平成元年までフィリピン人女性による売春が行われていた奈良県の「東岡遊郭跡」を調査した!

↑更新・取材裏情報はTwitterにて(^ ^)
こんにちわ( ´ ▽ ` )ノ
今回は、奈良県にある遊郭に関するお話です。知の冒険では私の地元が神奈川県ということで、まぁ遊郭に限ったことではないのですが神奈川県が多めになっていますな。
ただ、今回は奈良県の大和郡山市にあった東岡(町)遊郭という遊郭のお話になります。遊郭に関してあまり・・という方には「どこぞの遊郭やねん・・」という感じかもしれませんが、ここは平成に入る頃までいろいろドタバタした街だったんですよ(⌒-⌒; )
ということで、そんな東岡遊郭に関するお話を以下で紹介していきます!
本記事のポイント

・東岡遊郭は売春防止法の施行後に売春が行われていた
・売春のために在籍していたフィリピン人を監禁していたようで、平成元年に売春は消滅
・今現在は数軒だけ建物が残っているが、新築も増えて街は変わろうとしている

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奈良県には4箇所の公認遊郭街があった!

日本全国には、500箇所以上もの遊郭街が昔はあったそうです。そんな中、今回の東岡遊郭がある奈良県には、4箇所の公認遊郭街がありました。その遊郭街は、「木辻遊郭」「東岡遊郭」「洞泉寺遊郭」「元林院遊郭」の4箇所になります。
ここの4箇所以外にも売春が行われていた場所がありましたが、それはいわゆる政府公認ではない私娼街になります。「公」に対する「私」ですね。今現在でいうと、奈良県には宝山寺新地というマニアックな風俗がかろうじて現存していますが、ここは遊郭があった場所ではないということなんですね!!
▲旧来の形式が残っている宝山寺新地
この宝山寺新地は今現在でも最短2時間コースで、本当の旅館が使われ混浴にまで一緒に入るという古来のやり方をそのまんま残している本当に珍しい場所になります。
↓↓宝山寺新地に関しては、以下に詳しくまとめています
それ以外でいうと、木辻遊郭は日本にあった遊郭の中でも最古の遊郭とも言われており、今では「奈良町」というエリアであり、奈良県の街がここから誕生したとも言われている場所。ここには、当時の面影はそんなには残っていませんが、今現在も静観荘という元遊郭旅館が営業を続けています。
▲インタビュー後に静観荘の館主さんと
木辻遊郭に関しては今後に記事を書くつもりではありますが、静観荘に関してはすでに宿泊&取材をしているのでその時の記事も是非見てみてください( ´ ▽ ` )ノ

東岡遊郭とはどんな遊郭街だったのか??

▲海外でも人気だった金魚鉢電話ボックス
奈良県大和郡山市の東岡町と言われて、その場所がわかる人はほぼいないんじゃないですかね。そもそも、大和郡山市も金魚で有名であり、もう無くなってしまいましたが最近では金魚鉢電話ボックスがあって注目を浴びていたりもしましたが、それでも認知度はそんな高くないんじゃないですかね〜。
東岡町の場所は上の地図の赤く塗ったエリアになります。奈良公園や東大寺がある奈良市から南西部に位置する大和郡山市に位置していて、近鉄郡山駅からあるいて5分ちょいほどの場所にあるのです!!
今現在も色街時代の遺構が残っており、探訪しがいのある街である東岡町。ただ、この近くには主人公である東岡遊郭だけではなく、洞泉寺遊郭といういう遊郭もありました。
▲東岡遊郭から歩いて数分の場所にある「洞泉寺遊郭」
これらの遊郭が特に栄えたのが大正10年のこと。近くに近鉄郡山駅ができたんですね。この駅ができたおかげで大阪からのお客さんがたくさんやってきて、大阪から奈良方面の電車は郡山駅で多くのお客さんが降りる光景が度々あったという。
ただ、ぶっちゃけこのくらいしかわからかったです。なんでかって、当時のことを知っている方と出会ったわけでもなければ、奈良県立図書館は結構漁ったんですがこの遊郭に関する詳細・エピソードを確認することができなかったんですよね。。多分遊郭の数とか女郎さんの数とかは調べれば出てきたんでしょうが。。私の検索の仕方が悪かったのかしら。。
ということで、遊郭時代の話は不明ですが、本記事ではその遊郭時代の後の話に関して少しばかり情報があるので放出したいと思います!

