時代が残したかつての賑わいを探して。和歌山県「白浜温泉」に残る色街跡を取材した!

↑更新・取材裏情報はTwitterにて(^ ^)
今回は、和歌山県にある白浜温泉に焦点を当ててみようと思います。とはいえ、事前調査がほとんどできていなかったのでどのような温泉街かは詳細は不明ですが、結構栄えていた温泉街なようなので、こりゃ昔は歓楽街的な場所も存在していただろうと読んだわけです!!
夜も遅くあまり聞き込みができませんでしたが、食堂のおっちゃんなど現地の方の声も聞けたので、簡単にでありますが紹介しようと思います!
本記事のポイント

・今現在も営業している丸安食堂は、ソープ店の待合室だった
・白浜温泉には、最盛期にはトルコやストリップ劇場・フィリピンパブなどで栄えていた
・今現在はソープの建物跡が残り、色街跡は住宅街と化している

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白浜温泉ってどこの温泉?

白浜温泉というとどれだけ知られている温泉だかわかりませんが、私は全く知りませんでした( ;∀;)
和歌山県の少し南部に位置する温泉街のようで、夏の時期にはたくさんの観光客が訪れるとのこと。あとは、和歌山県で唯一の空港である南紀白浜空港もあったり。
まぁそんな温泉街って感じですかね( ;∀;)
雑な説明で申し訳ないですは、今回は白浜付近を通るということだったのですが、時間も遅かったため温泉には入らず色街跡を探索して終了したという感じだったんですね。
また行く機会は設けるつもりなので、その時にはここの温泉街の歴史などを掘り下げていこうと思います!!

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まずは、ラーメンで腹ごしらえ!

▲日本一の大きさを誇る、熊野本宮大社の大鳥居
白浜温泉に到着して、まずは腹ごしらえ!熊野速玉大社から熊野神宮までを移動した後、速攻で白浜まで来たということで紀伊半島を真横にぶった切る感じで移動したため、ちょっと疲労がたまり気味だったという。。
ということで、白浜温泉に着いたらまずはラーメンでも食ってお腹を満たすことに!!食べたのは「めん盛屋 八両」という和歌山ラーメンのお店!!
タイトな取材旅が続いていて疲労困憊気味だったこともあり、ラーメンはとっても活力アップになりました!!店内はたくさんのお客さんで賑わっており、おそらくは年末年始をこの温泉街で過ごそうという方々だったのではないかと。
時間は21:00近くと夕飯には遅めの時間だったため、他の方は夜食にラーメン食って部屋に戻って酒飲みながら眠りにつくって感じなんですかね??

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深夜の温泉街で色街取材開始

で、ラーメンを食べた後は、さっそく色街の痕跡を探しに街を放浪することに。で、白浜温泉ではいつもの光景なのかしれませんがめちゃくちゃ風が強くて歩きづらいというね。。まぁそれはさておき。、私が食べたラーメン屋の近くには、たくさんの飲み屋さんが軒を連ねておりました。
わりかし新し目のお店が多いイメージ。お客さんは入っていたようで、店内からはカラオケや談笑が聞こえていました。ただ、ほとんどお客さんは外を歩いていないようで、何だかさみしい温泉街という風に思えたんですね。。
温泉街というと、最近よく聞くのが「大きな旅館やホテルが、館内にお土産屋や飲み屋を作ってしまい、お客さんが館内にこもって街を歩かなくなって廃(すた)れてしまう」という声なんですわい。
▲人通りがなくなってしまった別府の商店街
大分県の別府や和歌山県の那智勝浦とかでそんな話を聞きましたが、恐らくそのような温泉街というか観光地は多いのではないでしょうか!街というのは、周りの事を考えず自分の利益だけを優先させていくと痛い目に合うわけですな!!はたして、この街はどうなのでしょうか??
引き続きうろつき再開。
中心地から離れていくと、廃墟となった飲み屋の跡が多数見られます。「この辺はもしや何か歓楽街があったのでは??」と疑いながら進むも、何も痕跡はないし話しかけられる方もいなかったため、写真を撮り続けるのみ。。もうちょっと事前調査をしてから来た方が良かったかな、、
▲歓楽街跡ではないかと思われる細い通り
と思ったその時、とある奥の通りを歩いていたときに見つけたんですな!とっても何か臭う食堂屋さんを( ゚Д゚)

