今回は、海軍の街でもある長崎県佐世保市にあった勝富遊郭に関する記事になります。といっても、今回は勝富遊郭というよりかはその跡地にある松竹荘に絞った記事になります。
松竹荘は、昔遊郭だった建物を料亭に改築して今も現存する建物なんですね。この料亭はもう現役ではなく今は解放されていない建物ですが、今回はご縁あって特別に内部を見せていただけたので、その内容を中心にまとめました!!
いやね、本当にすごい建物でしたよ(*’▽’)
ということで、早速以下でその内容を書いていくことにしましょう!
佐世保の街を支えた勝富遊郭
佐世保といえば、呉、舞鶴、横須賀と同様に鎮守府(ちんじゅふ)とされた街。明治時代に西欧列強に立ち向かうために海防力を備える必要があったことから置かれたわけです。
勝富遊郭の歴史は1907(明治40)年に遡ります。この年より前には、佐世保には小佐世保遊郭が存在していたものの、佐世保市は1907(明治40)年3月に市街地中心部に調整を実施することになり、小佐世保遊郭という呼称も年数が経つにつれて「勝富遊郭」と呼ばれるようになって行きます。
まぁ小佐世保遊廓から勝富遊郭は名称が変わったということなので、場所という観点から言えばもっと昔からになりますけども・・。
花街の芸妓や遊郭の娼妓が納める賦金(営業税)は、長崎県財政の一割ほどになっていました。明治から大正、昭和にかけては佐世保軍港建設によって巨額の費用が投じられたことにも関係しており、これを遊郭で働く女性達が一部賄っていたわけですね!
この勝富遊郭以外の遊郭に関して書くと、佐世保市は戦争によって海軍都市の人口は増え続け、現状のままでは足りぬということで、1909(明治42)年には名切遊郭(花園遊郭)が誕生。
佐世保市にはこの二箇所以外にも相浦(あいのうら)や早紀という場所にも遊郭があったようです。佐世保の遊郭に関しては、『佐世保遊里考』という書籍にもまとめられていて結構探ると色々な事が出来てきます。
この辺はまた別の記事に書くことにして、佐世保の遊郭に関してはすごく簡単ですがこのくらいに!
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素晴らしい意匠を凝らした『松竹荘』
以上のような歴史があった勝富遊郭。そんな跡地をふらふらと歩いていたわけですが、少し坂を上がったところに現れたのがこんな光景!
すごい存在感である。。関東ではもうこんな建物はもう残ってないんじゃないですかね。ところどころに趣(おもむき)がある造りでもう目のやり場に困るほど。。
ただこの立派な建物はもう使われていないようです。今では隣にあるビジネスホテル松竹はホテルとして営業しているものの、ここは旅館としては使われていないんですね。。元遊郭旅館として営業すれば、物好きは泊まりにくるとは思うんだけどな〜とか思ったりはしますが、実際にこういった建物を今の時代に営業するのは大変なんでしょうね。。
看板には「割烹旅館 松竹荘」と書かれていますね。季節料理として、ふぐ、うなぎ、いき造り、天ぷらを出していたようですね。ここで料理食ってみたかったわ〜〜。
そして今回訪問したのが3月31日ということもあって、松竹荘の目の前に咲いている桜がとっても綺麗( ´ ▽ ` )ノ
料亭の建物と桜のコンビネーションもなかなかいいっすな〜!
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あとは玄関上に色ガラスも使われていますね。赤、黄、緑ですかね。中を見てみたいな〜とは思ったものの、もう開放はしていないようですので、ここは諦めて隣にあるビジネルホテルへ向かったのでした!!
激渋ホテルに宿泊したのが始まり
そんな松竹荘の隣にあるのがこちらのビジネスホテル松竹。赤線廃止後は旅館街となったこの街に唯一残るホテルです!まっ、ここ以外にラブホテルもあるんですけどそれを除くとですけどね(⌒-⌒; )
このビジネルホテルもかなりいい感じの昭和レトロ感を味わえるとのことで、九州遠征に出かけた際にせっかくなので佐世保に寄った際に宿泊したって感じです!
内部は確かにレトロ感半端ない造り。なんか一気に時代が後退した感じというんでしょうか。。料金は前払いということでお会計を済ませ中に入るわけですが、ここで部屋に行く前にご主人さんに勝富遊郭のことを聞いて見ることにした私。
で、いろいろ話していた時に、なんと今回は特別にということで松竹荘の内部を翌朝に見せていただけることになったわけです( ´ ▽ ` )ノ
いや〜マジでまさかの展開!あんだけの素晴らしい外観なわけですよ、もう中がどうなっているか楽しみでたまりませんですわ!!!!!!
ウキウキ気分で部屋へと向かうわけですが、途中の廊下もなかなかですね。この赤絨毯がなんとも言えない雰囲気を醸し出してますわ( ´ ▽ ` )ノ
電子レンジやポットは共同。でも、風呂やトイレはちゃんと別になっていますよ!
こちらが私が宿泊した部屋。まさにビジネスホテルという感じで一人で泊まるには十分な広さ。普段はマンガ喫茶や車中泊をしている私からしたら、取材旅中にベッドがあるホテルに泊まれるだけでも大変贅沢な出来事なのであります!
ご主人さんによると、現在このホテルはSSK(佐世保重工業)の関連会社の方が宿泊することが多く、三重県や広島県など全国からお客さんがやってくるそうな。なので、値段が安いとはいえ旅行でここに泊まりに来るというケースはすごく珍しいという感じですね。
宿泊中は特に外に出かけることはなく、お菓子でも食いつつテレビをつけながらブログの記事を更新し続けてました。
ちなみにこの日は2019年3月31日。いよいよ平成に変わる元号が翌日に発表されるということで世間が盛り上がっており、テレビでは平成に起こった事件を振り返る特番などが繰り広げられておりましたよ!
そんな感じでブログ更新に熱中しつつも、翌朝は9:00に松竹荘の中をご主人さんに案内していただけることになっているので、寝坊しないように少し早めに眠りにつくのでした!!
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素晴らしい意匠建築に大興奮!!
そして翌朝、元号が”令和”と発表された4月1日になったこの日に、ついに松竹荘を訪問することに。
ご主人さんに迎えられて、いざ突入!!!!
そしてついに松竹荘の内部へ潜入!いきなり現れたのがこの松、松、松!!!
すげー、このお店が松竹荘というように名前に”松”が付いているということで玄関に入るとまずはこれが目に入るというシンボル的な存在なんだそうです。その他にも気になる部分が多すぎてもう興奮して死にそう(笑)
で、これである!玄関に入って左側に現れるハート形の窓。そしてそのハートに埋め込まれた巨木。最高である。
見た瞬間ションベンちびりそうになりましたよ。。遊郭の時代はハートの向こう側に女性が座っていて、お客さんが指名するというのが流れだったとのこと。ハート形といえば、奈良県大和郡山市の洞泉寺遊郭跡にある旧川本楼(町家物語館)の猪の目窓が有名ですが、こっちの方がインパクトは絶大!
よく今の時代まで残ってくれましたよ!
とはいえ、内部は外観から想像する以上にすごく綺麗に維持されていました。床や壁も赤線廃止後にリニューアルしたとはいえ、そこまで時代を感じるってほどでもないし。
座敷などは二階にあるとのことなので、早速階段を上がることに!!