かつて江ノ島は江戸庶民に親しまれた信仰の地だった!?

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江ノ島を広めた御師や出開帳

杉山検校だけでなく、同じ医業に関わった吉永升庵などによって江ノ島弁財天信仰が広められていたわけですが、その他に信仰の拡散に大きな役割を担ったのが御師(おし)たちの活動、そして江ノ島弁財天の御開帳でした。

ということで、一つずつ説明しますね。

まずは”御師”について!

富士山の麓に広がる御師の町

「御師って何や?」って方もいるかもしれませんが、御師は近世の著名な霊山や寺社で賑わう場所には欠かせない存在でした。富士山の麓にある山梨県の富士吉田市の上吉田は”御師の町”とも言われており、富士山信仰の方々である富士講の方々が宿泊していた宿もたくさんありました。

御師たちは全国各地を廻りお札を配って歩き、その結果各地に信者が増えていきました。この御師は江ノ島の島民の方々が行っていたことから島民御師とも言われていたんですって。

続いては御開帳について!

江ノ島弁財天を広め、参拝者を誘った大きな要因は「開帳」の開催でした。ご開帳~ってやつです!

開帳とは、普段は見ることができない弁財天を特別に公開するイベントのこと。

江之島大弁財天開帳御着の図

そんな御開帳には二種類あり、現地(江ノ島の島内)で開帳する居開帳と、出張して別の場所で開帳する出開帳がありました。そんで、出開帳をする際にはより江戸の方に知っていただくため、弁財天を江戸まで運び、浅草や深川八幡宮(現:富岡八幡宮)などで行っていたんですね~。

江ノ島弁財天の出開帳を行うためには、寺社奉行へ挨拶回りなどの諸準備が行われ、宣伝をするために立札という札を浅草や両国、品川、遊郭があった新吉原などに設置したのです。

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江戸庶民が楽しんだ江島詣

江戸時代も中期になると、農業生産力の向上や消費生活の活発化によって人々は次第に経済的に余裕を持つようになります。また、その頃には江戸幕府当初から行われていた街道の整備が進み、女性や年寄りでも安心して旅ができるようになりました。

そして、先ほど説明した杉山検校の存在、御師たちの活動、そして弁財天の開帳イベントなどによって江戸庶民が江ノ島へと訪れてくるようになるのです。

大山の麓に残る通り

そこで、江戸から数日かけて遊覧できる場所が人気を博し、神奈川県でいうと、丹沢山系に含まれる山岳信仰で有名な大山、江ノ島、あとは鎌倉や金沢八景が人気の観光地となるんですね。

鎌倉は今でも都心から近いということで、土日やあじさいの時期はごった返しまくりの人気観光地っすね。金沢八景は、今のように海岸沿いが埋め立てられる前は、日本三景の松島のように海上に島々が浮かぶ景勝地として人気だった場所なのです!

江島詣のコース(おおよそ)

江ノ島、鎌倉、金沢八景は3~4日かけて巡るコースが人気であり、もっと日数に余裕がある人だと、大山にも寄るルートが一般的でした。

今回のテーマの一つでもある江島詣というような「○○詣」という言葉は、江ノ島に限って使われているわけではなく、「榛名詣」「成田詣」「鹿島詣」「身延詣」「大山詣」などなど。この「○○詣」という言葉は、主に大都市江戸から数泊を費やす地への案内本の表題に使われはじめました。

この時代はもちろんネットはないわけで、江戸市中で発行されていた江ノ島道中記や絵図などの案内本を携帯して旅に出ていたようです。

そして、江ノ島にはいろんな方々が参拝されていたんですよね!

『江之島の風景』二代歌麿

以前の吉原遊廓の記事でも書いたように、江ノ島は女性にも人気だったとも思われることから、女性を描くことの多い浮世絵の題材に登場することも多い。

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中村座と市村座の石塔

さらに、江ノ島弁財天は技芸の上達にご利益が大きいとされることから、歌舞伎とも関わりが深く、芸能関連の方々からの信仰も篤かったのです。今でも中津宮の参道には「中村座」「市村座」と刻まれた石塔が残されています。

この二つは、江戸にあった歌舞伎劇業の中でも江戸三座に含まれている超有名な芝居小屋だったようです。

新吉原からの寄進物

その他には、以前の記事でも紹介したように江ノ島の入り口に建っている青銅鳥居や無熱池(むねつち)の崖に建っている石碑が浅草の新吉原から寄進された物と紹介しました!

吉原の方々も江ノ島への信仰心は篤かったようです。

石垣に刻まれた先人たちの痕跡

その他にも、石塔や石垣などを見ると江ノ島をどのような方々が進行していたかの痕跡がたくさん残っているんですよね。

みなさんも、江ノ島を訪れた際にはこうした痕跡を探してみてはいかがでしょうか?

江ノ島へと続く江島道

江ノ島道沿いに建てられる道標

江島詣へと向かう方々は。東海道の藤沢宿から江島道といわれる道を通って江ノ島へと向かいました。江島道は今でもその道路が残っており、かつて先人たちが歩いていた道を同じように歩くことができます。

そして、道沿いには所々に江島道標の碑が建てられてもいるんですよね~!

