木辻遊郭跡にある元遊郭旅館「静観荘」を取材した!

↑更新・取材裏情報はTwitterにて(^ ^)
今回の記事は、奈良県にある元遊郭旅館に関する記事になります。今まで、日本中の色々な遊郭跡を調査してきたりするわけですが、実際の遊廓だった建物は見たことはあるものの中に入ったことは今までなかったわけです。
ただし、今現在も遊郭だった建物を旅館として経営し続けている場所が数か所残っているそうなのですな。そのうちの1軒が、今回お伺いさせていいただいた奈良県にある静観荘という旅館でっす(`・ω・´)
そんで、今回はお伺いして宿泊しただけでなく、館長さんから大変長い時間お話を伺うことが出来たため、その内容も踏まえてじっくりと以下で説明していきたいと思いますよ~!
本記事のポイント

・木辻遊郭には南の方面からの女性が多かった
・静観荘は大正時代に建てられた築100年の建物
・戦後にはアメリカの慰安施設になった
・遊郭から旅館に転業した後は、24時間営業して経営を乗り切った
・外国人宿泊客を泊めた時は、トラブルが絶えなかった
・昔の建築物には、遊び心が隠されている

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まずは、静観荘に関してを簡単に

▲風情漂う「静観荘」の外観
この旅館「静観荘」は、100年ほど前に建てられた建物なんだそうです。今の館長さんのおじいさんの代からこの建物で遊郭経営が行われ始めたんですって!というと、単純計算で大正時代となりますね!!駐車場は3台ほどスペースがありますが、前の道も狭くなかなかのドラテクが必要です。不安な場合は、館長さんに停めてもらいましょう!!鍵を渡すと、駐車してくれますよ!!
今現在は、館長さん夫婦が旅館を経営しております。とっても親切なご夫婦で、終始丁寧にご対応していただけました。今までさまざまな遊郭跡などを巡っては来ましたが、元遊郭だった建物に入るのは今回が初めてなのです(*’▽’)
入った瞬間に、懐かしの雰囲気だったり今の建物では感じることができない雰囲気がウルトラプンプン丸状態でした!!中に入ると、照明は十分な明るさというわけではなく少し薄暗い感じになのですが、それが何とも言い難い雰囲気なのですわい。
▲ロビーにて館主さんにインタビューを
静観荘にチェックインした後、女将さんに「静観荘に関してのお話をお聞きしたいのですが。」とお伺いしたところ、女将さんからは快く引き受けていただき、館長さんを連れてきてくれました。
お茶も出していただき、ロビーにて木辻遊郭の背景やここ静観荘の歴史について、思う存分3時間近くにわたって語ってくれました!!では、今回聞くことが出来た木辻遊郭の歴史や遊郭旅館の裏側を以下で紹介していきますね!!

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このエリアにあった木辻遊郭とは

▲木辻遊郭があったエリア
今の館長さんが木辻遊郭に関してご存じなのは、おじいさんがこの遊郭を経営していた時代以降のことだという。木辻遊郭には静観荘の近くに数十件の遊廓があったそうで、遊郭の建物自体は、上の地図の赤く塗られたエリアにあったそうです。
この木辻遊郭に来る女性は南の方面から来ることが多かったようで、つまり九州地方や四国地方の方面から来たと思われるわけです。そして、今の時代とは違い当時の女性は貧しくて売られてきた子が多かった。昔の女性は子供が出来てたとしても、今の様に不妊治療などが出来ないため、川に飛び込んでおなかの中の子供を殺してしまうわけです。それで子供を殺(あや)めることはあっても、その女性の心は癒えない。
そんなわけで生まれたのが東北地方で有名な「こけし」であるわけです。そのような背景も、館長さんから教えていただきました。当時の女郎さんは、そのように家が貧しかったため、今の館長さんはお母さんに「ここに来る女性の中ではな、初めて履物をはいた子もおるんやで!」という話を聞いた覚えがあるという。
▲かつて遊郭への入り口である門があったであろう場所
それほど、ここに来る女性たちは貧しかったわけですね。。木辻遊郭自体に関しては別記事にまとめるとして、本記事では静観荘に絞って以下にて説明してきまっす!!

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木辻遊郭で働く女性たちの物語

次に、館長さんからはここ木辻遊郭で働く女性たちに関する話をたくさん教えていただいたので、その辺は静観荘で働く女性たちの話と合わせて紹介していきます!

