【前編】昭和の懐かしさが残るレトロ歓楽街「石和温泉」の現状を突撃調査した!

↑更新・取材裏情報はTwitterにて(^ ^)
今回は山梨県の色街に関する記事になります。山梨県ってあんまり歓楽街的な街は多くはないですが、ここには石和温泉という歓楽街的な要素が強い温泉街がありますからね!
2018年の夏は山梨県を集中して取材していたわけですが、石和温泉もどんな街かと思って何度か訪問していたわけですが、聞き込みをしてみると結構いろいろな情報が入ってきたのでそろそろ記事にしてみようかと(^ ^)
では、石和温泉にある歓楽街に潜む物語とは!?以下で紹介していこうと思います。
本記事のポイント

・石和温泉は、1961年にブドウ畑から突然温泉が噴出したことから始まった
・歓楽街要素の強い温泉郷として有名で、コンパニオンや芸妓さんは今も現存
・タイやフィリピン人女性も多く、永住ビザを取得して日本で生活する方もいる

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まずは石和温泉の場所から!

山梨県にある石和温泉。だいたい地図でいうとどの辺りにあるかイメージできますでしょうか?
場所でいうと上の地図になります。山梨県の県庁所在地である甲府市は、周囲が山に囲まれた甲府盆地の真ん中あたりに位置しているわけですが、石和温泉はそのちょっと東側に位置しています。住所でいうと山梨県笛吹市石和町になり、周辺でいうとブドウの産地で有名な甲州市勝沼町があったりします。
そんな石和温泉の街の中で、今回入念に調べたいのはこの通りです。石和温泉は、温泉旅館が密集しているというよりは結構まばらに建っているわけですが、飲み屋などの歓楽街はこの通りに密集しているんですね!!

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27年間を石和温泉で過ごしたおっちゃん

▲飲み屋が連なる「湯けむり通り」
ということで、その通りを一人放浪してみることに!
歩いてみると、結構な数のスナックやパブが立ち並んでおりました。ただ、雰囲気としては都会の歓楽街とは異なり、いかにも地方に来たって感じ(笑)
看板やネオンもだいぶ時代を遡ったような雰囲気のものが多く、昭和の雰囲気を残した歓楽街って感じでした!!ただ、この何か懐かしい雰囲気は私は大好物っす(*’▽’)
ただ結構閉めているお店も多く、こういう光景を見るとバブルの最盛期からお客が減り街が衰退していったのかな~なんて考えてしまうのですが、実際はどうなんでしょうか。。
そんなこんなでパブやスナックなどが並ぶ通りを歩いているときのこと。一人のおっちゃんに声をかけられました。
「どうですか、お兄さん。ちょっと安くしますよ!!」
いつものように声をかけられ、私もいつものように返答を。知の冒険をはじめて、もうこんなやりとりは何度繰り返したことか。。
そして、話をしているとおっちゃんは結構話してくれるタイプの方で、しばし石和温泉について教えてくれることに。以降、おっちゃんのイニシャルは「K」なのでKさんと書かせていただきます( ´ ▽ ` )ノ
私「石和温泉はどのくらいいらっしゃるんですか?」
Kさん「俺はね、ここは27年くらいいるよ。元々はずっとタクシーやってたんだよ!」
私「石和温泉のこの辺の歓楽街は、どのような経緯で誕生したんですか??」
Kさん「お〜兄ちゃんそういうのに興味があるんか??」

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おっちゃんと石和の歴史を振り返る!

Kさんはとても気さくなおじいちゃんでした。石和温泉のことについて尋ねると、とても丁寧にいろいろなことを教えてくれました。しかもそれだけではなく、
Kさん「お兄ちゃんはコーヒーは飲むのかい?」
私 「あ、はい飲みます(^ ^)」
▲コーヒーをおごってくれたKさん
そういうと、Kさんは自動販売機に私を誘導してコーヒーをおごってくれることに!110円を入れて「好きなのを選びなよ!」と。
▲BOSSをおごっていただいた
いや〜そうなんですよね!こういう客引きとかの方ってとっても気さくな方って結構いるんですよ。結構昔の話ですが、宇都宮の飲み屋街で取材している時に出会った同い年の客引きにもあったかいお茶をおごって頂いたりしたこともあったり、普段仲良くしてもらっている横浜の客引きのおっちゃんもたまにおごってくれたりするし。

突然ブドウ畑から温泉が噴出!