旧東海道沿いに残る道標

東海道と江島道の分岐点には、今も道標が残されています。

この道標は杉山検校が、江島神社を参拝する人々の道しるべにするために寄進したものと伝えられています。今の時代だったらGoogleMapとか使えば余裕で道に迷うことはないですが、昔はそういったものがないので道しるべがあることでかなり助かったでしょうな~。

現在藤沢市内には十二基ほど残されているそうで、これらは市の重要文化財にも指定されているそうです。

今や住宅地になっている江島道

まぁ道自体は残っているんですけどね~、現在の道沿いは何の変哲もない住宅地となっているので、その道を歩き続ける感じになりますけども。。(;’∀’)

江ノ島道沿いに建てられる道標

でも、このようにその道が江島道だったことを示す道標が所々に建っているので、一応江ノ島へと続いている道を歩いている感はあります(笑)

ちなみに碑が建っているのは基本は道の分岐点です。分岐点に来た時に、参拝者がどっちに向かえばいいかわかるように道標を置いたってことですね!

藤沢駅から江ノ島まで歩くと二時間くらいですかね~。小田急線や江ノ電乗ると一瞬で着きますが、こういう道を歩いて歴史を感じるのも私は結構好きなんすわ!

時間があればオススメです~(‘∀’)

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江ノ島を語り継ぐ施設

藤沢市明細地図(昭和37年)

そして最後に、現在も江ノ島に残る施設をいくつか紹介したいと思います。

上の地図は、藤沢市文書館にある一番古い藤沢市の住宅地図(昭和37年)の江ノ島です。ここには、岩本楼、恵比寿屋、金亀楼と記載されていますが、この三つは先ほど紹介した岩本院、上之坊、下之坊が神仏分離で称号が廃止となった後に各々が転業した旅館なんですね!

金亀楼以外は今もご健在ですので、その辺も併せて紹介しようかと思います!

ちなみに、上の地図の右上に「埋立予定地」という記述がありますが、これは1964(昭和39)年に開催された東京オリンピックのヨット会場として江ノ島が選ばれたために埋め立てられた場所です!

岩本院は旅館『岩本楼』に

岩本院は、現在でも岩本楼として旅館営業が続けられています。

別当岩本院の時代は島内での格式が高かったため、参拝者から宿泊先として好まれました。部屋からは正面に富士山、さらには丹沢の大山、箱根、伊豆天城連山を見渡せる眺望も人気の理由だったようです。

ここはローマ風呂という国の有形文化財に指定されている風呂があるほか、岩本楼資料館もあるんですよね~。

私はまだ泊まったことがないので、ここは近いうちに宿泊したい場所。ちょっと値は張りますけどね(;’∀’)

下之坊は『恵比寿屋』に

そして下之坊は。現在も恵比寿屋として旅館営業が続けられています。

岩本楼は結構情報は多く、ネットでも資料でもいくらか情報は出てくるんですが恵比寿屋に関してはほぼ情報が出てこないのですごく気になってるんですよね。。

ここも、近いうちに泊まりに行きたい宿なんですわ~。

上之坊跡地はお花畑にww

上之坊の跡地はというと、上の写真のようにお花畑になっておりますww

今では「金亀楼別館」という碑が建っているのみで、ここに旅館があったとは想像もつかない光景っすね~。

この金亀楼に関しても、詳しい情報が出てこないのでこれからも調査を続ける予定です。

モール臨海実験所跡推定地

あとは大森貝塚を発見したことで知られるモース博士(エドワード・シルベスター・モース)も江ノ島に由縁があるんです。

モース博士は、シャミセン貝の研究をするために1877年に日本初の臨海実験所(
海産の動植物を研究するため臨海地に設けた実験所)を作りました。その跡地とされる場所には、上の写真のような記念碑が残されております。

さらに、”えのすい”という名称で親しまれている「新江ノ島水族館」の前身である「江の島水族館」は、モース博士の発案があって実現されたものです。

このように、江ノ島にはいろんな歴史が秘められてる島なんですね!

この記事を読んで少しでも江ノ島に興味を持ったり、江ノ島に行くきっかけになれれば幸いです<m(__)m>

おわりに

名勝史跡 江ノ島

どうでしたでしょうか??

江ノ島というと、”えのすい”といわれる新江ノ島水族館、あとは灯台やサムエルコッキング苑が有名ですが、この島には今回の記事で説明したような歴史があったんですね。

今でも多くの方が江島神社へ参拝されますが、こうした背景があったということに関心を持つと、より江ノ島への興味がわくと思いますよ(*^-^*)

とはいえ、岩本楼や恵比寿屋旅館にも泊まりに行きたいし、まだまだ江ノ島に関して調査することはたくさんあるので、また今後も江ノ島に関する記事は書いていこうと思います!

ではでは~~

参考文献

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詳細・地図

住所 神奈川県藤沢市江の島2丁目3−8
駐車場 なし
リンク http://enoshimajinja.or.jp/
アクセス 小田急線 片瀬江ノ島駅から徒歩15分ほど

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