開発が迫る立石の「呑んべ横丁」の歴史を掘り下げるべく、最古参のバーに突撃した!

↑更新・取材裏情報はTwitterにて(^ ^)

今回は、東京都葛飾区にある『呑んべ横丁』という一画に焦点を当てます。この横丁は、開発が進んで昭和レトロな雰囲気が消えゆく現在において、なかなか味わうことができないエリア。

この場所を訪問した時に、「その一画にはどんな歴史があったのか」というのがすんごく気になったので、訪問時の2019年2月時点で最古参のお店に訪問するなどしてその背景を調べてみました!

ってことで、京成立石駅周辺の簡単な歴史も踏まえながら、呑んべ横丁の背景に迫ってみましょう!!

本記事のポイント

・1954(昭和29)年に建てられ、当時は日用品を扱う個人商店があった
・『呑んべ横丁』は愛称であり、正式名称は「立石デパート商店会」
・駅前開発のため、あと2,3年で呑んべ横丁は消滅する・・

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まずは「呑んべ横丁」の場所から

呑んべ横丁があるのは、東京都葛飾区の京成立石駅前。今回の調査をするまで、私は立石という名前すら聞いたことがあるようなないようなという感じだったので、駅を降りたのも人生で初めてだったんですわ。

葛飾区ということで、こち亀や男はつらいよの寅さんがぱっと思い浮かんだりしますが、ここはキャプテン翼の作者の出身地ということもあり、その銅像があったりもする場所。

ただ、昭和レトロな雰囲気が好きな私としては、それよりも駅前の雰囲気がもうたまらなくいいわけですわ。

レトロな雰囲気がたまらん

せんベロの街と言われるように、立石の駅前には1,000円以下で飲み食いできる酒場が多く存在し、今でも人で賑わっています。街歩き好きな私としては、駅の周辺をふらふらと歩くだけであっという間に時間が経ってしまうわけですが、今回の記事のテーマは「呑んべ横丁」ということでそこへ向かうことに。

この看板がいい雰囲気を醸し出している

んで、駅を降りて5分とかからない場所に「呑んべ横丁」はあります。

近年では開発がどんどん進んでき、こういった昭和レトロな雰囲気の建物や横丁はどんどん壊されているわけですが、よくまあこんなところに残っているもんだ。

あ、ちなみに具体的な場所はここです。駅からすぐ近くとはいっても目立つ場所というわけではないので、意外に気づきにくい場所かもしれないっすね!!

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レトロ感MAXの「呑んべ横丁」

多くのバーやスナックが連なる

呑んべ横丁の雰囲気はこんな感じっす。いや~レトロ感ハンパないですね。人がすれ違うのがやっとな狭い通りに飲み屋が連なる昭和の雰囲気。

見た目は廃墟っぽくっ見えなくもないですが、今でもほとんどのお店が飲み屋として営業しているようです。ただ、どのお店も大衆居酒屋のような感じではなくバーやスナックであるため、初見の人間からしたらお店に入るハードルはちょっと高いかもしれないっすね!

SNS映えにはもってこいの場所

全国を探してもこんだけのレトロな雰囲気が残っているのは本当に数えるだけなんじゃないですかね。今までtwitterとかでもここの写真の投稿を何度も見たことがあるように、SNS映えにはもってこいのスポットでしょうね。

私がここを歩いているときにも、スマホでパシャパシャ撮って去っていく面々がいたくらいですので。

上を見上げてみると、不気味に突き出た二階が何とも言えない雰囲気を醸し出している。天井はトタンで覆っている感じですかね。

どの建物も二階があるものの、上の階はもう使われていない感じ。だいたいこの手の商店街というか横丁といわれる場所は、二階建てで最初は商店だったが次第に飲み屋に変わっていく、二階は商店を開いていた方が住んでいたってのがよくあるパターンですが、ここはどうなんですかね~。

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何とも言えない昭和の雰囲気
モルタルで塗りたくられた壁
マツコご用達ってこと??

立石最古参の店「ニュー姫」に潜入!

かなりやばそうな雰囲気ww

一通り呑んべ横丁を散策したところで、そろそろ聞き込み取材をしようかなと。記事にするためには、お店の方から色々な話を聞いてまとめる必要がありますからね!!

私が取材をしたいのは、とにかくその場所で長く暮らしている生き字引のような方。そんな方がいないかとお店を詮索していたら、こちらの店に入ってみようと思いました( ;∀;)

このドギツイ紫色の明かりが相当ヤバそうな雰囲気を漂わせています。が、ものすごくお店が古そうですし、中にお客さんもいなそうな雰囲気なので今がチャンス!!