1958年に売春防止法が完全施行され終りを告げる。。

太平洋戦争が終戦を迎えた後、日本には多くの米軍が押し寄せてマッカーサーによっていろいろな改革をさせられます。売春に関しては、その時までは公娼として国から認可された遊郭が営業していたものの、それは1946年に公娼制度廃止によって事実上遊郭というシステムは無くなることになります。
ただし、その後は赤線・青線というエリアが誕生。青線という政府非公認の私娼街とともに、赤線という政府に黙認(半ば公認で今でいうソープランドのような感じ)されたエリアが誕生。この赤線には、遊郭ではなく特殊飲食店という形式のお店が誕生(遊郭→特殊飲食店のケースなど)し、そこで飲食店ではあるものの売春が行われるようになったのです。
ただし、その赤線の歴史はそう長くは続きませんでした。1958年4月1日に売春防止法が完全施行されるということで、奈良県ではそれより早い1958年3月16日に、東岡遊郭は奈良県に現存していた洞泉寺遊郭と木辻遊郭(元林寺遊郭は既に消滅)とともに解散式をすることになったのです。
その後、赤線跡に残った建物は、建物をぶっ壊すことなくそのまま営業できるようにと旅館に転業したり病院になったり企業の社員寮になったりするわけですが、中には赤線廃止後も水面下で売春を続けていた場所もあったという。
そして、肝心の東岡遊郭はというと経緯や背景はあまりよくわかりませんが、いつからかフィリピン人などの東南アジアの女性が東岡町で働くようになったという。

フィリピン人による売春が行われていた!

