元特攻隊員のマスターが営むレトロ喫茶「ボンネット」を訪問!

↑更新・取材裏情報はTwitterにて(^ ^)

こんちわっす(*´▽`*)

今回は、熱海にあるレトロ喫茶「ボンネット」を取り上げたいと思います!

何でこの喫茶店を記事にしたのかというと、このお店はただレトロな喫茶というわけではなく、マスターがすんごく親切でおしゃべり好きなんですね!

ということでお店の背景をたくさん話してくれましたし、さらにはマスターは元特攻隊員でもあるため、太平洋戦争のリアルな話などもしてくれたんです。

そんなご主人の話をいろいろ聞いて、今回は記事にしたって感じですな(*´▽`*)

ではでは、その辺を以下にまとめていきたいと思います!!

本記事のポイント

・ボンネットは1952年に開店した超老舗の喫茶店
・マスターは元特攻隊員であり、浜松陸軍飛行学校の志願兵だった
・とてもフレンドリーで、熱海の昔話などいろんな話をしてくれる

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有名温泉街にあるレトロ喫茶

温泉地として有名な「熱海」

今回の舞台は静岡県にある熱海っすね!

熱海と言ったら名前は日本全国に知れ渡っていると思ますし、関東に住んでいる方だったら一度は来たことがあるんじゃないですかね~。以前は年配の方が宿泊しに来る街だったものの、最近は若者も多く来るということで、老若男女に親しまれている観光地っすね!

そんな熱海、私は川崎に住んでいて家から二時間ちょいで訪問できるということもあり、最近は結構この街の歴史を掘り起こすことに注力してたりするんですね!

超レトロな温泉旅館「竜宮閣」

その一環で、こちらは前回の記事で書いたんですが、昭和レトロで浴室のタイルがすごく印象的な温泉旅館「竜宮閣」にも泊まったりとかね!

この旅館は、1937(昭和12)年に、蕎麦屋だった建物を買い取って旅館に改修しており、熱海の中でも最古参の旅館でもあれば建物も熱海では数少ない戦前の建物なんですな~。

前回はこちらを記事にしたので、よかったらこちらも読んでみて下さいな(*´▽`*)

んで、今回の記事の焦点は熱海にあるレトロな喫茶店なのですが、そのお店を知ったキッカケは、とある一冊の本からでした!

それが、こちらの『熱海の奇跡』!

この本は、30~40年代頃から会社の社員旅行など首都圏から多くの団体客で賑わった熱海が平成に入ると人が全然来なくなるヤバい状態だったものの、2010年ころからV字回復を遂げた内容が書かれている書籍なんすね!

今回の取材対象である「ボンネット」

そしてこの本には熱海にあるいろんなお店も紹介されており、その中でも一番気になって「訪問してみたいな~~」と思っていたのが、今回紹介するレトロ喫茶「ボンネット」なんですね~。

果たして店内はどうなっているのか??

早速、入ってみることにしましょー!

1952年開店の超老舗

素晴らしいレトロな雰囲気

館内に入ると、早速こんな光景が広がってきます!

いや~~、いいっすな!!!

お昼前に訪問したんですが、ちょうどお客さんは誰もいなく独占状態でした(*^-^*)

椅子やテーブルも雰囲気出てますな~~!

お店に入ると、早速マスターが出迎えてくれました!

このお店を切り盛りしているのは、こちらのマスターである増田博(ますだ・ひろし)さん。マスターは1929(昭和4)年生まれで、御年91歳なんですよ!!

90代に突入しているものの、今でも元気にお店を切り盛りしておりました(*´▽`*)

いろいろ話を聞きたいところですが、まずは小腹がすいたちうこともあり、このお店の名物をいただくことにしましょう!!

銀座で学んだハンバーガー

「ハンバーガー&コーヒーセット」800円

ということで、私が注文したのはこちら!

今回私が頼んだのは「ハンバーガー&コーヒーセット」800円。このメニューがボンネットの看板メニューなんですな!

このお店は、数ある熱海の喫茶店の中でも最古参のお店で、1952(昭和27)年の創業。コーヒーはサイフォンで淹れており、ハンバーガーはレタスとオニオンがパンにはさまれずに出てくるってのが大きな特徴なのです。

これは、「自分で挟む楽しみがある」という増田さんの工夫なんだそうです。

お店で出しているハンバーガーは。終戦後に銀座にあったアメリカ占領軍の将校クラブで出合い、マスターが日本人好みの味にアレンジしたもの。

マスター:「アメリカ人向けのハンバーガーはね、香辛料が強いんですよ。だからお店で出しているものは日本人向けに味をアレンジしてあるんです。」

このハンバーガーは、御世辞なしでマジでうまかったです!!!

