも、歴史があるのだ!

学校給食の容器も、なが~い歴史の中でいろいろと変化を遂げているわけです。一番最初の山形県の忠愛小学校では「瀬戸物(陶磁器)」を各自が持ち寄って使われていました。
こちらは、戦後に使われたアルマイト製の食器。アルマイトとは、アルミニウムを陽極で電解処理して人工的に酸化被膜を生成させる表面処理のこと。熱いと手で持てないことから、「犬食い姿勢」としてマスコミに大きく取り上げられたそうです。
その後に使われたのが、ポリプロピレン製の食器やメラミン製食器。溶出物の安全性や食品による着色汚染に問題があったとのこと。
そんで、今現在使われているのが、長年の研究の末に開発されたポリエチレンナフタレート(PEN)製食器。安全制が高く安心して使える食器として使用されています。

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給食の流通網は、とっても複雑!

学校給食の流通網はとっても複雑、あまりに複雑なので私も把握はできていませんがね。
牛の誕生から遡ると、こりゃ凄い流れですね!ただ、これは給食の牛乳というよりかはスーパーなどで売っている牛乳の流れだったりもするわけです。こういうのって、何気なく飲んでいるものの長ーい物語を経て我々の手に届くわけですな~~!
学校の食材に関していえばこんな感じだ!
さすがに、小さな子供が食べるものだけあって、省庁やらのお偉いさん方も絡む複雑な流通網となっておりますな。
ご飯や麺に関してもとっても複雑ですな~!ちなみに、給食費は月額4,000円ほどなので1食あたり200円程度。こんだけ複雑な経路を経ているのに200円って安いっすね!!

おわりに

いや~給食ってあんまり触れたことがなかったというか、触れる機会がなかったというか。。でも始まりが山形っていうのは知らんかったな~あとはララ物資に関してももうちょっと調査したいっすね!しかし、平日だけ開館というのがたいへんもったいない。。そんなことを思った、学校給食歴史館訪問でした!!

参考文献

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詳細・地図

住所 埼玉県北本市朝日2丁目288
営業時間 09:00~16:00
定休日 土曜日、日曜日
駐車場 無料
電話番号 048-592-2115
アクセス JR北本駅から徒歩30分ほど
リンク http://www.saigaku.or.jp/profile/library/
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