▲フィリピンパブで街の活気を保っていた鹿児島県錦江町
今から30年以上前のこと、日本にはじゅぱゆきさんと言われるフィリピン人女性が出稼ぎのために多数なだれ込んできて、日本のいろいろな色街にあったフィリピンパブで世の男たちの癒しとされていました。
知の冒険を始めて色々な場所の色街跡を取材したりすると、よく聞くのが「1980年代にはたくさんのフィリピンパブがあって街に活気があったよ!!」みたいな声。宮崎県の油津、鹿児島県の錦江町、はたまた千葉県の栄町などなど、当時は日本の至る所にフィリピンパブがあったんですって!!
ここでいつから売春が行われていたかは不明ですが、ここで住宅地図のお出ましです。今回の取材では、売春防止法直後の歴史を知っている方に出会うことはできなかったのでこれを使って推測してみましょう!
東岡町で密かにフィリピン人女性を使って売春が行われていた頃は、表向きは旅館となっていたものの、ただの旅館ではなくそういうことが行われていたようです。女性は旅館の従業員として働いていたものの、そういうことをするための従業員だったわけです。システムは不明ですが、地元の方の話では泊まりまであったそうです。
上の地図は1968年の東岡町の住宅地図ですが、この時代には「サロン」「チャイナサロン」と書かれた建物があったようです。サロンといっても、何か怪しいにおいがしますが。。
▲大正10年に開業した近鉄郡山駅
最寄駅は近鉄郡山駅。駅を降りて線路沿いを南下した後に、東岡町が現れるということもあって、近鉄郡山駅の南側の線路沿いには飲み屋がたくさんあり、売春街に行く男性たちで盛り上がっていたという。
奈良市内からもお客は多かったのか。ただ、洞泉寺遊郭や東岡遊郭があった当時は大阪からの乗客が結構多かったそうなんですね。なので、大阪からも東岡町のフィリピン人女性を目当てに来ていたお客さんはたくさんいたんじゃないですかね??
▲線路沿いに連なる飲み屋の跡
今現在も、近鉄郡山駅の南側には飲み屋の建物が多く見えますが、これは東岡町に売春があったからこそなのだそうです。泊まりがあったこともあって、この辺りは深夜遅くまで多くの人たちで賑わっていたという。
というのも、この辺の線路に沿ったエリアは近鉄郡山駅から東岡町へ行く通り道なんですね。ということで、ここにお店があると需要と供給がばっちし合うことからここに飲み屋が多くできているようです。もしかしたら遊郭があった時代からこんな感じの街だったかもしれないですね。
少し昔だと、飲み屋だけでなくパチンコ屋などの遊び場的なお店もここにはあったようです。
ただし、今現在はその飲み屋の建物跡が並ぶ感じになっており当時の活気はないようです。すべての建物が閉店しているわけではなく、数件の飲食店や飲み屋は営業しているようなんですがね。
このたこ焼き屋はテイクアウト方式かな?東岡町に行こうとするお客さん、あるいは戦いを終えて帰る前に腹ごしらえをしようとする男性客がここで買っていたんだろうな~~。
▲フィリピン人女性が買い物していたスーパー
一方、昼間にもフィリピン人女性がいた時の独特の逸話が。近鉄郡山駅の近くには、今現在スーパーの「オークワ」があります。この「オークワ」というスーパーは和歌山県に本社を置く会社であることから、このスーパーは和歌山県、奈良県、三重県などでよく見かけるんですね。
そんで、このスーパーは30年以上前はジャスコだったのですが、その時は東岡町で働いていたフィリピン人女性たちが買い物に来ていたそうです。私が、今回の記事を書くにあたってこの辺の方に数人取材をすると、「あの頃はね、ジャスコに行くとよくフィリピン人の女性達が買い物していましたよ!よそから来たら、『なんでこんな場所にフィリピン人女性がいるんだ?』って思ったでしょうね!!」という声を何度か聞きました!!
あとはこれはただの推測ですが、東岡町の売春が行われていたエリアには1991年の地図を見ると1台の公衆電話が置いてあるのがわかりますね!これ、もしかしたらフィリピン人女性が唯一母国と通話できた国際電話だったのではないかと。
というのも、宮崎県の油津という場所にもかつてフィリピンパブが多かった時代、彼女たちが国際電話を使って母国に電話できるための電話ボックスが設置されて、度々そこで電話をするフィリピン人がいたという声を聞いたことがあるので、これを見て同じパターンなんじゃないかと考えたわけです!!
違ってたらごめんなさいね(⌒-⌒; )

フィリピン人を監禁して大和郡山署がブチ切れ!!

▲怪しい看板がついた旅館
そんな感じで、東岡町で密かに行われていた売春。ただ、密かにと言ってもこれはもちろん奈良県警は気づいていないはずもなく、半ば黙認状態だったと思います。何でかは不明ですが、これはあくまで私の推測ですが奈良県にはバブル期に日本の色街にあったソープランドがなかった(あるいは数軒はあったがそのような街はなかった)ということもあって、必要悪としてここだけは黙認していたとかね。。
しかし、そんな状態で月日が流れていたものの、平成元年に事件が起こります。実は全てのフィリピン人女性がそうだったかは不明ですが、東岡町にいた女性たちはビザを取り上げられていたり半ば監禁されていた事実があったようで、フィリピン人女性が東岡町を抜け出して大阪の入国管理局に助けを求めたという。
そこまで話がいってしまったので、大和郡山署も多めに見ていたとは思うのですがそうなったら動かないわけにはいかず、東岡町を一斉に取り締まることになったそうなのです。
そんな背景があり、東岡町の売春は平成元年に消滅!!以後、旅館という看板だけを掲げた建物が数軒残るただの住宅地へと変わっていったのです!

