今回は横浜市磯子区にある商店街に関する記事になります。磯子というと、昔は海水浴場があったり東京湾で海苔の養殖をしていたりという歴史がありながらも、今は住宅地となり海側は埋め立てまくって工場地帯になっている感じの街と言ったところでしょうか?
そんな磯子には、昭和レトロって感じのすんごく渋い商店街である『浜マーケット』が残っているんですね。今でも多くの常連客が訪れる戦後からの歴史がある商店街ですが、ここの背景などがいろいろ気になってしょうがなかったわけです!
ということで、商店街のお店に聞き込みしにいた様子などを以下に書いていきたいと思います( ´ ▽ ` )ノ
花街調査中にたまたま発見!
JR磯子駅にやってきた私。ただし、その目的は浜マーケットの取材ではなくて磯子にあった花街の取材が本来の目的だったんですね。。
で、花街があった辺りを散策していたときにたまたま見つけたのが浜マーケット。その異様な雰囲気とレトロ感半端ない様子から、この背景が気になってしょうがなくなったわけです!
最初に訪れて上の写真を撮ったのは真夜中の2:00頃ということもあり死ぬほど眠かったんですが、夜の静まった商店街もなかなかいいもんじゃないかと思い、ちょっと伺ってみることにしました!
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超ノスタルジック商店街!
さすがに真夜中の2:00ということで誰もいませんでした。逆に私みたいにこんな時間にカメラ持ってうろうろしてる方がやばいですかね。。( ;∀;)
商店街を入ると早速こんなスペースが広がっていました。ここはお店ではなく憩いの場的なスペースなんでしょうかね??
この整然としてない雑然とした感じがいいですね。綺麗なデパートの休憩スペースだとなんかそわそわしてしまう私ですが、こういう場所の方が本当に落ち着きますわ(笑)
奥に進みます。さすがにこの時間なのでシャッターは閉まっているものの、明かりはついているんですね。向こう側へ通り抜ける通路の役割も果たしているからなのでしょうか。
建物も看板も結構時代を感じるものですな~~。
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こういった商店街って昔は個人商店だったものの現在は飲み屋のテナントが入っているみたいなのが良くあるケースですが、この商店街は今も個人商店のみが営業している感じなんですかね?
鰹節店の看板もなかなか味がある。チェーン店の影響で個人商店がやられるのは時代の流れではありますが、このお店は今でも営業しているんだろうか??
ミニーマウスとドナルドダックも出現。ただ、このお店は金物店ということでなんでこれらが描かれているんですかね??
「ご家族そろってウキウキショッピング!!」
反対側に抜けました。この看板も大変時代を感じますね。雰囲気的にはノスタルジックを感じるものの、人もいなかったし、あっさりと反対側に通り抜けてこの時間の取材は終わりですかね。。
なので、今度は昼間に訪問して商店街の方に取材をすることにしますか(*’▽’)
商店街の方に突撃取材を敢行!
はい、ということで商店街の方に取材すべく再び昼間に訪問。土曜の昼間にうろついて歩きながら昼間の様子をカメラに収めようと写真を撮りまくる私。商店街には花屋さんや総菜屋さん、雑貨屋さんに八百屋さんなどの個人商店が並んでいて、どうやら飲食店は入っていない模様。
もうお客さんは大手スーパーなどへ買い物に行ってしまい、こういった商店街は閑古鳥なのかと勝手に思っていましたが、思った以上に人は多く、シャッターがところどころ垣間見れながらもそれなりに賑わっているような感じではありました。
そんなこともあり、お店の人も忙しそうで取材は難しそうかな〜と思っていたら、ちょっと手が空いていたようで雑貨屋さんのお母さんに話を伺うことができました( ´ ▽ ` )ノ
図書館でコピーしてきた昔の地図などを見せながら話を聞くことに!まずは、浜マーケット周辺の歴史から行きましょうか!
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磯子駅の誕生で中心部が移動
今回取材をした浜マーケットは横浜市の磯子区にあるんですね。でも、神奈川県民ならわかるかもですが、他県の方だと「磯子ってどこやねん?」と怒りそうなので一応地図で示しておきます。
磯子区は横浜の中心部である横浜駅や桜木町の方から南に位置しており、東京湾がすぐそばということもあり海沿いの工業地帯でもある場所。これといって有名な観光地とかはなく、工場地帯であり住宅地でもあるって感じですかね。
あと、横浜に大量発生している家系ラーメンの店なんかもたくさんあります(笑)
そんな浜マーケットの目の前は、横須賀から千葉県の富津まで続く国道16号線が通っていることもあり非常に交通量が多い場所。
現在は住宅地&工業地帯となっているこの場所は、どのような歴史があって今に至るのかから行きましょう!
