かつて東海道の宿場町として栄えた「藤沢遊郭」その詳細を再度調査した!

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今回のテーマは、藤沢にかつてあった遊郭に関するお話です。といっても、以前藤沢遊郭に関しては調査をして記事にしていたんですがね!!
そんでなんで今回また記事を書いたのかというと、全壊の記事だけではまだまだ調査不足な面があったので再度調査したというわけです。今回は、藤沢遊郭の成り立ちや歴史を中心に紹介したいと思います(*’▽’)
本記事のポイント

・藤沢遊郭は、数か所にあった遊郭が火事の焼失などで一か所にまとまって出来た
・遊郭街には、大門や土手や稲荷様などがあったという
・今現在は住宅街になり、飲み屋やその廃屋が残るのみ

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藤沢遊郭の始まりに迫る!

では、まずはどのような経緯で藤沢の辰巳町に遊郭街が出来たのか?その辺から書いていきたいと思います!

もともと遊郭は点在していた!

※「今昔マップ on the web」を元に作成
藤沢遊郭は、他の宿場町と同様に旅人や周辺住民の方々の有効施設として、飯盛女がいる旅籠屋などが出来てきたと思われます。藤沢宿は大鋸町(だいぎりまち)、坂戸町、大久保町の3つの町によって成り立っていました(後に、坂戸町と大久保町は大坂町に合併)。そんで、3つの町には、旅籠屋や女郎屋が東海道沿いに点々とあったようです。
▲明治18年『神奈川県統計書』より
藤沢遊郭では、遊郭を運営する際にはなかなかの重税が課せられていたようです。それがどの程度のものかわからないですが、川崎遊郭では貸座敷から巻き上げた税で川崎宿が成り立っていたということを聞きました。
藤沢遊郭では、貸座敷だけでなく娼妓や引手茶屋にも税を課しており、営業する場合には営業免許を受ける必要があったとのこと。明治14年から18年の間には30軒近い貸座敷が、藤沢宿周辺に点在していたようです。

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火事によって辰巳町に移転

※「今昔マップ on the web」を元に作成
ところが、明治13年の藤沢の大火によって宿場の大半が焼失してしまったそうです。その後は、今まで点在していた女郎屋等を一か所に集めるために、辰巳町にまとめたそうです。
辰巳町の町名の由来は、宿場から見て巽(たつみ)の方角(東南方向)に位置していることから、この町名となりました。
※「今昔マップ on the web」を元に作成
ね、東南方向でしょ(*^▽^*)

昭和10年頃の藤沢遊郭

▲昭和10年頃の藤沢遊郭の配置図
藤沢遊郭の配置図はあんまり情報はなかったのですが、昭和10年代の地図はこんな感じだったそうです。この当時の町内には、両側に土手があって松の木が植えられていたそうです。この当時は11軒の貸座敷(女郎屋)があり、この街にはその他に、射的屋、カフェー、蕎麦屋、タバコ屋などがあったそうです。
この遊郭街は、藤沢銀座通り方面から入り入り口には大門があったとのこと。宿場の方からではなく、藤沢駅方面に入り口があったとのことで、この時はすでに鉄道での移動が中心になってきたのだと想像できます。
寿司屋やそば屋さんは、遊郭の出前にでも行ってたんでしょうか。周辺の土手は世間から切り離すための策だったのかどうなのか。こうみると、割とこじんまりとした遊郭の印象です。
今では開発が進んで、風情ある街並みは無く住宅街となりました。あと、かつての地名である辰巳町も今では使われなくなったようです。

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藤沢遊郭で催される酉の市

▲酉の市発祥である浅草の鷲神社
遊郭というと、浅草の吉原など多くの場所に大鷲神社(鷲神社)があり、そこで商売繁盛などを祈願した酉の市が行われます。酉の市は、浅草の鷲神社が発祥と言われており、でっかい熊手に豪華な飾りが施され、周辺のお店などが商売繁盛を願って熊手を購入するわけです。
▲横浜で毎年開催される酉の市
神奈川県でいうと、関内の方にあった永真遊郭跡にある大鷲神社が有名でしょうか。ここで盛大に11月に酉の市が開催され、真金町と永楽町に豪華な熊手やテキヤの屋台が立ち並びます!
藤沢遊郭跡では、近くにある白旗神社で毎年酉の市が開催されています。ここでは、大鷲神社が独立してあるわけではなく、白旗神社の中に大鷲神社があったりするのか、その辺を確認するために、実際に神社に行って確かめることに。
▲酉の市が行われる白旗神社の境内
んで、探してみたんですけどないんですね。。確かめるべく神社の方にも聞いてみましたが、白旗神社では大鷲神社はないものの、酉の市が行われているとのことでした。平塚遊郭跡にも川崎遊郭跡にも大鷲神社は存在するもんなんですが、今現在は藤沢遊郭跡にはもう神社はないとのこと。
昔は、遊郭街の北東の方向にお酉様や稲荷はあったようです。しかし、戦後にお酉様の建物は壊されてしまったとのこと。

