ちょんの間街からアートの街へ!平和をとり戻した黄金町物語Vol.1~序章

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今まで知の冒険を進めるについて、多くの赤線跡や風俗街を歩いてきました。色々な場所を訪れ歴史を学んできているわけですが、今回の記事は横浜の黄金町に焦点を当てます。現在は地元の方や警察によって売春地帯ではなくなったものの、戦後から2005年までの長き間売春が行われた街である。
色々な街に行っては来たが、この黄金町に関しては色々な聞き込みや参考資料を読みあさり、数ヶ月の期間をかけて記事を書いてみた!今回の黄金町に関しては、全部で8記事にわたって時系列に沿って紹介しようと思います。まずは、黄金町の簡単な色街史とちょんの間に関して!

黄金町周辺の風俗史

黄金町にかつて巨大なちょんの間街があったわけですが、黄金町や曙町、関内駅周辺は横浜が開国した時から色街の歴史は続いているのです。その歴史は1859年に開業した港崎遊郭(みよざき)遊郭から始まります。港崎遊郭で豚料理店から出火した火事(豚屋火事)によって港崎が消滅した後は、点々と場所を変えていきます。
そして、現在はキャバクラや飲み屋街、曙町のファッションヘルス街、野毛のソープ街、たちんぼエリアがある状態になっています。上の地図に簡単にまとめはしましたがこの他にも高島町の方に遊郭があったり、曙町のファッションヘルス街は昔カフェー街だったなど、ここのエリアには本当に多くの色街の歴史があるのです。

今回紹介する黄金町には、戦後に出来た青線地帯がありました。そして、2005年にバイバイ作成が実行されて壊滅するまで実に60年近い歴史があったのです。そして、港崎遊郭から考えるとこの周囲では横浜が開港して150年以上近い色街の歴史があるということです。そう考えると実に感慨深い。。

黄金町のちょんの間とは

黄金町のちょんの間は、上でも紹介した通り戦後に発生した青線で、京急線の黄金町駅と日ノ出町駅の間の高架下に連なった売春街だった。その規模は大きく大阪の飛田新地と沖縄の真栄原社交街と合わせて三大ちょんの間街とも言われたほど。
まぁおおよそではあるが上地図の赤く塗った枠がかつてのちょんの間街だったわけです。その周囲には黄金町交番や、関東大震災の際に横浜市民を救った日ノ出湧水なんかもあります。

この大岡川沿いはかつては多くの男性が集結した眠らぬ街だったのですね。。2017年現在でも現役のちょんの間は、川崎の南町を除いては深夜0時には閉まってしまいます。しかし、ここ黄金町では明け方まで開いていた店もあったそうです。今や夜は静まり返り人通りもほとんどないこの街。当時の様子を私は知らないが、その時と今のギャップが何だか切ない。。。

黄金町の思い出

黄金町に関してはちょっとした特別な思い入れがあるのです。完全な個人的な話しではあるのですが、私は生まれてから小学校5年生までの間は井土ヶ谷に住んでいたのです。そんで、中学受験をしていたことから横浜の塾に通うために、井土ヶ谷から横浜まで京急線に乗っていたため、この黄金町のちょんの間街の上を何度も通っていたわけです。
しかし、当時小学生だったこともあってそんな大人の事情は一切知らず。。ただ、時折テレビでやっていた警察24時という特番で黄金町の摘発が取り上げられていたことは覚えていたものの、まぁ関心は特になかったわけです。あの黄金町のちょんの間街が現役だった頃を知りはしないものの、その真上を何度も通っていたというのはなんか特別な思いがあるわけで、より好奇心を駆り立てられるというわけです。。

ちょんの間について

黄金町で長きにわたってちょんの間という形式で売春が行われていたわけですが、そもそもちょんの間とは一体何なのか?以降の記事で黄金町の歴史を紹介する前に、このちょんの間に関して、ちと説明を記載しておこうと思います!

ちょんの間の仕組みとは?