ただ、味に集中しすぎてハンバーガーの写真を撮り忘れてしもうた。。(;’∀’)

断面図とか拡大写真とかもうちょっと撮りたかったんだけどね。。

元陸軍の特攻隊員だった過去

陸軍の戦闘機

そして、今回マスターと話した中で一番印象的だったエピソードとしては、マスターは元特攻隊員だったということ。

マスターは志願兵として陸軍に入隊。

そして、爆撃機の部隊がいた浜松陸軍飛行学校で訓練に励んでいたそうです。太平洋戦争が勃発してから徐々に日本が劣勢になり、本土決戦が迫ったことで誕生した苦肉の策である特攻作戦。

ご主人にも実際に出撃命令が下り、敵艦に突っ込んで死を迎えるはずだったようです。

マスター:「通知が来るんです、『明日の××時に出撃』って書かれたね。それで明日特攻が決まった人はね、その晩はお酒が飲み放題なんですよ。でもね、いくら飲んでも酔えないの。明日になったらあの鉄の塊に突っ込んで粉々になるってことを考えるとね、いくら飲んでも酔えないんですよ。」

浜松にあった二葉遊廓

特攻前日の晩にね、酒を飲むのもいればね、まだ当時は売春がありましたから。浜松には二葉遊廓って場所がありましてね、私は行かなかったですが、 女を買いに行く人もいましたよ。

でも翌日になってね、天候が悪くなって「出撃、見合わせ!」って通知が来るんですよ。そうするとね、蛇の生殺しですよ。。自分は一晩酒飲んで、明日突っ込むんだって腹をくくったのに、またいつになるかわからない。。

戦争体験の話もしてくれた

つまり、マスターは特攻の悪天候になったことで今もこうして生きることができているというわけです。

天気によって生きるか死ぬかが決まるという、、凄い時代だ。。

マスター:「今ではね、熱海には修学旅行でやってきた中学生が来ることも多くてうちの店にもそういう方々が来られるんですよ。それで戦争の話をするとね、生徒たちが『どうして国のために死ぬんですか?』って聞くのね。今の時代の考えでは理解ができないんです。」

私:「当時はそれが生きがいだったんですよね!」

マスタ:「そう、それが男の美学だったわけですよ。生徒たちは『僕だったら断りますけど』って言うのね。当時はそんな時代じゃないんですけどね、でも今の時代の子たちにはそれが不思議みたいね。」

バラック小屋からのスタート

特攻で敵艦に突っ込むことはなく太平洋戦争は終戦に。

その後、大学に通いながら銀座の将校クラブで働いていたご主人が熱海にやってきたのは、23歳のときでした。

マスター:「大学を出た後にね、サラリーマンやるのもつまんねぇな~と思いましてね。そんで大学は日大の芸術学部に入ったんですけど、絵を描いてるよりも商売した方がいいな~と思うようになりまして。」

故郷というわけではないですが、親戚がいたことできっかけでやってきたようです。

熱海大火後の市内の様子
引用元:『熱海温泉誌』

とはいうものの、現在の熱海銀座の周辺は1950年4月に発生した熱海大火により、市役所や図書館、警察署、消防署など市の主要部分を含め市の四分の一が消失してしまいました。

それから約二年が経った1952年に、マスターは喫茶店である「ボンネット」を開店したわけですが、まだ当時はバラック小屋からのスタートだったそうです。

店名は映画で見た光景からきている

店名である「ボンネット(BONNET)」は、映画で見たフランスの女性が被るかわいらしい帽子から名付けたとのこと。

マスターは、「米兵が食べていたハンバーガーは熱海でも流行るはずだ!」と意気込み、熱海は旅館の仲居さんや芸者さんなど女性が働く街であることから、女性をターゲットに、コーヒーとパンの店である「ボンネット」を開業したんだそうです。

現在の熱海見番落成時
引用元:『熱海温泉誌』

そのマスターの狙いは見事に当たり、熱海が団体旅行のブームに沸いた昭和30~40年代には、1,000人ほどいた芸妓さんの間で御座敷前にボンネットで一息入れることが流行って大繁盛!!