かつての色街の痕跡をたどる

前回の記事などで藤沢の遊郭跡は何度も訪れてはいましたが、今回の記事を書くにあたりもう一回周辺をうろつくことにしました!!何か町の様子が変わっていないか偵察しなくては(*’▽’)

レトロな雰囲気が残る飲み屋跡

結構いい感じにレトロ感が漂う建物があるわけですが、これを見て気づいたのが千成という文字。かつて、遊郭が廃止になった後は千成旅館という旅館がこの近くにあったんですな。この千成という飲み屋さんがあれば何か話が聞けるかと思い、中に入ってみることに!!
いや、すげぇな。。周辺の住宅街とは違って、一気にタイムスリップしたような感覚です。。
この建物は2階建てになっているようで、上に上がるのはこの階段を上る必要があるようです。何かすんげぇ作りやな。。
▲暗く昭和レトロな雰囲気を残す飲み屋
2階はこんな昭和の雰囲気を残した空間が広がっていました。ただ、入り口には「千成」という文字が書いてあったものの、実際にその名前のお店は探しても見つかりませんでした。その辺の事情など、この辺の飲み屋に入って何か聞けないか試してみようと思ったり。
実際に千成旅館があったのは確かこの辺だったはず!!今では、この辺にあった町内会館も移動して大規模な工事を行っているようです。何か巨大なマンションでも建つのでしょうかね??
▲飲み屋の廃屋が立ち並ぶエリア
あとは、ここの飲み屋跡やな。。すさまじい廃れ具合で残っているエリア。開発が進んでいつまで残るかという所ですが、割としつこく残り続けているわけです。いつまで残るのでしょうね・・

未だ残るファッションヘルス跡

藤沢遊郭跡は、今現在は住宅街となっておりかつての痕跡はほとんど残っていない状態。ここには、かつてソープランドもあったそうですが、今現在はファッションヘルスの建物跡が残っているくらい。

かつての大門跡

ここはかつて大門があった場所。関東大震災で、門は崩れてしまったそうです。なんか入り口にしては狭い感じがしますな。かつて、遊郭があった時代にはここからどんな景色が広がっていたんでしょうね。。
島原遊郭や吉原遊廓にあった見返り柳はなかったようですが、藤沢の宿場町にいた男たちはどのような思いでこの遊郭を訪れ、ここを去って行ったのだろうか。
今私の目の前には、当時では考えられない程の大きな建物やマンションが立ち並び、開発されてすっかり住宅街となった街の光景が広がっています。。かつての光景は想像するしかないですが、時代が変わっていくことに少し切なさを感じてしまいました。。

平塚遊郭との合併

▲かつて平塚遊郭があったエリア
藤沢遊郭は、1958年の売春防止法が施行されたことによりなくなっていきました。しかし、その数年前に平塚遊郭と合併(というか吸収??)したとのこと。その時期は1953年頃だったのですが、経緯などは不明です。。
ただ、あくまで推測ですが平塚遊郭は区画整理によって遊郭街がなくなったのではないかと推測しています。藤沢遊郭に吸収された1953年前後の地図を比べると、平塚遊郭があったエリアの区画が変わっているようです。それと、平塚遊郭跡の現地の方に聞いたことから推測した感じですが、真実は定かではないです。。
↓↓平塚遊郭に関しては以下にまとめてますので、良ければご覧いただければm(__)m

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おわりに

以上、藤沢遊郭に関する続編の記事でした。藤沢遊郭は、私の実家から一番近い遊郭跡であったのと、小さい頃は藤沢によく行っていたので何か気になるというね。
いろいろと調べてはみたものの、現地の方々からの声はいまだ聞けていない状態なんですね。ただ、ほとんどはよそから移住してきた方のようで、ここでお店をやっている方に突撃して聞いてみるしか方法はなさそうな気がします。私が気になっているのは1970年頃から1990年頃の藤沢遊郭跡の歴史っす。
もうちょっと、時間はかかりそうですがその部分を解明出来たらもうここはそれまでかなと!ということで、解明出来たらもう1記事ほど続編を書く予定です~!

参考文献

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詳細・地図

住所 神奈川県藤沢市藤沢541
アクセス 藤沢駅北口から徒歩5分程度。
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