世界で唯一!殉職した増田敬太郎氏を祀る佐賀県の「増田神社」を訪問してみた!

↑更新・取材裏情報はTwitterにて(^ ^)
日本は八百万の神を信仰する民族といわれます。国土の7割近くが森林で覆われており、山があり、様々な場所に神様がいるわけです。中にはおっぱいを祀る間々観音があったり、焼きそば神社とか色々な対象を信仰していたはず。。
そして、今回紹介するのは増田神社という神社です。ここは世界で唯一、殉職した警察官を祀っているという大変珍しい神社。ということで、今回はこの増田神社の訪問記になりますよ〜!
本記事のポイント

・増田神社は、世界で唯一殉職した警察官を祀る神社
・増田敬太郎巡査は、コレラから村人を救うために全身全霊で戦った
・警察関係者も訪れるようで、近くの交番に行くと背景が書かれた冊子をもらえる

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増田神社の場所は?

増田神社はどこにあるのかというと、佐賀県唐津市にあります。唐津市というと、唐津焼が有名でしょうが地元の方ではない限り位置はようわからんですよね。。私も、訪問はしたものの改めて地図を見ると場所がどこだったかわからないというね。。
拡大するとこうなっています。神社まではアクセスが悪く公共交通機関はなさそうなので、細い道を車で進むことにしました。

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増田神社を訪問する

近くまで車で来てもなかなか標識が現れない。そんな中、ようやくお手製の案内が現れた。
ただ、増田神社の近くの道はめっちゃ狭いしめちゃくちゃ急だし・・。これは多少のドラテクがないと厳しい道かもしれませんな。日本一傾斜が急な国道の国道308号線よりはマシかもしれないですけどね。。
はい、到着!ここが入り口のようです。
参道に並ぶこれらの石燈篭。これは増田巡査の没年100周年を迎えた1994年に寄進されたもの。100年経っても、こうやって地元の方から思いを寄せられるなんて。。よほど献身的な方だったんでしょうね。。
そして、増田神社に到着。
▲増田神社の本堂
神社は住宅街の中でも少し高台のこじんまりをした場所にありました。
境内は非常に閑散としていました。この神社は増田敬太郎という警察官を祀っているということですが、その警察官はどんな方だったのか、どんな経緯で神社が建てられたのかをまとめてみたいと思います。

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増田敬太郎とはどのような人物だったのか?

増田敬太郎氏は明治2年である1872年10月14日熊本県合志郡泗水村の裕福な家庭に生まれます。体格も恵まれ性格もおおらかだったとのこと。裕福な家庭に生まれたものの、威張ったり着飾ったりすることがなかったという。そんな増田巡査は「永島塾」で漢学などを勉強。さらに、今の塾とは異なり当時は勉強以外にも礼儀作法なども教えられていたという。その後、「後藤塾」という熊本で大人気の塾で数学や測量学を学びます。
その後は、さらに多くの経験をしたいということで東京に2年間遊学をすることになります。ここでは、法律学、英語、速記術、鉱山学などを学ぶことに。
▲北海道開拓団など多くの方によって開墾された北海道
その後は熊本県に戻り、阿蘇で用水路工事の技術員として招かれて、今までの知識を実践して工事は大成功。その後は、明治23年に北海道で未開拓だった大地を開墾する北海道開拓団の団長として泗水村近郊の方を連れて北海道に出発。しかし、極寒の大地であった北海道は想像以上に過酷な場所であり、食糧不足や水質の悪い飲料水が原因で工事は上手くいかなかったのです。
明治28年、皆の役に立つ仕事がしたいということ思っていた時、増田氏の目に映ったのは佐賀県巡査(警察官)募集の広告。これを機に、増田氏は警察官になるのです。なるといっても、警察官になるには巡査教習所(警察学校)に入る必要がありました。わずか10日間で教科過程を習得して優秀な成績で修了。同年7月19日に唐津警察署に配属しました。

地区のためにコレラと戦う!