レトロな哀愁漂う「丸安食堂」

白浜温泉の街を歩いていて、とある食堂を発見!ただ、この食堂。結構古びた感じの雰囲気を漂わせており、何かこの街の情報を色々知っているのではないかと踏んだ私。
▲昭和レトロ感満載で少し入りずらい入り口
入り口はかなり薄暗く、店内に入るのは少しためらいがあったわけなのですがそれよりも好奇心が勝るという結果に(笑)
お店の雰囲気から、この辺の昔の色街事情に関してはこのお店が絶対何か知っているだろうという確信があったんですね。というかこのお店ぐらいしか年季を感じられるお店がなかったたってことなんですが、最近は数々の街を取材した経験からか、当たりをつけた店はだいたい情報収集に成功する勝率があがってきたというか嗅覚が鋭くなったような気がします。
▲昭和の雰囲気が漂う「丸安食堂」の店内
店内には、店主であるお父さん1人だけ。というのも、実は最初にお店の前に来た時には別のお客さんが入っていましてね。。基本飲食店に取材をするときには、お客さんが誰もいない時を狙って入るため、今回もそれを実行したというわけです。
店内は、めっちゃくちゃ昭和レトロ雰囲気プンプン状態です(笑)
もう、店内の匂いとか雰囲気とかが本当にタイムスリップしたみたいなんですね。お父さんはお客さんはいないものの何かすごく忙しそうで焼き鳥を焼いていたりいろいろな料理を作っていました。話を聞ければいいが、ちょっと手が空きそうにないので夜ご飯を食べながらその時を待つ作戦に!
ということで何かメニューを頼もうと思ったのですが、ここは結構バリエーションが豊富で色々なメニューが置いてありました。麺類やらご飯もの、そして炒め物などなど。そこまでお腹が空いているわけでもなかったということで、結局「きつねうどん」を注文することにしました(*’▽’)
ただ、おもしろかったのがなぜかうどんは上の写真のケースに置かれてました。寿司のネタとかが置いてありそうなケースですが・・。

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白浜にかつてあった色街の歴史とは!?

うどんを食べていると、お父さんから「お客さん、どこからきたの??」と話しかけてくれました。忙しそうだし、お客さんと話すのはあまり好きな方じゃないのかな??とか思っていたのですが、お父さんの質問から話がはずみ、結局白浜の色街に関していろいろと教えてくれることに!!

この通りは、ソープがあった!!

▲かつてソープ店が並んでいた通り
この通り、メイン通りから少し奥まった場所にあるし昔ながらの飲み屋跡もあるし絶対怪しいと思っていたのですが、最近まではソープランド(トルコ風呂)があった通りだったとのこと!!
ちなみに、地図で示すとこんな感じになります。
▲繁華街の名残か、代行運転の番号が
そして、ここはなんとソープランドの待合室だったというのです。その当時はソープランドが満室状態だった際に、ここでお客さんを待機させていると1人につき5,000円がお父さんの懐に入ったといいます。さらには、ここから旅館へとお客さんを案内すれば、旅館から1人につき7,000円がお父さんの懐に入ったそうです。
営業時間に関しては、昔は23:00から朝の8:00頃まで営業していたとのこと。今現在は全国的にソープランドは夜中0:00でお店は閉まりますが、昔は夜中の間ずっと営業していたようなんですな。今では夜中になればお客さんはガラガラですが、昔は夜中の3:00から5:00の時間でもお客さんは入りきれないくらいいたという。
毎年都心から来るお客さんも多く、常連客はここをよく利用していたし常連客達には有名なお店だったようです。今では誰も通ることない通りなのに、そんな過去があったとは想像が出いないです。。本当に( ゚Д゚)

ソープランドの建物跡が未だに残る!!

通りの奥は行き止まりになっています。そこに大きな建物が残っていますが。。
▲「Little Angel」と書かれた元ソープ店
うわ。。。
ツタか何かで覆われかけているこの建物。入り口に「Little Angel」と書かれていますが、こちらはソープランドの建物跡なんだそうです。今や住宅街となったこの通りにひっそりと佇むソープランドの跡。
どんな建物であっても、廃れた姿を見るとなんとも哀愁漂う切ない気分になります。
部屋は10部屋ほどだったでしょうか??いったいこの付近ではどんな物語があったんでしょうね。。
2018年現在では、和歌山県はもう店舗型性風俗店(ソープランド・ファッションヘルス)だけでなく、受付所営業(ホテヘル)も新規出店はできません。まぁ全国的に出店できるエリアはかなり限られた場所となっていますがね。。今現在は和歌山駅周辺に数店舗あるくらいで、

フィリピンパブの建物跡も未だに残る!!