そもそもちょんの間って一体何なのか?名前の由来はちょっとの時間だけで済ますという意味でつけられたようですが、いつからこの言葉が出てきたんでしょうかね?
ソープ店やファッションヘルス、ピンサロなどは30~120分くらいの時間を要する場合が多いですが、ちょんの間は短いのです。現在最大のちょんの間街である大阪の飛田新地は、最短で15分。その他も長くて30分くらい(もっと長い料金もあるが・・)である。マジで完全な流れ作業である( ;∀;)
お店の外観は昔の小料理店。大阪の新地(飛田・松島・滝井・信太山)や神戸のかんなみでは呼び込みのおばちゃんがいて執拗に通り過ぎる兄ちゃんに声かけていき、玄関の正面には通りに面して女の子が座っているのだ。つまり写真マジックなどはなく本物を見て選べるという利点がある。ただし、ライトがガンガンにあたっている場合もあるので要注意だ!信太山は置屋形式と言って、女性は入り口に座ってはいないですけどね!
料金は飛田新地で15分で11,000円、松島新地では20分で10,000円、信太山新地では15分で7,500円と、時間単位にすると恐ろしく高い。。しかし、サービスはどこも本番があるということで、まぁ短い時間でさっと済ませられるという感じですわ。

多くは「~料理組合」に入っている料理店

あんまりちょんの間の説明ばかりするとそれだけで永遠と長くなるのでこの辺りで説明は辞めるが、ちょんの間営業は違法である!ここは知っておきたい。
戦後に政府容認の売春地帯である赤線地帯が出来たが、1958年の売春防止法が施行されたことにより多くの遊郭が閉鎖されることになった。それ以降、お店で本番行為を行うことが禁止になったわけだ。しかし、法律には抜け穴というのが存在する。ソープ店はあくまでお風呂屋さんであって、たまたまそこにいた超かわいい女性とお風呂に入りに来た男性が本当に超偶然中の偶然恋愛関係に落ちて行為を行ったということになっている。
大阪の飛田新地や松島新地、また和歌山の天王新地は料理組合という組合があるように、ちょんの間の場合はあくまで料亭なのである。料亭に来たお客さんとお店の女の子がたまたま恋愛関係になったというだけなのだ。世の中、偶然というのはよく起こるものである。
まぁパチンコもそうであるように、世の中法律通りにすべてが進むわけではなくグレーゾーンというものは存在するわけだ。

アートの街へと変貌した黄金町

長きにわたって違法売春が行われていた黄金町には、もう売春の姿はない!今は、地元の協議会の方々や住民たちの力によって街は変わったのである。詳しい詳細は以降の記事で紹介しますが、現在はアートの街となり、今では常時約50組近いアーティストたちがここで活動をしている。
当時の様子は私はわからないですが、今ではほのぼのとしたごく普通の街の景色がこの街にはあるのだ!

今回の記事を書くにあたって!

黄金町の街に関してを取材していくにあたり、数か月にわたって街を歩くだけでなく何人かの方にも聞き込みを行って今回は情報を集めていきました。そんな中、この街でまちづくりを進めているNPO法人黄金町エリアマネジメントセンターに取材をして話を聞く機会を得ることができ、さらに多くのネタを発掘することに成功!

話を聞いている感の写真を撮るのを忘れてしまったが、黄金町エリアマネジメントセンターの広報の方、そして元横浜市の職員で黄金町の街の再生に携わってきた方を迎え、2時間近くにわたって話を聞くことができた!
そんなこんなで、次回の続編記事から色々な所から得た情報を用いて、戦前から今現在のアートの街に至るまでの黄金町の歴史を細かく紹介していきたいと思います!!!

参考文献

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詳細・地図

住所 神奈川県横浜市中区黄金町2丁目
駐車場 周辺にコインパーキングが多数あり
アクセス 黄金町駅から徒歩1分
リンク https://ja.wikipedia.org/wiki/黄金町

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