かつて洗濯屋として栄えた「浦賀遊郭」の痕跡を、うなぎ食いながら探索した!

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今回の記事は、浦賀の遊郭に関してです。神奈川県の遊郭跡に関しては、今まででほぼ行き尽くしたものの、この浦賀に関しては全くの謎という。。
ちょっくら図書館で調べても資料的なものは特に出てこないしな〜と思っていたのですが、取りあえず現地に行けばなんとかなるだろうと思って行き当たりばったりで調査してきました!!割と収穫はあったので、以下で紹介していきまっす〜〜!
本記事のポイント

・浦賀遊郭は、洗濯屋とも呼ばれ5軒の遊郭があった
・浦賀には「浦賀遊郭」と「柳町」と2箇所に色街があった
・遊郭廃業後は、病院や住友の社宅になった
・活気があった商店街には、勝海舟も訪れた鰻の老舗「梅本」がある

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浦賀の色街の流れ

浦賀遊郭の歴史は、洗濯屋といわれている遊郭があったようで、場所としては今の浦賀の海沿いに位置していたとのこと。しかし、詳しい時期はわかりませんが、面していた海沿いの道路が拡張工事されるとのことで、奥地へと移転する形になります。
その奥地とは、若葉商店街という商店街を突っ切って少し坂を登って行った場所。ここに、当時あった5軒の遊郭(洗濯屋)が移転したらしいっす!!
※「今昔マップ on the web」を元に作成
そんで、実は色街としてはもう一箇所存在していました!その場所は、柳町と書かれた場所で、ここには遊郭はなく、戦後赤線となった場所ということを現地の方から聞きました。つまり、浦賀の色街は「移転前の遊郭街」「移転後の遊郭街」「柳町(赤線)」の3箇所存在していたと、私の調査ではわかりました。
ではでは、以下では「移転後の遊郭街」「柳町(赤線)」に関して詳しく書いていきますね!「移転前の遊郭街」に関しては、情報がなく、不明っす(⌒-⌒; )

奥地に移転した遊郭街

もともと海側に位置していた遊郭ですが、道路拡張により奥地に移った5軒の遊郭。その移転してからの話を書いていきまっす。

移転後の遊郭配置図!

▲移転後の浦賀遊郭の配置図
移転前の詳細な配置図は不明ですが、移転後の配置図はこんな感じだったようです。ただし、ここで注意したいのは、「つる屋」と「せい月楼」に関してはあくまで推測というか確実ではないということをご了承ください。
ただし、「松風」「小川医院の場所」「伊勢楼」は現地の方に確認したので、おそらく間違いはないです。現地でいろいろ聞き込みをしまくってまとめた結果であり、残りの2つはおそらくという感じ。。全部で5軒あり、売春防止法が施行される1958年まではここに残っていたようです。ただし、小川医院に関しては、1958年以前にすでに病院になっていたようです。

遊郭街の道路は風情ある道路だった!

そんで、この5軒の遊郭があった場所は、地図を見ると突如道路の幅が広くなっていることがわかります。今では、奥まで道が続いていますが、移転当時は若葉商店街を通った後に遊郭に行くために作られた道路だと推測されます。
そのためか、遊郭街特有の異様に道路の幅が広いというような感じになったのではないかと。。そんで、今現在は1車線(上りと下り)の道路になっていますが、昔はこんな感じではなかったそうです。
ウルトラへったくそな図で大変申し訳ないですが、遊郭があった当時は、車用の道路、川、柳、歩道が組み合わさった道路だったとのこと。あくまで私の想像図ですよ( ;∀;)
聞き込みをした方は、「なんでここに川が流れているんだろう??」と小さい頃に思ったんですって!今現在は住宅地になっていますが、当時は結構風情ある街並みだったんでしょうな!!
今現在は、以下にも普通の道路に。ここに遊郭があったとはとても想像が出来ぬ。。

遊郭をそのまま使った病院「小川医院」

配置図で示した通り、5軒のうちの1つは遊郭を廃業した後は病院になっています。病院だった当時は、入り口をくぐるとでっかい庭があり、中に入ると左側に受付や待合室があったとのこと。正面には、でっかい階段があり2階にあがると、それぞれの小部屋が入院部屋だったとのこと。聞き込みをした方の夫のお父さんは、ここで入院した経験があるんだそうですよ!!すげぇ(´・Д・)
というのも、ここの建物は、女郎さんだった女性の結婚相手の方が軍医の内科医の方だったようで、その関係で遊郭の役目を終えたあと病院になったとのこと。病院といっても、内科病院ね!!
ということまではわかったんですが、ここの遊郭の名前などは不明。宮崎県の油津でも、蔦乃家という遊郭がその後病院になったみたいなことも聞きましたが、転業旅館ではなく「遊郭廃業→病院開業」というコンビネーションってちょくちょくあるケースなのでしょうか??
確かに、転業旅館のように部屋を宿泊スペースにするのではなく病室にするという方法を取れるので、そのまま使えるっちゃ使えるのか。。
聞いたところでは、20年くらい前まではここの遊郭建物は残っていたそうなんですな。いや〜20年早く来ときゃ良かった。。まだその時は10歳でしたが(笑)

住友の社宅となった遊郭跡

続いては、ここ。今ではマンションが建っていますが、ここはどうやら伊勢楼という遊郭があった場所のようです。遊郭が廃業した後は、扇海荘(せんかいそう)という住友で働く方の社宅になったとのこと。
ただ、遊郭の建物をそのまま社宅にしたのか、それとも遊郭をぶっ壊して新しく社宅を立て直したかは不明です。。その辺ちゃんと聞いときゃ良かった(⌒-⌒; )
また、ここの社宅に住むのは階級の低い若造ども。偉くなった方々は、この社宅には住まず、もうちょっと奥に行った所の建物に住んでいたとのこと。そうか、浦賀は住友の街なんですもんね。今は立派なマンションが建っとります!!