丸安食堂の正面には「クラブ リヨン」と書かれた飲み屋さんの跡が。。入り口付近のピンク色の看板が怪しさを漂わせている気がしますがね。このクラブは、フィリピンパブだったようで数年前(10年ほど前だっただろうか・・)は数十人のフィリピン人女性がいてお店はいっつも満杯だったとのこと。
九州の取材に行った時もそうでしたが、数年前までは多くの地方にフィリピンパブがあって街の活気を支えていたのですね。
この通りで営業しているスナックは2軒のみ。メイン通りから離れた奥地に位置するこのスナック、お客さんはここに来るのだろうかと思っていましたが、旅館や別のスナックから送られてくる方がこの2店の飲み屋を利用することがあるとのこと。
大体の場所には一人で特攻できるようになったものの、見知らぬスナックやパブなどに一人で特攻するのはまだハードルが高いっすわ(⌒-⌒; )
ちなみに、昔はヤクザ屋さんとかも結構いたそうで、スナックは場代を払わないとめんどくさい目に合うみたいなこともあったようです。今ではもうそんなことは起こっていないようですが、丸安食堂ではないですがこんなステッカーを貼っているお店もいまだにあったりします。
おととしには皇太子さんが来たという話や、和歌山県唯一の空港である南紀白浜空港の建設で住民ともめた話など、風俗史以外にも多くのことをお父さんは教えてくれました!

パチンコ屋やストリップ劇場も多数あった!!

▲今現在、1軒だけ残るパチンコ屋
今現在、白浜温泉にあるパチンコ屋は1軒だけ!!しかし、かつては7,8軒ほどはパチンコ店があったとのことです。上の写真のパチンコ屋は9時頃には閉まるという都会に比べてはずいぶん早閉めするお店でした。
また、パチンコ屋だけでなくストリップ劇場なんてのもここには3,4店舗ほどあったとのことです。今ではその面影すらないですが、、これも時代が動いているということなんですかね。

丸安食堂を去ろうとした、その時・・

お店を出て坂を下っていこうとしたとき、お店の裏口のドアからお父さんが出てきてもう少し話すことに。
この坂も、今では片側(写真の左側)は住宅街となっていますがかつては繁華街であり、多くのお客さんで賑わっていたそうです。「この辺はね、今は静かでしょ。昔はすごい賑わいだったんだから。」とぼそっと私につぶやいたお父さん。
昔を懐かしむかのようにお父さんは私に話しかけてくれました。もしかしたら、お父さんは仕事の用で出てきたわけでなく、もう少しここの過去を私に話すことで昔を思い出したかったのかもしれない、という気がしました。人も少なくなり、ずっとここの食堂を支えてきたお父さん。なんかとても哀愁漂う、考えさせられる出会いでした。
今現在は、店舗型の性風俗店は新規出店はほぼできず、風俗街は日本から消える運命にあります。日本経済と同様に繁華街もどんどん姿を消していき、もしかしたら今回出会ったお父さんの様に、私も誰かに昔の繁華街を懐かしみながら話す時が来るのかもしれない、なんてね。。

謎のかき氷屋さんもあった(おまけ)

これはおまけです( ;∀;)
白浜温泉を後にしようとしたら、巨大なかき氷屋さんが出現しました!しかも、なんかレッサーパンダみたいなキャラクターがおるぞ!!!
かき氷やと動物のコラボレーションということで「白くま」かと思いましたが、それとは関係ないんでしょうかね??一応店名は「Kパンダの雪氷屋さん」というそうです。裏にあるトラックを使った移動販売も行っているそうです。
白浜温泉は、夏の時期に結構なお客さんが来るということなので、その時期は爆発的にかき氷が売れるんですかね??今度来たら食べてみたいっすな(`・ω・´)
隣の駐車場は、オレンジ色で統一されていました。なんか快活倶楽部に見えてくる( ;∀;)
次来た時にはかき氷食べるだけじゃなくて、お店の方にもいろいろ聞いてみよっかなと!!

おわりに

和歌山県の白浜温泉にかつてあった色街の痕跡を辿り、たまたま発見した食堂で歴史を知ることができ思わぬ発見となった今回の訪問!ただ、この白浜温泉にはそのほかの場所にも遊郭があったっぽいのと、この温泉街に関しても色々調べたいことがあるためまた訪問することになりそうですわ!!
ただ、ちょっと遠いんだよなココ(⌒-⌒; )
でも、丸安食堂のお父さんと仲良くなれたし、また伺う約束をしたので挨拶に行かなくてはな〜〜!!

参考文献

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詳細・地図

住所 和歌山県西牟婁郡白浜町3137
営業時間 不明(電話で伺った方がいいかもです)
定休日 不明(電話で伺った方がいいかもです)
TEL 0739-43-2509
リンク https://loco.yahoo.co.jp/place/g-kEhBpWazRKU/
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