エルトゥールル号の奇跡!日本とトルコを結ぶ和歌山県串本町に迫る!

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和歌山県串本町。
和歌山県の南側に位置するこの町は、本州最南端でもある潮岬がある場所です。
橋杭岩(はしぐいいわ)など海岸沿いの景勝が楽しめる場所が多い町ですが、そんなに多くの人には知られていない場所だと思います。
しかし、ここは120年以上も前である1890年、とある必死の救助劇が行われた場所なのです!!
小説や映画にもなったこの救助劇は、国同士の友好関係にも発展。
その後、この出来事は「エルトゥールル号の奇跡」として後世に語り継がれるようになったのです。

時は125年前。
1887年、明治天皇の叔父に当たる小松彰仁親王夫婦がトルコを訪問、明治天皇から託された感謝状や贈り物がスルタン(トルコ皇帝)・アブドゥルハミト2世に手渡されました。

※エルトゥールル号の航路
1889年7月14日、特派使節団長オスマン・パシャ以下約650名の将兵を乗せ、オスマン帝国の首都であるイスタンブール港を出港したエルトゥールル号。
しかし、その道のりは非常に過酷なものだった!
このとき、エルトゥールル号は建造後から25年を経ていたのです。
スエズ運河では、砂州に乗り上げて舵を破損、シンガポールでは長い航海により船体が破損。
このように、幾多の破損や修復を行い、ようやく1890年6月7日に目的地の横浜に漂着したのです。
その後、1890年9月15日、エルトゥールル号はイスタンブールに向けて帰路につきました。
日本側は、9月は台風がよく発生するため出航は見合わせた方が良いと言いましたが、トルコ側は帰路を急ぎました。
その翌日である、9月16日。
不安が的中するかのように、エルトゥールル号は和歌山県沖・熊野灘で暴風雨につかまってしまいます。

暴風雨の勢いはさらに激しさを増し、高波にもまみれてエルトゥールル号は操縦不能に陥ってしまいます。
そしてその日の夜、「船甲羅岩礁」と呼ばれる岩礁に激突してしまいます。
激突したエルトゥールル号は船体が真っ二つ!!
荒れ狂う海に放り出された船員達、587名もの命が奪われたのです。
そして、この事実を知った私は2015年12月31日に、和歌山県串本町に足を運びました。
年末年始だからかわかりませんが、アクセスがいいとは言えない場所ではあるものの、多くの方が足を運んでいました。

遭難現場であった場所はこんな感じです!!
とりあえず、駐車場に車を止め、「トルコ軍艦遭難記念碑」→「樫野崎灯台」→「トルコ記念館」の順番で訪問をすることにしました!!

まずはこちら!!
異国の海で亡くなった方々を祀るために建立されたトルコ軍艦遭難記念碑です。
今でも、5年ごとに追悼式が行われているそうですよ。
この碑は、1929年の昭和天皇の樫野崎行幸を聞いたトルコ共和国ムスタファ・ケマル・アタテュルク初代大統領が新たに慰霊碑を建立することを決定。
トルコ共和国の資金により、1937年6月3日に完成したんだそうです。

島の一番先端には、灯台がありました。

この島の先端には、「樫野台灯台」。
真っ白な外観の、こじんまりとした灯台です。
こちらは、日本で最初の石造灯台であるだけでなく、日本で最初の回転式閃光灯台でもあるそうです。
1870年に点灯され始めたこの灯台。
作者は、「日本灯台の父」と言われている、「リチャード・ヘンリー・ブラントン」という方。

灯台から、島の南部を見た景色!!
訪れた日は2015年12月31日。
2015年が終わるというこの日は、非常に天気がよく、雲一つない快晴が広がっていました。
これだけ天気がいいということもあり、ここで乗組員656名のうち587名もの命が失われたなんて想像もできないほど、静けさを保っていました。

その灯台の麓に建っているのは、「樫野崎灯台旧官舎」。
1970年までは、樫野崎灯台が有人点灯だったようなので、その方たちが泊まる官舎だったようです。
今は日本で最古の石造灯台官舎ということで、平成15年に国指定登録有形文化財に登録されました。

駐車場から灯台までの道には、お店がちらほら見えます。
中では、トルコに関する商品が売ってあり、昔よくコンビニに置いてあった「トルコ風アイスクリーム」も売ってました。
あのビヨーーーーーーーンって伸びるやつです(^.^)

駐車場から、一番奥にある樫野台灯台までは「エルトゥールル通り」という名前がついています。
もちろんほとんどが日本人でしたが、わずかに海外の方もいらしていました。
途中に何か所かある売店では、トルコ人の方々も多数おりましたよ!!

エルトゥールル通りには、無数のこの幟(のぼり)が掲げられていました。
日本とトルコの国旗に使用されている「赤」と「白」を使って作られたこの幟。
「日本・トルコ未来へつなぐ友情の絆」。
いい言葉ですね!!

こちらが、トルコ記念館。
中は撮影禁止だったため、撮影できませんでしたが、この「エルトゥールル号の奇跡」に関する事を学ぶことが出来ます。

トルコ記念館の中からは、海へののぞき穴があり「船甲羅岩礁」を確認できます。
この中に、エルトゥールル号を真っ二つにした岩礁が存在します!!

答えは、この赤丸で囲んだ岩礁です。
パッと見、そんな大きい岩礁には見えませんが、これなんだそうですよ!!
今から約125年前。
ここで、必死の救助劇が行われたのです。
島民は、雨の中波間から担ぎ出されたトルコ人に縄を括り付けて引き揚げたり、既に亡くなっている人も船の破片につかまっている人も揚げられるだけ引き揚げた。
引き揚げられたトルコ人の方々は、樫野小学校や大竜寺という場所に運び込まれた。
しかし、この2箇所には風こそ避け圧れたものの、火の気が一切ない。
当時は、天気が大荒れだったことから、皆がずぶ濡れ状態だったのです。
そのような状態だったこともあり、運び込まれたにも関わらず、寒さに耐えかねて次々に亡くなっていったそうです。
村人たちは、必死に体をさすり、なんとか耐えるよう声をかけ続けたそうです。

トルコ記念館の脇にはこんなものが。
 これは、2015年11月に公開された「海難1890」の映画のセットなのです。
この映画は、日本とトルコの友好125周年を記念して作られたそうですよ!!
私も見たかったのですが、時間が無くて見れませんでした・・・。
はい、DVDで見ます(笑)

今回紹介した内容は、色々な書籍に取り上げられている他、映画にもなっています。
私は、秋月達郎著の「海の翼」という小説を読んで、今回の事実を知りました。
この小説の内容は、湾岸戦争の時にイラクにいる日本人が戦争に巻き込まれないよう国外に脱出せざるを得ない時、航空機が取れなくて脱出が危ぶまれた際、トルコが航空機を手配してくれ、その飛行機でイラクを脱出したという実話。
なぜトルコが、日本人を救出したのかというと、今回紹介したエルトゥールル号の物語の恩返しということだったのです。
素晴らしい国同士の友情の物語!
ちょっとアクセスは悪いですが、一度は訪れるべき価値はありますよ!!

参考文献

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トルコ記念館 詳細・地図

住所 和歌山県東牟婁郡串本町樫野1025−26
営業時間 9:00~17:00
定休日 年中無休
入館料 500円(小・中・高校生は250円)
駐車場 無料84台
電話番号 0735-65-0628
アクセス JR紀勢本線串本駅よりバス37分 串本町コミュニティーバス大島・出雲線「樫野灯台口」下車、タクシー20分
リンク http://www.town.kushimoto.wakayama.jp/kanko/sisetsu.htm

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