素晴らしき偉人「野口英世」の人生に迫る!野口英世記念館!

↑更新・取材裏情報はTwitterにて(^ ^)

スポンサーリンク

2015年5月現在、日本の紙幣に描かれているのは、「福沢諭吉」「樋口一葉」「野口英世」の3名。
まあなんとなくは知っているが、具体的にどんな人かと説明されたら対して説明は出来ない気がする今日この頃・・・
そんな中、福島県の猪苗代町には「野口英世記念館」という博物館があるそうです。
好奇心旺盛な私としては行かないわけにはいかないので早速行ってみることに!!

野口英世記念館

ここが、野口英世記念館。
本日はGWということもあってか、たくさんに人が来館されていました。
それでは、野口英世の生涯を振り返りながら、館内を案内していきたいと思います。

野口英世記念館

英世は、1876年(明治9年)11月9日にここ福島県猪苗代町で生まれました。

野口英世記念館

最初は、英世の生家を見学することになります。
まあ、もちろん復元したものではあるのですが、中には当時のままのものもありました。
ここでは、英世の生涯がわかるビデオを見れたり、英世が生家でどのように過ごしていたかがわかります。

スポンサーリンク

野口英世記念館

英世は床柱に以下の言葉を刻みました。
「志を得ざれば、再び此地を踏まず」
明治19年9月初旬、19歳で上京する時に、床柱に全身の力を込めて、小刀で刻みつけました。

野口英世記念館

ここでは、英世の生涯を説明したビデオを見ることができます。
自分は野口英世って、黄熱病とか千円札にのっている人という知識しかなかったのですが、勉強熱心でもあり、やはり偉人というのは人並み外れた努力をしているんだなと思い知らされました。

野口英世記念館

英世の母シカは、自分で養蚕を行い、糸紡ぎをして現金収入を得ていました。
そのためか、大量のカイコが!!

野口英世記念館

こちらは、英世の人生を決めた囲炉裏。
英世が1歳半の時、寝かされていたイジコから這い出し、囲炉裏に落ちて左手を大火傷してしまいました。
この囲炉裏は、1878年から変わっていない、当時のままの物だそうです。
英世家は貧しく、医者にかかることが出来なかったため、左手の5本の指がくっついて固まってしまい 、物を持つことが出来なかったのです。

野口英世記念館

英世の家は、貧しくランプの油が買えなかったので、この柱にもたれ、ランプの明かりで勉強をしていました。

野口英世記念館

英世が小学校に入学した時に、生涯を支え続けた恩師に出会いました。
その方は「小林栄 先生」。
 英世は尋常小学校に入学し、一生懸命に勉強しました。
そして、その英世の才能を見出したのが小林先生でした。
小林先生の経済的援助のおかげで高等小学校に入学できたのです。

野口英世記念館

その後、英世は会陽医院で働きながら、医術開業試験を受験して医師になることを目指しました。
当時、医術開業試験は医学の専門的知識が必要で、合格には10年かかると言われていたようです。
また、医学の原書を読むには、英語・ドイツ語・フランス語を学ぶ必要がありました。
お金がなかったため、フランス語やラテン語を学ぶために、フランス人がいた教会に通い、独学で語学を身につけたようです。
凄い!!

野口英世記念館

また、英世は、結構多趣味なお方だったようです。
将棋やチェス、絵画などなど!!
やはり仕事だけでなく趣味を楽しむのも大事なんでしょうかね!!
ワークライフバランスってやつでしょうか・・・