遊郭には検査病院もあった

ここに女性が来たときには、きちんと警察にも届けて住民登録をします。夜逃げをしないためかと。。あとは、病院で検査をして検査に受からなかった女性は、お客さんの前に出ることはできませんでした。
▲検査病院跡に建つスーパー「ビッグ・ナラ」
今現在、静観荘の近くには「ビッグ・ナラ」というスーパーがあります。このスーパーがある場所は、以前は遊郭で働いた方々のための病院だったようです。小さい頃は大人たちが「あそこは精神病院で危ないから、行っちゃダメやで!!」といわれたそうです。
それでも、館長さんが子供のころは病院跡に侵入して探検をして遊んでいたとのこと。確かに、自分がここで子供時代を過ごしていたら親に怒られるの覚悟で好奇心を抑えきれず探検していたでしょうな~~。
「ビッグ・ナラ」は、静観荘から歩いてすぐの場所にあります。遊郭街には、お寿司屋さんや床屋さん、神社などはよくあったようですが、病院も多くの遊廓にあったようで、ここもそうだったか!!

女郎はピクニックでリフレッシュ!

▲昼間に大量の鹿が現れる「奈良公園」
貧しくて売られて連れてこられた女郎さん達。そんな背景があったことから、遊郭の歴史というとあまりいい話は聞かないものの、彼女たちは気晴らしとして奈良公園にピクニックをしに行ったりしたという話を聞きました。
もはやゲシュタルト崩壊するほど公園内を動き周る鹿さん達ですが、この鹿たちの何世代か前の鹿は、きっと木辻遊郭で働いていた女性たちの心の支えとなっていたのでしょうな。。そう思ったら、なんか切なくなってきた。。
それだけではなく、静観荘の風情ある庭では踊りを踊っていたり。あとは、歌舞伎の有名な方も呼ばれてきたりしていたんですって。そんな感じで、売られて赤の他人の男性に抱かれるということはあっても、時折彼女らはそのような楽しみもあったそうです。

遊郭で世の中のイロハを教わった女郎達

あと、ここに来られた女郎さん達だけでなく、昔遊郭で働く女性たちは女将さん達から色々な教育を受けていたと思います。最近は、共働きが当たり前で家庭でしつけをすることができないというかそもそも親に問題があったりするんでがね。。ここでは厳しく世の中のイロハを女性たちは女将さん達から教わったわけです。
そんなときには、女将さん達の中にはいつも厳しく叱る方と、それを慰める方がいて、いわゆるアメとムチがあったわけですな(*’▽’)
木辻遊郭の通りに目を向けてみますか。木辻遊郭跡に限らず、とにかく奈良県の道は本当に狭いっす。国道のような大通りはともかく、そこから1本や2本ほど中に入ると、もうこんな道ばっかりなんですわ。。
この通りでは、夕方になると鈴が付いたようなものをジャラジャラと引きずる方がいたといいます。館長さんの話によると、あくまで推測にはなりますがその合図が、休憩と宿泊の境目だったというのですね。というように、遊郭は休憩と宿泊があり、遊郭に泊まることが出来たわけです。
あとは、ひっこさん(いわゆる客引き)と呼ばれるおばちゃんがいたそうです。旅館の前には小さな小屋があり、ここにひっこさんが座っていたとのこと。いわゆる、今の飛田新地とかの料亭で「お兄さんお兄さん!!」と叫ぶ客寄せババアみたいなものですかな!!

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戦後はダンスホールになった!

▲お風呂場と客室を結ぶ庭脇の通路
戦後は、今現在奈良教育大学がある場所がアメリカの駐屯地になりました。その時には、アメリカの方々の慰安所も必要だということで、この建物はダンスホールになっていたりお酒を飲める施設になったそうです。
今現在のロビーがまさにダンスホールだったようで、その当時は仕切りは外されこの1階が広大なホールとなっていたそうです。今現在は、そこに仕切りのドアをつけてロビーや玄関となっていますがね!!
アメリカ軍が去った後は、遊郭を続けた建物もあれば、売春防止法の施行前にパッと止めてしまい、旅館やアパートに転業した建物もあったとのこと。行政の補助もあり、旅館の講習を受けることもできたため、その流れでこの静観荘も旅館へと転業したわけです。

必殺「24時間営業戦法」で旅館経営を維持!

行政の補助もあり、旅館転業した静観荘。しかし、旅館にしたとしてもお客さんが来て経営が安定するとは限らないし、旅館経営の経験だってないわけで旅館を維持するのはそう簡単にはいかなかったわけです。そのため、旅館業にはしたものの、廃業してしまった旅館も多くあったとのこと。
そこで静観荘が考えた作戦は、「24時間営業戦法(勝手に自分で名付けましたww)」だったのです。親戚の方にも手伝ってもらい、夜中にお客さんが来ても泊められるように、24時間交代制で受付をしてお客さんを維持していたようです。いわゆる工場の3交代制と同じようにって感じです。
▲遊郭時代を匂わす、客室前の廊下
ちなみに、「遊郭の歴史を教えてほしい」といわれることは数回だけあるそうです。年配の方などが多く、20代くらいの方も来たりするという。しかし、館長からは「ここは遊郭旅館だったんです」ということはPUSHしたくはないという。
あと、建物自体は遊郭時代のころからは少し改造しているようで、今よりもう少し玄関の段差が高く、階段も今の様に90度に曲がらずまっすぐ伸びた階段だったそうです。2階の廊下は窓が一切なく、昼間でも明かりをつけないと薄暗い状態なのが、とても気になったり。。
あと、未だに火鉢、火鉢に入れる隅箱、キセルなど当時のものも残っていたりするそうな!!

