発祥のオンパレードである横浜!そのスポットをひたすら巡りまくった!

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西洋理髪発祥の地

カップルのデートスポットである山下公園。この公園は1923年に発生した関東大震災の瓦礫を埋め立てて作った復興のシンボルとも言われている公園なのである。そんな公園には赤い靴の少女の碑がある他、今回紹介する西洋理髪発祥の地の碑が建っているのである。碑には横文字で「ZAN GIRI」と書いてある。
最初は何の言葉なのかわからなかったが、ザンギリ頭という言葉がありチョンマゲという日本特有の髪型から西洋風の髪型にすることが流行り、「散切り頭を叩いて見れば文明開化の音がする」という言葉もあったのです。碑の形はそのザンギリ頭を表しているものなのか??
▪︎詳細
住所 神奈川県横浜市中区山下町
訪問時間 いつでも訪問可能
アクセス 元町・中華街駅徒歩10分
リンク http://www.kanaloco.jp/article/174202

近代のパン発祥の地

日本の一番最初にパンを作っていたのは、静岡県韮山市で江川太郎左衛門が焼いたパンだと言われている。江川太郎左衛門は世界遺産となった韮山反射炉で台場を作った方でも有名。ただし、いわゆる日本の食パン文化の発祥は横浜であり、日本の元祖は内藤兵吉による富田屋が元祖。その後にはイギリス人クラークのヨコハマベーカリーができ、そこで修行された方が開いた店が今現在もお店があるウチキパンである。
そのウチキパンは、元町中華街駅からすぐの場所にある。狭い店内ではあるが多くのお客さんで賑わっている。私が訪れたのは日曜日ということもあってか超満員状態であった。
▪︎詳細
住所 神奈川県横浜市中区日本大通
訪問時間 いつでも訪問可能
アクセス 日本大通り駅徒歩5分
リンク http://www.kanaloco.jp/article/211136

電話交換創始の地

日本大通には電話交換創始の地という碑が建っている。1890年12月に横浜電話交換所で交換業務を行ったことが始まりとされている。
▪︎詳細
住所 神奈川県横浜市中区日本大通
訪問時間 いつでも訪問可能
アクセス 日本大通り駅徒歩5分
リンク http://www.city.yokohama.lg.jp/naka/sighthist/etizu/26.html

日本プロテスタント公会

日本大通り駅からすぐの場所に、日本海岸教会という教会がある。この教会は日本で初めてのプロテスタント教会で1872年に建てられました。キリスト教関係では、この教会の場所以外にもパブテスト発祥の地、メゾチスト発祥の地も同じく横浜にあるのです。
▪︎詳細
住所 神奈川県横浜市中区日本大通8
訪問時間 いつでも訪問可能
アクセス 日本大通り駅徒歩2分
リンク http://www.city.yokohama.lg.jp/naka/sighthist/etizu/27.html

外国郵便創業の局

1871年に日本で郵便制度が始まったわけですが、外国郵便が始まったのはここ横浜港郵便局なのです。外国郵便が始まる前は、アメリカ郵便局などの在日外国郵便局が行っていましたが、1875年にその業務が移管され横浜港郵便局で外国郵便のやりとりが行えるようになったのです。
▪︎詳細
住所 神奈川県横浜市中区日本大通5−3
訪問時間 いつでも訪問可能
アクセス 日本大通り駅徒歩2分
リンク http://www.city.yokohama.lg.jp/naka/sighthist/etizu/27.html

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神奈川県電気発祥の地

1890年に石炭火力発電所が建てられ、神奈川県で初めて電力供給が始まったのです。碑にはエジソン式直流発電機が描かれております。その経緯があってなのか、現在もこの場所には東京電力の関内変電所が建っております。
ちなみに、この碑が面している通りはベイスターズ通りと言われている通りで1998年にベイスターズが優勝した際の記念モニュメントもすぐ近くに建っているのです。
▪︎詳細
住所 神奈川県横浜市中区常盤町6-1
訪問時間 いつでも訪問可能
アクセス 関内駅徒歩5分
リンク http://www.city.yokohama.lg.jp/naka/sighthist/etizu/17.html

日刊新聞発祥の地

1864年にジョセフ彦が海外新聞を発刊したのが日本の新聞発祥となっているが、日本語による新聞は1870年になる。横浜毎日新聞が1870年に創刊された初めての日本語による新聞であった。現在その碑は表には建っていないようであり横浜第2合同庁舎の倉庫に眠っている。
▪︎詳細
住所 神奈川県横浜市中区北仲通5丁目57
訪問時間 いつでも訪問可能
アクセス 関内駅徒歩2分
リンク http://www.timeslip-y.jp/kannai/bridge.html

日本最初の無橋脚鉄橋

JR関内駅の北側には日本最初の無橋脚鉄橋である吉田橋に関する碑が建っております。
吉田橋は横浜の浅間町から続く歴史ある道である横浜道の終着点でもある。横浜道からこの吉田橋を渡ると、発祥の碑が乱立する馬車道になるわけです。この橋はイギリス人技師であるリチャード・ヘンリー・ブラントンによって作られた橋。
横浜が開港した時、東海道から横浜の港まで行く道が昔はまだありませんでした。そのため、今の浅間下交差点付近から突貫工事で道を作る必要があり、そのために作られたのが横浜道でした。そして吉田橋の下は、今は高速道路が通っていますが昔は川が流れており、そこから港へ続く道をつなげるために吉田橋が作られました。
鉄で作られたことから「カネの橋」とも呼ばれていたんですってさ!
▪︎詳細
住所 神奈川県横浜市中区港町5−18−2
訪問時間 いつでも訪問可能
アクセス 関内駅徒歩2分
リンク http://www.timeslip-y.jp/kannai/bridge.html

ハマの街灯点火の地

馬車道から1本入った通りにハマの街灯点火の地という小さな碑が建っております。この碑は1890年に横浜の電灯と街灯を一斉に点灯したことを記念して建てられた碑なのである。
この点火の地の碑は、老舗である勝烈庵の本店の前に建っている。勝烈庵は1927年創業の老舗で外国人によるカツレツを和風にアレンジしたものをお店で出している。勝烈庵はよく看板などを見るな〜と思ってはいたのですが、神奈川県に4店舗しかないお店なんですね。。
▪︎詳細
住所 神奈川県横浜市中区常盤町5丁目
訪問時間 いつでも訪問可能
アクセス 関内駅徒歩5分
リンク http://www.timeslip-y.jp/kannai/tenka.html

西洋歯科医学勉学の地

桜木町駅から大岡川を渡った場所に西洋歯科医学勉学の地という碑が建っている。碑には2人の肖像が描かれており、彼らはセント・ジョージ・エリオット博士とハラック・マーソン・パーキンス博士である。彼らは1870年から1874年に横浜居留地57番に歯科診療所を開設して門下生を指導した。
元々この碑は1995年に神奈川県歯科医師会によって山下公園の近くにあったようだが、現在は横浜市歯科保健医療センターの入り口に西洋歯科医学発祥の地の碑とともに建っている。
▪︎詳細
住所 神奈川県横浜市中区相生町6丁目107
訪問時間 いつでも訪問可能
アクセス 桜木町駅徒歩10分、馬車道駅徒歩5分
リンク http://www.city.yokohama.lg.jp/naka/sighthist/etizu/11.html
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