管理人さんに突撃取材した!

鎌倉霊園のホームページを見ても「西武」という二文字は見かけられず、霊園内マップを見ても堤康次郎のお墓は明記されていません。謎が多いわけです。。
そんな中、ここを警備している警備員の方がいたのでその方にこの西部メモリアルパークや観音堂に関して少しの時間でしたが話を聞くことができました。

まず聞きたかったのはこの観音堂に関して。
で、わかったことですが、これは昔は法事で使ってい建物だったそうです。そして、この奥にある二階建ての日本家屋が精進落とし、つまり法事だけでなく四十九日などの際に食事をしたりする場として使われていたという。
今はもう法事などには使われていないようです。昔に比べ、周囲に多くの斎場が出来たことが関係しているんですかね~~。
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そもそも、この鎌倉霊園が誕生したのは今から50年近く前の年。鎌倉から横浜市金沢区を結ぶ道としては、上の写真にある朝夷奈切通ししかなかったこのルートに、朝比奈バイパスという新道(県道 )が自衛隊を招集してまで作られたのも、50年ほど前の時期。
それに合わせて誕生したのが鎌倉霊園であり、西武グループは軽井沢や箱根の土地を買いあさった後は鎌倉にも目を向けました。
昔は鎌倉駅前に西武デパートがあったり、七里ガ浜にも多くの土地を持っていたりと、西武と鎌倉というのは交通機関は通っていないものの、土地に関しては結構つながりがあるそうなんですな!

http://www.kamakurareien.or.jp/reien/map/
で、朝比奈に目をつけて土地を開拓して誕生した鎌倉霊園ですが、昔は今ほどの面積ではなくもっと小さかったとのこと。
園内マップを見てもわかるように、鎌倉霊園は朝比奈峠側に1区があり、この辺りの敷地から始まったそうなんですね。そこから徐々に面積を広げていき、正門は朝比奈峠側から太刀洗正門へと移っていったそうです。
んで、それと同時に正門だけでなく管理事務所も移動。
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今回話を聞かせていただいた西部メモリアルパークの管理人さんが使っている上の写真の事務所は、もともとの鎌倉霊園の管理事務所だったとか。ただ、霊園が巨大化して入り口が太刀洗側になったことで管理事務所も移動。

んで、この堤康次郎のお墓は、以前までは一般公開していなかったそうです。ところが、西武側で何があったのか、今から五年ほど前に『西部メモリアルパーク』として、公園として一般の方でも参拝できるように開放したのだという。
ここには『西部メモリアルパーク』と書かれた注意書きの看板はあるものの堤康次郎に関する説明とか、それらしきものは皆無。
でも、管理人さんに聞いてちょっとこのお墓の背景が分かったので、堤康次郎のお墓訪問はこのくらいにして退散することにしましたぜ!
で、せっかく鎌倉霊園に来たので、その他の著名人のお墓も訪問してみました(*’▽’)
鎌倉霊園に眠る著名人のお墓

55万坪もの面積を有する鎌倉霊園。この霊園には、堤康次郎以外にも多くの著名人のお墓もあるわけです。
ということで、数名の方のお墓に手を合わせに行こうとしたものの、有名人のお墓であっても個人情報ということでなのか、管理事務所で場所を聞いても教えてくれないそうです。。ネットでもあんま詳しくは紹介されていないようです。ということで、私はもう自力で探し出しましたよ( ;∀;)
相当な数のお墓があるので結構な時間かかりましたが、いくつか探し出すことができたので、三名ほど紹介したいと思います~!
青江三奈

まずは、歌手として有名な青江三奈(1941年5月7日-2000年7月2日)さんのお墓。私は青江さんが芸能活動をしている時期は物心がついていなかったこともあり、彼女のことはあまり知ってはいませんけどね。
ただ、高度経済成長期の日本を支えた方々はきっと青江さんの色っぽい吐息に魅了されていたんじゃないですかね。