浜マーケットが誕生したのは戦後でした。ヤミ市として誕生したことから今に続いているわけですが、戦後の磯子周辺というか浜マーケット周辺は上の地図のような感じでした。
浜マーケット周辺は、横浜の市電が通っていたことや近くに磯子花街があったこともあり結構人が多かったようなんですね。上の地図を見ると、浜マーケットよりも南側はまだ開発されていないというのがお判りでしょうか?
商店街が誕生したころは一階が個人商店で、二階はそのお店の方の住居でした。当時は今みたいな大型スーパーもなかったので、皆がこう言ったところで日用品を買い漁っていたんでしょうな~。
当時、ここでどんな光景が広がっていたのか見てみたいものですわ。。
こちらは1972(昭和47)年まで走っていた横浜市電の路線図。横浜市の中心部である関内方面から周辺に延びていった横浜の市電。この市電によって、住宅地も中心部から外に広がっていったわけです。
磯子方面へは杉田まで延びていたんですね。浜マーケットって、『浜』って場所にあるマーケットだから『浜マーケット』ってことなのかな??
で、その横浜市電が通っていたこともあって人が多かった浜マーケット周辺は、戦後の頃は上の地図のように役所関係も集中していました。そんなことからも、この辺が栄えていたことが改めてわかるかと思います。
磯子花街に関しても、この頃は花街からはすぐ海だった(上の地図は現在の地図上に書き込んでいるため工場地帯がありますが・・)ため、料亭から風光明媚な景色が見えたし、子供たちはこの辺の海岸で海水浴や潮干狩りを楽しんだとのこと。
ただし、そんな海岸は時代の流れに逆らうことができず昭和30年代になると、”根岸湾埋め立て問題”が起こることになるのです。
浜マーケット近くの根岸湾は、昔から幾度もの埋め立てを経て現在に至ります。大正時代までは上の地図の左側のようになっており、これが自然のままの東京湾の海岸でした。
そこから、大正時代に数度の埋め立てを経て真ん中の地図のように変貌。そして戦後を経て、1959年にさらなる埋め立てを経て、磯子は現在のような工業地帯へと変貌していくことになります。しかし、戦後の埋め立てに関しては地元との衝突があり、長きにわたるバトルが繰り広げられたそうなんですね。。
というのも、この埋め立てには地元の漁師が猛反対。この根岸湾では海苔の養殖が大変有名だった場所であり、それだけでなく海に親しんだ磯子の方々にとっても一大問題だったわけです。
しかし、今後日本経済の自立達成のためという流れには逆らえず、1959年にこの問題は決着。現在のように、根岸湾には多くの工場が建ち並ぶことになったんですね。
ダムの埋め立てのために町が湖底に沈み、住宅開発によって森が消えるなど経済発展によって多くの自然が失われてきた昨今ですが、この根岸湾にもそんな歴史があったんですね。。
その埋め立てによって工場地帯が誕生しただけでなく、1964(昭和39)年5月には根岸線が桜木町から磯子へと延伸することになりました。
この頃は横浜市では大きな大改革の時代に突入。1965年には、当時の市長だった飛鳥田一雄(あすかた・いちお)が六大事業をぶち上げて市内を大改革。その改革の一つでもあった横浜市営地下鉄の誕生によって横浜の市電は姿を消し、横浜はさらなる大都市へと発展していくことになるのです。
そんな感じで横浜市電が廃止になり根岸線の磯子駅が誕生したことで、町の中心地が浜マーケット周辺から磯子駅へと移って行ってしまいました。昔は今の国道16号線を通ると潮の香りがしたそうですが、それから大きく変わったんですな~。
浜マーケット周辺の歴史をざっくり紹介するとそんな感じですかね。まとめると、以上のような経緯で浜マーケットの周辺から人が減ったというのがありますね!
コメント
こんにちは
ミニーの絵が書いてあるところ、ピエトロというおもちゃやさんでした
そうでしたか!
情報ありがとうございます!