若葉商店街は、縁日もあった!

今回取材させていただいた、梅本がある通りはかつて(今も??)「若葉商店街」という看板が掲げられており、人通りも結構多かったとのこと。そして、この通りには月に2日だけ縁日だったというのです。
▲かつては、縁日も出ていた若葉商店街
というのも、昔は住友で働いていた時は月に2回給料日があったようなのです。そのため、その給料日に合わせて縁日も行われていたようです。今では、何店舗かはお店が残っているものの、昼間でもほとんど人通りがなく、住宅が多くてちょっと商店街とは言い難い。。
あっ、ちなみにですが若葉商店街にあるこちらのピンク色の建物。こちらは、芸妓置屋だったそうで、ここから太鼓の音とかが昔は聞こえていたんですって。

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マグロ漁師が群がった「柳町」

※「今昔マップ on the web」を元に作成
先ほども紹介しましたが、浦賀には「柳町」という赤線が存在したとのこと。なんか、「柳」という名前を聞くと確かにそんな気はしないでもないっす。。そんで、ここは主にはマグロ漁師たちが来ることが多かったとのことです。
※「今昔マップ on the web」を元に作成
というのも、今現在ある浦賀の渡しの近くには、マグロ漁船の停船所があったようで、ここからちょいと陸を歩いていけばという近さだったことから。そんでもって、現在その町がどんな感じなのかを早速調査したわけです。
柳町は、常福寺というお寺の脇に細い道があり、そこをずっと登っていくとたどり着きます!ん〜聞き込みをした位置情報から、どうやらこの先が柳町のようです。今現在は完全な住宅街と化しているようで、なんか色街的要素は微塵も感じられませんが。。。
すると、柳町の町名の由来が書かれた看板が現れました。看板には、ここがかつて歓楽街だったことと、町名の由来が書かれていました。やはり想像通り、ここの「柳町」という町名の由来は、歓楽街の風情を豊かにするために植えられた柳の木が由来になっているとのこと。
※「今昔マップ on the web」を元に作成
この辺の地図を見てみると、戦前と戦後辺りの地図を比べたら戦後辺りに柳町は出来たというのが分かりますね!!
この石碑みたいなやつは、なんかちょっと風情を感じる気が。。。
▲住宅街となり、色街の痕跡は見当たらない「柳町」
その他に何か痕跡が見られないか一応ぐるっと回ってみたものの、全く色街要素は感じられませんでした。まじで、ただ住宅があるだけの街。本当に歓楽街だったのかと不安になるぐらい何もなかったですが、現地の方も言ってたし、看板にも書いてあるし、間違いはないでしょうな。。ただ、ここにはどんな店があったんだろ。。スナックとかカフェーとかがあったのだろうか。。

勝海舟も食べたうなぎの名店「梅本」

タイトルにもあったように、今回の調査をする際にうなぎを食いました!12月だったので、別に土用の丑というわけでもないのですが。というのも、浦賀にはここ界隈ではかなりの老舗である「梅本」という名店があるので、ちょっと気になっていたというね!!

これが、勝海舟が食べたうな重

明治初年に創業したこの店。勝海舟も食べた子の味は、創業以降140年以上もの間守り続けた味とのこと。
今現在は、インターネットの普及で情報を仕入れたお客さんが訪れてくれるようです。ただ、やはり浦賀も人通りが少なくなり、今の5代目店主の後このお店をどうするか思考中とのこと。ここ界隈では、梅本が一番の老舗のようでなくなるのは大変寂しい気がしますが、それも時代の流れなのか。。

繁盛していた若葉商店街に移転

ここの、名店「梅本」も遊郭と同じように海辺の方から移転を経験しています。以前の場所からは、部屋から釣竿をたらすこともできたようです。そんな梅本が明治30年に移転した理由は、浦賀ドッグができることが原因ですが、移転場所を今の場所にしたのは若葉商店街が人通りが多く栄えていたからとのこと。
ただし、今では若葉商店街は住宅が増え人通りが少なく、むしろ海側の道路の方が人通りが多いような状況となっています!ただ、明治30年にここに移転した梅本。この奥に遊郭があったわけなので、遊郭を訪れたお客さんの中には、きっとここ梅本のうな重を食べた方も多かったのではないですかね??

おわりに

とりあえず、浦賀の遊郭に関する割と直近の歴史を、自分なりに整理しました。もっと古い歴史は、正直自分もよく整理できていないので、それは後日続編記事にてまとめたいと思います。
ここの遊郭史を解くには、東叶神社や遊郭を経営していた江戸屋半五郎などの歴史にも触れる必要がありますのでね!ということで、浦賀遊郭に関してはまた続編にて!!

参考文献

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