御座敷前の普段着の姿を小説家の広津和郎(ひろつ・かずろう)が雑誌に書くと、それを読んだ男性客も押し寄せてきたという。

店内には緒形拳さんなどのサインも

今までは多くの著名人も来店しており、毎年夏になると近くの熱海ホテルの一室を貸し切って小説を書いていた三島由紀夫、さらには越路吹雪(こしじ・ふぶき)、美輪明宏(みわ・あきひろ)などの方々も通っていたそうです。

マスター:「あの頃は熱海にも情緒がありましたね。すぐ近くの”糸川べり”という場所は赤線地帯でね、売春防止法が施行されたのが1958年だったので、この店を始めたころ(1952年)はまだありましたよ。」

私:「糸川は、当時はどんな雰囲気だったんですか?」

マスター:「川沿いにね、小さな木造二階建ての家が建ち並んでたんですよ。玄関の前に女性達が立っててね、浴衣を着た旅館の宿泊客が通ると『兄さん、よってらっしゃい!』って声をかけるんです。だから情緒がありましたよ。」

糸川べりに残る赤線の建物

そうそう、熱海の歓楽街というと糸川べりが知られており、今でも赤線時代の建物がいくらか残っているんですね。この写真の建物は「つたや」という屋号の建物で、現在は一回で『スナック 亜』というお店が今でも営業を続けています。

この店は私は一度訪問しているんですが、お姉さんが切り盛りして話しやすくてとても楽しいお店なので、こちらもオススメっす!!

糸川とか熱海の芸者に関しても、近いうちに記事にまとめたいんですが、まだ調べ綺麗ていない部分も多いのでまだ先かな~~。

現在も多くの雑誌に掲載される人気店

そのような歴史があり、創業してからは実に68年もの年月が経っているんですね。マスターは御年91歳ではあるものの、まだまだお元気!

今でも、訪れたお客さんに対して親切に接客してくれますよ!!

グリーン車に備えられている雑誌にも掲載

マスターと話していると、いくらかの雑誌も持ってきてくれました。

今でもいろんな雑誌の取材も受けるようで、上の写真に写っている雑誌は新幹線の座席に備えられているもの。

さらには、熱海の歴史を調べるためのバイブルとなっている『熱海温泉誌』にもボンネットが紹介されているんですな(*´▽`*)

と言うのも、熱海温泉誌の調査の一環で、國學院大學の教授 が米軍占領期の熱海のことを調べていたようなのですが、そこで米軍の方たちが来店していたボンネットに取材に来たってことのようです。

ジャズが流れ続ける

終戦後に米軍が日本に進駐してきたとき、今でも自衛隊の基地がある近くの御殿場には米軍の駐屯基地が誕生したんですね。そんで休暇になると、彼らは熱海にに女を買いに来ており、その関係でボンネットにもよく来たんだそうです。

凄いな~、さすがに68年も営業しているだけあって、他では聞けないような話が満載ですわ!!

石井正則さんの本にも

あとは、こちらの本にも載っているとマスターが持ってきてくれました。

この本を書いたのは、「アリtoキリギリス」というお笑いのコンビだった石井正則さんの本。彼は現在は俳優などマルチタレントとして活躍されているそうで、彼はコーヒーやカメラが好きで純喫茶巡りをしているそうなんですよ!

店内の灯りが大変時代を感じる

その他にも、ご主人さんはジャズが大好きのようで、ジャズの話なども話してくれたり。今回私が訪問したのは初めてだったものの、本当に親身にいろんなことを話していただいたマスターには本当に頭が下がります。

そろそろ次の取材に行かなくてはいけなくなったので、お店を出ることにしましたが、まだまだ聞きたいことがあるのでまた行きますぜ!!

おわりに

また行きますよん!

だいたい一時間くらい滞在しましたかね!

おしゃべり好きで本当にいろんなことを話してくれたマスター。

特攻隊だった過去から、この喫茶店や熱海の歴史をたくさん教えてくれて、本当に来てよかったっす。そして、まだまだ聞きたい話があるので、また行きますね!

今回の記事は異常になりますが、熱海にはまだまだ紹介したいお店や歴史がたくさんあるので、これからもちょくちょく投稿していきたいと思います。

ではでは~~

参考文献

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詳細・地図

住所 静岡県熱海市銀座町8−14
営業時間 10:00~15:00
定休日 日曜日
駐車場 なし
電話番号 0557-81-4960
アクセス JR熱海駅から徒歩15分ほど

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