かつて平塚の繁栄を支えたであろう「平塚遊郭」と色街史を調査した!

今回は平塚遊郭に関するお話です。神奈川県の遊郭に関しては結構色々な場所を訪問してきましたが、平塚はまだ未開拓でした。図書館行ったり、現地をうろつきまくってできる限り調査してみたので、以下で紹介していきまっす( ´ ▽ ` )ノ
本記事のポイント

・平塚遊郭跡には、痕跡はほぼ残っていない
・今でも大鳥神社では11月に酉の市が開かれる
・平塚のピンサロ街は平塚競輪と共に発展したらしい

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平塚遊郭の場所は?

平塚遊郭がどこにあったかというと、平塚駅の北西側の場所になります。今現在は住宅街になっており、あとは公園があるような閑静な街っすね。
※「今昔マップ on the web」を元に作成
こちらは明治時代後半の平塚の地図。主要道路である東海道沿いは割と町っぽくなっていますが、それだけって感じです。この時はまだ遊郭街として1箇所にまとまった街は作られておらず、東海道沿いに転々と位置していた状況でしょうか。
※「今昔マップ on the web」を元に作成
ただ、古地図で見ているとおもしろい事に気づいたりするわけです。こちらは大正時代(1914〜1924頃)の地図ですが、東海道から少し離れた赤く囲った場所が遊郭街があった場所ではないかと。メイン通りから少し外れた場所にまとめられたって感じがします。
改めてですが、こうやって古地図を見ていると大正時代ではまだ鉄道の駅周辺に町を作るという流れはなく、まだ主要道路である東海道沿いの宿場町に人が集まる時代だったようです。

知られざる平塚遊郭の歴史

※「今昔マップ on the web」を元に作成
平塚遊郭は、大正時代頃から東海道の北側に 遊郭街が作られました。しかし、その後1950頃になると平塚の街は大きく発展して建物が増えていったことがわかります。
そして、平塚遊郭は1953年に姿を消すことになったそうです。売春防止法が施行されたのが1958年なのでそれより5年近く前に消えることになり、その後は藤沢遊郭と合併したとのこと。この辺の経緯は詳しくは不明ですが、周辺の聞き込みでは、どうやら1953年以降に区画整理があったという話もありました。
確かに、1950年頃の地図を見ると道路が増えたりして区画が変わっていることがわかります。区画整理をして遊郭街を潰した後、遊郭の経営を続けたい方は何かしらのツテで藤沢に移ったってことなのでしょうか??

平塚で行われた大規模区画整理の背景

区画整理とはどういうことか??
それには、1945年7月16日〜17日におきた平塚大空襲が関係しているのです!太平洋戦争が終盤に近づき、米軍が本土へ空襲攻撃を仕掛けまくっていた時のこと。神奈川県では横浜や川崎、そして平塚などで大きな空襲被害を受けたわけです。
▲八幡山公園に建てられた平塚大空襲の慰霊碑
そこで1945年7月の平塚大空襲で大きな被害を受けた平塚は、戦後に年を復興するために「戦後復興都市計画」が掲げられます。今では、平塚駅の北側にある八幡山公園に「平塚戦災復興事業完成記念」の碑が建てられています。ちなみに、今ある平塚の七夕まつりや、平塚競輪も戦災復興のために作られたものなんですな!!
そんな復興事業が行われたことで、街の作りも変わっていき、いろいろな場所で区画整理が進んでいったわけです。平塚遊郭があった場所はその影響を受けて区画が変わっていったのではないかと私は推測しています。ただ、平塚遊郭が空襲で被害を受けていたのか、そしてどのような経緯がありここの遊郭がなくなり藤沢遊郭へと合併していったのかは、依然不明っすわ(⌒-⌒; )

遊郭跡を歩いてみる

痕跡はほぼナシ(ー ー;)

で、歩いてみたんですが何もないっす。。。
マジで何もないです。何もなさすぎて何周も同じ道を歩くわけですが、不審者に思われそうなのでもうやめました。以前は転業旅館がいくらか残っていたようですが、すべて消えてしまい普通の住宅らに変わっているようです。
ただ、質店さんがあったのがなんか気になりましたけども。。遊郭があった場所ってなんか多いですよね、質店さん。

