ちょんの間街からアートの街へ!平和をとり戻した黄金町物語Vol.6〜黄金町再生へ

↑更新・取材裏情報はTwitterにて(^ ^)
2005年1月11日に始まったバイバイ作戦によって、黄金町から特殊飲食店は姿を消していくことになる。戦後から長きにわたり麻薬や拳銃が持ち込まれ治安が悪化、そして長きにわたって違法な売春が行われていた黄金町にもようやく、光が差し込んできた。
地域住民の長きにわたる戦いにより、警察官や横浜市の協力のもとついに特殊飲食店が姿を消すことになったのです。がしかし、そう簡単には平和は訪れなかったのです。

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バイバイ作戦後も何があってもおかしくない状態だった!

特殊飲食店が去った後でも、黄金町に売春目当てに訪れた方は度々いたという。飲んだ帰りに黄金町によるものの、目当てのお店はない。そのため、当時は24時間警察官がパトロールをしていたため、警察官に文句を言うお客さんがいたという。
そして被害はそれだけではなく、私が取材をしたNPO黄金町エリアマネジメントセンターの事務所の窓ガラスが割れていたり、その他の建物でも窓ガラスが割られていたことがあったという。犯人は、うっぷん晴らしで割ったお客さんなのか、それともここを去った暴力団の方なのか定かではないものの、そのようなことがあり2010年頃までは何があってもおかしくないのではという空気だったという。。
また、2010年頃には近隣のマンションでロシア人女性が殺害される事件も発生。周辺にマンションが建ちだしたが、マンションともなると誰が住んでいるかもわからない。しばらく数年はそんな状態が続いたのだった。

「黄金町=売春街」というイメージ

特殊飲食店が去ったとしても、黄金町という町の名前は相変わらず印象が悪く、多くの方に「黄金町=風俗の街」というイメージがついているのです。黄金町周辺には多くのマンションもあるが、そのマンションには「黄金町」という名前は使われておらず伊勢佐木町という町名を含むマンションなどが建てられているのは、黄金町という名前を使うだけで不動産価値が下がってしまうからだという。イメージというのはそう簡単に払拭できるものではなく、特殊飲食店が去った後でも女を買いに来る男性が訪れることもあったのだ。
実際にここでアーティストをしている福岡出身の方に聞くと、黄金町に移るという話をしたときには「何で黄金町に移るのか」というように風俗街というイメージがあり、そう言われたりもしたという。

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街の安全へ向け防犯拠点を設置!

提供:認定NPO法人黄金町エリアマネジメントセンター
バイバイ作戦が行われた後、はまずは町の安全を守ろうということで防犯拠点を作ることに。そこで、2006年3月15日に出来たのが防犯拠点のステップワン。

提供:認定NPO法人黄金町エリアマネジメントセンター
その後、当時の市長であった中田市長が黄金町を訪問する他、地元の協議会から黄金町交番建設に関する要望書を伊勢佐木警察署に提出。この交番は2009年4月16日に開所式を迎えることになった。

横浜市の提案でアートの街へと変貌

特殊飲食店が去った黄金町。しかし、建物だけが残る状態になり以前までは人はいたものの今度はゴーストタウンと化してしまった。この建物をどのようにして活用すればいいかということになるのですが、当時は区役所がこの状況を考える役目だったようだが、区役所にも地元の協議会にもそのようなノウハウは残念ながら無い。
そこで、横浜市側がアートの街にしてはという案が出てきたのです。

2006年にはアート拠点のBankART桜荘がオープンし、2007年には京急の高架下にスタジオを作ろうと学生たちや住民がアイディアを出し合い活動拠点が作られていったのです。

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建物の権利問題がかなり大変!!