まずは、石和温泉の歴史について簡単に教えてくれました!
ここの温泉が誕生したのは1961年のこと。ここでは山梨交通の保養所を建設する予定だったのですが、そこで井戸を掘削していたら突然摂氏60度以上もの温泉が噴き出したことから温泉街が誕生したんだそうです。
毎分1,200リットルもの温泉がブドウ畑の間を流れる小川にあふれ出ました。そこでは、青空温泉という公衆浴場が誕生し、徐々に温泉宿や歓楽街が発展。そして、石和温泉は全国屈指の温泉郷となったのです。
▲写真奥が、温泉が最初に噴出した場所
そんな温泉が噴出した記念すべき場所ですが、今現在は侵入することはできません。石和温泉が噴き出した場所は上の写真の奥の場所になるのですが、恐らく私有地のようで万一侵入したら警察に通報されます(笑)
戦後の頃、ここは養蚕業が盛んでしたが、温泉が噴出したことで一変。果樹栽培や旅館が建つように観光業の要素を強めていくことになります。さらには歓楽街も形成されていき、単なる温泉街からお色気要素を含む温泉街としても知られるようになっていくのです。

バブル期頃には歓楽要素満載の温泉街に!

温泉が噴出した2年後には石和温泉観光業会が誕生。さらに、JR石和駅は1993年に石和温泉駅に改名。その後、石和温泉は歓楽街要素が強くなっていきます。旅館ではコンパニオンを呼ぶことが出来、ソー〇ランドの前身であるトルコ風呂も出現。さらにはストリップ劇場、秘宝館、多数のキャバレーやスナックも出現しました。
▲東京と甲信越を結ぶJR中央本線
そして石和温泉の強みは、何といっても東京からの交通の便が良いということ。JR中央本線を使おうものなら、新宿からだと特急カイジに乗れば1時間30分ほどで着けるし、駅から温泉街は徒歩でも移動できる距離ですし。
車を使ったとしても中央自動車道を使えばさほど距離も遠くはない(小仏トンネルとか渋滞に捕まる可能性は高いですが( ;∀;))わけです。
ただし、石和温泉には見所というか定番スポットみたいな名所が周囲に無いんですよねこれが。。
んで、はっきりとした理由はわかりませんが石和温泉は見所が無いことから歓楽街が発展したのではというのがKさんの説。温泉街としての歴史が浅いこともあって、商店街だったり、草津温泉でいう湯畑のようなスポットもないですからね。。
▲石和温泉にいくつも見られる外国人パブ
そして、バブル期頃になり日本中にフィリピン人女性が出現するようになりフィリピンパブが増え始めた頃、石和温泉にもショーダンサーとしてフィリピン人が雇われるようになってから外国人女性が増えるようになってきました。
立ちんぼの女性がいたり、人が多くなりゃ酔って道端に寝っ転がる男性もいたりと最盛期を極めたものの、景気が低迷してなのか、平成に入るとお客さんも減っていくことになるのです。

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時代とともに寂れていく石和温泉

▲かつてストリップ劇場があった場所
バブルの時代を過ぎて景気が下り坂となると次第にお客さんも減っていくことに。今では飲み屋が並ぶ通りも人はまばらで、かつての賑わいはどこへやら。。
そして、この街にあった秘宝館やストリップ劇場も次々に閉鎖。Kさんがいるお店の近くにあるこの場所(上の写真の場所)は、今は空き地になっていますが昔はストリップ劇場があったとのこと。
▲石和温泉に唯一現存するソー〇ランド
さらに、少し離れた場所には石和温泉に一軒だけ存在している大人のお風呂屋『石和クリスタル』がありました。石和温泉といっても温泉街からは少し外れた場所にあり、なんかここだけポツンと別世界が広がっているような感じ(⌒-⌒; )
「トクヨク」というカタカナが怪しい色のネオンで灯っていますが、これは何の略かわかりますかね。「特殊浴場」のことです。ご存知の方もいると思いますが、一応書いておくとソー〇ランドは「特殊浴場」とも言われる営業形態(風営法の性風俗関連特殊営業における1号営業に分類される)です。
▲甲府市の繁華街にあるソープエリア
ということで、様々な歓楽街的要素を持っていた石和温泉は観光客だけでなく山梨県の男性の憩いの場ともなっていたんでしょうか。。さらに、お隣の長野県は教育県であり、風営法にはかなり厳格な県。そのため、甲府のトルコ風呂には長野県の人も遊びに来たようであり、もしかしたら石和温泉にまで流れてきたりもしたかもしれません。