科の脇には、曲名が刻まれてもいました。多くの「××ブルース」という歌を歌っており、長崎ブルースや伊勢佐木町ブルースは特に有名な歌ですね。


私の中でも青江三奈さんは思い入れがあり、知の冒険の取材でも一番重点的に調査をしている横浜の伊勢佐木町には、今でも伊勢佐木町ブルースの歌碑が残されているんですね。
伊勢佐木町ブルースは1968年の曲ということで、今から50年近くも前の曲でありもちろん私が生まれるはるか前の曲ではあるものの、この街を何度も歩き回るうちに曲に対する思いや歌っている青江三奈さんにも興味が湧いてきましてね。。
そんなことを思いながら、青江三奈さんのお墓に手を合わせてきました。具体的なお墓の場所に関しては、私のブログでも一応控えておくようにします。。
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川端康成

続いてはノーベル文学賞を受賞した川端康成のお墓。このお墓は結構すぐに見つけることができませんでした。手前には「川端家墓所」と書かれた立派な柱もありますな!
立派な先人に手を合わせ思いを馳せる。。

注意してみてみると、右端の石碑には「昭和四十七年四月 川端康成」と書かれていますね。川端康成は、逗子マリーナの仕事部屋でガス管を加えて自殺をしたそうです。
川端康成は長谷の辺に自宅を構えており、近くにある鎌倉文学館には川端康成など鎌倉にゆかりがある文学者の直筆の原稿や手紙が展示されているそうです。長谷って私の実家からそこまで多くないんですが、川端康成が鎌倉にゆかりがあったなんて知らなかったな~~。。
杉原千畝

続いては、日本のシンドラーと言われた杉原千畝さんのお墓。命のビザを発行して6,000人近くのユダヤ人を救ったという話はとても有名で、2015年には映画にもなりましたな~。

これは数年前に音連れた時の写真ではありますが、お墓には千羽鶴がかけられており、赤と白のポーランドの国旗も飾られておりました。親族の方なのか、誰が飾ったかはわかりませんが、杉原さんの意志は今でも受け継がれているんですかね。
杉原さんの故郷は岐阜県八百津町という場所で、そこには杉原千畝記念館もあるわけですが、彼は晩年は鎌倉市に住んでいたことからお墓も鎌倉霊園になったんですかね。
偉大なる先人を前に、手を合わせてきました。
↓杉原千畝さんに関しては、以前にもお墓を訪問して記事にしていますのでよかったら見てみてください(*’▽’)

あとこれはオマケですが、鎌倉霊園の正門横にある電話ボックスは心霊スポットとして知られているようで、昔テレビか何かで取り上げられたことからそうなったとか。
今ではGoogleMapの口コミにも投稿されているほど。。でも、確かにちょっと不気味かも・・( ;∀;)
こんな感じですかね。
西武グループ創業者である堤康次郎だけでなく、鎌倉霊園にある著名人のお墓なども参拝したわけですが、お墓から学ぶものってのも多いと思います。
他のブログでは著名人のお墓を巡っている方もいたりするそうですね。個人情報的なものもあるかもしれませんが、こうやってお墓を巡ってみるのもいいかもしれないですよ!
おわりに

このように、一民間会社の創業者としてこれだけの大きさのお墓を持つのは極めて異例じゃないですかね。。この堤康次郎の墓があると知ったのは本当に最近。15年近く住んだ地元なのに知らなかったとはな~。。ということで、この記事にはまだ続編があります。それは、西武グループと鎌倉の関わりについて!
これだけ大きな霊園を築いたということは、鎌倉と西武グループには大きな関わりがあったんだろうということでその辺も詳しく調べてみようと思いましてね(*’▽’)
ということで、続編までしばしお待ちを!!
参考文献
詳細・地図
住所 | 神奈川県鎌倉市十二所512 |
---|---|
開園時間 | 09:00〜17:00 |
駐車場 | 無料 |
電話番号 | 0120-954-400 |
アクセス | JR鎌倉駅前からバスで15分ほど |
リンク | http://www.kamakurareien.or.jp/ |