野口英世記念館

英世が発見した「梅毒スピロヘータ」。
梅毒は梅毒スピロヘータという細菌の一種の感染によっておこる感染症。
その末期になると、精神障害が現れるのですが、それが梅毒スピロヘータによるかどうかは、わかっていませんでした。
ところが、英世は末期梅毒で亡くなった患者の脳内に梅毒スピロヘータが存在することを証明し、世界中の研究者を驚かせました。
治療法のなかった精神障害の治療法の発見につながった、画期的な研究でした。
ちなみに、英世はノーベル賞に3度(1914年、1915年、1920年)の3回ノーベル生理学・医学賞の候補に選ばれていましたが、受賞には至りませんでした。
その後、英世は黄熱病の研究をすることになります。
黄熱病の研究は、中南米各国で風土病を研究したことをもとに作ったワクチンで進展したかに見えましたが、もう一つの流行地アフリカでは、そのワクチンが効かないことがわかりました。
その後、周囲の反対を押し切りアフリカへ行きました。
アフリカの黄熱病の原因ウイルスを発見したと考えた英世は、半年に及んだ研究に区切りをつけてアメリカへ帰る準備をしていました。
しかし、その最中に黄熱病にかかってしまい51歳の若さで、生涯に幕を閉じました。

野口英世記念館

そして、なんと野口英世本人が現れました!!
って言っても、もちろん偽物ですが凄い精巧なロボット(笑)
しかし、ロボットの正面にはいくつか質問が出来るボタンがあり、ボタンを押すとロボットが動きながら質問に答えてくれます。

野口英世記念館

こちらからは、英世というよりかは、細菌について学べるエリアでした。
細菌の研究の歴史について、ここで学んだことを簡単に説明いたします。

野口英世記念館

・微生物の発見(1676年)
微生物を初めて見たのは、オランダの「レーウェンフック」です。
目に見えない虫などを観察してた際に、細菌を発見したようです。
・微生物の自然発生説の否定(1861年)
目に見えない微生物は、何もない所から自然に発生すると考えられていたようです。
それを否定し、微生物は「空気中に存在する」ということを証明したのが、フランス人の「パストゥール」だそうです。
・消毒方法の開発(1866年)
パストゥールが空気中の細菌の存在を証明すると、”傷が化膿するには細菌によるものではないか”と考える意志が現れました。
それが、イギリスの外科医「リスター」です。
それまで、消毒剤として利用していた石炭酸を使った消毒方法を確立し、手術の死亡率を激減させました。
・抗毒素による治療法の確立(1890年)
日本人である北里柴三郎は、破傷風とジフテリアの毒素を中和する物質が、それぞれの病気を治すことを発見しました。
毒素に対抗する物質を含んだ血清、いわゆる「抗毒素血清」による治療法の確立で、これにより、人類は感染症を治すという新たな武器を手に入れることとなりました。
以上は、英世が研究する以前の研究ですが、簡単ではありますがこのような形で細菌の研究は進められていったようです。
しかし、現在でもエボラ出血熱、C型肝炎など、新しい感染症が出てきて、まだまだ感染症との闘いは終わらないようです・・・

野口英世記念館

なんか、東京フレンドパークとかにありそうなゲーム(笑)
面白そうだったから写真撮りましたが、何のゲームか忘れてしまいました(笑)
しかし、 野口英世って本当にすごい人だったんですね。
ただ、最近色々本を読んだりしていると、彼だけではなく、名が知られていない人でも、すごい人なんて探すといくらでもいるんだなと最近は実感しています。
あ〜〜自分ももうちょっと頑張らないとな〜と帰りの車で考え続けたりもしたんだこりゃ!!
千円札を使うたびに、ここの博物館を思い出す今日この頃です(笑)
↓よければクリックをお願いします

スポンサーリンク

詳細・地図

住所 福島県耶麻郡猪苗代町大字三ツ和字前田81(三城潟)
営業時間 4月~10月 9:00~17:30(入場は17:00まで)
11月~3月 9:00~16:30(入場は16:00まで)
定休日 年中無休(12月29日~1月3日などを除く)
入館料 一般600円、小中学生300円、未就学児 無料
駐車場 無料
電話番号 0242-65-2319
アクセス 磐越自動車道・猪苗代磐梯高原ICより国道49号線を会津若松方面へ約5分
リンク http://www.noguchihideyo.or.jp
↓↓twitterもよろしくです
※ほぼ毎日つぶやき中
こちらの記事もどうぞ!
この記事も読まれてます!
関連コンテンツ
関連コンテンツ



  • このエントリーをはてなブックマークに追加