マツコとのツーショットが・・

入り口の扉にはマツコ・デラックスとのツーショット写真がww左の女性はおそらくお店のママなんでしょうな。

知の冒険を始めて、街行く人に声をかけたりスナックやバーに特攻することにはかなり慣れてきたため、今回もためらいなくドアを開けてお店の中に突撃~!!

『ニュー姫』のママさん

お店に入ると、ママさんが出迎えてくれました。

ママ「あ~いらっしゃいいらっしゃい、どうぞ!!」

中はいたって普通のバーであり、ママさんはとても話しやすく気さくな方。私がブログをやっていることや、呑んべ横丁や立石の歴史を調べているという旨を伝えると、

ママ「あ~じゃあお兄ちゃんよかったね。ここはね、立石で一番古い店。あたしは立石の広辞苑って言われてるんだよ!何でも聞いてよ!!」

と、まさに願ったり叶ったりの回答が返ってきましたよ(*’▽’)

ということで、ママさんからこの立石周辺の歴史を聞いて、このお店である「バー ニュー姫」についてや、呑んべ横丁に秘められた歴史をトコトン掘り下げていきましたぜ!!

「呑んべ横丁」の歴史に迫った!

立石で50年近く商売しているらしい

立石の生き字引である石毛學(いしげ・たか)さん。まずは呑んべ横丁の誕生から今に至るまでの歴史について教えていただきました(*’▽’)

戦後に個人商店街として誕生

当初は日用品の店が連なっていた

呑んべ横丁が誕生したのは1954(昭和29)年。強制疎開で原っぱだった場所にこの建物は誕生しました。建物は二階建てで、一階は洋服屋やかばん屋などの日用品を扱う個人商店があり、二階はその方々の住まいだったようです。

最近まで残っていた赤看板

「生活に必要な品はここで買いそろえば全部そろう」そんな商店街だったようですよ!最近までは、上の写真に写っている赤看板が残っており、かつての洋品店の名残だったわけですが、2019年5月現在は呑んべ横丁の半分が解体されてしまい、現存せずですが・・。

ただし、そんな個人商店が並ぶ商店街は日用品を扱う商店から飲み屋へと形態が変わっていき、気づけばすべて飲み屋となる現在の姿へと変貌を遂げたのです。

おそらくですが、日用品に関しては大手のデパートやメーカーが参入したことで、個人商店からデパートなど大量生産で安く売るお店で購入するようになったことが大きいのではと思います。

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商店街から飲み屋街へ

立石には工場がたくさんあった

呑んべ横丁が次第に飲み屋街になっていったわけですが、立石にはそれだけの需要があったんですね!1960年辺りの高度経済成長期の頃には、立石周辺に鉄工所や染色工場などの工場(こうば)が多数あったそうなんです。そのような方々の需要もあって飲み屋が増えていったらしい。

当時は、工場のお父さんとその息子さんが工場で働き、家では奥さんとおばあさんが内職をしていた時代。生活費は息子・奥さん・おばあさんの稼ぎでまかなえたため、お父さんに関しては宵越しの金も持たず飲みなどに使いまくる感じ。

旧赤線跡にある連れ込み旅館の遺構

立石には駅の近くに二軒トルコ風呂があり、赤線があった場所には連れ込み旅館もあったことから、飲みの後にそういう場所へ遊びに行く人は多かったんじゃないですかね。

2019年5月現在でも、立石駅前の旧赤線地帯には連れ込み旅館やカフェー建築の遺構が健在!

二階は売春があっただった時代も・・

さらに『昭和幼景 消えゆく記憶の街角』によると、呑んべ横丁の建物の二階は高度経済成長期頃には青線の娼家となり売春が行われていたとも。

今では歩く人はまばら・・

そんな工場がたくさんあった立石周辺ですが、次第に工場は減っていきその跡地にはマンションが建つようになっていきます。工場が減れば、飲みに来るお客さんも減ってくる。最盛期は人でごった返し、呑んべ横丁の通りは肩がぶつかるほどの人混みだったそうですが、ここ4,5年前あたりから閑散としてきたそうです。

現在は、飲み屋が10軒ほどでお客さんの大半が常連さんのサラリーマン。そのため、日曜日休みのお店が多く、昼から空いているお店もあるものの大抵は18時か19時頃の開店。

おおまかな呑んべ横丁の歴史に関してはそんな感じのようです。

続きはこちら!マツコの番組出演で一命をとりとめた!
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