外国人旅行客とはトラブルの連続!!

24時間戦法で旅館経営を維持した静観荘。しかし、それだけではなく、お客さんの幅を広げるために外国人のお客さんも受け入れるようにしたわけです。当時は日本の観光庁も大きな旅館のデータはあるものの、ちっこい旅館のデータはあまり知らない。
外国人が何泊も日本の旅館を泊まるとしても、大きな旅館ばかりではなくバリエーションを増やすために、静観荘のようなこじんまりとした旅館もツアーに組み込みたいという動きがあったようで、その関係で外国人も泊めるようになったというわけです。
しかし、まだ一世代前の頃(昭和後半辺り?)に外国人を宿泊させるのは結構ハードルが高かったとのこと。というのも、まだインターネットがない時代でもあり、外国人の方は日本の文化というものをよく理解できていない状態なわけですね!!
そのため、以下のような問題があったそうです・・。
外国人とのトラブル例

・そのまま土足で入ってくる
・向こうは戸は押す方式なので、スライド扉の障子を押してしまいすぐに破く
・風呂の栓を抜いてしまう
・当時は生魚を食べるということが理解できなかったようで、魚出すとキレる
・「かつおぶし」を食べたことがなく、熱で動くのを見て「Oh!キモチワルイ!」とキレる
・海苔も見たことがないため、どうやって食えばいいかわからない
・部屋の料金が人数単位ではなく部屋単位だと思ったようで、人数分請求したらキレる
・なぜか「子供はタダっしょ!!」という前提だったらしく、子供の分も請求したらキレる
・めっちゃ値切る!!
などなど、まぁ~挙げたらきりがないくらい文化の違いによって様々なトラブルがあったそうです( ゚Д゚)
そんな背景があったため、旅館には英語で書かれた注意書きが多数張り付けられています。上の写真は、脱衣所に張られていた風呂の入り方に関する注意書き。
・浴槽の栓は抜かないこと
・風呂に入っているときに、石鹸は使わないこと
・石鹸やリンスなどは浴槽の外で使用してくれや!!
 と、書いてますな(*’▽’)
こんな所にも。部屋のリモコンにも、お手製の説明書きが書かれていますね。ついでに、禁煙のマークも丁寧に手書きで書かれていますな。

子供への影響も大きい遊郭経営

あとは、遊郭を経営する際にはその経営者の子供はどのように育てられるのかという点についても話を聞けました。ここで遊郭を始めたのは、今の館長さんのおじいさんの代から。そのため、館長さんのお父さん(おじいさんの息子)は、里子に出されて育てられるわけです。いわゆる、遊郭を経営している場合はそこで子供を育てるわけにはいかないということなのです。
そのため、実際の両親に育てられるわけでもなく、また物心つくと、周辺の友達からは「お前、女郎屋の息子だろ!!」と、かわれたりするわけです。
幼少期に学校でそんな風にからかわれ、館長のお父さんの代は20歳前後になると、タイミング的に太平洋戦争に出されてしまうわけです。親が遊郭を経営しているということで、親と関わる時期が少なかったり学校でからかわれたり、その後は戦争に行けと言われて戦場に駆り出される。。つまり、館長さんのお父さんはそんな経緯を経ていたこともあり心情的に遊郭という商売についてイマイチ乗り切れないわけです。
そのため館長さんのお父さんは遊郭の事を話したがりはしませんでしたが、今の館長さんはそのような背景は無いため、遊郭の事を話すことにさほど抵抗はないという。今のソー〇ランドやファッ〇ョンヘ〇スなどの業界においても、このような事は当てはまったりするのでしょうか??

静観荘の、今後の行方は・・

インタビューの際に、この旅館を今後どうする予定なのかも聞きました。老舗のお店や旅館などは、後継ぎいわゆる後継者がいないということで廃業になるケースをよく聞くからです。その答えとしては、お父さんとしては旅館を経営して20年近く経った頃に「もう、旅館を辞めてもいいかもしれない」と思ったそうです。
いわゆる「やりきったかな!」っていう感じですかね。今の息子さんに継いでいただくなどで、ずっと続けていくという方針ではないようでした。
静観荘の旅館は建物自体はかなり大きいものの、実際に使っている建物は半分だけ。もう使っていない部屋もあり、今は9部屋ほどしか使用していないとのこと。すぐに辞めることはなさそうですが、続ける限り続けていくという方針でもないようなので、気になる方は早いうちに泊まりに来た方がよさそうですな、こりゃ。。
続きはこちら!遊郭建築に隠された秘密とは。。
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