今現在の東岡遊郭跡

今現在の東岡町も、もちろん探索いたしました!ただ、今現在はだいぶ当時から街が変わってきているんですね。それは住宅地図を見ても明らか!!
上の地図は1983年当時の東岡町の住宅地図になります。まだ売春が行われていたころということもあって、この頃はまだ「旅館」と書かれている建物を多数確認することができます。旅館だけではなく「バー」「スタンド」という表記も見受けられますね!
ただ、もう2012年になると当時の目立った名残としては赤く塗ったエリアくらいしか見受けられません。まぁ逆を言えばまだ名残は残っているとも言えるわけです。
ただ、ここの場所は既に先人の方々が探索をしているので、別に私のブログで新たな物を発見できるわけではないですが、その他の東岡遊郭に情報も踏まえながら探索した様子を紹介していきたいと思います。
東岡町には、今でもこんなわかりやすい名残があります。このピンク色の看板はいかにもって感じです。看板が新しいこともあって割と最近の旅館っぽいですが、住宅地図から推測すると1983年時代にはまだ「スタンドやまと・野口荘」となっているので、ここの売春が終わる直前頃から始まった旅館ではないかと。
そして東岡町と言えばこれです。この木造3階建ての建物。3階建てという雄大さが半端ないだけでなく、もうボッッッッッロボロですわ( ;∀;)
一発地震が来たら見事にぶっ壊れそうな建物。DQNとかが心霊スポット巡りとかで格好の獲物にしそうな建物ではありますが、DQNすらも寄せ付けないというのかスプレー的な落書きは一切ないようです。
こちらが入り口なのですが、ガラスは割れまくっているしそもそも扉空いちゃってるし(笑)一応中がどんな感じになっているかを覗いてみると・・
うぎゃ~~中はすんげえことになっていますね。周囲からしたら火事になったりしても嫌だし早くぶっ壊してほしいと思ったりしてないんですかね?もはや解体されるのを待つだけの運命のようです。
さらに奥に進むと、これはなかなかインパクトのある建物!入り口だけ少し西洋チックなのは何でだ??
入り口の扉と比べると、やけの広々とした入口だ(*’▽’)
この一角にもまだ名残があります。
「暴力追放の店」という表記が。ここの辺のとある住人から聞いた話ですが、今現在は無いものの売春が行われていた当時はここの街に暴力団事務所があったようです。ここに連れてくるフィリピン人女性を斡旋していただけでなく、多分旅館から塩噌(いわゆる場所代)を払ったりしていたんじゃないかな~なんてね!
ちなみに、塩噌(えんそ)とはそちらの世界でよく使われる場所代のことを言います。客引きの方とかに、「この辺の塩噌はいくらくらいなんですか??」と聞くと、「こいつはそっち系の話が詳しい奴だな!」と思われると思いますよ!
ここにも「旅館」の文字が残っていますね。
ただそのエリアから一歩外れると、街がやたらと新しくなります。今まで見たエリアはまだ面影が残っているエリアですが、その他のエリアでは新しい建物が建つようになり、その新築に住むのもどこからのよその方がほとんどかと思うんですよね。
今現在の名残である建物も、壊していくという声も聞いたので遊郭だった時代から、売春防止後も平成元年まで売春が続いていたという歴史はすっかり消えさり、当時を知る人ももういなくなっていくのでしょうね。
今現在、その他の地域でももう遊郭だった形跡が全くないエリアも多々見受けられます。遊郭という歴史だけじゃなくても、歴史はこうやって自然に消え去り忘れ去られていくのです。そしてまた新たな歴史が生まれていくんですね。
実は自分が住んでいる街には、思いもよらない歴史が眠っている可能性があったりするのです。そう考えると、歴史探求は宝探しのような感覚で楽しめて病みつきになるわけですね~~。

おわりに

東岡遊郭に関しては、そんなに資料が多くないため謎が多い遊郭ですが私が知り得る情報はこんなもんでした。この遊郭に関しては、そんなに深くまで知っている方は多くなく、実際に昔から東岡町に住んでいる方々はあまりオープンではないという話も聞きます。
中には、「あそこで写真を撮ったりすると怒られたりするから気をつけたほうがいいよ!」とおっしゃる方までいました。フィリピン人女性の監禁があった頃を知る方にとっては、よそには知られたくない歴史なんでしょうか。
ただ、今では新しい家がどんどん建てられておりよそから越してくる方の比率が増えているようです。この歴史は、どこに残ることなく葬られていくんでしょうね。そんな、奈良県のとある町のお話でした。。

参考文献

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詳細・地図

住所 奈良県大和郡山市東岡町
アクセス 近鉄郡山駅から徒歩6分程度
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