石和温泉のコンパニオン事情

▲熱海にある歓楽街「糸川べり」
さらに、Kさんとの話は今でも残っているコンパニオンの話にも!私は神奈川県に住んでいますが、神奈川周辺で歓楽的要素が強いというかコンパニオンがいる温泉街として名前が挙がるのが熱海と石和。
熱海も糸川べりという歓楽街があり、今現在もソー〇ランドやストリップ劇場(熱海劇場)が残る日本を代表する温泉街でありますが、石和もそういう系の話題だとすぐに名前が挙がる温泉街だったりします。
とはいえ、石和のコンパニオン事情もすこぶる芳(かんば)しくないそうです。
▲温泉街にある芸妓置屋
というのも、昔はコンパニオンだけで生計を立てていたようですが、今はコンパニオンだけでは食べていけないため、掛け持ちをしているそうです。そして、石和温泉の歓楽街には若い日本人女性はいません。
なぜなら、パブやスナックでは報酬が少ないため。なので、ここで働くとなると若い日本人女性は報酬がより高いコンパニオンをするわけです。
2014年頃には、芸者さんとコンパニオンはあわせて500人ほどいたそうですが、今はどのくらいの数がいるんでしょうかね??聞いた話では、コンパニオンは常に石和温泉内で回すことができていないようで、足りなくなったら八王子や甲府から女性を呼ぶこともあると聞きました。この辺の内部事情もとってもキニナル。。
さらに、具体的な数はわかりませんが、温泉旅館の営業状態もすこぶる悪く中国人が買い取っている旅館も多数あるのが今の現状らしい。。
ただし、コンパニオンって値段高いっすね!ちょっとネットで調べてみましたが、ちょっとしたノリで頼める金額ではないっす。。ちなみに、コンパニオンにはノーマルコンパニオンとピンクコンパニオン(「スーパーコンパニオン」「スーパー」ともいう)の二タイプがあるようです。
何かの形でコンパニオンに取材してみたいと思いましたが、値段が高いだけじゃなくそもそも「4名以上の団体客から」という条件もあるため、こりゃ厳しそうだな。。

パブで働くのは外国人のみ!?

Kさんが客引きをしているお店は外国人パブでした。女性たちは皆外国人で、国籍はフィリピンとタイ。この辺にはパブがたくさんありますが、先ほども書いたようにそこで働く女性は皆が外国人。
もともと、石和温泉に外国人女性が来だしたのはバブル頃にショーダンサーとしてやってきたことが始まりだったそうです。言われてみると、私が注力して調査している横浜の黄金町もその頃から外国人が増え出しましたし、日本中にフィリピンパブが増え出したり「ジャパゆきさん」という言葉が流行りだしたのもその頃である1980年代前半だったような。
そんで、そのころに日本に来て日本人男性と結婚した女性、さらにはその女性の知り合いや兄弟などが街にやってくるなどで、タイやフィリピンの女性が増えていったらしい。
飲み屋が多い通りを歩いていると、「セクシーパブ(いわゆるおっパブ)」という形態のお店が多く見えますが、外国人の女性は会話がうまくできないため少し体を触らせて一杯1,000円のドリンクを頼ませる。そういう手法が一番手っ取り早いことから、外人がこのようなパブで働いているという仕組みのようです。

永住権を取得するため日本人と結婚!?

石和温泉で働く外国人女性は多くがアジア人。国籍でいうと中国、タイ、フィリピン。中には南米のベネズエラからの方もいました。彼女たちは一体どんな手段で日本に居座っているのか、Kさんが教えてくれました。
Kさん「うちの店とかでもさ、日本人の男性と結婚してすぐ離婚したやつがいるんだよ。永住権を取得するためだったからね。相手なんて誰でも良かったんだよ!恐ろしいだろ!」
ということ。永住権とは、日本に住む外国人が在留期間の制限なく日本で生活できる在留資格のこと。日本では、日本人と結婚した外国人は結婚してから三年後に永住者ビザを申請することができるそうです。全ての女性がそうとは限りませんが、このビザが欲しくて日本人と結婚して、ビザがとれて日本に永住できる権利を得られた後に離婚する女性もいるという。
それマジ??( ;∀;)
母国よりも給料が良い日本で働き続けられるようにというのが一番の理由なんですかね。あまりこの辺の背景はそこまで詳しくはありませんが、この辺は調べてみると色々奥が深そうですね。。今回はそこまで掘り下げませんでしたが、ネットでちょっと調べてみても偽装結婚的なこのような話題はたくさん出てくるので、最初は「本当かよ!!」って思ったんですが、嘘でもないようっす。。
続きはこちら!外国人パブを、いざ突撃取材!!
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