周辺のお店に聞いてみた

せっかくなので誰かに聞いてみようと思い、とある商店さんにお話を聞いてみることに。
話をしていただいたお母さんは、平塚が地元ではなくよそから来てここでお店をしているとのこと。ただ、転業旅館が残っていた頃も知っているようで、何箇所か転業旅館が残っていた場所とその名前を教えていただきました。
とあるところでは旅館をやめて土地を売って東京に移ってしまったなど、昔からずっとここに住んでいる方はもうほとんどいないのではという。。確かに、歩いていてもそこまで古い家は見当たらないし、、移住してきた方ばかりなんでしょうかね。。

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こじんまりと開催される酉の市

大鳥公園にぽつんと存在する大鷲神社。宮司さんがいるわけでも、総代の方(いわゆるボランティアで神社のお祭り行事などを行う方)が常駐しているわけでもない様子のこの神社。毎年11月になると、ここでも酉の市が行われるようです。
ネットを見ても、詳しい開催日時が書かれていない平塚の酉の市。日程が確認できるのは、大鳥公園前にあるこの看板のみ・・。
▲こじんまりと開かれている平塚の酉の市
当日の様子はこんな感じ!訪問したのは、2017年11月30日。2017年は三の酉まである年であり、11月30日がその三の酉だったんですね。平塚の酉の市は、上の写真のようなめっちゃこじんまりとした感じでした。
まだ午前中ということもあって、業者さんは準備をしている最中でしたわい!!
熊手を売っている業者は2つだけで、屋台も私が行った時には2つしかない状態。ちょっとお祭りとしては寂しい感じがします。ただ、やっぱり熊手がこうやって展示してあると、かなり豪勢に見えますな〜〜。
▲酉の市の時は、扉が開かれているよう
神社もこの時は、ご開帳。熊手を売っているおばあちゃん2人組に、平塚遊郭のことについて何か知っているかを聞いてはみたのですが、「私たちまだ若いから、昔のことはわからないのよ〜」と軽いボケをかまされてしまいました(´・Д・)
ん〜もうここの遊郭に関して知っている方はほぼいない様子。。。

今現在のピンサロ街を歩く

▲平塚駅北口にあるピンサロ・キャバクラ街
平塚には、駅の北西方向に飲み屋やピンサロが集まるエリアが存在します。私が学生時代にバイトをしていたコンビニの店長は、よくここのピンサロに遊びに来るって言ってたな(`・ω・´)
この街は、戦後空襲を受けた平塚の街を復興するための収益源として生まれた「平塚競輪」が出来たことが誕生したきっかけということを聞いたことがあります。競輪が出来て、酔っぱらいが街で寝たりと治安が悪くなった時には、街の方が協力して見回りを行ったこともあるとのこと。
そんな背景もあったこの街ですが、今ではだいぶ閑散とした様子。夜でもシャッターが多く、数年前に歩いた時に比べるとピンサロの数も減っているように感じます。どこも大変なんだな~~( ;∀;)
「歓楽街」とデカデカと書かれた派手な看板は目にするも、その派手さと人通りの差が激しすぎる・・。
そしてピンサロ街の近くにある広場には、平塚名物の「七夕」の文字がありました。私が訪れたのは、寒さが厳しい12月。次の七夕祭りまではまだ半年以上ありますね。この平塚名物の七夕祭りも、平塚競輪と同様に戦後の平塚大空襲によって被害を受けた街を復興するためのイベントだったのです。
本当に閑散な、ちょっとなにか哀愁まで漂ってくる平塚の商店街。結局客引きの方もほとんどいなく、この色街の歴史を聞くことには至りませんでした。残念。。寒さが一層強くなったのもあり、街を去ることにしました。

おわりに

以上が平塚遊郭に関する調査結果です。ん〜正直不完全燃焼感が否めない調査でした(⌒-⌒; )
遊郭に関しては当時のことを知っている方がいないとなると、もうどうしようもないんすよね。図書館に行ってもろくな資料はないし。ということで、今のところ平塚遊郭に関してはここで一旦調査は打切りにして、別の場所に専念したいと思います( ´ ▽ ` )ノ
まぁ、奇跡的になんか情報が舞い込んできたりしたら続編を書いたりしたいとは思います!それでは、また次の記事にて(^ ^)

参考文献

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詳細・地図

住所 神奈川県平塚市平塚2-20付近
アクセス 平塚駅から徒歩20分くらい
リンク https://ja.wikipedia.org/wiki/堀之内_(川崎市)
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