一方、特殊飲食店だった建物は空き家となってしまったわけですが、これらの建物をアーティストスタジオなどに生まれ変わらせるためには、各々の建物のオーナーからこの建物の権利関係の問題を解決しなくてはいけない。ところが、この権利関係の問題が非常に大変で、今現在も全ての建物が解決できているという状態ではないのです。
この建物の権利関係は、横浜市の都市整備局という部署が担当をしていたようです。ところが、オーナーに話をしに行く際には必ず伊勢佐木町の警察官も同行したとのこと。そして、オーナーが暴力団との関わりがないことなどを確認した後に建物の権利を借り上げるのだそうです。そんなことを1建物ずつ行っていたわけです。

しかし、ここには所有者不明の建物もあり、又貸しの又貸しなどからもはや持ち主までたどり着けない他、オーナーから了承が得られない建物もあるようで、今でも特殊飲食店の名残りであるスナックの日除け看板が残っているものもいくつか残っているのです。

大学生と共に街を変えていった!

先ほどの防犯拠点であるステップ・ワンと同様に、2007年6月に安全・安心まちづくり拠点として「Kogane-X Lab.」がオープン。このKogane-X Lab.には横浜市立大学のゼミの学生の活動拠点ともなった。この建物の名前には、初黄・日ノ出町環境浄化推進協議会「Kogane-X」と横浜市立大学のゼミ「Lab.」が協働する思いが込められているのです。

また、防犯拠点だけではなく2007年から京急の高架下にも建物を作り始める。しかし、建物を作るにあったって住民からの要望も多く出てきた。建物を作るときには、有名な建築家にお願いをするという方法もあったのですが、有名な建築家だとその人の個性が強く出過ぎてしまうと踏み、大学院生の学生の方を一緒に作っていこうという案が採用されました。

提供:認定NPO法人黄金町エリアマネジメントセンター
その大学院生とは、横浜国立大学や神奈川大学の研究室の方々で学生の方の方が地元住民も親しみやすく一緒に協力しやすいのではないかという考えもあってのこと。そして学生たちが考えた建物案を模型にして、地元住民とともにワークショップを4回ほど行い試行錯誤の上、京急の高架下に作る建物の案が決まったのです。

2008年に開催された黄金町バザール

提供:認定NPO法人黄金町エリアマネジメントセンター
2005年にバイバイ作戦が行われ、その後2006年にアート拠点となるBankART桜荘がオープン。街が変わりつつある状況で、アートだけでなく街の様々な活動を喚起するイベントである黄金町バザールが2008年に行われた。上の写真は黄金町バザール実施に関する横浜市長の会見の様子。このアートフェスティバルは横浜市や警察の全面バックアップがあり、また地域の多くの方がボランティアをしてくれて開催することができたのです。
またこのバザールでは、福岡県でアートの街づくりを行っていた山野真悟氏を迎えることにも。そんなこともあり、黄金町には福岡出身のアーティストなども数名いるという。
地域住民の方々は、アートの街として再生をしていくという姿勢に、最初は疑問だったという。本当に再生をしていくのか、ただそう言っているだけでないのかと疑いの目を持っていたようですが、徐々に高架下に再生に向けての建物が出来てくると、徐々に地元民も信用し始め協力をしてくれるようになったという。

しかし、街はこのままではダメでNPO法人を作って自身で運営をしていかなくてはということで、黄金町バザールが終了した後2009年3月24日にNPO法人黄金町エリアマネジメントセンターが承認され、同年4月1日から活動を開始したのです。最初は、諸々の会計等は市などがバックアップしていたものの、徐々に運営はNPOでやっていけるようにしていったという。

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おわりに

現在では常時約50組のアーティストや小説家などのスタジオや事務所、そして飲食店やカフェなどが入り、特殊飲食店街だった時代からアートを中心とした街へと変貌。また、2組の暴力団が仕切っていた街は、今ではNPO法人黄金町エリアマネージメントによって街づくりが行われる町となっていったのです。

参考文献

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詳細・地図

住所 神奈川県横浜市中区黄金町2丁目
駐車場 周辺にコインパーキングが多数あり
アクセス 黄金町駅から徒歩1分
リンク https://ja.wikipedia.org/wiki/黄金町
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