そのころ、高串地区では伝染病のコレラが流行。当時の巡査は病気がちで村人を助けることが出来ず、県警本部に応援を求めることに。そこで適任者に選ばれたのが増田巡査でした。そして、7月21日にコレラが蔓延している入野村高串地区に到着しました。
増田巡査はコレラが広がらないように、コレラ患者の家の周りを消毒したり、コレラで亡くなった方の遺体を運んだりしました。不眠不休で働く増田巡査に人々は心を打たれますが、増田巡査の疲れ切った体にはコレラが容赦なく襲い掛かります。それは、赴任してわずか3日後の7月23日の事でありました。その後、増田巡査の体は衰弱していき7月24日の15時に亡くなりました。なんと、それは赴任してわずか4日後のこと。増田巡査のご遺体は、近くにある小松島で火葬され、唐津で警察葬が執り行われたのです。
その後、地区の人々は増田巡査の献身的な行為に感謝して、遺骨を分骨してもらい高串地区で一番見晴らしが良い秋葉神社の境内に埋葬しました。最初は石碑・祠が建てられ、明治39年には立派な神殿が建てられました。しかし、増田神社には神社としての資格である社格がないため、格式にとらわれず代々人々の心の中で崇められています。
ここは秋葉神社という神社でしたが、最終的には増田巡査と合祀され増田神社となりました。
今現在も周辺住民の方が定期的に清掃をしているのだそうです。しかし、このようにして100年以上も前に亡くなった方をこうして祀っているのは本当に凄い。いわゆる歴史上よく知られている人物を祀っている神社は太宰府天満宮(菅原道真)、松陰神社(吉田松陰)、東郷神社(東郷平八郎)などたくさんあるものの、このようにそれほど知られていない警察官がこのようにして祀られているとは。
いや〜知らなかったですし探せばこのような偉人はいるものなのですね!

近くの駐在所に行くと、冊子をもらえる

▲本堂に張られていた張り紙
神社を訪問し、去ろうかと思ったその時、一枚の張り紙が目に入ったのです!!ん?なんと、高串駐在所という場所に行くと、ここの神社に関するというか増田敬太郎氏に関するパンフレットがもらえるとのことだったのです。これはもらうしかない!!
早速、GoogleMap様で地図を確認してみる!!
すると、ここから意外に近い場所にあることが判明。ということで、そのまま降りる道がなかったのでグルっと周るようにして海岸の方まで出ることになったわけです!直線距離だと近いのに、結構走るな・・。

高串駐在所に到着

もう日も暮れそうだったため「お巡りさんがいなかったらどうしよ・・」という考えがよぎったものの、まぁ着いたら考えようということで到着。ここは漁港になっているようですね。九州はなんと漁港が多いことやら!!
そして、ここが高串駐在所!到着したものの、中の電気が消えている・・。しかし、とりあえずインターホンを押してみることに!!
ピンポーーーーーーーン・・
お巡りさん:「はい。」
私:「あ、すみません。」
お巡りさん:「少々お待ちください!」
そして、中にお巡りさんがいたようで出てきてくれました!
私:「あ、すみません。」
お巡りさん:「はい。」
私:「あの、増田神社に訪れたのですがパンフレットをもらいに来ました。」
お巡りさん:「あ〜少々お待ちくださいね!」
▲高串駐在所からいただいた冊子
そういって、お巡りさんは中に入ってパンフレットを持ってきてくれました。無事にもらえてひと安心。その後「警察官の方ですか?」と言われたのですが、この神社は警察官の方では割と知られた神社なんだそうです。全国から警察官の方がやってくるようで、警視総監の方も来たことがあるとかないとか。
その後、車に戻ろうとした時に看板が目に入った!あれ、ここからも歩いていけるんかい!
ということで、車で来る場合は海岸沿いまで来てそこから歩いたほうがよさそうです。下調べって本当時大事ですね(⌒-⌒; )

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おわりに

▲高串駐在所から見える海辺の日没
増田巡査が亡くなったのは、1895年のこと。今から120年以上も前のことになります。時は太平洋戦争よりも第一次世界大戦よりも前のこと。そんな遥か昔の警察官の事を今でも住民の方々は感謝し続けているそうです。
増田神社の事はネットで検索してたまたま知りましたが、このような話はあるものなんですね。そして、増田巡査の様な名もなき尊敬すべき方はたくさんいるんだろうなと。そんな方々をこれからも発掘していかなければと思った増田神社訪問記でした。

参考文献

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詳細・地図

住所 佐賀県唐津市肥前町高串
営業時間 いつでも訪問可
定休日 なし
駐車場 なし
アクセス 唐津駅から車で30分
リンク https://www.police.pref.saga.jp/annai/ongakutai/_1690/_2395.html
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